常習犯
雪明かりに照らされている影法師は、帽子を取って、微笑んだ。
「こんばんは、お嬢さん。またお会いしましたね」
年の瀬に出会った、公園で倒れていた男性。
こんな遅くに、こんな山の中で、一体どうして・・・。
見つめているとその後ろから、ひょっこり犬の顔が覗いた。
さっきの迎え犬さんにとてもよく似ているけれど、瞳が緑色で、こちらは興奮した様子もなく大人しい。
送り犬さんだ。
山道を行く人を守り、転ぶと起こしてくれたりする、とても優しい性質を持ち、私も以前助けてもらったことがある。
男性は少し身を屈めて、送り犬さんの頭をなでた。
「この子が案内してくれたんですよ。本来は見守るだけの存在なんですが、よほどあなたのことが好きなんでしょう」
なでられている送り犬さんは気持ちよさそう。
男性はとても怪しかったけれども、やっぱり怖い人ではなさそうだ。
「さてお嬢さん、約束です。あなたに少しばかりの恩返しをいたします」
男性は送り犬さんをなでるのをやめ、鼻の前で指を一本立てそう言った。
「・・・え?」
「なんて、本当はこんなの恩返しでもなんでもないんですが、あなたの望む結末を迎えるための、せめてもの助けになることを願います。ちょっと時間がないので手短にいきますね。―――ずばり、犯人はまたしてもあの男です。ぜひ急いで北の古美術店をお訪ねください。そこに茨木童子の求める物があります」
突然何を、言われたのか。
聞き返そうと思った時には、その人はすでに帽子をかぶり直し、コートを翻していた。
「ではでは、また近いうちにお会いしましょー♪」
「ま、待ってくださっ――」
慌てて追いかけようとしたら、雪に足を取られてバランスを崩し、すかさず送り犬さんに助けられる。起き上がった頃にはもう、後ろ手を振る男性の姿は闇の中に消えていた。
送り犬さんと一緒に、少しだけ追いかけてみたものの、すぐどちらの方向へ行ったのかわからなくなる。
立ち止まってきょろきょろしていたら、傍に何かが降り立った。
「佐久間! 無事!?」
「っ、煉くん?」
次から次へと、急に色んな方が現れて驚きっぱなしだったので、彼の顔を見たら少しほっとした。
けど、今は暢気にしていられる場合じゃない。
男性の正体は気になるけど、追究している時間もない。
「茨木は?」
「椿さんたちに追われてます! あの、あのね! 茨木さんは盗まれた物を探しに来たらしいの! 茨木さんを退治しなくてもそれが見つかればきっと、きっとこの土地では悪いことしなくなると思うんです! だから、お願いですから、あの――っ」
焦るあまり、うまく言葉が出て来ない私を落ちつかせるよう、煉くんは私の肩に手を置いた。
「大丈夫、佐久間の言いたいことはわかるよ。俺も茨木を退治するのが最良だとは思わない。その探し物はなんだか聞けた?」
「そ、それはわかんないんだけど、場所だけはさっき教えてもらったのっ。たぶん、キイチさんのところです!」
あの男性の言葉から、浮かんだ場所はそこしかなかった。
「ごめんっ、詳しいことはあとで説明します! 早くしないと茨木さんが!」
「わかった」
煉くんは私を抱え上げると、風の速さで山を出て、町を駆け抜ける。
寂れた飲み屋の連なる一角に、キイチさんの営む古美術店がある。
幸いと明かりが点いていたので、入り口の引き戸を勢いよく開けた。
「ごめんください!」
棚に収まりきらなかった商品が溢れ、ろくに歩くスペースもないほど床が埋もれいてる店内を最奥まで行くと、カウンターの向こうで古書を積み上げたところに座り、七輪で一人、イカを炙っている店主がいた。
私たちが来ると、キイチさんは目深に頭に巻いている手ぬぐいをちょいと直す。
「おんやあ? これはこれは、天宮の坊っちゃんに佐久間のお嬢さん。あけましておめでとうございやす」
「おめでとうございますっ、あのっ、キイチさん! 茨木さんから何か盗んでいませんかっ?」
「は?」
さすがにこれは唐突過ぎたようで、キイチさんはぽかんとしていた。
