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幻想徒然絵巻  作者: 日生
早春
129/150

はじまり

 一日中そわそわしながら、放課後になった。


 天宮家の結論が出るまでは特に何もすることがないので、五時までは普通に美術部の活動をした。いつも遊びにくる妖怪たちは姿を見せず、特に何事もなく、学校を出る頃には辺りが薄暗くなっている。


 道路の雪は朝から溶けておらず、踏むとじゃりじゃり鳴っていた。


「話し合い、今頃始まってるかな?」


 行きも帰りも話題は同じ。

 煉くんはポケットから携帯を出した。


「ん、始まるみたいだ。慧からメールきてた」


「慧さんも帰ってきてるの?」


「さっき着いたらしい。もし今夜中に結論が出るようだったら、俺から佐久間に連絡するよ。あ、だからって起きてなくていいからな?」


「う、うーん、でもどきどきして眠れないかも」


「気持ちはわかるけど」


 煉くんはちょっと苦笑い。


「いくらなんでも今夜中にどうこうってことはないはずだ。佐久間はあんまり気にしすぎず――」


 と、急に煉くんが立ち止まった。


「? どうし――」


「待った」


 手を引かれて、私も気づく。


 彼が見つめる薄暗い道の先、街灯の明かりのもとに人形が立っていた。


 あれは、藁、だろうか。


 等身大の藁人形。胴体をまとめる紐が三本、下は二股に分かれた足があり、ひょろりとした腕もある。一度全身を水に浸けられたみたいにしっとりして見える。


 白い布にへのへのもへじを書いたお面を付け、同じ藁できた笠をかぶっているのがカカシのようでもあった。


 ゆらゆらと所在なさそうな姿は不気味で、どこか物悲しい。


 あれは、妖怪、なの?


 ついじっと見てしまう視界を、赤い炎が横切った。


「チィっ!」


 横合いから、別の藁人形が飛び出し炎に巻かれて倒れた。


 それだけじゃない。住宅地の塀の隙間から、積み重ねられた残雪の影から、次々と人形たちが現れ集まってくる。


 そしてさっき聞こえた舌打ちは頭上から。


 白い狩衣に烏帽子をかぶった、大きな猿の姿の妖怪が、電信柱に取りついていた。真っ赤な瞳で下を睨みつけていたが、私と目が合うと、にたりと笑う。


「さぁぁくまぁあ」


 地を這うようなおそろしい声に背筋が震えた。足が竦んで動けなくなる。


 なんで、どうして。


 南山で莉子さんに封印されたはずの猿神さんがここにいるの?


「ぬしが恋しゅうて恋しゅうて、蘇って参ったぞぉ!」


 月明かりの下で見た牙の、爪の、恐怖を思い出す。

 南山の妖怪たちの宴に誘われて、猿神さんにさらわれたあの夜、煉くんたちに助けられなければ、私はあの大きな口に食べられていた。


 それが今再び私の目の前にいる。


 感覚すべてを恐怖に囚われかけた時、ぎゅっと強く手を握られた。


「大丈夫」


 落ちついた声が私の意識を引き戻す。


 釘付けになっていた視線を移せば、冷静な横顔があった。

 私たちを包んでいた炎が広がり、周りの藁人形たちを一気に蹴散らす。


「フンっ」


 猿神さんは自分のところまで伸びてきた炎を扇子で軽く払った。

 すると細かい火の粉が空中に散り、ばちばち、と花火のように派手に弾けた。


「うおぅっ!?」


 猿神さんがたまらず電信柱から落ちた。


 その間に煉くんは丸めた右手に息を吹き入れ、反対側の小指の隙間から白い犬を出してみせた。


 犬の体は煙のように揺らめいている。

 本物と同じ吼え声を上げ、猛然と猿神さんへ襲いかかった。


「ひぃぃっ!?」


 猿神さんが扇を振り回して犬を追い払おうとしている隙に、煉くんは私を抱き上げて走り出す。


「猿には犬をけしかけるのが定石」


 走りながら、ぼそりと言っていた。


「な、なんでっ、猿神さん、がっ?」


「考えるのは後。しっかり掴まって」


 私が首にしがみつくと、煉くんはさらに速度を上げた。


 猿神さんは煉くんの術(?)に足止めされているが、燃え残った藁人形がたくさん追ってきている。

 焼かれることもまるで怖くないみたい。あれらはもしかして、猿神さんが操っているの?


「さぁぁくまぁぁああっ!」


 恐ろしい声も追い縋る。


 私のせいで石にされてしまったこと、相当腹が立っているんだろう。


 あ、謝りたい、けど、頭を下げる前に殺されてしまいそう。

 このまま家に帰っても諦めてくれないんじゃないだろうか。


 煉くんはどこに逃げるつもりだろう、と思った時、進行方向から呼び声がした。


「ユキ! こっちじゃ!」


 薄闇の中、見えたのは血のように真っ赤な目。


 一つ目入道さん!


