攻防の背後で
「―――はっくしょい!?」
大きなくしゃみをして、九千坊さんがぶるりと体を震わせる。
「あの、これマフラーを、よければ・・・」
「おう? おぉ、すまんな佐久間」
真冬に上半身裸で、まして水を大量にかぶって、人間なら死んでしまうところだ。
私がしていたマフラーで申し訳ないけれど、せめてもの寒さ凌ぎになるよう、九千坊さんの緑色の首に巻いてあげた。
ネネコさんとの戦いは案の定というか、九千坊さんが負けてしまい、気絶しているのを放っておくのは忍びなく、煉くんや拓実さんたちにも手伝ってもらって、山の外まで運び出し、介抱していた。
「皿の水がちぃと凍ってたんかな。この地の冬がこんなに寒いとは思わんかったばい」
ほんと、できればコートを着せて差し上げたい。
煉くんが溜め息を吐いた。
「用が済んだなら、早くこの地から出て行け」
「なんじゃわりゃ、偉そうにっ。おかしな頭をしやがって」
「お前に言われたくない」
お二方とも髪が赤いのは同じ。煉くんはさらに溜め息を吐いた。
「ただでさえ茨木童子がこの地で面倒を起こしてるんだ。間違えて祓われたくなかったら、とっとと帰れ」
「ぬ、茨木も来とうかよ」
「? 茨木さんをご存知なんですか?」
九千坊さんは大いに頷いた。
「古馴染みじゃ。この間ネネコのとこからば帰る途中、奴の棲みかに寄ったけん、佐久間、わりゃもう茨木には会いよったか」
「え? いえ、まだ・・・」
「会ってやるがよか。わりゃの話を聞かせやったら、おもしろがっとった」
「お前か!? 佐久間のこと教えたのは!」
煉くんに怒鳴られた九千坊さんはきょとんとしている。
拓実さんも私の頭に手を乗せて尋ねた。
「こいつのこと、なんて教えやがったんだ」
「? 簡単に言うこときく絵師の小娘じゃと教えやったぞ。この地で困り事があらば佐久間に頼るがよかろとな」
「にゃる~。これでちょっとはわかったね、煉?」
「ああ」
莉子さんも煉くんも、あと無表情だけどたぶん拓実さんも、皆さんすでに訳知り顔だ。
一人まだ情報を整理できないでいる私に、煉くんが説明してくれる。
「茨木童子は何かを探しにこの土地に来た。それが何かはわからないけど、茨木はそれを人が持っていると思ってるんだ。だから人家に忍び込んで荒らして、でもなかなか見つからない上に俺たちに目を付けられてしまったから、佐久間に頼ろうとしてるんだと思う」
「私に?」
「困った時はゆんちゃんに、っていうのを思い出したんじゃない? 最初からゆんちゃんが狙いじゃないってわかるのは、茨木童子がはじめに会った九尾狐や大天狗にはゆんちゃんのことを聞いてないのに、天宮に忍び込んだ後で会ったネネコ河童には聞いてたからだよ。茨木はゆんちゃんのことを九千坊河童に聞いたんだから、たぶんその縁を辿ってネネコ河童に聞きに行ったんじゃないかなあ?」
「な、なるほど」
きれいに筋をまとめてもらい、ようやく私の頭の中でもパーツが繋がった。
「ありがとうございます。よくわかりました」
「馬鹿が、なんもわかってねえよ。肝心の、茨木童子の目的と居場所の手掛かりがねえじゃねえか」
そっか。
拓実さんの言う通り、茨木さんの足跡はここで途絶えてしまった。
「どう、しましょう?」
「今日はいったん帰ろう」
空を見上げて、煉くんが言う。
天宮家を出てから西に東に南にと、町中を巡ったせいで、日はすでに暮れかけている。
さすがに私のような足手まといを連れての夜の探索は危険だろうし、今日はもう潮時なのだろう。
ひとまず動けるくらいには回復した九千坊さんとお別れし(マフラーはそのまま差し上げた)、天宮家へ戻る帰路は、おのおの今回の件で思いを巡らせているのか、特に会話もなかった。
私も黙って後ろを付いて歩く。
けれどあるところで、煉くんが耐えきれなくなったようにとうとう足を止めた。
「――いつまで付いて来るつもりだっ」
怒気の矛先は、私の横を当然のごとく歩いている拓実さんへ。
最初は帰る方向が同じだけなんだと思ったのだけど、ちっとも別れる気配がないので、そろそろ不審に感じ始めていた。
「遅ぇな」
ちょっとよけいな拓実さんの一言は、煉くんの苛々に油を注ぐ。
「茨木童子がこいつを探してんのははっきりしてんだ。なら、こいつに付いてりゃあ奴の狙いがわかるだろ」
「って、まさか家まで来る気か?」
「お構いなく」
「来んなっ!」
やっぱり怒鳴られ、でもしれっとして拓実さんは私の頭に手を置く。
「じゃあ、こいつよこせ」
「誰がやるか!」
煉くんは怒鳴りながら拓実さんの手を払い、私を後ろに庇った。
「どうせ佐久間を囮に使うつもりだろ!」
「使わねえでどうする。茨木童子がそいつに危害を加えるとは思えねえしな。むしろ天宮のとこなんぞにいるほうが危ねえんじゃねえか」
「とか言ってゆんちゃん連れ込んで何するつもりだぁっ!」
莉子さんまで前に出て口論に参加し、住宅地の道端で二対一の構図ができあがる。
でも拓実さんは身長的にも存在感的にもとても大きな方なので、ちっとも引けを取っていなかった。
「なんもしねえよ。たぶんな」
「それ絶対なんかする人の言い方!」
「絶対渡さねえからな!」
「取られたくねえならとっとと自分のもんにしやがれ。押し倒しゃ簡単にいけるだろその女」
「っ、黙れ変態野郎!」
「てめえはまどろっこしいんだ」
ヒートアップしていく口論を止める術を、祓いの術同様、私は知らなかった。
なんとなーく、論点がずれていっているような気もするんだけど・・・どうしたらいんだろう。
困っていたその時、何かが首に触れた。
「っ―――」
煉くんと莉子さんは私の前に壁のようにして立っており、拓実さんはその向こうにいる。
首に触れているのは指、のようだけど、なんだか人のものより長く感じられる。
ゆっくり後ろを振り返ると、蓑を着た、大きな大きな誰かが立っていた。
額には角が二本。
鋭い牙を見せ、笑っている。
「お前が佐久間だな?」
目の前に闇が広がる。
「煉くん――っ!」
咄嗟に助けを求めた手は届かず、より長い二本の腕に捕らわれて、蓑の中に入れられてしまう。
隙間から煉くんたちが振り返る姿が見えただけで、あとはもう、地を蹴った鬼が空へと飛び上がり、あっという間に連れ去られた。




