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幻想徒然絵巻  作者: 日生
晩秋
101/150

誓い

「っ、天宮くん!」


 彼は夜の仕事衣装の狩衣を着て、肩で息をしているようだったけれど、周囲と争っていたような気配はなく、その場にたたずんでいる。


 大天狗様に抱えられ、濡れ縁にやって来た私を見て、ほっとしたように表情を緩めた。


 しかしすぐに緊張した面持ちに戻る。


 どうするのかと思ったら、天宮くんは深々と頭を下げた。


「―――佐久間を助けてくださったこと、感謝いたします」


 呆然とみんなが見つめる中、天宮くんはとても丁寧な態度で、謝辞を述べたのだった。


「此度のことは身内の勝手な暴走です。以後、このようなことはなきよう気をつけますので、どうか、佐久間をお返しください」


「ならぬ」


 大天狗様は、いつになく下手に出ている天宮くんを容赦なく突っぱねた。


「天宮は佐久間殿を裏切った。信用させたところを背後から襲う卑劣なまねをいたした者らに、我らの大切なお方をまかせるわけにはゆかぬ」


 私に語りかけていた時とは打って変わって、冷たい声音だった。


「よく聞くがよい天宮。佐久間殿はかような目に遭ってもなお、そなたらが口止めしたことを語ってはくれぬ。さらに、狼藉者を八つ裂きにせんとすれば、その助命を乞うてこられた。裏切られてもなお裏切らぬ、これほどに誠実なお方をそなたらは裏切ったのだぞ。それでも佐久間殿を守ると、その口が申せるのか」


「・・・」


「正面から参じた勇気に免じ、命までは奪わぬでやろう。疾く去るがよい」


 沈黙する天宮くんに告げて、大天狗様は踵を返す。

 抱えられたままの私からは、彼の姿が見えなくなった。


「守ります」


 間もなく、はっきりとした声が、聞こえた。


 大天狗様が振り返る。


 まっすぐに、見つめる天宮くんの姿があった。


「天宮ではなく、俺が守ります」


「・・・どういう意味だ?」


「たとえ天宮が佐久間を排除しようとしたとしても、俺は佐久間を守ります。これまで通り好きなだけ妖怪たちに会って、友達と遊んで、両親の待つ家に帰って、きれいな絵をいくらでも描けるように、佐久間の日常を俺が守ります。だから、佐久間を人の世へ帰してください」


 大天狗様は、しばらくじっと天宮くんの顔を眺めていた。


 その間も、天宮くんの瞳は少しも揺らがなかった。


「そなたに佐久間殿を守れるほどの力があるか?」


 ややあって、大天狗様が尋ねた。

 天宮くんは頭を振る。


「力なんていくらあっても足りない。ただ俺は、強くなります」


「そなたは天宮であろう」


「俺の名は煉です」


 すると、大天狗様は低く笑った。


「そうか」


 白砂利の上へ降り、天宮くんの前で止まる。


「よい目だ、煉。なれば、そなたに佐久間殿を託してみよう」


 そう言って、私を天宮くんに手渡した。


 大きな妖怪から、それよりも小さな人のもとへ。

 けれど、私を支えてくれる力は同じくらい頼もしい。


「ただし守り切れなかったその時は、今度こそ佐久間殿は帰さぬ」


「そんなことはさせません」


 言い切った天宮くんに、再び大天狗様は笑みを浮かべた。


「――では佐久間殿、またのお越しをお待ちいたしております。次にいらした時には、ぜひとも貴女の絵をいただきたいものです」


「は、はいっ」


 私は天宮くんに抱えられたまま頷く。


「ありがとうございます」


 再度、お礼を述べる天宮くんに背を向けて、大天狗様はお屋敷の中へ戻っていった。


 それから烏天狗さんたちが私の靴や、風呂敷に包んだ服などを持って来てくれたので、天宮くんは私を降ろしてくれる。

 そして、


「帰ろう」


 手を引かれ、大門を出る。


 天狗の宮は、人の世ではない不思議な世界の中にあり、霧に包まれたその敷地を抜けるまでは烏天狗さんたちの松明が導いてくれた。


 やがて明かりが途切れると、視界が急に開けた。


 後ろを振り返っても、もう霧はない。

 木々の針葉の先より高い場所で、煌々と照る月が見えた。


「佐久間」


 呼ばれたと同時に、繋がった手を引かれた。


 傾いだ体を、正面から天宮くんに抱きとめられる。


 耳元に深く、長い、吐息が落ちた。


「よかった・・・」


 心からほっとしたような、声。

 抱きしめてくれる腕の力はほんの少しだけ強く、でも、とても優しかった。


「・・・悪い。もう少し、こうさせて」


「・・・う、ん」


 どうにかこうにか、頷くことだけできた。


 心臓が早鐘のように鳴って、胸が壊れそう。


 すごく恥ずかしいのだけど、でも、その一方でとても落ち着く。

 触れている部分からじんわりと沁み込むように、私の中に安堵が広がる。


 もう何も心配はいらないと、言ってくれているみたいで。

 なんだか泣きたくなってしまった。


 しばらくして、天宮くんの体が離れた。

 

