聞き込み④ 河童
猫又さんに先導されて山道を進んで行くと、不意に楽器の音が聞こえてきた。
冷たい空気を震わせる、弦を弾く、この美しい音色は――
宴会が行われている、ネネコさんの沼の前に到着すると、女性型ばかりの妖怪たちの中に、まっ白な、雪と同じ色の小さな子供があった。
「白児さん!」
つい、声を上げてしまったら、その子はぱっと顔を上げて、琴から手を離す。
「ユキ?」
白児さんは岩の上から飛び降り、私も駆け寄って、腕の中に飛び込んできた小さな妖怪を抱きしめた。
「ユキ、ユキだ! あけましておめでとう!」
「はい、おめでとうございますっ。お元気でしたか?」
生まれながらに陶器のように白い肌と白髪を持っていたがために、親に捨てられて妖怪となり、今は北山で亡くなったお師匠様の後を継ぎ、琴弾きとなった白児さん。
会うのはついこの間、北山に迷い込んでしまった時に助けてもらって以来だ。
「白児さんは、どうしてここに?」
「姫ってやつに呼ばれたんだ。今日だけ楽を鳴らしてほしい、って。ま、おいらも一人前の琴弾きになったってことだなっ」
白児さんは得意げに鼻をこする。
出張依頼まで受けるなんて、すっかり立派な演奏家だ。
「あけましておめでとうございます。佐久間様」
いつの間にか、隣に女の子が立っていた。
十歳かそのくらいの少女の姿をした大禿さんだ。
菊の模様が入った朱色の衣が、雪の中でよく目立つ。
切りそろえられた前髪の下で、着物と同じ朱色の縁取りがなされている瞳を細めて、大禿さんは優雅な所作でお辞儀する。
「今年もどうぞよろしくお願い申し上げます」
「はい、こちらこそ、よろしくお願いします。急に押しかけてしまってすみません」
「いえいえ。猫又に連れて来られたのでありんしょう? 猫又? わっちは酒の肴を持って来いと言うたはずじゃが?」
私の足元に隠れている猫又さんへ、大禿さんはすいと視線を走らせた。
「にゃ、そ、それは色々と事情がありんして、調達できなかったかわりに佐久間様をお連れいたしんしたっ」
「祓い屋まではよけいじゃ」
「ひぃっ!? 許しておくんなんしっ!」
「いいじゃないか大禿」
と、沼のほうから気風のいい声が飛んで来る。
緑の肌の河童、ネネコさんが氷の張った池の上に寝そべっていた。
「その祓い屋どもは単なる佐久間のお供なんだろう? なら歓迎してやろうじゃないか。なあ姫?」
河童の女親分さんが振り仰ぐ先。
来た時から、ずっとなんだろうと思ってた。
沼の淵にある岩の上に、大きなお神輿みたいものが乗っていて、下まで降りた御簾の向こうに人影がうっすら見える。そこからお香のようないい匂いが漂ってきていた。
「・・・山住姫ですか?」
妖たちに姫と呼ばれ、ネネコさんよりも上座におわす方は、この南山の主に違いない。お使いの蛇さんの姿はないけれど、冬だからかな?
かわりに緋袴を穿いた女性たちが、微笑みを浮かべお神輿の傍に控えていた。
「そちの周りはいつも騒々しいのう? 佐久間よ」
御簾越しに山住姫の声が届く。夏にお使いの蛇さんを通して聞いたものと同じ。
「すみません、お騒がせして・・・あ、あけましておめでとうございます」
はじめましてとも言うべきなのか迷う。
姿の見えない山住姫は、ころころ笑っているようだった。
「常ならば許さぬところじゃが、三が日の内は大目に見てやろう」
「お優しいおひいさま」
「おひいさまに感謝することじゃ小童ども」
周囲にいる女性たちも、くすくす笑ってる。それがちょっとだけ不気味だったけれど、すぐさま帰れと言われなかったのは幸いだ。
輪の中に私たちも入れてもらい、白児さんは私の膝の上に座った。アグリさんと同じく、白児さんもほとんど体重を感じない。
演奏は緋袴の女性たちにかわり、妖怪の皆さんもそれぞれに盃を持って宴が再開した。
「なあユキ、犬神がどこいるか知らないか?」
こちらも一息吐いていたら、ふと白児さんに訊かれた。
犬神さんは、白児さんが木霊のお師匠様に弟子入りする前に、最初に白児さんを拾って育てた犬の妖怪。
その生まれの由来から、人を大変憎んでいる犬神さんの傍にいることを、白児さんは嫌がって出て行った事情があるので、その名前が白児さんの口から出たのは少し意外だった。
「ええっと、秋頃にこの辺りで一度お会いしましたが、詳しい居場所まではわからないです」
「そっか・・・おいら、犬神にも琴を聞いてほしいんだけど、棲みかが変わってて、どこにいるかわかんないんだ。もう、おいらには会いたくないのかなあ」
白児さんは寂しそうに肩を落とす。
人への恨みを忘れた白児さんとはもういられないと、犬神さんは去り際に言っていたけれど、白児さんとしてはもう一度会って、育ての親に、きちんと今の自分を報告したいのかもしれない。
