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幻想徒然絵巻  作者: 日生
早春
132/150

寄せ鍋

 コール音がしばらく続いた後、『もしもしユキ?』と早口気味なお母さんの声がした。


「ごめんね、お母さん。連絡遅くなって」


『今どこにいるの? もう七時になるよ?』


「うん、あのね」


 廊下に出て襖を閉めながら、なんと説明したらいいのか悩む。


 先刻、洸さんがひととおりの事情説明を終え、状況が落ちついたのを機に、今日は帰れない旨を家に知らせることにした。

 かといって、神様の話などをいきなり電話口でしても伝わらないだろう。できれば、あまり心配もさせたくない。


「実は妖怪の関係で、しばらく家に帰れないかもしれないの」


『なにそれ。また宴会にお招きされたの? どこにいるの? しばらくって、どのくらいのこと?』


「ええとね、妖怪のところにいるわけじゃないの。古御堂さんって、お母さん知ってる? 天宮さんと同じ祓い屋さんなんだけど」


 言いつつも、まあ知らないだろうなと思っていたら、意外な反応があった。


『知ってる! お葬式の香典帳の中にあったわ! おじいちゃんの時と、おばあちゃんの時と両方よ。直接お会いしたことはないけども。最初、漢字の読み方がわからなくてお父さんに聞いたの覚えてる』


 正宗さん、我が家のお葬式に来てくれていたんだ。しかも二回も。全然知らなかった。

 むやみに私たちに関わらないようにしていたと確か前に正宗さんが言っていたので、特に声をかけたりはしなかったんだろう。


『その方のお家にいるの?』


「うん、そう、そうなの。ちょっと色々あって、妖怪から匿ってもらってて」


『ええ? 大丈夫なのそれ? お正月の時みたいなこと?』


「うーんと・・・」


 その時、襖が開いて正宗さんが出てきた。


「貸しなさい」


 目の前に出された手に、私は反射的に携帯を渡してしまった。


「古御堂正宗と申します。突然のことで驚かれるかと思いますが――」


 正宗さんはおじいちゃんの過去と神様の複雑な話を脇に置いといて、私が古御堂家に逃げ込んだ経緯や妖怪に狙われている状況をお母さんへ説明してくれていた。

 突然この渋い声を電話越しに聞いたお母さんが腰を抜かさないか心配になる。


 正宗さんの電話が終わるまで手持ち無沙汰になっていると、開いた襖から洸さんも廊下に出てきた。

 濡れたコートと帽子を脱いで、上はシャツ一枚になっているのが少し寒そう。


「家を説得できず、すみませんでした」


 なにかと思えば、急に謝られてびっくりする。


「そんな、仕方ないです。だって普通は信じられない話なんでしょうから」


「信じさせることができなかったのは私の落ち度です。特に綾乃のことは、ユキさんにも冬吉郎さんにも申し訳なく思います」


 他の時に見せるおどけた調子は欠片もなくて、洸さんは心底から無念そうに目を伏せた。


 洸さんの話によると、どうやら綾乃さんはおじいちゃんを信じることをやめてしまっていたらしい。

 説得かなわず、洸さんと慧さんはお屋敷に閉じ込められそうになったそうだ。でも唯一、話を信じてくれた翔さんが助けに入り、なんとか逃げることができた。


「綾乃も冬吉郎さんを慕っていたはずなんです。彼が傷つくことを恐れ、平穏の中で幸せであってほしいと願っていた。私が過去を掘り返して調べることに難色を示していたのも、これ以上、冬吉郎さんに迷惑をかけたくなかったためでしょう」


 私は綾乃さんの口からおじいちゃんの話をほとんど聞いていないので、二人の間にどれだけの信頼関係があったのかは知らない。天宮家の当主として毅然と振る舞う姿しか見たことがないから。


 けれど綾乃さんの判断には少なからずショックを受けたし、彼女にしてはなんだか対応が性急過ぎるような気もしていた。


「まさか、あなたを害そうと考えるはずはないのですが・・・」


 洸さんも釈然としていないみたい。


 先ほどの正宗さんたちへの事情説明の中で、私からも昨夜お狐様と話した内容を共有した。

 私の知っている誰かの中に、私の記憶を封じたヒトがいるかもしれないこと。それが解ければ、綾乃さんたちに信じてもらえる方法を何か思いつけるだろうか。


「おや?」


 洸さんがふと私の足元に視線を下げた。

 つられて見やると、


「わっ」


 なぜか、大きなカエルがいて、咄嗟に飛び退いた。廊下の影にまぎれて今まで気づかなかった。

 どこから入り込んだんだろう?


