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幻想徒然絵巻  作者: 日生
正月
121/150

呪いの恋

 一瞬の出来事だった。


 茨木さんと煉くんのいる場所を囲む、五つの点から伸びた光が、茨木さんの両腕に、両足に、首に、からみついて拘束する。


 茨木さんは煉くんの腕から牙を離し、暴れて光の紐を振りほどこうとするけれども、ぴんと張られたそれは緩むことも切れることもなく、茨木さんはその場から半歩だって動けなかった。


「・・・あいつ、いつの間にこんな術を」


 翔さんの驚いているつぶやきが聞こえた。


 煉くんはゆっくり立ち上がって、服や頭に付いた雪を払う余裕さえある。


「佐久間、こっちに」


 そう言って、手招きに使っているほうは鬼に咬まれた左手だ。


「光が出てるとこだけ踏まないようにして。他のとこなら大丈夫だから」


「は、はい」


 そろそろと煉くんのところに移動する。近くまで来たら転ばないようにと手を貸してくれて、それもやっぱり左手だった。


「煉くん腕、大丈夫なの?」


「え? ああ、大丈夫。ほら」


 と、袖をまくって見せてくれた左腕には、炎が蔦みたいにからみついていた。


「こんなふうに防御に使うのは初めてだったけど、案外いけた」


 と、満足げ。


「は、初めてやってみたの?」


「これでいければ、俺が離れてる時でも佐久間を守れるかと思って。いい機会だから試してみた。この拘束陣も、蔵にあった古い書物に書いてあったのを見つけたやつ。苦労して解読した甲斐があったよ」


 とても簡単に言っているけれど、やったこともなかった術を即興で試し、見事成功させるなんて、並大抵のことじゃないと思うなあ。

 煉くんの有能さにはもう、かっこいいを通り越して脱帽です。


「おい、茨木童子」


 煉くんが声をかけるも、茨木さんはまだ我を見失って、拘束を逃れようともがいている。


 すると煉くんはおもむろに足元の雪をすくって、茨木さんの顔面に躊躇なく押しつけた。


 熱したフライパンに水を入れたときのような音がして、蒸気が上がる。


「――ぺぺっ! なにしゃがるぁっ!?」


 頭を振って雪を払った茨木さんの目の前に、煉くんは蓋を開けた木箱を突きつけた。


「お前が探していた物だ。血塗りの恋文、だろ?」


 茨木さんは、最初は興奮した様子で歯の隙間からふしゅーふしゅーと息を漏らしていたけれど、箱の中の手紙を見ているうちに、だんだんと、静かになっていった。


 まっ赤に染まっていた虹彩の色が戻り、逆立つ髪が萎えてゆく。

 怒りの形相は緩み、逆に喜色が浮かんだ。


「おおこれだ!」


 拘束されたまま、茨木さんは嬉々として叫んだ。


 正気に戻ってくれたことに、ほっと胸をなでおろす。

 そんな私のほうへも茨木さんの目が動く。


「佐久間、見つけてくれたかよっ」


「あ、はい。この煉くんが手伝ってくれたんですよ」


「レン?」


「天宮煉くんです。他の天宮家の方を止めてくれたのも煉くんなんですよ?」


「天宮の者が、天宮の者を止めたと? なんだそれは。つまり、こいつはなんなのだ?」


「え・・・」


 茨木さんの訊き方に、ちょっと、困ってしまう。な、なんて答えたらいいかな。煉くんは天宮家の方、だけれど私のお願いを聞いてくれて、妖怪である茨木さんを助けてくれた。

 煉くんは――


「――とっても頼もしい、味方です」


 言いながら、我知らず笑みを浮かべていた。


「だから安心してください。落ちついて、話をしていただけませんか?」


 茨木さんは煉くんと、離れたところに控える椿さんたちを交互に見やり、しばらく考えていたようだったけれど、やがて頷いた。


「佐久間ユキは約束を果たした義人である。お前の言ならば信じる」


「っ、ありがとうございますっ」


 煉くんが術を解くと、星が消えて何もない、ただ月明かりを反射するだけの雪の地面に戻る。


 自由になった茨木さんに、血塗りの恋文が入った木箱を渡してあげると、茨木さんは瞳を細め、まるで懐かしんでいるような、嬉しそうな、苦しそうな、悲しそうな、様々な表情が浮かんでは消える。