白児さんが北山にいられるようになったのだって、犬神さんが宴のことを教えてくれたおかげなわけだし、お礼だって言いたいはずだ。
「また犬神さんに会うことがあったら、白児さんのこと伝えておきますね」
「・・・うん。ありがとユキ。頼むよ」
白児さんと話していると、横で聞いていたネネコさんがからからと笑い声を立てた。
「お前も顔が広いねえ。もう百鬼の知り合いがいるんじゃないのか?」
「さ、さすがにそこまでは・・・あ、あの、ネネコさん、ちょっとお尋ねしてもいいですか?」
のんびりしてたら、そろそろ拓実さんの視線が痛くなってきたので、本題を切り出すことにする。
「なんだい?」
「明け方に、茨木さんがここに来たそうですが」
「ああ来たねえ。お前のことを聞かれたよ」
「え? わ、私ですか?」
それは、これまでの流れと違う。
「安心しな、何も教えちゃいないよ。いきなり宴に押しかけて来やがった野郎においそれと教えてやるもんかね」
「茨木さんは私を探していたんですか?」
「もう佐久間に頼るしかないとかなんとか、わけのわからないことを言ってたねえ。なんにせよはっきりしたことを喋らないし、お前の居場所ばかりしつこく訊くもんだから腹が立って追い返してやったのさ」
茨木さん、ここでも追い出されてしまったんだ・・・いや、まあそれはいいとしてますます茨木さんの目的がわからなくなってきた。
煉くんたちと顔を見合わせた時、ネネコさんにぐいと首を引っ張られた。
「ふわっ!?」
「まあ今は茨木童子のことなんてどうだっていいじゃないかっ。年も明けたことだ、新しい絵を描いておくれよ佐久間っ」
「え、絵ですか」
「姫の絵も描いてやるといい。なあ姫、今日くらいは御簾から出てきたらどうだい?」
お神輿のほうからは、ふふんと鼻で笑うような声がした。
「まだじゃ。まだ我が姿を晒す時ではない」
「もったいぶるねえ」
「おいらはユキに描いてほしいぞ!」
膝の上の白児さんも騒ぎ出す。他の妖怪たちもいつの間にか、輪を縮めて迫ってきていた。
よく情報を整理できないまま、皆さんに求められてお絵描き大会に突入する。それを遮ってまで聞き込みを続けるのは、無理だった。
こんな時のためにスケッチブックと鉛筆は持って来ているのだ。煉くんたちはその間、傍に控えてくれて、時折三人で何か話しているようだった。
描き終えてひと段落したら、聞き込みを続けよう。
けれど全員を描き終えないうちに、それは来てしまった。
「――ネネコぉっ!」
木の影から突然、現れたものが沼に突っ込み、派手なしぶきをあげた。
一斉に妖怪たちが逃げ惑い、私も煉くんに抱えられてその場を離れる。山住姫のお神輿を除き、動かなかったのはただひとり、ネネコさんだ。
水面に立っているのは、背中までかかるまっ赤な髪を振り乱した、河童。手に刺又を持ち、不敵に笑っている顔には見覚えがある。
「九千坊さん!?」
「なんでまたあいつが・・・」
煉くんがぐったりした声を漏らす。
九千坊さんは九千匹の手下を従えているという、西の河童の大親分。この土地の妖怪ではなく、私は夏に道端で行き倒れているところを偶然知り合った。
その時も東の河童の親分であるネネコさんに勝負を挑んだものの、負けてしまって修行に励むと言っていたのだけれど、年が明けてすぐにまた再戦に来るとは。
「まったく、新年は客が多いねえ!」
「勝負じゃネネコ! 俺様はまた強くなったぞ!」
「いい加減にしな! しつこいよ!」
河童の親分たちは水を操り、この真冬の山で激闘を開始する。
「おい、なんだあれは」
木の影に隠れて見守っていると、拓実さんが傍に来た。
「九千坊河童さんです。ネネコさんをどうしても手下にしたいらしくて、何度も勝負を挑んでいるそうです」
「お前は、九州の妖怪にまで顔が利くのかよ」
なぜだか拓実さんに呆れられてしまった時、白児さんが走って来た。
「ユキ! このままじゃ琴が壊れちゃう!」
言われて見れば白児さんのお師匠様の形見の琴は、沼の淵に置き去りになったまま、激しい戦いの渦中にある。
「なんとかしてユキぃっ! おいらもう二度と失くしたくないよっ!」
「た、大変! 早く取りに行かないと!」
「待った、俺が行くからっ。莉子、佐久間を頼む」
「はーい」
煉くんは、激流渦巻く中へ迷いなく飛び込んで行く。華麗な身のこなしでしぶきを避けて、ほとんど危なげなく、煉くんは琴を持って帰って来た。
「ありがとう天宮!」
白児さんはお師匠様の琴を抱きしめ、泣きながら煉くんにお礼を言う。
「大事なものはちゃんと守れ」
ぽんと白児さんの頭に手を置く煉くんは、なんだかお兄さんみたいだった。
とりあえず、木々の間に避難していれば私たちは安全。気にかかるのは勝負の行方だ。
「九千坊さん、勝てるでしょうか」
「敵の縄張りじゃなあ・・・」
不安は的中し、戦いは間もなくして終了した。