 あれ? でもこのカエル、見覚えがある。おおまかな形はヒキガエルのようだけど、青黒い肌の色をしており、目が人のように正面に付いている。


 たぶん、まちがいない。昨日の朝、私の家の前の道路にいたところ、踏んでしまったカエルと同じだ。


「センポクカンポク? なんでこんなところに」


 洸さんは屈んでカエルを覗き込み、聞きなれない響きの名前を口にする。


「ご存知なんですか?」


「これは妖怪です」


「えっ」


 ただのカエルじゃない?

 確かに不思議な顔をしてはいるけれど。


「センポクカンポクは死人が出た家に現れ、死体の番をし、最後は死者の魂を墓場へ導く妖怪です。人に害をなすことはありませんが、意味もなく現れるものではありません」


 死んだ人を守るために現れる妖怪、ってことは・・・?


「あの、昨日、私の家の前にもいたんですが」


 それを伝えると、洸さんの表情は強張った。


「つまりユキさんを追ってきている?」


「そ、それって」


 嫌な予感が頭を駆け巡ったちょうどその時、「おーい、どいてくれ」と大きな鍋を抱えた翔さんが、廊下の向こうからやって来た。

 その後ろに煉くんがもう一つ鍋を持って続き、取り皿など色々なものをお盆に載せて拓実さんが持ってきた。


 鍋からはお出汁のいい匂いがした。今夜は正宗さんのご好意で夕飯をご馳走してもらえることになり、天宮家の二人は配膳のお手伝いを買って出ていたのだ。


「廊下じゃ寒いでしょ。話なら中でしなよ」


 端に寄った私たちを避け、翔さんは開いた襖から先に部屋に入る。


 センポクカンポクさんがいることを皆さんに知らせたほうがいいだろうか。そう思うと、洸さんの手が肩に置かれた。


 振り返った私に、洸さんは人差し指を唇に当ててみせる。さらにはセンポクカンポクさんを人目から隠すように足で廊下の隅に追いやった。


 秘密、ということ?


