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幻想徒然絵巻  作者: 日生
晩秋
100/150

金平糖

 困っている。非常に困っている。


 何がって、先程から私の傍に・・・傍にというか私を膝に乗せて放してくれない存在に弱り果てている。


「どうしたのですか佐久間殿。どうぞこちらを向いて、その可愛らしいお顔をよく見せてください」


 お座敷で、大天狗様はあぐらをかいたその上に私を乗せ、片手で私の肩を抱き、もう片方の手には大きな朱塗りの杯を持ち、やけに上機嫌でずっと話しかけてくる。


「やはり貴女には和装がよくお似合いです。着物の他にも欲しい物があればおっしゃってください。早急に用意させましょう」


「い、いえ、結構です。ありがとうございます」


 大天狗様の宮に招かれたら、まず不思議な水で体中についた傷を全部きれいに治してもらい、次に汚れた服を脱がされ振り袖と袴に着替えさせられた。


 ちなみに上は白っぽい生地に紅葉の模様が染められて、下は落ち着いた茜色の袴で、全体的に秋らしい色だ。


 以前、宴で似たような格好をさせられた時には鏡なしで自力で着付けたけど、今回は姿身を借りることができ、少なくともぱっと見の体裁は保たれていることを確認できた。


 髪もまあなんとなくそれらしく結い変え、もらった簪を挿して大天狗様の前に行ったら異様に喜ばれて抱き寄せられ、現在に至る。


「佐久間殿、酒が飲めぬならかわりにこれを。口を開けてください」


 大天狗様は烏天狗さんが杯に乗せて持ってきた白い小石みたいな粒を取り、私の口元まで持ってきた。


「心配せずともこれはただの金平糖です。不老不死の丸薬は、貴女が望まぬなら無理強いはいたしませんよ」


 私がすぐに口を開けない理由に、気づいた大天狗様が説明を加えた。

 粒をよく見ると確かに金平糖のよう。それに春の宴で飲まされそうになった怪しげな丸薬は確か黒かったし、これとは違う。


 おそるおそる口をわずかに開けると、そこへ大天狗様が粒を入れる。


 うん、甘い。ただの金平糖だ。


「とてもおいしいです。ありがとうございます」


「それはよかった。ではもっと」


「あ、いえ、自分で食べられますので」


「私が貴女に食べさせたいのです。素直に口を開けてくださる姿は雛鳥のように愛らしい。いま少し楽しませてはいただけませんか」


「・・・そ、それは、さすがに、恥ずかしいので」


「恥じらう姿もまた、愛らしいのです」


 だからっ、だからなんなんですか!? さっきからなんで口説かれてるみたいなの!? 心臓耐えられないですよ!?


「あ、あの、私、重いですよね? そろそろどいて」


「全く問題ありません」


 いたたまれなくて離れようとしたのに、なお強く抱き寄せられ大天狗様とさらに密着する。


「貴女からは良い匂いがしますね。天狗である我が身ですら思わず傅いてしまいたくなるような・・・いえ、天狗だからこそ、でしょうね」


「っ、ああああの大天狗様っ!」


 なんとなく、このまま流され続けると不毛な会話だけで夜が明けてしまうように思えて、勇気を振り絞り事態の打開を試みた。


「い、色々とありがとございますっ。で、でも私、そろそろ家に、帰らなくては。後日またお礼に伺いますので・・・」


「私にとっては貴女がここにいてくださることが最上の礼ですよ。とはいえ、どうしてもお帰りになるというのであれば、無理にお引き留めはいたしませんが・・・本当に、帰ってもよろしいのですか?」