その時、ランプに照らされてできているキイチさんの影が不自然に揺らめく。
キイチさんに憑りついている、影女さんだ。
キイチさんは彼女のためにお家を追い出されてしまったかわりに、彼女を使って妖怪から物を盗ませ、お店で売ってお金儲けをしていた。
今は、そんなことしていないとは思っているんだけれど、キイチさんは私の問いに対して、へらりと軽い感じに笑う。
「そんなあ、いくら手前が守銭奴の盗人やーゆーても、悪名高い茨木童子から盗むなんて畏れ多いこと、しやしませんよ。第一、そないな大物に手を出した後が怖いじゃありやせんか」
「茨木さんのところから盗んだ物じゃなくても、茨木さんの物を持っていませんか?」
「はあ? 何をおっしゃっているんで?」
それは、私も自分でよく意味がわかってない。
「嘘はつかないほうが身のためだぞ」
「天宮の坊っちゃんまでー、そないわけのわからん言いがかりをつけないでおくんなはれ。人を疑う心はいっちゃん醜いと言うやないですか。うちは盗品なんて扱っとりまへん。天に誓ってもええですよ」
ここまで言われると、さすがに自信がなくなってくる。
もともと、情報は名前も知らない人からのものであるし、前科があるからって、証拠もないのに疑ってかかるのは失礼だよね・・・
反省し始めた時、がらがらがっしゃん、と背後でものすごい音がした。
「うっそつっきは誰~♪」
弾むように歌い、棚からぽいぽい品物を後ろに投げていたのは、桃色の女性用の着物を着て、頭には白いハットをかぶっている、でも顔はハの字の口髭を生やしたおじさんの妖怪。
否哉さんだった。
「ちょちょちょ何やってんの!?」
キイチさんが慌てた声を上げるものの、カウンターからはすぐに出て来られない。
先に私たちが否哉さんのもとへ辿り着いた。
「ど、どうしたんですか否哉さん、こんなところで」
「ひっとり~、ふったり~、さん、にんっ♪」
最後のところで勢いよく、否哉さんは棚の奥から古びた木箱を引き抜いた。
そしてそのまま私のほうへ押しつける。
「な、なんですか?」
「ぷくく、己の求めた物が、わからんのかよ」
私の求めた物?
否哉さんは、私たちの事情を知っている?
「もしかして、これ、茨木さんの探し物ですか?」
「開けてみよう」
煉くんが木箱に付いた紐を解き、蓋を取る。中には、長方形に折り畳まれた紙が入っていた。
真ん中に書いてある文字が電灯の光を跳ね返し、てらてらと赤黒く輝く。
「これ・・・なんでしょう」
「っ、だめだ触っちゃっ」
無意識に伸ばした手を、煉くんに素早く掴まれた。
「え、な、なんなんですかこれ?」
「血塗りの恋文なり」
否哉さんが教えてくれる。
血塗りって・・・ま、まさか、この文字が赤黒いのって、血?
まるで、さっきつけたばかりのように乾いておらず、しかも誰かが文字をかすったような、指の跡がある。
「これが茨木童子を鬼にしたんだ」
「え?」
「まだ茨木童子が人間だった時に、血で書かれた恋文を舐めたら鬼になった、っていう伝説があるんだ。これがその、鬼を生んだ《血塗りの恋文》なんだと思う」
じゃあこの血に触って、間違ってでも口に運んでしまったら、私も鬼になるんだろうか。
さっき不用意に触ろうとしていたことに、今さらながらぞっとした。
「確か茨木の故郷の寺に保管されてるって話だったけど。――おい、やっぱ盗んでるじゃねえか」
煉くんににらまれ、キイチさんは「た、はは・・・」と頭を掻いていた。
「いやぁ、ね? ちょいと所用でその辺りに出かけた時に、影女の奴が勝手に持って帰ってきちまったんですよぉ」
「嘘つけ。大方、呪術の道具として誰かに売りつけるつもりだったんだろ」
「滅相もない! 処分に困ってたとこなんでどうぞどうぞ、差し上げやすっ」
「・・・あとで覚悟しとけよ」
煉くんは箱に再び蓋をして片手に持ち、もう片方で私の手を取った。
「行こう」
「――うん! ありがとうございました否哉さん、キイチさん!」
急いでお店を飛び出すと、夜空に人ならぬものの咆哮が響き渡っていた。




