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幻想徒然絵巻  作者: 日生
早春
127/150

過去の秘密②

「冬吉郎さんは、ある日アマノザコオノカミの絵を描きました」


 洸さんの話は再び、過去に戻る。


「北の社で見たその姿を夢の中で思い出したそうです。はじめ、冬吉郎さんは何を描いたのかご自身でもわかっていませんでした。そこで当時、高校の教師をされていた日向さんのもとへ絵を持っていったのです」


 ここで、清志さんとおじいちゃんが繋がった。


「私が仕事の傍ら、神妖の研究をしていたことを噂でお聞きになったそうで」


 清志さんは当時のことを思い出すように詳細を語ってくれた。


「冬吉郎さんはとても焦っているようでした。私は様々な神や妖の名を挙げましたが、なかなか冬吉郎さんの納得する答えが見つからずにおりました。ですが両面宿儺の封印場所で見たということを聞き、荒神に縁のあるものの名を書き出したところ、冬吉郎さんはアマノザコオノカミを指されたのです」


 清志さんは机の引き出しから、一枚の紙を取り出した。

 それを美月さんが私の目の前に置いてくれる。


「左腕を失った後で、冬吉郎さんは再びいらしゃって、神の絵を私に預けてゆかれました。その時に、私は誰にもこの秘密を明かさないことを約束したのです」


 過去のすべての秘密を宿した絵は、黒い筆で描かれた、簡素なものだった。


 走り出しそうな線はきっと一度の迷いもなかったんだろう。白い紙にまるで元から下書きでもあったかのように、鮮やかに精密に描き出されている。


 すぐ目に付くのは、長い鼻。全体は人のような顔の形をしているけれど、牙が飛び出し、瞳にはちっとも光が見えない。


 どこまでも黒く、昏く、落ちてしまいそうな穴。


 金魚のヒレのような袖裾と羽衣をたなびかせ、画面の外の者を見下ろしている。


 きっと、これはおじいちゃんの見た光景そのもの。

 見つめていると、私はどんどん呼吸が浅く短くなっていった。


 ――怖い。


 どうして? どうして、黒い線で描かれているだけの絵がこんなにも怖い?


 ――逃げられないから。


 あぁ、そうだ。私たちはこの存在から逃げられない。

 いつだったか、私も夢で見た、霞がかる景色の向こう側にあった影の形が、絵に重なってしまう。


「佐久間」


 肩を掴み、煉くんが私を体ごと絵から引き離してくれた。

 それでようやく、息苦しさがやわらぐ。


「思い出しましたか?」


 洸さんに私は半分頷いて、半分首を傾けた。


「・・・たぶん。何か、少し、思い出した気がします。私は、この絵のような存在を見たことがあります。とても・・・とても怖くて、決して、逃げることはできなくて」


 言いたいことがうまくまとまらない。


 でも洸さんは支離滅裂になってしまう私を、優しく見守ってくれていた。


「冬吉郎さんは、北山の封印所でアマノザコオノカミに対面し、巫女さながらに神託を賜ったそうです。約束の刻限は近い、と」


 約束。

 神様を返す、期限ということだろう。


「・・・それを過ぎたら、どうなるんですか?」


 洸さんは、ひょいと肩を竦めてみせた。


「例えばこれが借金取りならば、借主の家へ回収に押しかけるでしょうね」


「神様が押しかけて来るんですか?」


 そんなことになったら、一体、どうなってしまうのだろう。


「もしかすると、冬吉郎さんが神の器を生み出す力を与えられたのは、アマノザコオノカミが自ら顕現するためだったのかもしれません。そうでなければ、天宮に宿る神を回収してこいということだったのでしょう」


「・・・だから、おじいちゃんは神様を奪ったんですか? 神様を返すために?」


「はい。アマノザコオノカミは凄まじい力を持つ悪神です。そんな存在が力ずくで迫ってきたらどんなことになるか・・・被害が我が家だけで済むとは限りません。あるいは両面宿儺の封印が解けるよりもひどい事態になるかもしれない。ならば早く神を返したほうがいい――冬吉郎さんからそんな話を聞かされ、信じたのは、子供だった私と綾乃だけでした」


 大人は誰も信じませんでした、と洸さんは続けた。


「天神だと信じていたものが悪神の眷属であったこと、ましてや千年もの間人々を守り続けてきた自負のある天宮が、一転して災厄の引き金になるなど認められるわけがなかったのです。しかし私は常々疑問を感じておりましたから、むしろこの話で腑に落ちたのです」