 とりあえず口を閉じる。


「終わった」


 その頃に、正宗さんが携帯を返してくれた。まだ通話は切れておらず、お母さんと少しだけ話す。

 電話の向こうの声は神妙なものに変わっていた。


『皆さんのおっしゃることをよく聞いて、無事に帰ってきてね。あなたはおじいちゃんみたいな無茶をしちゃだめなんだからね』


「うん。大丈夫。煉くんも、古御堂さんたちも皆さん助けてくれるから。ちゃんと帰るよ」


 なるべく安心させるように言って通話を切った。


 部屋の中ではもう、翔さんや煉くんがお椀にみんなの分の鍋の具材をよそい、慧さんや拓実さんたちは食べ始めている。


「はい、ユキちゃんも」


「あ、ありがとうございます。すみません」


 恐縮しつつ翔さんからお椀とお箸を受け取る。私も居候なのに、なんにもお手伝いできなかった。


 野菜やお肉のたっぷり入った寄せ鍋で、後から瑞穂さんが炊き立てのご飯の入ったお櫃も持ってきてくれた。

 天宮家の方が四人、古御堂家の方も四人、さらに私を含めて合計九人で同じ鍋をつつくのはちょっとした宴会のよう。


「ユキちゃん、おかわりほしかったら言ってね」


 食べ始めても翔さんは鍋の前にいて、みんなのお世話をしてくれていた。

 これってたぶん、ずっとおまかせしてちゃいけないことだ。


「ありがとうございます。翔さんもどうぞ食べてください。あとは私がやりますので」


「いいよ。今日は特に大変だったんだから」


 翔さんはおたまを取ろうとする私をやんわり制し、隣に座らせた。別に私自身が大変な働きをしたわけじゃないのだけども。


「私はただ守られていただけです。翔さんこそ、本当になんともありませんか?」


「ないよ。まあ、色々とショックではあったけどね」


 箸を割り、やっとご自分のものを食べ始めながら、翔さんはぼやく。


「まさかユキちゃんに裏切られるとは」


「え?」


 なんのことかわからずに驚いていたら、「ひどいなあ」と翔さんは肩を竦めた。


「何か思い出したら真っ先に俺に知らせてくれる約束だっただろ? 俺だっておじいさんのことを調べてたのに」


「あ、そ、そうでしたね」


 翔さんには今までおじいちゃんのことを何度か聞かれていた。

 慧さんがそうであったように、翔さんも何かしら引っ掛かるところがあったんだろう。でも事前に翔さんに話している暇はなかったからなあ。


「すみませんでした。あのでも、私もちゃんと思い出せたわけじゃなくて」


「記憶を封じられてるんだっけ? それってどうしても解けないもんかな。試してみようか?」


「え?」


 おもむろに翔さんの両手が伸びてくる。


 ――と、触れる寸前で煉くんがそれを叩き落した。


「いてっ」


「黙って食え」


「はいはい。やきもち焼きだな」


 叩かれた手を振り、翔さんは苦笑い。

 煉くんはそんなお兄さんを追い払って場所をかわった。


「翔くん、君は成人しているのだよね?」


 座を移動した翔さんをすかさず龍之介さんが捕まえ、その手にお猪口を渡す。


「一杯くらいいけるだろう?」


「この非常時に酒ですか。古御堂家の長男は余裕ですね」


「慧くんも飲んでいるぞ」


 すぐ横に慧さんもいて、お猪口の端に唇を付けている。お正月の時は飲んでいなかったのに、龍之介さんの勧めを断れなかったのだろうか。


「へえ珍しい。慧が付き合うなんて」


「ふふ。古御堂と天宮が杯をかわす機会など非常時でもなければ滅多にないさ。災難も心の持ちようで楽しむことができる。ところで、椿さんがこの後に合流する予定はないのかな?」


「いやあ、椿は無理でしょ。俺たちと違って次期当主の責任ってもんがある。よっぽどの証拠を示さなきゃ、こんな話には乗りませんよ」


 椿さんは天宮家の長女で、もう次の当主になることが決まっているみたい。双子の慧さんがそうなる可能性もあったけれど、家を出て好き勝手している(と親戚の方には思われていた)せいで、椿さんのほうがいいということになったそうだ。


 だから椿さんは兄弟の誰よりも忙しいんだと、そんなふうなことを煉くんから以前聞いたことがある。


 椿さんの判断基準は綾乃さんと同じ。曖昧な話を安易に信じられるほど、負っている責任は軽くないということだ。


「苦しいね」


 龍之介さんは静かに、心の内を漏らす。笑みを浮かべているけれど、悲しそうな顔だった。


「自由に暴れている時こそ彼女は最高に輝くのに。僕の手で籠から解き放ってあげたいよ」


「籠の中でもわりと楽しそうに暴れてますが」


「ああ弟とは実に羨ましい立場だ! 生まれた時から彼女の美しさを間近で見ることができるのだから!」


「生まれた時からこき使われるのまちがいでしょう。姉にとって弟は召使いです」


「それこそ妬ましい!」


「わーあんまり絡みたくないタイプだなー。助けてお兄ちゃーん」


 無視して黙々とお酒を飲み干す慧さんと、翔さんたちのわちゃわちゃしたやり取りが続く横で、洸さんと正宗さんも小声でなにやら話していて、拓実さんなどはさっさと鍋を一つ平らげて隅に寝転がっている。

 瑞穂さんと私と煉くんは特別な会話もなく残りのお鍋を食べ進める。


 なんとも和やかな雰囲気で、つい数時間前に怖い妖怪に襲われたことすら忘れそうになる。

 でも、閉めた襖の向こうには不吉な予感が待ち構えているんだ。


 ふと、肩が隣に触れ、煉くんが少しだけこちらに身を傾けて、耳元に囁く。


「大丈夫だから」


 不安を和らげてくれる言葉に、私は小さく頷きを返した。

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