 温かい感覚がなくなることに一瞬、寂しさを覚えたけれど、彼がとても真剣な顔をしていたから、すぐにそんなことは考えていられなくなった。


「莉子のこと、本当にごめん。話はあいつから聞いた」


 さっき大天狗様にしていたみたいにかなり深々と頭を下げられ、慌ててしまう。


「あ、謝らなくていいですっ。それより、莉子さんは無事だった?」


「うん。佐久間のおかげだ。―――怖い思いさせてごめん。あいつの暴走は俺が油断してたせいだ。だから、俺が悪い」


「ううん、天宮くんは悪くないよっ。だって私・・・私も、全然、わかってなかったわけじゃないから」


 彼に顔を上げてもらい、正直に白状した。


「天宮くんたちのためを思うなら、私はいなくなったほうがいいんだってことは、わかってたの。わかってたけど、気づかないふりをしてた。今の生活が楽しくて、そのために、天宮くんたちに、負担をかけて・・・」


「それは違うっ」


 いきなり天宮くんが声を張ったから、びっくりして言葉が途切れた。

 かわりに彼が口を開く。


「どうして佐久間が赤の他人の都合で手を切られたり死んだりしなけりゃならない。佐久間はただ、きれいな絵を描けるってだけだ。それを、勝手に怯えて不安になって、信じて頼ってくれてる相手を裏切るなんて人間のすることじゃない」


 よく聞いて、と天宮くんは注意を促す。


「佐久間は当主の力で常に監視されてる」


「え・・・」


「当主も神を宿してるんだ。俺や翔たちみたいな祓いの力はないけど、かわりに印を付けた標的の位置を探ることができる。そうやって今までも佐久間が行った場所は全部把握されてた。俺は当主の指示を受けて、どんなに離れたところからでも都合よく駆け付けることができてたんだ」


 事実を聞かされ、私はショックを受けるよりも先に納得してしまった。


 いつでもどこでも私の居場所がわかるから、自由に放されていたんだ。

 つまり、私は最初から――


「天宮は佐久間をまったく信用してない」


 非情なくらいはっきりと、彼は教えてくれた。


「天宮の中には、佐久間を殺すとか、腕を切り落とすとか、一生牢に閉じ込めるとか物騒な考えを持ってる奴がまだ他にもいる。昔から、天宮は一族を守るためならどんなことでもやってきた。―――天宮は佐久間の味方じゃない。信用はできない」


 味方じゃない、とは、とても的確な表現だと思う。


 私には天宮家に対する敵意がなかったから、守ってくれていたけれど、信じきることはできていなかった。


 明確な敵じゃないから、処分が甘かった。


 でも明確に味方じゃないから、ずっとそのままではいられなかった。


 最初から、私と天宮家とは微妙なバランスの上に成り立っていた関係だったのだ。

 そしてそのバランスはもう、崩れてしまったのだ。


「だけど俺は、佐久間の味方でありたい」


 絶望に堕ちていく心を、掬いあげるように。


 その一言がすっと胸の中に入り込んだ。


「たとえ天宮が佐久間に害をなそうとしても、俺は佐久間を守る。――また信用してくれとは言わない。勝手に約束する。佐久間からは絶対に何も奪わせない」


 あまりに強い口調で、天宮くんが言うから、我が耳を疑ってしまう。


 さっき、大天狗様の宮で聞いたことは、私を取り戻すための方便では、なかったの?


 だって、神様を宿す彼は天宮家にとって、とてもとても大事な人。

 本来なら率先して一族を守るために動かなければならない人だろうに。


 私の味方になってくれると、本気で言っているのだろうか。

 それは、天宮家を、自分の家族を敵に回すということなのに。


「・・・どうして?」


 本気なのだとしたら、問わずにはいられなかった。


「どうして、そこまで言ってくれるの? 私はいつも天宮くんに迷惑かけてばっかりなんだよ? 不安になってもしょうがないくらい、簡単に油断する間抜けだし、何も知らない馬鹿だし、すぐさらわれちゃう、のろまなのに・・・」


 言い募る途中で、天宮くんの吹き出す声が割って入った。


「ちょっと言い過ぎ」


 天宮くんは口元を拳で押さえながら言う。


「確かに、佐久間は怖がりなわりにすぐ油断して、どんな奴にもさっさと警戒解いちまうから、危なっかしいとは思うよ」


「や、やっぱり」


「でもそれは悪いことじゃないだろ」


 天宮くんは表情を緩めたまま。けど、どこか暗く見えた。


「佐久間はそうやって俺のことも信用してくれただろ。だからずっと、悩んでた。本当は俺だって完全な味方じゃないのに、佐久間はいつも俺に謝って、なんでもないことでもすげえ感謝してくれるから、それをいつか裏切るのかと思ったら、傍にいるのが申し訳なかった。腹の中じゃこんなこと考えてんだぞって、教えたくて、でも言えない自分が嫌だった」