 洸さんも、最初に慧さんが並べたような疑問を同じく昔から抱いていたらしい。


「綾乃のほうは半信半疑でしたが、我々は冬吉郎さんの人柄とその不思議さを何度も目の当たりにしていましたから、ならば試しに神の絵を北山へ持って行ってみようということになりました。そこで、私たちは綾乃に宿っていた神を絵に移したのです」


 驚くのは、もう何度目かわからない。


「おじいちゃんが奪ったのは、綾乃さんの神様だったんですか?」


 以前、綾乃さんにその事件のことを聞いた時、綾乃さんはまるで他人事のような口ぶりで、洸さんのことにも触れず、おじいちゃんが突然わけもわからず神様を奪い去っていったと、そんな言い方をしていた。


 けれど洸さんの話が真実なら、そうであるはずがない。


「本当は私の神で試すつもりだったのですが、綾乃が五柱の中で最も祓いの力の弱い自分の神で試すべきだと言って譲らなかったので。我々は万が一にも天宮の者や妖怪に見つからないよう、空き家に結界を張り神を絵に移しました。――ところが、北山へ向かう途上です。まだ日中だったにもかかわらず、突然、大勢の妖怪がどこからともなく襲いかかってきました」


 その時のことを思い出してか、洸さんは眉間に皺を寄せた。


「はじめは天宮に恨みを抱く妖怪が奇襲してきたのかと思いましたが、奴らは明らかに冬吉郎さんを狙っていました」


 襲撃はあまりにタイミングが悪過ぎる。

 まるで、おじいちゃんが神様を絵に移すのを待ち構えていたみたい。


「私には奴らが神を返すことを妨害しようとしているように見えました。冬吉郎さんの左手が奪われた事実を思えば、それが目的ではあったことはまちがいないのでしょう」


「どうしてそんなことを? その襲ってきた妖怪たちは、おじいちゃんの力を知っていたということですか?」


「すべての妖怪が事情を把握していたのかは怪しいところですが、冬吉郎さんの力の詳細を知っており、なんらかの理由で妖怪たちをそそのかした黒幕はいたはずです。その正体も、動機もまだわかりません。神の返却を遅らせて、アマノザコオノカミをさらに怒らせ人里を滅ぼそうとしていたのか、はたまた別の目的があったのか」


 お狐様も、茨木さんも、誰かが町の外の妖怪たちをそそのかして、引き連れてきたみたいだと言っていた。

 皆さんが同じことを言っているのだから、やっぱり黒幕的な存在はいるんだろう。


 襲ってきた妖怪たちはみんな町の外の妖怪で、人に恨みを抱いていた。おじいちゃんたちの邪魔をした理由に悪意がからんでいる可能性はきっと高い。


 でもおじいちゃんの腕を奪ったら、町の人間を滅ぼしてくれる神様を顕現させることができなくなるわけで、やっぱり目的がちょっと定まらないように思える。もしかしたら他に顕現させる方法があるのかも、わからないけれど。


 ひとまずこの場では追究をやめ、話は妖怪たちに襲われた後のことに戻った。


「冬吉郎さんは自分が囮になるから、その間に絵を北山へ持って行くよう私たちに言いました。よって私は綾乃に冬吉郎さんの護衛を頼み、一人で神の絵を持ち北山の封印場所へ行きました。私を追いかけてくる妖怪はほとんどいませんでしたよ」


 囮を買って出たおじいちゃんは古御堂家に助けを求めた。そして正宗さんたちが妖怪の目を盗んで、おじいちゃんをこっそり逃がしたんだ。


 洸さんを追っておじいちゃんは北山に入り、山の中で、妖怪に左腕を食べられてしまった。そこまではすでに聞いている。


 少し、洸さんと綾乃さんの話に噛み合わない部分はあるけれど、矛盾点のすり合わせよりもまずは、北山へ一人向かった洸さんが何を見たのかを知りたい。


「私は無事に北山へ辿り着き、社の守護にも気づかれず忍び込みました。例の封印の石の前に絵を置き、そして――」


 ごくりと生唾を飲み込み、結末を緊張して待つ。


 しかし洸さんは両掌を上へと向けた。


「気がついたら、私は床に寝ていました」


 ・・・ええっと?

