正面対決
「――この度の身内の無礼を、なにとぞお許しくださいませ」
今日も黒い着物に身を包んだ天宮家のご当主は、畳に手をついて深々と頭を下げた。
「私は大丈夫でしたから、どうかもう・・・」
先ほどから何度も謝られ、私はずっと慌てっぱなしだ。
莉子さんとの話を終えてから、すぐ別室に通され、今は綾乃さんと向かい合わせで座っている。
そして私の横には、煉くんがいる。
綾乃さんは下がるように言ったけれど、私からお願いし、この場にいてもらっていた。
「莉子さんのことは、ほんとにもう大丈夫です。それより、綾乃さんにお聞きしたいことがあるんです」
頭を上げてくれた綾乃さんは、その切れ長の目を細めた。
「どのようなことでしょうか」
「私の祖父の、冬吉郎のことです」
背筋を伸ばし、怖かったけれど、勇気を振り絞って口にする。
「実はこの間、古御堂家のご当主にお会いして、祖父が妖怪に左腕を食べられた時に綾乃さんが傍にいらっしゃったという話を伺いました」
「・・・左様でございますか」
一拍置いて、綾乃さんは頷いた。
「ずいぶんと昔のことゆえ、貴女のおじいさまのことは遠くかすかな記憶となり、これまでお話しすることもございませんでしたが・・・そうですね。言われてみれば、私はその場にいたやもしれません。それが、何か?」
煉くんがぴくりと動いたのが、視界の端に見えた。
綾乃さんは涼しい顔で、微笑みすら浮かべていたのだ。
「その・・・祖父を襲った妖怪のことをご存知ですか?」
「この土地の妖怪ではないようでした。私も深追いはしませんでしたので、詳しくは存じません」
「綾乃さんはどうしてそこにいらっしゃったんですか?」
「偶然通りかかった、と申して信じていただけますでしょうか?」
伺いを立てるように、綾乃さんはゆるく首を傾げてみせた。
「古御堂が貴女に吹き込んだ話は大体察しがつきます。私がわざとおじいさまを助けなかった、あるいは、天宮こそが妖怪におじいさまを襲わせた、などと申したのではございませんか?」
「・・・はい」
「しかし、それはなんのためでございましょう?」
そのことは私も考えた。
今度は途中でやめずに、煉くんとも相談しながら、結論に辿り着くまで。
「・・・祖父が私と同じ力を持っていて、それを綾乃さんたちがご存知だったのなら、理由にはなるのだと思います」
「左様にございますか」
「祖父と私はとても似ているんです。霊力がなくても妖怪が見えて、絵を描くことが好きで、そして、北山で神隠しに遭ったことがあります。夏祭りでいなくなった私を、見つけてくれたのは祖父でした。ということは、祖父も北山の封印場所を知っていたということに、なるのだと思います」
それが以前から知っていたのか、私を探していて見つけたのかは、はっきりわからないけれど、他の情報から推理はできる。
「私はその封印場所での記憶がものすごく曖昧で、実際に目にするまで迷いこんでいた事実すら不思議なほどにまったく忘れていたんです。祖父も、神隠しに遭った時の記憶がまるでなかったという話を、色んな方から聞きました。だから、もしかしたらなんですが、祖父も子供の頃にあの封印場所へ迷いこんだのかもしれません。そしてそこで、何かと出会ったんです」
「何か、とは?」
「わかりません。まだ思い出せないんです。でもこの力はたぶんその何かに与えられたものだと思います。――それから、祖父が私と同じ力を持っていたとすると、一つ想像できることがあります」
私は、スケッチブックと鉛筆を鞄から取り出した。
「確かめたいことがあります。煉くんの絵を描かせてください」
神様を宿している人の絵を描くと、なぜだか中の神様が出てきてしまい、その絵を私が描くことで絵に神様が移ってしまう。
だから煉くんたちのことは描いてはいけない約束だった。
「――いいでしょう」
綾乃さんは詳しい事情も聞かないまま了承してくれ、私は、左手に鉛筆を持って煉くんの姿を丁寧に描き写していった。
慣れている右手よりは時間がかかる。
けれど一度右手が使えないことがあってから、左もずいぶん練習した。
ある程度の形は捉えられるし、右手の絵とは雰囲気が異なるだけで、ものすごく劣るわけじゃない。
「――できました」
すっかり紙の上に移った煉くんの姿。
だけど、どれだけじっと見つめていても、あの時のように彼から赤い炎が立ち昇って、神様が現れることはなかった。
私は綾乃さんにもできた絵を見せた。