 大天狗様はわずかに身を離し、私の顔を覗きこむ。


「天宮は、どうやら貴女に害意を抱いているようですが」


「っ・・・」


「天宮が貴女を狙う以上、下界に帰したくはありません」


 ・・・本当は、わかっていた。


 私がいなくなることが、天宮家の方々に一番都合がいいんだってこと、本当はもっと早くから気づいていたのに、気づかないふりをしていた。


 何もわからない馬鹿であり続けなければ、この楽しくて平穏な日々が壊れてしまうと思ったから。


 でも拓実さんに忠告されて、莉子さんが現れて、私の日々は永遠に続かないものなんだと認めざるを得なくなり、私はどこかで自分を守ろうと考えて、力をなくす方法を求めた。


 天宮くんのためじゃなくて、きっと私は、自分が天宮家に殺されないために、動いていたんだ。


 莉子さんの言っていた通りなのかもしれない。

 私は結局、自分が一番大事で、天宮くんたちのことは二の次だったのだろう。


 だって、力をなくす方法がわかるまで待ってくれだなんて、私の勝手でしかない。

 どれだけかかるかわからず、本当にあるかもわからず、その間ずっと皆さんには不安でいろってことだもの。


 天宮家の本音を、莉子さんは証明してくれた。

 もう、私がどんなに馬鹿なふりをしたって、元には戻れない。


 お前は敵だと、宣言されたようなものだから。


 そして逃げた以上、私は天宮くんたちの敵になってしまったのだろうから。


「さぞかし心細いことでしょう」


 ぽっかりあいた心の隙間に、大天狗様の声が滑り込む。


「佐久間殿、これはいま一度のお誘いです。人の世を捨て、我がもとへ来ませんか?」


 大天狗様は片方で私の手を取り、片方をそっと私の背に添えて、とてもとても優しく、囁くのだ。


「貴女がどうしても嫌とおっしゃるならば、不老不死とはならずとも良いのです。絵に描くのは私や子分たちだけでなくとも構いません。思う存分に描きたいものを描いてください。私は貴女が満足してその短い一生を終えるまで、傷一つなく守り抜くことを誓います」


 長い指が、擦り傷の消えた私の顎をなぞる。


「貴女はただそのお口から、秘密を音にして発すだけ。後は私がたちまちにして敵を滅ぼして進ぜましょう」


「――」


 天宮家は、敵。


 人の世に戻っても、そこに天宮家があるなら、私は二度と絵を描けなくなる。


 たとえ馬鹿げていると言われても、私にとって絵を描けなくなることは死に等しい。


 何もかもを、失うような気がしてる。


「いかがでしょう、佐久間殿」


 大天狗様の誘いは金平糖より甘く、優しく、背に触れる温かな手を感じて、私は、泣いてしまった。


「ごめん、なさいっ・・・」


 両手で押さえても、ぼろぼろ零れて止まらない。


「なぜ泣いているのですか」


「・・・大天狗様が、あんまり、お優しいから」


 すべてを捨てて縋ってしまいたいと、心のどこかで叫んでる。

 そうすれば楽になるのだ、何もかも。


「でも――望みません、そんな、ことは・・・」


 望めるわけがない。天宮くんたちに敵意を向けられることよりも、彼らが殺されてしまうことのほうが、何百倍も怖いのだ。


「天宮は貴女を裏切ったのですよ? 今だけではありません、あの一族は常に人を欺きながら、したたかに生きて参った薄汚い連中です」


「・・・それは、きっと、彼らを守ってくれる人が、いなかったからだと思います。影で大勢の人たちを守りながら、自分たちのことも、自分たちで守っていかなければならなかったのなら、仕方がないことも、あったんだと、思います」


「貴女が殺されることも、仕方がないことですか?」


「・・・はい。でも、正直に、言えば・・・死にたくは、ありません」


 いつか、私の存在が天宮家に不幸をもたらすことになったとしても。

 生きることを、絵を描くことをやめたくない。


「でも私は、天宮くんたちの敵にはなりたくないんです」


 それもまた、私の本音。


「ごめんなさい、私は、とてもわがままな人間です。大天狗様に守っていただけるような者ではないんです」


 すると大天狗様が、ふっと笑みを漏らした。


「まこと清らかなお人ですね、貴女は。俗世に置いておくのはやはり忍びない」


「わ、私は、恩知らずな、情けない人間です」


「いいえ、佐久間殿。春の宴で、貴女は恐怖に泣きながらも、小僧めを助けるためにその身を差し出そうとしたではありませんか。今、貴女が真に怯えているのは、己がことのためでは決してありません」


 大天狗様はやけに確信を持っているように言う。

 おそらく慰めてくれているのだろう。私はそれが、不思議で仕方がなかった。


「・・・どうして、大天狗様は私にそこまで言ってくださるんですか?」


 春の宴では失礼な立ち去り方をして、これまで一度も顔を見せにも来なかった、私に。

 一生守ると言ってくれたり、慰めてくれたりするのは、なぜなのだろう。


「それだけ貴女の絵は素晴らしかった。そして貴女は―――特別な方だからです」


「・・・特別?」


「はい。我らと、我らの神にとっての」


 不思議な言葉の意味を、大天狗様がそれ以上語ることはなかった。


 その時、部下の烏天狗さんがやって来て、大天狗様に耳打ちしたからだ。


「そうか」


 大天狗様は頷くと、私を抱えて立ち上がった。


 何も聞かされないまま連れて来られた場所は、広い広い宮の庭。


 たくさんのかがり火を持った烏天狗さんたちに囲まれて、天宮くんが、白砂利の上に立っていた。

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