 予想だにしなかった顛末に、煉くんが「おい」と声を上げた。


「神の絵はどうなったんだ」


「そのままさ。神が宿ったまま。何も変わっていなかった」


 洸さんはあっさり言う。


「・・・神様を返せなかったんですか?」


「はい。しばらく一人であれこれ試してみましたが、何も起きなかった。諦めて帰れば冬吉郎さんは死にかけてるわ、大人たちにこっぴどく叱られるわ、古御堂には殴られるわで散々でした」


 じゃあ、な、なん、だったのだろう?


 悪神だとか、荒神だとか、約束だとか刻限だとか、結局はおじいちゃんの勘違いだった?


 いや、いいや、違う。


 天宮家の神様が天の神様じゃないことは、ちゃんと洸さんの見つけた記録に残っているのだから、すべてがすべてまちがいだったわけじゃない。


 ただの妄想で片付けるにはおかしなことがいっぱいだ。


「当時は何も証拠がありませんでしたから、大人たちはこの顛末を一笑に付しただけで忘れてしまいました。ですが、私の中にはずっと違和感が残っています。確かに神を返すことはできませんでしたが、気を失う前に、私は何者かの影を見たのです」


 洸さんの瞳はいつの間にかまた鋭くなっていた。


「事前に冬吉郎さんの絵を見ていたからかもしれません。とても捉えがたいその姿がおぼろげながらも見えました。あれはアマノザコオノカミであったはずです」


「まちがいないのか?」


「何かがいたのはまちがいない」


 身を乗り出す天宮くんに洸さんは深く頷いた。


「なぜ荒神を持っていかなかったのかはわからないが――ともかく、私はこの疑念を解消するため、密かに調べを進めていました。綾乃には、冬吉郎さんの力が失われた以上、何が明らかとなっても今さら意味はないと言われましたがね。ですがそんな時にユキさん、今度はあなたが力を得た」


 洸さんはまるで小さな幸運を見つけたように語尾が弾んでいた。


「冬吉郎さんは、祭りの日に行方不明になったあなたを封印の石の前で見つけたそうです。気を失っていたあなたは家に帰ると突然、妖怪が見えると言い出した。冬吉郎さんの時とまったく同じなのです」


 正直、その頃のことを私はよく覚えていない。

 てっきり生まれた時から妖怪は見えていたと思い込んでいた。


 ただ洸さんたちも、当時幼稚園児だった私に神様を奪い去る力まであるかどうかは、正確にはわからなかったそうだ。

 それもそのはず。だってその頃の私はまだ色んなクレヨンでぐちゃぐちゃに紙を塗り潰すだけで、絵らしい絵もまともに描けなかったのだから。


 でも、おじいちゃんと洸さんは未来の私に期待した。

 その力がばれないよう秘密にし、ちゃんと成長するまで妖怪にも天宮家にも関わらせないようにして、ひた隠しに隠してきた。


 今度こそ、真実を明らかとするために。


「あなたの力が露見する前に、過去のより詳細な情報を集めておく必要がありました。それまでのように当主の仕事と並行できる程度の調査では足りません。よって冬吉郎さんの葬儀の日に、私は煉に神を移して家を出ました。当主は綾乃にかわってもらい、慧にも事情を話し調査の協力と連絡役を務めさせることにしたのです」


 洸さんが隣を示す。

 私たちに注目されて慧さんは眼鏡の位置を直した。


「・・・父の話は突拍子もないことだったが、それが真実だとすれば、妖怪退治などよりよほど優先せねばならないだろう。そのために俺も家を出た」


「だから急に大学なんて行きだしたのか?」


「土地の神妖の資料がそろっている研究室もあったからな」


 真相を知った煉くんは呆気に取られているようだ。


 洸さんと慧さんは、定期的にお互いの情報を交換しながら調べを進めていったのだそう。


 なので、実はお正月に洸さんがこっそり帰ってきていたことを、私に聞く前から慧さんは知っていたし、なんならあの時の茨木さんの騒動も洸さんは慧さんからの連絡を受け、先回りして解決の鍵となった恋文を探し当ててくれていたみたい。