「力があるのは、私の場合利き手の右だけなんです。そしてたぶん、祖父は左手だけだったんだと思います。・・・祖父の絵は右手と左手でかなり違います。それを、今までは利き手じゃないというのと、若い頃と年をとってからということなんだと思っていたんですが・・・なんとなく、左で描いた絵のほうには、本人の技量や想いだけじゃない不思議な力があるように感じるんです」
ここで煉くんも口を開いた。
「佐久間たちは《何か》から、神を捉える感覚と、それを具現化できる手をもらったんじゃないか?」
「よって、私がおじいさまの左腕を奪ったと?」
綾乃さんは煉くんの言葉を引き継ぎ、私へ問いかけた。
「では、貴女はどうされますか? おじいさまの仇を討つために、我らから神を奪いますか?」
笑みはとても冷ややかで、挑発的な言葉がつららのように鋭く刺さる。
あきらかに、これまでと異なる態度を綾乃さんは初めて私に見せた。
「い、いいえ。そんなことはしません。祖父は綾乃さんのせいで腕がなくなったわけじゃないですから」
スケッチブックを引っ込め、私は慌てて答えた。
「先に、変なことを言ってしまってすみません。腕をなくしたことを祖父は自分の不注意が原因だったと言っていましたから、綾乃さんのせいでは決してないです。それに、綾乃さんたちが祖父の腕を奪うのに、妖怪を使うとは思えません。もっと他に、いくらでも簡単な方法があったはずです」
「では、なぜおじいさまは唐突に大量の妖怪に襲われたのでしょう」
「それは、わかりません。綾乃さんは何かご存知ありませんか?」
「私の言葉を信じていただけるのですか?」
「もちろんです」
頷いてから、でもそれだけでは足りない気がして、言葉を迷いつつ付け足した。
「あの・・・この間、綾乃さんは私が天宮家と巡り合ったのは封印された鬼神の怨念かも、っておっしゃってましたよね。もし、私に力を与えてくれたのが本当にその鬼神で、私は天宮家を陥れるために使わされたのだとしても、皆さんが困ることはしたくありません。皆さんの敵には絶対になりません。私のことなんか信用できないと思いますが・・・できれば、これまでのようにお付き合いいただけたらと、思っています」
虫がいいことは承知している。
でも煉くんが私に味方してくれるというのなら、彼を家族と敵対させたくない。私自身も、綾乃さんたちが敵になることを望まない。
「・・・信用できぬ、などということはございません」
おそるおそる様子を窺っていると、そんな言葉が返って来た。
「叶うのならば、我々も貴女とは穏やかな関係を望んでおります。なにも好んで汚れ仕事をしたいわけではございませんので」
「で、では、また、仲良くしてもらえますか?」
すると綾乃さんは柔らかく笑んだ。
「秘密を外部に漏らさぬ限り、天宮が貴女の敵となることはございません」
「はい、誰にも言いません。でも、この力のことはもっと調べたいです」
「構いません。我らもそれを知ることを望みます」
「ありがとうございます。――では、祖父について、綾乃さんのご存知のことも教えていただけますか? 祖父を辿れば真実がわかる気がするんです」
「私も、多くは存じませんが」
はじめに断りを入れ、綾乃さんは語ってくれた。
「おじいさまと出会いましたのは、私が十五の時でございました。はじめは私どもを単なる子供とお思いなさったらしく、家まで送り届けてくださろうとするお優しい方でございましたね。我々が祓い屋であることをお知りになった後でも、あれこれご心配くださり、己と関係のない厄介事にまでお付き合いくださったり、何度もお世話になりました。古御堂はそれを邪魔などと申しておりましたが」
・・・まあ、きっと、おじいちゃんのよけいなお世話だったんだろうなあ。
綾乃さんもはっきりとは言わないけれど、ニュアンス的にそんな気配をひしひし感じる。
「出会った当初から、おじいさまのお力を我らが把握していたわけではございません。しかし我らと関わるうちに、おじいさまはご自身で何かを思い出されたのか、突然、神の一柱を絵に収めて持ち去ったことがございました」
驚いて目を瞠る。
おじいちゃんにやっぱりその力があったこともそうだし、強引な行動の理由がわからなかったから。
「何も事情をお聞かせくださらなかったので、当時の私も驚きました。しかも途端にいずこより妖怪どもが現れ、そやつらがおじいさまを追い始めましたので、どういうことなのかと慌てて私も追いかけ、北山へと辿り着きました。そこで、突如襲い来た獣の妖怪に、おじいさまが左腕を食いちぎられたところを目撃したのです」
