祓い屋の仕事
「な、なんで? っていうか無事か?」
座り込む私に合わせ、天宮くんも地面に片膝をついた。
「どうして、こんなとこに?」
「・・・あ」
説明しなければと声を出そうとしたら、同時に涙があふれた。
「佐久間?」
天宮くんをぎょっとさせてしまって悪いが、次から次へと湧いてくるものを止められなかった。
怖かったのだ、とても。
天宮くんが現れたということは、助かったということ。そう思ったらほっとして、涙が止まらなくなってしまった。
「ど、どっか痛いのか?」
「ごめ、わ、わた、しっ」
「謝らなくていいから、落ちつけ。もう大丈夫だから、な?」
「う、ん・・・」
天宮くんが優しく声をかけ続けてくれ、しばらくすると、いくらか落ちついた。
嗚咽も収まって、ようやくまともに口がきけるようになったら、ぽつぽつ彼に事情を説明する。
「――そっか。家に来られたのか」
まだ立てない私の目線に合わせ、しゃがんだまま天宮くんは話を聞いてくれていた。
「天宮くんは、どうしてここに?」
「妖気が集まってたから様子を見に来たんだ。この辺にも人家があるし、追い払おうと思って」
やっぱり、さっきの炎は天宮くんのものだったんだ。今も彼の右手に灯っているこの火が、神様の力なのだろう。とにかく、助かった。
改めて安堵したその時、また近くに何かが落ちる音がした。
炎のゆらめきを髪に映して、こちらも天宮くんと同じような和装の、翔さんだった。
「あれ? ユキちゃんじゃないか」
「そっちの妖怪は」
「全部追い払ったよ。で、こっちはなにがあったんだ?」
翔さんは天宮くんから事情を聞き、眉をひそめた。
「例の話は誰にもしてないんだよね?」
「は、はい、それはもちろん」
「どうして急に妖怪たちに名前を知られるようになったのか、心当たりはある?」
「・・・関係あるかはわからないですけど、祖父が」
私は天宮くんたちにおじいちゃんのことと、おじいちゃんの友達だったという一つ目入道さんが、さっきまでこの場にいたことを話した。
「・・・妖怪と友達?」
天宮くんも翔さんもまずそこに引っかかっていた。
「その、おじいさんのお友達が君を助けてくれたわけだ?」
「はい。近頃、私の噂が立っているって、その一つ目入道さんが言っていました。確か・・・オオテング? に妖怪たちが私を献上しようとしてるんだ、って」
「大天狗? 東山の天狗の大将か?」
天宮くんが翔さんを振り仰ぐ。翔さんは頷いた。
「この町で天狗といえばそれしかない」
「ご存知なんですか?」
「まあ、ね。天狗相手に何かした覚えはある?」
天狗というと、鼻が長くて顔が真っ赤で、山伏の衣装を着て背中に羽が生え、山の奥深くに棲んでいる、というくらいは私も知っている。でも実際に見たことはない。
「東山に行ったことは?」
「まったく、ありません。家とは反対方向なので行く機会もなく・・」
「そっか。うーん、なんだろねえ。――ま、いっか」
「よくねえだろ」
軽い調子で考えるのをやめた感じの翔さんを、天宮くんがすかさず咎めたけれど、
「ここで悩んでても仕方がないってことさ。早くユキちゃんをお家に送ってあげろ、風邪をひかせてしまうだろ?」
翔さんの言葉で、ようやく私は自分の格好を顧みた。
パジャマ姿に、髪も縛ってないからぼさぼさ。寝ていたのだから当然と言えば当然ではあるのだが、かなりみっともない格好をご兄弟の前に晒してしまっていたのだ。
今さらながら、顔が熱くなった。慌てて髪だけでも手櫛で整えてみるけど、無駄な努力だ。
「じゃ、後はまかせた」
翔さんは言い残し、闇の中にふらっと消えてしまった。山の暗がりでは、明かりが届かない場所はもう、何も見えない。
天宮くんが右手を軽く振った。するとその上に灯っていた炎が離れ、宙に独立して浮く。そうしてくるりと体の向きを変える。