 なんていうか・・・私の知らないところで、色んな人がいっぱい動いていたんだなあ。


「ユキさん。以上が私にできる過去の話のすべてです。つきましては、あなたにお願いがあります。神を返すために、力を貸していただきたいのです」


 改まって洸さんは言った。


 まっすぐな目で見つめられ、けれど私は、どう答えていいのかわからなかった。


「・・・返してしまっても、いいんですか?」


「はい。そういう約束ですから」


 洸さんは迷うそぶりすらない。


「アマノザコオノカミはいずれなんらかの方法で顕現するでしょう。封印されている両面宿儺のほうがまだどうにかなります。たとえ人の力が糸のようにか細いものであったとしても、動けぬ相手であればこそ、今から何年もかけて幾重にも縛れば強固な封印を作れますからね」


「神様を返したらすぐに封印が解けてしまうわけではない、ということですか?」


「ええもちろん」


 だとすれば洸さんの言う通り、借金取りの神様がやってくるほうがよっぽど怖いように思える。


「でも綾乃さんが、神様を返してしまったら天宮家を恨む妖怪に襲われてしまう、って」


 封印はしばらくの間は大丈夫なのかもしれない。だけど他の妖怪たちはどうだろうと考えると、不安で仕方がなかった。


「綾乃が?」


 すると洸さんは意外そうに瞬いた。


「確かに、その危険性はあります。ですが神の力を失っても我々から霊力が完全に消え去るわけではありません。対抗策はいくらでも考えられますよ」


「そう、なんですか?」


「はい。ですから、後でどうにもならなくなる前に、手段がある今のうちに神を返してしまったほうが良いのです」


 洸さんは自分の考えに絶対的な自信を持っているようだ。

 対して私は、力を得た時のことを完全に思い出せたわけじゃないから、まだ少し、不安。


 でも、おじいちゃんが神様を返したほうがいいと言っていたのなら、そうしたほうがきっといいんだろうと思う。

 もしこの力が天宮家の皆さんに災厄をもたらすのじゃなく、助けとなれるのなら、こんなに嬉しいことはない。それは本当に、心から。


「神を返そうとすれば、また妖怪たちが佐久間を襲いにくるんじゃないのか?」


 煉くんが冷静に指摘した。


 そうだった。

 こっそり返せば大丈夫とも言い切れないんだ。前だって、おじいちゃんたちは誰にも秘密で返そうとしていたのに、なぜか察知されてしまったんだから。


 だけど洸さんは指摘にもまったく顔色を変えなかった。


「それも狙いの一つだよ」


 すると煉くんの表情が険しくなる。


「佐久間を囮にして黒幕を炙り出す気か」


「囮になどするつもりはない。襲ってこなければそれに越したことはないさ。だがそううまくいくとは思えないから、策を練る必要があるということだ。二度と手出しできないようにするために」


 それまでよりずっと、声に力がこもっていた。


 とても、怒ってる、みたい。


 もしかして、洸さんはおじいちゃんの左腕がなくなってしまった過去をまだ引きずっているのかな。

 もちろん神様を返したいのが一番だろうけど、おじいちゃんを襲った黒幕を捕まえたい気持ちも同じくらい大きいのかもしれない。


「黒幕が天宮だったならどうする」


 煉くんは躊躇なくその疑惑に触れた。


 おじいちゃんを襲うわかりやすい理由を持っていたのは、宿している神様を荒神だとは思っていない天宮家の人々。それはまだ、払拭されていない。


 そして、私は洸さんも同じ疑惑を抱いていることを次に知った。


「何者であろうが容赦はしない」


 ――必ず報いを受けさせる。


 隠しきれていない憎悪が端々に感じられ、私は少し、怖くなった。

 それに気づかれたのか、洸さんはすぐに眉間を緩めた。


「・・・一族の者には、この後で証拠とあわせ話をしてこようと思います。満場一致は、おそらく難しいでしょうが、話の通じる者の心当たりは幾人か。なにより当主は綾乃ですからね。心配はご無用です」


 洸さんは立ち上がり、深々と、頭を下げた。


「どうか我ら一族を千年の呪縛から解いてください」


 声はとても切実で、下げられた頭はなんだか痛ましくて。


 ずっと私たちを守ってきてくれた強い彼らが、それでも私たちと変わらない人間であることをもう十分に知ってきた。


 神様を返せば全部が全部解決するわけではないけれど、両面宿儺の封印は残るけれども、力があるからこそ背負い過ぎてしまった荷は、力をなくすことで少し減るのかもしれない。


 何より彼らが望んでいるのならば。


「――はい。私にできることなら、なんだってやります」


 はじめから、それ以外の答えが私の中にあろうはずもなかった。

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