「そんなの、家族の命がかかってるんだものっ、言えるわけないよ」


「違う、俺がっ―――俺が、知られたくなかったんだ。こんな卑怯な奴だってことを、佐久間に知られるのが怖かったんだ」


 天宮くんは、まるで血を吐くように苦しげに言う。

 そして深く息を吐き出した。


「ごめん。結局、裏切ったも同然だよな。こんなことになるまで俺は黙ってたんだから」


「そんなこと・・・」


「でもこれからは、今までの佐久間の信用に報いたい」


 次の瞬間に、背筋を伸ばした天宮くんの瞳が、どこまでもまっすぐに私を射抜いた。


「家にとってじゃなく、俺自身が正しいと思うことをしていきたい。だから――もし嫌じゃなければ、俺に佐久間のことを守らせてくれないか?」


 私は、その強い瞳を半ば呆然と見つめ返していた。


「・・・迷惑じゃ、ないんですか?」


「全然。俺がそうしたいんだ」


「で、でも、私、ほんとにすごく頼ってしまうよ?」


「だったら嬉しい」


 そんな、笑顔で言わないでほしい。


「っ、き、きっと大変だよっ。今まで以上にたくさん危ない目に遭うかもっ」


「だからこそ傍で守りたいんだ」


「でもっ」


「ん、まだあんの? やっぱ俺に守られるのは嫌?」


「ぜ、全然ですっ! すごく、すごくありがたいですっ」


「よかった。ありがとう」


 守ってくれる人が守られるほうにお礼を言うなんてあべこべだ。


 本当に、天宮くんにここまでしてもらっていいのか。

 ううん、いいわけない、いいわけない、けど・・・。


 彼が、嘘を語る人でないことは知ってる。

 こうしてきちんと、目を見つめられて宣言されたのならそれは、よく考えて、覚悟して決めたことなんだと思うから。


 だったら私も、覚悟しなければならないのだろう。


「――あのね、天宮くん。私の力にはたぶん、理由があると思うの」


「・・・うん」


 いきなり口走ったことだったけど、天宮くんは真剣に聞いてくれた。


「自分でも覚えてない、何かの存在にこの力を与えられたんだと思う。それは、もしかするとすごくおそろしいもので、今のうちに腕を切り落としたほうが、みんなのためになるのかもしれない。けど――私は、できれば全部を知ってから、どうするかを決めたい」


「うん」


「だから、ごめんなさい、天宮くんのことを巻き込みます。どうか天宮くんが許してくれるだけ、付き合ってください」


 私の覚悟は彼を道連れにするかわり、どんな事態を招いても必ず責任を取ること。

 全部を知った上で、やっぱり腕を切らなくちゃどうしようもないのなら、今度は逃げずに切る。

 どんな結末に辿り着いても、誰も恨まない。


 その場に留まっていつまでも守られてるんじゃなく、どこかへ向かいながら、目的地までを守ってもらうことにする。


「――うん。最後まで必ず付き合う。約束する」


 力強く、頼もしく、頷いてくれる人が傍にいるなら、もう何も怖くはなかった。


「ありがとう、天宮くん」


 安堵の喜びのままに感謝を口にする。

 けれど、なぜか天宮くんはちょっと首を傾げた。


「――あのさ、呼び名、変えてもらっていい?」


「え?」


「名前で呼んで」


 彼は少しばかり照れくさそうに言っていた。


「俺は俺として佐久間を守ってくつもりだから、そっちのほうがいい。それに佐久間って、俺以外の奴のことは名前で呼んでるだろ。翔とか椿とか、古御堂の奴らもさ」


 そういえば、そうだった、かな。だって皆さん同じ苗字なんだもの。


 彼のことは最初から苗字で呼んでいたからなんとなくずっとそのままだっただけで・・・今さら、呼び名を変えるのはちょっと気恥ずかしいんだけど、でも、本人の希望だし・・・。


「れ、煉くん?」


 試しに呼んでみれば、気のせいかもしれないけれど、彼はなんだかとても嬉しそうに、笑った。


「うん」


 呼び名を変えただけでこんな笑顔を見せてもらえるなんて、贅沢過ぎる。

 ちょっと気まずくて、私は慌てて次に会話を繋いだ。


「あ、あの、本当にありがとう。守るって言ってくれたことも、今日、迎えに来てくれたことも」


「ん。俺も、許してくれてありがとう。―――あっ、と、そうだ」


 彼はかざした手の上に赤い炎を出現させる。

 神様の火に照らされ、さらにはっきりお互いの姿が見えるようになった。


「今言うことでもないかもしんねーけど・・・その格好、似合ってる。すごく、きれいだ」


 心臓が、飛び上がった。


 不意打ち、だ。


 同じような言葉なのに、大天狗様が言ってくれたのと破壊力が全然違う。


「・・・っ」


 ひどい、と思った。


 あと少しのところで堪えていたのに、ずっと、知らないふりをしていたのに。


 この瞬間に一気に突き落とされた。


 こうなったらもう、どうしようも、ない。


 真っ赤になって何も言い返せない私の右手を、彼が優しく握る。


「――帰ろう」


 暗い山道でも、力強い炎の明かりに導かれ、私は無事に家へ帰り着いたのだった。

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