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幻想徒然絵巻  作者: 日生
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桜と緋色

 小さい頃に、おじいちゃんが絵巻を見せてくれた。


 色とりどりのおそろしいものたちが、楽しそうに空を駆けている絵巻。


 怖くて、でも何度もせがんでは覗いた。


 紙の中の彼らはみんな不気味に笑っていて、心が弾んだ。見てはいけない何かを見てしまったような、どきどきとわくわくが入り混じって、すごくはしゃいだのを覚えてる。


 私もこの列に加わりたいと思った。


 彼らのように雲に乗って、満月の下を、歌いながら、踊りながら、自由自在に駆けられたなら、どんなに楽しいだろうと。


 あの絵巻は、一体どこにいったのだろう?





 ❆





 真新しい白いシャツ。


 その上にグレーのカーディガン。


 下は膝丈まである紺色チェックのスカートで、胸元には茜色のリボン。


 肩を過ぎるまで伸ばした黒い髪を、一番好きな水色のシュシュを使って、左耳の下でひとまとめに。


 白いリュックを背負い、英語のロゴが入ってるトートバッグを左肩に。


 買ってもらったばかりのスニーカーを履いたら、準備完了。


「行ってきますっ」


 元気に家を出発する。


 苦しかった受験勉強を経て、今年、私は無事地元の公立高校に進学できた。レベルはお世辞にも高いとは言えないが、勉強が苦手な私にとってはちょうどいい。


 昨日、入学式を終え、今日が授業始め。


 風に飛ばされて、通学路には花びらが数枚、舞っていた。


 近くの公園あたりから飛んできた桜だろう。この時期は、町中のあちこちで桜が咲いている。


 この町は、言ってしまえば田舎だ。


 東西南北を山に囲まれて、自然がたくさんある。普通の住宅街の中には昔ながらの古い立派なお屋敷がいくつも残っており、古風な町の雰囲気に控えめな優しい色の桜がよく似合っていた。


