招福招妖
年末にまで不思議な出会いがありつつ、なんだかんだと無事に年を越すことができた。
お正月の朝はゆっくり起きて、まず携帯を開くと友達から年賀のメールが届いていたので、それを一つずつ返したり、他の人にもメールを出す作業に追われた。
それが終わったら、家族そろって何をするでもなく、こたつでぬくぬく。
「やっぱり正月は寝正月に限るよなあ」
お父さんは朝からずっと大天狗様にいただいたお酒をちょっとずつ飲んでいるから、顔がもう赤い。
お酒に強くもないくせに、味が気に入っているんだとか。
「後でお狐様のところに初詣に行こうよ」
提案してみると、焼いたお餅をお皿に乗せて持ってきたお母さんが弾んだ声を出す。
「あ、いいわね。お狐様ならお母さんたちにも見えるもの」
狐神社のご神体である、九つの尾っぽを持った美しい大妖怪にして、私やおじいちゃんの友達のお狐様は、化けることで妖怪の見えない人の前にも姿を現すことができ、うちの両親とも夏にお墓で会っている。
「もう一杯くれ」
「確かに、お狐様にはご挨拶にいかなきゃだよなあ。今年もユキのことをお願いしておかなくちゃ」
「今年は神様に直接お願いできるのね。よく考えたらすごい話よ」
「でもお狐様は麓の神社じゃなくて、山の中の祠にいるよ? さすがに今日、山に入るのは神主さんとかに止められると思うけど」
相馬先生のご実家でもある狐神社の神主さんは、普段、社務所に籠っているのか、はたまたいないのか、ほとんど遭遇しない。
なので、いつも私は神社の後ろにこっそり回り込んでお狐様に会いに行く。
けれど今日はきっとお正月の拝礼などをやっているのだろうし、その最中に山に入ろうとする家族があったら他の人に不審がられそう。
「醤油はないかの」
「はは、まあ、僕たちはお狐様のご寝所まで行かないほうがいいだろうね。それを許されているのはユキだけだ」
「え~? じゃあユキ、またお狐様をうちにお連れしなさいな。あなたのこと、ちゃんとお願いしておきたいもの」
「それは、いいけど前みたいに二人して酔い潰れないでよ? あの時は大変だったんだから」
思い出すのはお盆の夜、うちでお狐様とささやかな宴会を開き、二人の介抱に追われた記憶。
酔っ払いの面倒は大変だと思い知った。
「だって妖怪と話してるって思ったらついついお酒が進んじゃって」
「それ理由になってる?」
「ユキも大人になったらわかるわよ。飲みの相手はおつまみよりも大事なんだから」
「ふうん――」
ぼんやりと返事をしたそのとき、どん、という衝撃が家を揺らした。
「おぉ? なんだなんだ?」
「何かぶつかった?」
両親ともきょとんとして窓の外を見てる。けど、気づかない。
リビングの窓ガラスにびっしりと、異形のモノが張り付いていることに。
さっきの衝撃音は妖怪たちが突然飛んできてガラスに張り付いた音。
そして今もどんどん聞こえる音は彼らが「佐久間様っ」「開けてくだされっ」と口々に言いながら窓を叩いている音だ。
「なに、なんなの?」
「っ、開けちゃだめ!」
二人にも音だけは聞こえるらしく、窓に近づこうとしたお母さんを慌てて止めた。
「妖怪が来てるの!」
「え!?」
注意を促すために言ったことだったけど、失敗だった。お父さんもお母さんも途端に目を輝かせたのだ。
「どんな妖怪!? 絵に描いてみせてよ!」
「そんな場合じゃないでしょ!?」
どんどんどんどん、あちこちから叩く音がする。
窓だけじゃなくて壁の向こうからも、玄関のほうからも聞こえる。
もしかすると家中にたくさんの妖怪たちが張り付いているのかもしれない。
そんな中で絵を描いてとせがんでくる両親の暢気さというか図太さには、子供ながら呆れてしまう。
ここは怖がるところでしょう?
「ユキの友達の妖怪なのか?」
「う、うーんと、見覚えがある妖怪もいるけど・・・」
部活の時、美術室に訪ねてきて絵を描いてあげた妖怪もちらほらいるが、知らない妖怪もたくさんいる。とにかく数が多い。
どうしてこんなに集まってしまったのだろう?