 気づけば、私たちは西山の麓まできていた。


 一つ目入道さんはいつも持っている煙管を思いきり吸い込み、私たちが横を通り過ぎると、背後へ向かって、ふうぅ、と煙を振りまいた。


 どんどんそれが濃く広がって、後方が霧に覆われていく。


「なんじゃっ?」


 猿神さんらしき影が、うっすらと見える。

 霧の外から、一つ目入道さんは口を耳まで裂いて笑っていた。


「浮かれて先走ったかよ? 無念無念、ここより先はお狐様のご領地じゃ」


「その声、一つ目か? 邪魔立ていたすかよ!」


「まさか、うぬを助けてやったのだ。ここで諦めておかねば、お狐様がお出ましになるぞ。うぬの力では天宮の小僧とて仕留められまいに。さあどうする?」


「ぐぅぅっ、口惜しやのうっ」


 あと少しだったのに、と恨みがましい声だけがこだまし、霧の向こうの影は消えていった。


 帰ってくれた・・・?


 肌を針が刺すような気配はなくなっている。

 危険は去ったと見て、煉くんは私を地面に降ろした。


「あ、ありがとうございます、一つ目入道さん」


 お礼を言いに駆け寄ると、一つ目入道さんの笑みは優しげなものに変わる。いつも美術室で私が絵を描いているところを見ている時の顔だ。


「なに、大したことはない。しかし珍しきこともあるものよ。猿神ごとき、短気な小僧は己で祓うと思うたが」


「敵が他に潜んでいるかもわからない状況で、佐久間から離れて戦えるか」


「ほうほう。それで素直にお狐様のもとへ逃げてきおったか」


「そのほうが楽だからな」


 一つ目入道さんのほうは少しからかうような言い方だったが、煉くんはしれっとしている。

 そんな態度に一つ目入道さんは丸いお腹を抱えていた。


「ではお狐様に御礼を申し上げてくるがよい。あの猿めはわしが見ておいてやるゆえ、案ずるな」


 団扇のような大きな手を振り、神社のほうへ私たちを促す。


 確かにお狐様にはお会いしたいが、もうだいぶ暗くなってきていたので、私は煉くんを窺った。


「行っても、いい?」


「うん。行こう」


 煉くんはためらわなかった。


 一つ目入道さんに頭を下げて失礼し、すぐそこに見える朱色の鳥居へ向かう。


「猿神の封印を解いた奴が必ずいる」


 その短い道のりの間に、煉くんは小声で教えてくれた。


「術式を知っている天宮家の誰か、もしくは術に精通している人か、妖怪だ。佐久間のじいさんを襲った黒幕と同じ奴かもしれない」


「・・・私を恨んでる猿神さんをけしかけたの? じゃあ、私たちのしようとしてることがもう、そのヒトにばれてる?」


「そう考えたほうがいいと思う。この際、狐に確かめてみよう」


 煉くんは私の右手を取った。

 辺りの空気はどんどん冷えていくけれど、そこだけが温かい。


 私も覚悟して、鳥居をくぐった。


 朱と白の小さな拝殿のある、静かな神社。ここのご神体は普段、後ろのお山の祠を住まいとしている。


 けれど、今夜は拝殿の扉前の階段に座り、端正な顔立ちの男性に化けたお狐様が、金色に輝く九尾を広げて待っていた。

 その膝元に三歳くらいの着物姿の女の子、従者のアグリさんもいる。


「ユキさま! ごぶじでなによりなのですっ」


 ぴょん、とアグリさんが跳ねると黄色の兵児帯が跳ね、小さな浴衣下駄が鳴る。


「ユキ、こちらにおいで」


 長い指が私を手招く。

 でもその前に、煉くんがまっすぐお狐様に問いただした。


「お前は、荒神のことを知っていたか?」


 薄闇に白く浮いてみえるお狐様の顔が、にぃ、っと笑んだ。


「貴様らより知らぬことなどあるものか。己が身に宿すもののことすら忘れ果てるとは、つくづく憐れな一族よなあ」


 言葉のすべてが問いを肯定していた。


 でも驚きはしない。だってこの方は天宮家がくる前からこの地で神様だったうえに、千里眼をもって、未来まで見通すことができるのだもの。


 北山で私とおじいちゃんの身に起きたことについても、お狐様は大体予想がついているふうな口ぶりだった。

 そこから考えてもやはり、お狐様が天宮家の神様の正体を知らないはずがない。


 それでも必死に隠そうとする私たちのことを、黙って見守ってくれていた。


 だから、大丈夫。お狐様は味方だ。それが確かめられた。


 私たちにとっては緊張の瞬間だったけれど、お狐様には当たり前でつまらない質問だったのかもしれない。

 笑みはあっという間に消えて、眉間に皺が寄る。