 そして手紙を手に取ると、血文字を指で掬って、口の中に持っていく。


 ぴちゃ、くちゃ、とじっくり舐めて、恍惚とした表情になった。


「あぁ・・・これじゃ、この味じゃ」


 鬼になった時のことを、思い出しているのだろうか。

 その瞳には涙すら浮かんでいた。


「どうして、これを探していたんですか?」


 そっと尋ねてみると、茨木さんは涙を溜めたまま、答えてくれた。


「急に思い出したのさ。俺を鬼にしたあの文は、どこにいっちまったのか、ってな。意味なんぞない。ただ、もう一度見たくなった」


 茨木さんが、自分の持ち物じゃないけど自分の物だ、と言っていたのは、自分に宛てられた手紙という意味だったんだ。


 確かにこれは、茨木さんの物に違いない。人生を大きく大きく変えてしまった、茨木さんにとって重要な物だったんだ。


「どこにあったのだ?」


「え? ええっと、ふ、普通のお店に、店主がわからないで置いといていたんです」


 詳しく話してしまうと、それはそれで別の問題が起きるような気がして、咄嗟にごまかしておいた。


「祓い屋の家ではなかったのか」


「はい。この地の祓い屋の方々は、誰かの物を盗んだりしません」


「そうであったか・・・」


「あの、どうして恋文のことを教えてくれなかったんですか? お狐様たちにも秘密にして」


 忍び込まないで最初に言ってくれていたら、もう少し穏やかに事が解決したかもしれない。


 茨木さんだって早く見つけたかったろうに、それを誰しもに隠していたから、なかなか見つけられなかったのだろう。


 すると茨木さんはとっても言いにくそうに、


「・・・だって、恥ずかしいじゃねえか」


 とても意外な理由を漏らした。


「昔の恋文を探してるなんぞと、言えるかよ。特に狐と天狗は馬鹿にしやがるだろうよ」


 千年以上も生きる大妖怪がもごもごと言い訳を並べている様は、茨木さんには悪いけれど、おかしくて笑ってしまった。


 すかさず茨木さんの瞳が、ギンと光る。


「笑ったなっ」


「え? あ、ご、ごめんなさいっ。でも恋文を探していたことを笑ったわけじゃないんですっ」


 慌てて言い繕う。


「茨木さんはずっと昔の恋文のことを未だに気にしてくれる、優しい方なんだなあと思ったんです」


「優しい? 俺が?」


「はいっ。人を鬼に変えてしまうくらい、ここには深い想いが込められているんですよね。だったら、茨木さんが特別大切に想う気持ちもわかります。全然、恥ずかしがることなんてないですよ」


 さっきは、この手紙の血に触ったら鬼になってしまうのかと怖くなったけれど、たぶん、それはない気がする。

 きっと想いを向けられた茨木さんにしか効かないものなんじゃないかな。


 これは深過ぎる想いが生んだ、おそろしく、けれど愛しい、呪いなのだ。


「見つかって、よかったです」


 求めた相手のもとに再び戻ってよかった。心からそう思う。


 すると茨木さんは、ふっと笑みを漏らした。


「――ありがとよ佐久間。それと、佐久間の味方殿もな。お前らには礼をしたい。なんでも言え」


 私と煉くんは顔を見合わせて、先に煉くんが口を開いた。


「この地を二度と荒らさないでくれ。それと、俺の家のことも恨まないでくれると助かる」


「承知した。この地は二度と荒らさぬ。天宮の血族を決して害さぬと誓おう」


「ありがとう」


 煉くんはお礼を言って、軽く頭を下げた。


 次に茨木さんは私へと目を向ける。

 私のお願いは考えるまでもなく、決まっていた。


「あなたの絵を描かせてください」


 当然、これしかない。


「なに? そんなことでよいのか?」


「私にとっては一番のご褒美ですっ」


「・・・おかしな娘だ」


 そう言って、茨木さんはにやりと牙を見せた。


「いや、さすがは妖怪絵師じゃっ。なれば姿を整え、明日改めてお前を訪ねよう」


 茨木さんは言い、急に飛び上がるとすでに木の上にある。


「この恩は忘れぬぞ、佐久間ユキっ!」


 そしてあっという間に、夜闇の中へ消えてしまった。




 ❆




 強大な妖気は完全に遠ざかった。


 いつになく大胆な行動を取ってくれた少女が、弟と一緒に安堵の笑みを浮かべている様子を横目に、椿は暗闇の中へ呼びかける。


「終わったわよ」


 木の上には、黒衣の少年がいる。


 茨木童子と戦っている最中から、そこにいることには気づいていたが、邪魔をしてこないことはわかっていたため、無視していた。


「いつもご苦労さまね」


 兄弟たちから離れ、近くまで寄って見上げれば、うっすらと目つきの悪いその顔が見える。


「あいつに助けられたな」


 嫌味にも、椿は特段表情を変えなかった。


「子犬ちゃんが噛みついてくるなんて、ちょっと意外だったわー。悪い人の影響でも受けたのかしら」


「いい加減、首輪が嫌になったんだろ」


「そんなものを付けた覚えはないわ」


 わざとらしくとぼける椿を拓実は追及することなく、木から飛び降りた。顛末がわかった以上、帰るのだ。


 ところが去る前に一度振り返る。

 その際に、懐から封筒を取り出した。


「あんたも恋文いるか?」


「鬼にされたくないから突っ返しといて」


 拓実は「だろうな」とあっさり踵を返し、帰って行った。

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