するとこたつに置いておいた私の携帯が鳴り出した。
取って見れば、電話の相手はこの状況でまさしく救世主となる人のもの。
その身に神様を宿し、いつも妖怪から私を守ってくれる、とても優しくてかっこいい、頼りになる煉くんだ。
『佐久間、無事!?』
電話に出ると、もうこっちの状況はわかっているとばかりに、煉くんの焦った声が響く。息は弾み、走っているみたい。
「う、うん、無事です。でも妖怪が家の周りにたくさん来てて」
『今、佐久間ん家向かってっから、絶対窓も戸も開けるなよっ!』
煉くんたちはこの土地の中のことならば、離れていても妖怪の集まる気配がわかるらしい。
綾乃さんが宿している神様に、そういう力があるのだそうだ。
電話が切れてから、興奮する両親を抑えて彼を待っていると、それから十分くらいして窓の外を紅蓮の炎が彩った。
普通の人には見えない炎に巻かれた妖怪たちは、驚いて空や地へ逃げる。
どんどん叩く音が消え、かわりに妖怪たちの悲鳴が響き、背中がぞわぞわするような気配が薄れていく。
三分くらい、経った頃だろうか。
外は完全に静かになり、玄関のチャイムが鳴った。
扉を開けるとすぐさま目に飛び込んでくるのは鮮やかな緋色の髪。
本人は息を切らせて立っていた。
「怪我、ない?」
「うんっ。煉くんは?」
「大丈夫」
そう言う彼はよく見たらコートも着ていない。よほど急いで駆けつけてくれたのだろう。助かったけどすごく申し訳ない。
「ありがとう、ほんとに。どうぞ上がってください」
「えっ、いや・・・」
「寒かったでしょ? どうぞどうぞ、中はあったかいので」
遠慮する彼を多少無理やり中に招く。
その時、一瞬だけ手が触れたのだけど、やっぱりとても冷たかった。
「ユキー? あ!」
様子を見に玄関までやって来たお母さんが、声を上げた。
「もしかして、煉くん? わあ、すごい、きれいな子ね!」
「え・・・」
「どうぞどうぞ中に入って? ごめんねえ、うちの子のために」
戸惑う相手などお構いなしに、お母さんはさらに強引に中へ招く。
リビングではほろ酔い加減のお父さんがぱちぱち手を叩いて彼を迎えた。
「君が煉くんかぁ、すごい、きれいな子なんだねっ」
「・・・・いや、あの」
「ほら、こたつに入って。どんどんする音が聞こえなくなったけど、妖怪祓ってくれたの? どうやったの?」
「煉くん甘酒飲むー? お餅もあるのよ。お礼に食べてってっ」
「っ、ちょっとすいませんっ」
急に煉くんはお父さんのほうに回ると、その横にいた存在を掴み上げた。
「あ!」
そこでようやく、私も気づいた。
お父さんの隣に、知らないおじいさんが座っていたのだ。
つるんと丸い頭で、首も顎もなく、なまずのような細い髭が口元から垂れており、人型に近いけど人じゃない。
煉くんに襟首を吊り上げられて、お猪口からお酒が零れそうになり、「おっとと」などと言ってバランスを取っている。
思い返せば最初から、そのヒトはそこにいて、お酒を飲んだりお餅を食べたりしていた。
ずっと目に入っていたのに、どうしてだか気にならなかった。
一体いつ、どこから入ったのだろう。
「ぬらりひょん。勝手に家に上がりこんで、その家の人間みたいに振る舞う妖怪だよ」
「え、ぬらりひょん!? そこにいるの?」
煉くんの説明に、お父さんとお母さんが大きく反応する。
妖怪好きがきっかけで結婚した二人は、その存在を認識できなくても、妖怪の名前くらいは知っている。
「ぬらりひょんって確か、妖怪の総大将なのよね!? うわあうわあお会いできて光栄ですぬらりひょんさん!」
「な、なにかおもてなしの用意をっ! あ、お酒はどうですか?」
「お父さんもお母さんも落ちついて! お願いだから!」
二人の動揺、ならぬ喜びっぷりに、私のほうが恥ずかしくなる。煉くんは呆気に取られてるし、もう、ほんと恥ずかしい。
「・・・あの、追い出すんで、もてなす用意は別に」
「あら、いいのよ。せっかくうちに来てくださったんだもの。あ、ほら、ユキに絵を描いてほしいんじゃない?」
「そうだね。ユキは早いところ用意しなさい。それまで父さんたちでもてなしておくから」
「いや・・・あ」
気がつくと、妖怪の姿がいつの間にか消えていた。うちの両親が暢気なことを言って煉くんを困らせている間に、どこかへ逃げてしまったようだ。
「? どうかしたの?」
状況がわからないでいる二人に、私のほうから説明してあげると、大いに残念がっていた。
でも溜め息を吐きたいのこっちだ。
「ごめんね、煉くん。うちの親が」
「いや、大丈夫。特に害のない妖怪だから」
優しい煉くんは文句の一つも言ってくれない。
当の本人たちは、自分たちのせいで妖怪が逃げてしまったこともわかっていないというのに。




