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幻想徒然絵巻  作者: 日生
晩秋
104/150

変わらぬ風景

 放課後の穏やかな時間、今日も彼女は大好きな妖怪の絵を描いている。

 

 目の前の妖怪は着々とスケッチブックの上に写されてゆき、不安定な存在がはっきりと世に存在することを示される。


 夢中で絵を描く彼女の横顔を、気づけばよく眺めている。


 ここにいるのは妖怪が彼女に害をなさないようにするためであるのだから、本来なら妖怪のほうをもっと注視するべきなのだが、無意識のうちに視線がそちらを向いてしまうのは、もはやどうしようもないことだった。


 だがどれだけ見ていても、彼女は描き終えるまで視線には気づかない。声をかけても反応がないことが多い。それほどに心魂傾けて描かれる絵だからこそ、とても素晴らしく精巧で、神にすら求められる絵となるのだろう。


 彼女から絵が奪われなくて本当によかったと思う。


 彼女にとって絵は命と同じくらい大切なものだから、という理由もさることながら、個人的に、こうして絵を描く彼女の横顔を見られなくなるのは、嫌だ。


 きっと本人に言えば真っ赤になって全力で否定するのだろうが、絵を描いている時の真剣な顔は、とてもきれいだと、思う。


「―――できました」


 描き終えた絵を見せ、喜んだ妖怪が礼を言うと、彼女も嬉しそうな笑顔を見せる。


 そこでこちらまで油断してしまうと、感動し過ぎた妖怪が彼女を勢いで連れ去ろうとするから急ぎ追い払わなければならない。

 そこは相変わらず危なっかしい。


「ありがとう、煉くん」


 彼女は、ほっとしたようにまた笑みを浮かべる。


 苗字でなく名前を呼んでもらえるようになり、自分からお願いしたことではあるものの、いざ呼ばれるとくすぐったい。

 また、彼女に礼を言われるのは嬉しいのだが照れ臭く、結局、


「ん」


 としか答えられない。自分でも愛想の悪さが嫌になる。


 だが、彼女に特段気にする様子はない。

 そういう人間なのだとすでに把握されているのだろう。


 彼女の隣は居心地がいい。


 一緒にいる時間はいつも穏やかに流れ、会話は自然に発生し、沈黙でさえ気まずくはならない。

 それはたぶん、彼女の柔らかい雰囲気が、なにもかも許してくれているように思わせるから。


 少し前は、それに罪悪感があった。

 彼女の寛容さに付け入り、信頼を利用して無理やり傍にいると感じていた。


 天宮の本音が明らかとなった後でも、現状維持を望んだ彼女の意向で、自分の居場所は変わっていない。しかし心の在処は完全に彼女へと移っている。

 心体の置きどころが一致したためか、以前ほどの苦しみはなくなっていた。


 しかし、また別の呵責がないではない。

 