 生まれた時からずっと住んでいても、毎春の感動は色あせない。


 まだ時間には余裕がある。花びらの誘いに乗り、公園へ行ってみることにした。



 シーソーとブランコがあるだけの、狭い敷地の奥に一本だけ、太い幹の桜がどっしりと構えている。わた飴みたいに枝にこんもりと花が咲き、満開を迎えていた。


 空の青と白く光る花が絶妙に合う。黒い幹の色がアクセントになっていっそう鮮やかさを印象付けている。


 自然は天才だ。こんな素敵な色の組み合わせは、きっと誰にも思いつかない。


 見ていたら右手がうずうずしてきた。この光景を描きたい。できれば今すぐに。そんな時間があるわけないのはわかってるけどもっ。


 小さな子供みたいに地団太を踏みたくなってしまう。


 この瞬間を描き写したい。


 スケッチブックを開いて、パレットに絵具をいっぱい出して、見える限りの彩りを、光を、陰を――


「・・・あ」


 その時、私は桜の陰にソレを見つけてしまった。


 たっぷりと花をつけた枝と枝の間に、隠れていた人の形。


 でもソレは、人じゃない。


「よい陽気じゃのう」


 ソレは幹の上で横になり、眠っていたようだ。


 両手をぐいーっと伸ばし、起き上がったから私にも見えるようになったのだ。ソレが枝を揺らすと、咲いたばかりの花びらが、ひとひら、ふたひら、落ちる。


「・・・うむ?」


 呆然と見つめていたら、目が合ってしまった。ソレは顔の真ん中にあるたった一つの大きな赤い目を、不思議そうに瞬いた。


 私は慌てて顔を逸らした。けど、遅かったかもしれない。


「我が見ゆるのか?」


 まずい。


 ソレが身を乗り出すようにしたので、慌てて「そ、そろそろ行かなくちゃっ」などと上ずった声で宣言し、踵を返す。


 そのまま足早に公園を去る。けれど、そのうち背後から「おぅい」と声がして、正面にあの顔が回りこんだ。


「っ・・・!」


 かろうじて悲鳴をおさえ、焦点をぼかし変わらず前へ進む。もう少しでぶつかってしまうところで、ソレは音もなく横にどけた。


「目が合うたと思うたが・・・気のせいかのう」


 気配が遠ざかっていく。


 それでも振り返らないまま、十五分くらいは早足でずっと歩き続けて、やがて校門が見えてきた。


 まだ生徒指導の先生も立っていない時間帯。グラウンドでは運動部の朝練が行われていて、昇降口へ向かっている生徒は少ない。


 視界の内になんの怪しい影もないことを確認したら、校舎に入る前に、後ろを振り返る。


 やっぱり、そこには何もいなかった。


 なんとか、ごまかせたらしい。無事、二階の教室に着いて胸をなでおろす。


 始業まではまだ三十分近く余裕があるため、クラスには人もまばらだ。


 窓際から二列目の、最後尾が私の席。


 そこに座って、トートバッグの中からスケッチブックを取り出す。風景や人物画などのページを飛ばして新しいページに、さっきのモノを鉛筆で描いてみる。


 大きな顔の真ん中に真っ赤な瞳があり、口が耳まで裂けていた。


 長くて地面に引きずっているボロボロの黒い着物の前をはだけ、ぽっこりしたお腹が帯の上に乗っていた。


 足は、草鞋を履いていた。だから後ろからずりずりと擦れる音が聞こえたんだ。


 そのままでは少し怖いので、まなじりを緩めて思いきり笑っている顔にしてみる。


 実際は鳥肌が立ったけど、こうして紙の上に移してしまうとなんだか可愛らしい。満開の桜をベッドに寝ていたなんて、その奔放さがうらやましい。


 これは、世に言う妖怪だ。誰にでも見えるものではないらしく、多くの人に幻想と言われてしまうもの。


 でも彼らの存在はまぎれもなく、私にとって現実の一部。彼らはいつも、私たちのすぐ傍にいる。


 今朝みたいなことは、初めてじゃない。昔から、散歩中の猫を目にするくらいの頻度で妖怪を見かける。そしてこっそり、スケッチブックに彼らの姿を描き写している。


 私は絵を描くのが大好きだ。妖怪の絵が特に好き。本当は記憶の中の曖昧な姿じゃなく、ちゃんと正面で見て描きたいのだけれど、難しい事情がある。


 頭の片隅にはいつも、おじいちゃんの言葉があった。


「妖怪はなあ、怖いよ」


 小さな頃に、おじいちゃんは私を膝に乗せて、しみじみと言っていた。


 五年前まで、私は父方の祖父と暮らしていた。家族の中では私とおじいちゃんだけが、妖怪という特殊な存在を見ることができた。


 生前のおじいちゃんは画家で、今の私と同じように妖怪の絵をたくさん描いていた。というより、私が絵を描くようになったのは完全におじいちゃんの影響なのである。


 おじいちゃんは、よく私を膝に乗せて、若い頃に描いた自作の妖怪絵巻を見せてくれた。