「っ・・・」
「私が手出しする間もなく、妖怪は走り去って行きました。直後に古御堂の者が駆けつけましたので、おじいさまのことはそちらへまかせ、私は神の絵を回収し家へ戻りました。以降、おじいさまとお会いすることはございませんでした」
「・・・神を奪った理由を尋ねにも行かなかったと?」
煉くんがいぶかるけれど、綾乃さんは顔色を変えなかった。
「他の者が参りました。しかしその理由も要領を得ぬもので、それこそ鬼神の呪いであったのやもしれません。いずれにせよ利き腕を失くし、このようなことは二度とできぬということでしたので、それ以上は我々もおじいさまには関わらぬことといたしたのでございます」
結局、おじいちゃんを襲った妖怪たちの目的と正体は何もわからなかった。
ただ、和尚様に言ったおじいちゃんの『やらなきゃいけないこと』は、どうやら神様を奪い去ることが一つだったのだろうと思う。
なぜかは、わからないけれど。
「これまで貴女におじいさまのことを黙っておりましたのは、話せば貴女も何事かを思い立ち、同じことをされる懸念があったためにございます。貴女のお名前を煉に聞きました当初から、貴女の力もあの方の縁者であることも、察しがついておりましたゆえ」
天宮の方々が私に不安を抱いていた理由が、よくわかった。
過去におじいちゃんという前科者があり、その上で私がうかつな人間であることが、心配を増す要因となっていたのだろう。
でも。
「・・・祖父のしたことなら、きっとそれは、誰かのためになることだったんだと思います」
おじいちゃんは決意してから行動したのだ。
呪いのせいでおかしくなってしまっていたとか、そういうことじゃないと思う。
おじいちゃんは自分のことは後回しでいつも誰かのために奔走する人だったから。
人が困るだけのことをするとは思えない。何も言わず強引なことをしたのはきっと、よほど切羽詰まった状況だったんだろう。
「私もきっと、いつか思い出します。でもその時は行動を起こす前に、絶対に皆さんにお知らせします」
畳の上に手をついて、先ほどの綾乃さんのように、私も深く頭を下げた。
「お話しくださってありがとうございました。どうかこれからも、よろしくお願いします」
顔を上げると、綾乃さんは微笑み、
「こちらこそ」
今までと変わらない、寛容な当主の態度で応じてくれた。
そうして、この日の私は無事に、天宮家を出ることができたのだった。
❆
お屋敷の門を出たところで、どっと疲れが肩にのしかかってきた。
帰りも煉くんが送ってくれる。
その斜め後ろを歩きながら、ぼうっとしてしまっていた私は、途中で石畳のわずかなくぼみに躓いた。
「わっ!」
「っと。大丈夫?」
素早く反応してくれた煉くんに上体を受け止められ、なんとか転ばずに済む。
咄嗟にしがみついた彼の腕が、とても頼もしくて、思わず、ぎゅうっと力を込めてしまった。
「・・・さ、佐久間?」
「――っ、ごめんなさいっ!」
我に返って慌てて離れる。
その後は気まずくて、ごまかすような笑みが自然と浮かんでいた。
「ごめんなさい、その、急にほっとして・・・本当は、すごく怖かったから」
繋がったままの自分の右手を触る。
綾乃さんを信用したから今日はここに来た、けれど、よけいなことを言ってやっぱり危険人物と見なされてしまう可能性だってあったし、そうなっても当然だと思っていた。
それでも、私は真実を知らなければいけないから。
ごまかし合うのはやめにして、正面からぶつかった。
「大丈夫」
すると煉くんに、ぎゅ、っと右手を握られた。
びっくりして顔を上げると、彼の力強い瞳がある。
「当主の言ってたことが本当でも嘘でも、佐久間のじいさんのことに触れさせられたのは大きいよ。ちゃんと、前に進めてる」
「・・・うん、ありがとう。煉くんが傍にいてくれたおかげです」
私一人では、できなかっただろう。
前へ進めたのも、進もうと思わせてくれたのも、すべて彼のおかげ。
「佐久間が望めば俺はいつでも傍にいるよ」
頼もしい、彼の言葉を胸に。
これから何が待ち受けているのかはわからないけれど、闇に足を踏み入れたからには、勇気を出して、どこかへ行き着くまで進むしかない。
怯えなくても大丈夫。
私には手を取って共に歩んでくれる人がいる。
そして周りには、こんな私を心配して、助けてくれる優しい存在が、たくさんあるのだから。