「乗って」
「え!?」
おんぶだ。確実におんぶをしてくれようとしている。
それはさすがに気が咎めた。
「靴なきゃ歩けないだろ。乗って」
「そ、そこまでしてもらえません! 歩きます!」
「いや、裸足で山道歩いたら怪我すると思う」
「平気です!」
「なんでそんな頑なに・・・」
天宮くんは怪訝そうにしている。彼にとってはなんでもないことなのかもしれないが、異性と触れ合う経験がろくになかった私には重大な問題だ。
「・・・よくわかんねえけど、遠慮してんならそういうのいいから。新手の妖怪が来る前にここ離れないと」
「え・・・妖怪が、来るの?」
「夜は妖怪の動きが活発になる。だから俺らが見回ってんの」
「見回り、ですか?」
「封印があるこの地で妖怪どもに妙なことされると困るから。退治の依頼がなくても基本は毎晩見回るようにしてる」
そっか。だから天宮くん、学校ではずっと寝てたんだ。今晩だけじゃなくて、毎晩こうして妖怪が悪さをしていないか見張ってくれているから。
「じゃあ、私たちが夜に安全に眠れるのは、天宮くんたちが守ってくれているからなんですね」
「・・・まあ」
今まで、ただただ彼をよく寝る人だなあと思っていたことが申し訳ない。
「ありがとうございます」
「や、礼はいいから早いとこ運んでいい? 悪いけどこの後も仕事あるんだ」
「え、あ・・・は、はい」
私のことはもう気にせず行ってください、とまで言える勇気も漢気もなく、結局、押し切られてしまった。
申し訳なく思いながら、彼の背におぶさる。
「ごめんなさい、重いです」
「軽いよ」
そう言って天宮くんは難なく立ち上がった。
腕に当たる背中の筋肉は硬い。顔は女の子のようにきれいでも、やっぱり彼は男の人なのだと実感する。
「もっとしっかり掴まって」
あんまり密着されるのも嫌だろうと、肩のところに手を乗せるだけにしていたら、思わぬ指示を出された。
「腕、首に回していいから」
「は、はい」
言われるがまま、両腕を天宮くんの首の前でクロスさせる。
・・・ってこれ、完璧に抱きついている形でかなり恥ずかしい。密着しているから心臓の音が聞こえてしまうのではないかと思う。
「しっかり掴まってて」
火が消え、天宮くんの顔は見えなくなる。が、声からすると完全に平静のようだ。
変に緊張しているのなんて私だけなんだ。そう思えばまた恥ずかしい。
「行くよ」
けれどすぐに、そんなことを考えている余裕はなくなった。
一瞬、彼は身を屈めたと思ったら、あろうことか木の上に飛び乗ったのだ。
「っ!?」
「舌噛むから叫ぶなよ」
一言注意しただけで、天宮くんは足にバネでもついているのかと思うくらい、軽やかに木から木へ飛び移り、あっという間に山を出ると、今度は電柱を足場に夜空を走る。
人一人を背負ってこの跳躍力、どう考えても人間業じゃない。
不思議な炎だけじゃない、これも神様の力なのかな。
もはや恥ずかしがっている場合ではなく、私は振り落とされないよう天宮くんにがっちり掴まり、そのうち、気づけば自宅の屋根の上に着いていた。
二階の開いた窓から入り、部屋の中に降ろされる。天宮くんは一階の屋根の上に立ち、目を回す私をちょっと心配そうに覗いていた。
「大丈夫? ごめん、このほうが速いから」
「だ、大丈夫・・・あ、ありがとう、送ってくれて」
けど、最初に言ってほしかった、かも。
「また妖怪が来ても次は無視して。家はそれ自体が結界になってるから、家主が開けなきゃ簡単には入れないんだよ」
「そ、なの?」
「うん。じゃあ、俺は行くから。ちゃんと閉じまりしといてな」
身を翻すや、天宮くんはまた飛び上がり、遠くへ消えてしまった。
荒れ果てた部屋で、床に転がった時計を拾い上げると、午前四時を指している。
東の空はすでに白み、間もなく夜が明けようとしていた。