 あの夜は、なんだかんだと格好つけたことを言ってしまったが、結局のところ、自分が彼女の傍にいたいだけなのだ。

 要は子供じみた独占欲。他の者が彼女の隣に立つことなど、考えただけでも耐えられなかった。


 だが、まだ、この気持ちは言えない。


 微妙な立場にいる彼女に、今、迫るのはさすがに卑怯だ。

 なんの制約もない状態で本心からの返事をもらえるのでなければ、伝えても意味はない。


 いつか、天宮と彼女との間に余計なわだかまりがなくなる時が来たら、その時は堂々と言えるのだと思う。


 それまでは、なんとか彼女の気持ちがこちらに向いてくれるよう、努力するしかないのだろう。


「あ、あの、煉くん」


 妖怪がいなくなってしばらく経ってから、彼女は美術室の入口や窓の外をきょろきょろ窺い、鞄から保冷剤がくっついたタッパーを取り出した。


「もしよければ、味見してみてください」


 蓋を開けると甘い匂いが鼻腔をくすぐる。


「栗の甘露煮と、柿のプリンを作ってみました。私が食べたところでは一応、お腹痛くなったりはしなかったので、たぶん大丈夫かと」


 約束を、どうやら忘れていたわけではなかったらしい。


 直後に莉子が現れたり、自分が別件の仕事でいなかったりしたので、半ばあきらめていたのだが、これは予想外の、かなり嬉しい出来事だった。


 聞けば、柿も妖怪にもらったものだという。栗はきれいな金色に煮付けられ、柿のほうは器用にも中の実をくり抜いて外側を器にしてある。


「・・・いただきます」


 爪楊枝で柔らかい栗を頬張り、使い捨てのスプーンでいい具合にとろとろのプリンを食べ、おいしさに普通に驚く。


「すごく、うまい」


「む、無理しなくていいよ?」


「いや、ほんとうまいって」


 自分でも食べたならわかるだろうに、なぜそこまで自信なげなのか。はなはだ疑問だが、彼女らしいと言えばらしい。


 気の利かない単純な感想に対し、彼女は安堵した様子を見せた。


「よかった。遅くなってごめんね」


「いや、わざわざ作ってくれてありがとう。佐久間も食ったら?」


「私は味見でたくさん食べたのでもう十分です。気に入ってくれたなら、どうぞ煉くんが食べてしまってください」


 真面目な彼女のことだから、きっと人に変なものは食べさせられないと一生懸命になって作ってくれただろう姿が目に浮かぶ。


 ありがたい反面、こんな、まるで恋人のようなことをしてもらってしまい申し訳なくもある。


 だからといって他の男にこの場所を譲る気などさらさらないのだが。そこは、少しだけ彼女の寛容さに甘えさせてもらうことにする。


「・・・あ、」


 食べ終えた頃に、小さな声で彼女が何かを言いかけ、途中でやめてしまった。

 こういうことは時々ある。


「どうかした?」


「えっ、あ、ううん、なんでも、なんでもないです」


 妙に慌てている。ごまかされると、よけいに気になる。

 これまで彼女が一人で調べたり悩んでいる時に、何も相談に乗れなかったのだから、もうそんな頼りがいのない奴ではありたくない。


「なに? 言って」


「た、大したことじゃないので」


「大したことじゃなくても、なんでも言ってくれていいよ。俺にできることは全部する」


 すると彼女は目線をそらし、


「いえ・・・ただ、呼び方、が・・・私のほうは、苗字のままだったなあ、と」


「・・・」


 どうやら藪蛇だった。


 彼女としては、自分のほうだけ呼び方を変えることが気になったのかもしれない。

 思えば翔も椿も、当主でさえ、彼女を名前で呼んでいる。狐や一つ目たちもそうだ。


 とはいえ・・・今さら、呼び方を変えるのは恥ずかしい。

 そもそも呼ぶとしたらどうなるのか。


 自分は同い年の女子を《さん》とか《ちゃん》とか付けて呼ぶたちではないし、となると呼び捨てになるが、それはいくらなんでも馴れ馴れし過ぎやしないだろうか。


「・・・そのうちでいい?」


「え」


「名前、呼ぶの」


 結局、それだけ言うのが精一杯で。


「う、うん。大丈夫です。別に、なんでも」


 彼女は必ず許してくれる。

 そうして、「変なこと言ってごめんね」と、少し赤い顔ではにかむのだ。

 

 その恥ずかしそうな様子をあまり見ていると邪心が湧いてくるため、耐え切れなくなる前に軽く目をそらしておく。


 正直、妖怪などに油断してしまうことよりも、こういう自覚なしにされる言動のほうが、よほど焦る。


 夏祭りでこちらの腕を取ってきた時も、箱の中で密着している上でさらに寄りかかれと言ってきた時も、文化祭で殺し文句を連発された時も思ったが、彼女には自覚がなさ過ぎる。


 ささいなことで恥ずかしがるわりには、たまに妙に無頓着で大胆になるから、どうしていいかわからなくなる。

 普段の何気ない仕草や笑顔にさえ、どれだけ動揺させられていることか。


 ――もっと、強くならなければ。


 彼女がタッパーを鞄にしまう音を聞きながら、改めて決意する。


 傍にいると決めたからには、ふわふわしてばかりいられない。


 未熟なのは百も承知。知恵も、力も、心も全部、まだまだ鍛え足りない。

 ならばいくらでも努力しよう。


 たとえ何が敵となっても、きっと彼女を守り抜くために。



5章終了。

次章は4月14日開始。

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