 数え切れないほどの妖怪が夜空を雲に乗って駆けている絵や、逆に一匹だけを事細かに描いたものなど、本当にたくさん。


 おじいちゃんが死んだら、絵巻の多くがなぜだか見当たらなくなってしまったけれど、感動は今も胸の内に強く残っている。


 そんなおじいちゃんは、左腕の肘から先がなかった。


「妖怪に喰われちゃったんだ」


 おじいちゃんは、たぶん私が怖がらないように、わざとにこにこしながら教えてくれた。

 でも、初めて真実を知った時の私はびっくりして、怖くなって、泣いてしまった。


 おじいちゃんは妖怪が大好きで、妖怪はおじいちゃんの絵が大好きで、おじいちゃんには妖怪の友達がたくさんいたらしい。


 妖怪は時に人を襲い、人を食べ、人に不幸をもたらす存在だけれど、中には気のよい妖怪もいたのだそうだ。

 それで自分は勘違いをしてしまったと、おじいちゃんは言っていた。


「妖怪は、決していつでも仲良くできるものじゃあない。付き合っていけば必ずどこかで、おそろしい目に遭うもんだ。だからね、不用意に関わってはいけないんだよ」


 当時、私はおじいちゃんをうらやましがって、妖怪の友達がほしいとよくだだをこねていた。

 おじいちゃんはそんな私に釘を刺すために、左腕の話をしてくれたのだ。


 事実は確かに怖かった。

 でも同時に、じゃあ一生妖怪と口をきけないの? と悲しく思った。


「そういうわけじゃあない」


 するとおじいちゃんは右手で私の頭をなでてくれた。


「ユキがもう少しお姉さんになったらいいよ」


 それはいつ? と訊くと、おじいちゃんはしばらく考えて、


「高校生くらいになったら、いいかもしれない」


 その頃、まだ幼稚園に入ったばかりだった私にとっては、ずいぶん遠い話に思えていた。


「いいかい、ユキ。おじいちゃんの言うことを、よぉく覚えておいで。妖怪とは、人のおそれだ。怖い目に遭っても、どうかあいつらを恨まないでやっておくれ」


 結局、おじいちゃんは私が中学校に上がるのも待たずに亡くなってしまったけれど、最期までその言葉を繰り返していた。


 そして私は、とうとう高校生になった。


 さっきは心の準備もなく妖怪に出会ってしまったから、長年の癖でつい無視をしてしまったけれど、もう彼らと口をきいてもいいのだ。


 怖いけど、それ以上に、私は彼らを知りたくてしかたがない。


「――おっはよう!」


「ひゃっ!?」


 突然後ろから肩を掴まれ、変な声を出してしまった。


 振り返れば、ショートヘアの小柄で可愛いらしい女の子がいる。

 小野木おのぎ沙耶さやさん。隣の席の子だ。


 初日の自己紹介の時から、みんなに下の名前で呼び捨てしてほしいと言い、こうして面識のなかった私にも話しかけてくれるくらい、とても気さく。


 山に囲まれている私たちの町は田舎だけれど、そこそこ人口が多く、けっこう広い。


 そのため、町の北側の地区と西側の地区にそれぞれ小学校と中学校があって、町の中心付近に一つだけある高校には二つの中学校から人が来る。


 彼女は北、私は西の中学校出身だ。もっと子供が多かった時代には、東と南の地区にも小学校があったらしい。


 なんだったか、新しい道路ができたとかで、ここよりずっと発展している隣の町に人が流れてしまい、全盛期に比べればかなり人口が減っているらしい。


 私の中学校の時の同級生も、勉強が得意な半分くらいの人は、隣町の進学校に電車で一時間かけて通っている。


「お、おはよう小野木さん」


 挨拶がついどもってしまうのは、私が彼女と違って小心者な臆病者だから。

 彼女は笑いながら手をひらひら振った。


「沙耶でいいってば。私もユキって呼んでいい?」


「う、うん」


「よかった。ねえ、それなに?」


 小野木さん、じゃなくて、沙耶が、スケッチブックを指す。


「あっ」


 慌てて閉じても、もう遅い。


「なになに? 隠さないでよっ。けっこーリアルな、怪物? 上手だねっ」


 見られた。見られた。よりにもよって、妖怪の絵を。

 変な奴と思われただろうか。きっと思われただろう。彼女の笑顔がとても眩しい。


「ね、よく見せてよっ」


「そ、そんな見せられるようなものじゃないからっ」


「めっちゃうまかったよ? もっと見たい見たい、お願い見せてっ」


 うう・・・。


 仕方なく、風景画など差し障りのない絵を見せた。他にも妖怪の絵はあったけど、さすがにこれ以上は避ける。


 だって沙耶はきっと妖怪が見えない人だろうし、一枚だけならまだしも、何枚も描いているのを見られたらさすがに引かれると思う。中学校の時に経験して、ちゃんと学習済みだ。

 

