子犬の抵抗
雪の上に、赤い花が咲く。
私たちが駆けつけた時、山中の開けた場所で、神を宿した人々と、荒らぶる鬼が飛び交っていた。
茨木さんは、まるで狂ったように雄たけびを上げ、動くたびに流れ出る血が白の中に散る。
もともと黒っぽかった肌は今は赤黒く、熱を帯びているのか煙が絶えずその体から立ち昇っている。
茨木さんは天狗の蓑を着ていない。
翔さんの水が、茨木さんが飛び上がって逃げないように上空で膜を張っていたから、きっと雪の上を駆けた足跡を追われて、途中で蓑を剥ぎ取られてしまったんだろう。
神様の力で身体能力も尋常ではなくなっている椿さんたちは、怒り狂った茨木さんの攻撃もあっさりかわす。
拳が狙いを外して大きな木に叩きつけられると、太い幹がめきめきと音を立てて倒れた。
雷が、目にもとまらぬ速さで駆けて茨木さんを打ち、動きが止まったその体を、蠢く水がからめとる。
「――終わりよっ!」
椿さんが嬉々とした声で叫び、一際大きな剣を茨木さんの頭上に出現させた時。
天空まで焦がす紅蓮の炎が、渦となって茨木さんの周りの力を跳ねのけた。
戦いに集中し、私たちの存在に気づいていなかった椿さんたちが、慌てて後ろに退いたのと入れ替わりに、煉くんが木陰から飛び出す。
「煉!? なに邪魔してんのよっ!」
「邪魔はそっちだ!」
煉くんは乱暴に椿さんに言葉を返し、いまだ荒らぶる茨木さんへと向かう。
遅れて木陰から飛び出した私は、血塗りの恋文の入った箱を掲げ、必死に茨木さんへ呼びかけた。
「茨木さんっ! 探し物は見つけましたっ、落ちついてください茨木さんっ! 茨木さんっっ!!」
茨木さんに、しかし声は届かない。
血走った瞳が一瞬私を捉えても、そこにはただ怒りがあるばかりで、私を認識している様子はなく、耳まで口を裂き、牙を剥く。
「下がってっ!」
煉くんは炎をちらつかせて茨木さんを引き離す。非力な私はただ、彼が茨木さんを止めてくれるのを待つしかなかった。
「うーんと、これは、ユキちゃんの仕業かな?」
翔さん、椿さん、それに慧さんも、傍に来る。
翔さんは苦笑していた。その目が笑っていないことは、わかった。
「・・・すみません。でも、退治する以外に解決できる方法が、あると思うんです」
「君の言いたいことはわかるけどさあ、あいつ、煉、死んじゃうよ?」
その言葉は、心臓に氷の刃を差し込むみたいに、私を震えさせた。
わかっている。
私の願いは、煉くんを危険に晒している。
「い、茨木さんは、探し物をしていただけなんですっ。それが今、ここにありますっ」
皆さんに木箱を示してみせた。
「落ちついて話を聞いてもらえれば、退治しなくても茨木さんはこの地を荒らしたりしないはずですっ。どうか皆さんも協力していただけませんか?」
「祓わずに止めろって言うの? それは無理な相談ね」
「どうしてですか?」
「あれ見てわからない?」
椿さんが、戦闘中の茨木さんを視線で指す。
怒り狂う鬼。
神の力に傷つけられても、なお怯まない殺気を放つ、その姿は、かつて都の人々を恐怖に陥れた茨木童子という鬼の、本来の姿であるのかもしれなかった。
「どうやったって鎮められないわ。たとえできたとしても私たちを恨むでしょうしね」
祓うしかないのだと、椿さんは言い切る。
「ま、待ってくださいっ、お願いします!」
なおも言い募れば、皆さんにこれまで見たこともない、とても冷たい顔を向けられた。
いつもの愛想のよさなんか、欠片もそこにはなかった。
「あのね、妖怪に情をかけても黄泉の国に引きずり込まれるだけだよ。これまで天宮が生き残れたのは非情さのおかげなんだ」
翔さんたちは私をよけて行く。
気持ちがすれ違う。
皆さんと私とでは、根本から妖怪に対する心構えが違うのだ。
でも、わかってる。
そんなことは、はじめから。
「――おそれは祓えませんよっ!」
もう、何も考えもせず、私は一番近くにあった翔さんの衣の端を掴んだ。
椿さんと慧さんも、声に振り返る。
その面々を、強く見つめた。
「皆さんがどんなに強くたって敵いませんっ! だって私たちは所詮、人間なんですからっ!!」
どんなに払いのけたと思ったって、恨みは残る。心は消えない。
百年経っても、千年経っても。
だからこそ、天宮の人々はずっとこの土地に縛りつけられているんでしょう?
私は足を止めた人々の前へ出て、腕を広げて通せんぼした。
戦いを見やれば、煉くんは炎をまとわず、ぎりぎりで茨木さんから逃げ回っていた。
攻撃は一切してない。
茨木さんの爪を避けて跳び、なかば雪に埋もれるように膝をついて着地し、その背を追って繰り出される拳を更にかわして反対側へ跳ぶ。
そのまま茨木さんが疲れるまで待つ作戦なのだろうか。
でも、傷ついているとはいえ、人外の鬼と生身の人間である煉くんと、どちらが先に力尽きるか。
そうこう心配するうちに、かろうじて攻撃をかわしていた煉くんが、深い雪に足を取られたのかバランスを崩した。
その隙を、当然、茨木さんは逃さなかった。
咄嗟に防ごうとして、差し出された煉くんの左腕に、牙が喰い込む。
「煉くんっ!?」
悲鳴を上げて、駆け出しかけたところ、すかさず慧さんに腕を後ろへ、強く引かれた。
煉くんは雪の中に押し倒される。
「っ、結局だめなんじゃないのっ」
椿さんが舌打ちし、翔さんも雪を蹴ったその時、必死に身を乗り出していた私は、神様の炎に照らされる、煉くんの表情が一瞬だけ見えた。
圧倒的な力に押し潰され、彼は、笑っていた。