「天宮なぞどうでもよい。我が知りたいのは冬吉郎の左手を奪った者の正体だ。さあおいで、ユキ。今のそなたならば見えるやもしれぬ」


 よく意味はわからなかったが、私は求められるままお狐様の前に行った。


 階段に座っているお狐様とちょうど目線が同じくらいのところにある。

 大きな両手が私の頭を包み、手のひらで頬をぐにぐにされた。ちょっと、くすぐったい。


「うぅむ・・・?」


 赤い瞳を細めて、お狐様は私の何かを覗き込もうとしているみたい。――と思ったら、急にかっと口を開いた。


「まだ見せぬか根性悪めっ!」


「ひっ!?」


 いきなり怒られた?

 いや、なんだか様子が変。


「お狐様? どうされたんですか?」


「そなたの先が見えぬ。冬吉郎にかような小細工は仕掛けられておらなんだぞ。おいユキ、北山でのことはまだ思い出せぬのか?」


「は、はい。まだ、はっきりとは」


「そのせいだ。そなたの記憶は封じられておるのだろう」


「え?」


「封じる? 佐久間は術をかけられていると?」


 お狐様が頷く。


 まさか、何度思い出そうとしても白抜きの記憶しかなく、その部分が一向に埋まらないのは、単に私が小さかったからだとか、頭の出来が悪いからでは、ない?


「これを解くには術者の正体を暴くしかないが、それも忘却させられておるのだろう。さて、どうしてくれようか」


 お狐様は膝に頬杖をついて考え込むようだ。


 そこへ煉くんが再び問いかけた。


「佐久間の記憶を封じた奴と、佐久間のじいさんを妖怪に襲わせた奴は同じか?」


「であろうな」


「えっ」


「だったら、佐久間はもう黒幕に会ってるのか」


「ええ!?」


 驚くのは当の本人である私ばかり。


 煉くんは冷静に推理を進めていく。


「なんでそいつは佐久間の腕を奪わずに記憶だけを封じたんだ? 神を返させたくないなら腕を奪うのが確実だろ?」


「あっ、そう、だよね」


 おじいちゃんは左腕を食べられて、神様を引き離せなくなった。過去の出来事でそれはすでに証明できている。


 もしその黒幕の誰かさんが私の力に気づいて妨害したかったのだとしたら、もったいぶらずにさっさと腕を取ってしまえばよかったのに。

 そうしなかった理由は・・・?


 私たちが首を傾げる傍らで、お狐様は牙を剥いて唸る。


「だからこそ厄介なのだ。こやつは、やることなすこと辻褄が合わぬ。立ち位置が定まらぬ。ゆえに正体を掴めぬ。此度もユキの腕が先に奪われておれば、何も起こらずこの地は粛々と滅ぼされるだけであったろうに」


「・・・つまり、そいつは状況を引っ掻き回すために佐久間の力をわざと残した?」


「そうとしか思えん」


 二人の話を聞いて、私はだんだん怖くなってきた。


 まるで、ただ騒ぎを引き起こして楽しんでいるだけみたい、なんて思えてしまった。


「そうしてまた前と同じように妖怪たちに佐久間を襲わせ始めたと? 俺たちの情報はどこから漏れてる?」


「知るか。どうせ味方面をしておる敵が貴様らの中におるのだろう。あるいは、ユキ」


 お狐様は人差し指で、私のおでこをつついた。


「奴はそなたを近くで見張っておるのやもしれぬ。よっくと思い出せ。そなたは何度も奴に会うているはずだ」


「何度も・・・?」


 それって、それって、例えば今まで思ってもみなかった誰かが、おじいちゃんの腕を奪い、この土地をめちゃくちゃにしようとしている犯人、ってこと?


 色んな顔がぐるぐる頭の中を回って、でも誰のことも怪しいとは思えない。そんなことあり得ないと思ってしまう。


 私は何一つ答えを導けなかった。


「これから確かめればいい」


 煉くんが、私の肩に手を置いた。


「誰かが俺たちを見張ってるのは確実だ。たぶん、注意すべきは夜よりも昼間。少しでもおかしいと思ったことはお互いに共有していこう」


 ・・・今夜の彼は、ほんとにずっと、頼もしい。


 自分が情けなくなってしまう。

 事態はもう動き出しているんだ。いちいち動揺して立ち止まってる暇はない。


「――そうだね。よく、考えてみます。待っててくださいお狐様」


「おう。危うい時はいつでもここへ逃げてこよ。この西の地では我が必ず守ってやる」


 冷たい頬を温めてくれる手は、これまで通りの優しい土地神様のもの。秘密を明かしても何も変わらず、壊れなかった。


 一つ確かな足場を得られたなら、次に進んでいける。そう思えた。

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