 ただのデッサンを沙耶は律儀にも「わあっ!」とか「すごいっ!」とか言ってくれて、いたたまれない気持ちになった。


「すごいなー。将来は画家?」


「え!? む、無理っ。私なんか全然、だめだめだからっ」


「そんなことないでしょ。これだけ描けるんだからさあ」


 褒めてくれるのはありがたいけど、絵を描いてお金をもらうには相当の才能と技量が要求されると思う。

 そんな高望みはしていない。あくまでも絵は趣味だ。


「絵を描くのが好きなら、やっぱユキは美術部に入るの?」


 そういえばそんなものがあった。中学と違って、高校では部活に入ることを強制されていない。


「う、うーんと、別にいいかな、って。部活に入らなくても絵は描けるから」


 むしろ、入ることで描けなくなる絵がある。妖怪とか妖怪とか妖怪とか・・・私が一番描きたいのはそれなのに。他の人がいる前では変に思われるのが怖くて描けない。


「さ、沙耶は、どこか部活に入るの?」


 スケッチブックを返してもらい、勇気を出して今度は私からも話を振ってみた。


「私はテニス部っ。中学のそのまま続けようと思って」


「中学の時からやってるの? じゃあ、上手なんだね」


「そこそこね? なんて、嘘。ほんとは全然。でも楽しくてさっ」


 慣れない呼び捨てに緊張しつつも、わりとスムーズに会話が続いていく。


 彼女はずっとにこにこしていて、反応が大きいからとても話しやすく、どんどん楽しくなってくる。


 引っ込み思案な私は、ほぼ初対面の人とこんなふうに話せたことはなく、とても不思議な心地。その一方で、ほっとしてもいた。


 私、同じ中学校の友達いないから・・・。


 中学時代に、少し話すくらいの人なら、いるにはいた。それこそ、同じ美術部だった子とか。


 でもあんまり深い付き合いにはなれなくて、部活の時は喋るけど休みの日に遊ぶことなどは特になく、現在、その子は隣町の高校に通っている。中学の時は私が携帯を持っていなかったためアドレス交換もできず、連絡を取る手段すらない。


 おじいちゃんのように妖怪の友達もほしいけど、その前に人の友達がほしい今日この頃。


 やがて、チャイムと一緒に先生が教室に来た。他の子たちと同様に、私たちも話に区切りをつけて前を向く。


 その時になって、初めて私は見つけた。


 というよりは、目に飛び込んできた。


 窓側の席の、前から二番目。そこは昨日、空席だった。座るべき人は体調不良だとかで入学式を欠席していた。だからまだ、彼の名前も知らない。


 座っているのはなんてことはない、制服の紺のセーターベストを着て、机に突っ伏して寝ている人。


 でも明らかにおかしな点が一つある。


「起立、礼」


 昨日決まったばかりの委員長の女の子が号令を発する。彼も熟睡していたわけではなかったようで、号令とともに起きた。


 着席し、先生が連絡事項を告げていく。その前に絶対触れておかなければいけないはずのことがあるのに、他の話ばかりなので、やきもきしてしまう。


「――じゃあ、天宮」


 一通り連絡を済ませて、ようやく先生はその人を呼んだ。


「前に出て自己紹介しろ。他の人は昨日済ませたんだから」


 言われたその人はすぐには立ち上がらず、間を置いてから、のろのろと教壇に上った。いかにも面倒くさそうに、眠たそうに、どよんとした目をクラスに向け、ぼそぼそと挨拶をする。


「えっと・・・天宮あまみやれんといいます・・・えー・・・」


 言い淀んだ時、たまたま私のほうを見て、彼は怪訝な顔をした。


 無理もない。だって、私は目も口も馬鹿みたいにぽかんと開けていたのだから。


 なぜかって、彼の髪の色がおよそ日本人にあるまじき色をしているから。


 緋色だ。


 あまりに鮮やか過ぎて、どんなに遠くからでも彼とわかりそう。こんなに真っ赤な髪は外国人でもいないのではないだろうか。

 本当に、ペンキをかぶったように根元まで赤いのだ。顔立ちは日本人のようなのに。


 染めているのだとしたら、きっと注意されるだろう。それとも、高校にはそういう規則がないのだろうか。


 彼のほうはすぐに視線を外し、「よろしくお願いします」と早口に言って席に戻った。


 先生は最低限の自己紹介に苦笑いしただけで、委員長さんの号令で朝のホームルームが終わってしまった。


 彼は再び机に突っ伏し寝始める。誰が話しかける隙もなかった。


 なんにしても、彼は今やクラスのみんなに大注目されている。話しかけたそうに、そわそわしている人もいる。しかし少しも身じろぎせずに眠っているから、それも憚られる。


 もしくは見事なまでの浮きっぷりに、みんな、圧倒されているのかもしれない。


「ユキ、見過ぎ」


 肩をつつかれ、我に返った。


「ま、驚くよね」


 沙耶はおかしそうに笑っている。


「私も最初はびっくりしたよー。あ、中学が一緒だったんだけどね? 同じクラスになるのは初めて。噂じゃ不思議くんらしいよ」


「不思議くん?」


「ちょっと変わった人ってこと。誰とも喋らなくて、謎が多い人みたい」


「ふうん・・・」


 不思議くん、かあ。不良と呼ばれていないなら、素行が悪いということではないのかな。


 なんにしても。


 緋色の髪が、とてもきれい。


 それに顔立ちも。眠たそうな目をもう少し開いたら、かなりの美人さんではないかと思う。顎が細く、少し女性的な顔立ちをしていた。鮮やかな髪色が違和感なく、よく似合っている。


 まるで、この世のものではないようで。


 一時間目が始まっても、私はしばらく、彼の後ろ姿から目を離せなかった。

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