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Lycoris  作者: ちいさいのはら
1/1

エピソード01 ギフト

いつか

私にください

あなたが育てた

美しい花を


いつか

私にください

あなたと共に

生きて行く人生を


いつか

いつか


私が人間に、なれたなら


#001 ギフト


植物がこの世界の有害生物として指定されたのは意外と最近の事だ。


有害生物と指定される前、この世界には植物や美しい花々が色々な場所に咲き誇っていたという。

日本の象徴とされる桜の花は、僕が小学生の時にはデジタル映像でしか映されなくなっていた。桜並木の下を通った記憶も微かに残っている程度。

街にあった花屋は次々とその姿を消していった。

今まで身近にあった小さな花々、木漏れ日を落とし季節により姿を変えて見せてくれた木々は、いつしか僕らの周りから全て消えていた。


大きな事件が起きたのだ。


どこの国の何という街かは忘れてしまったけれど、とにかく一つの街がある日、何の前触れも無く植物に占拠されてしまった。

まるで意思を持ったかのように、いたる場所に植物が生え、根を張り、花を咲かせた。

それだけならば、まだ良かったのかもしれない。

問題は、その街に住んでいた住人が、皆植物に殺されていた事。

体内には無数の花が咲き、肉体は無残にも食い破られ、骨が露出していた。

圧倒的な繁殖力で街を丸々一つ、飲み込んでしまったのだ。

何が原因で、そんな惨事が起きたのか。

政府は科学班、”レスクレ”を総動員させ原因追求に当たった。

その最中、一人の科学者が姿をくらましてしまった。

政府は国民に対し、この科学者を見たらすぐに連絡をするよう呼びかけた。

警察も使って、文字通り血眼になって捜しだそうとした。

けれども、彼はまだ行方不明で今尚ニュースやコマーシャルで情報を求めている。

国中、いや、世界中が躍起になって探しているのだ。

彼を、今回の惨事を引き起こした首謀者を。


「おはよう、星飾くん」

とん、と軽く肩を叩かれ、はっとして後ろを振り返る。

我らが生徒会長様、その人がいつもと同じ柔らかな笑みを浮かべて立っていた。

「おはよう、生徒会長さん」

「君はいつまでたっても僕の名前を呼んではくれないんだね」

「生徒会長さんの名前を知らない人はこの学校にいないよ」

「…僕は君に、呼んでほしいのだけれど」

「生徒会長さんは変わった趣味を持ってるね」

整った顔、甘やかで暖かな茶色がかった髪、

赤みのある大きな瞳。

女子からモテるのにも納得せざるを得ない容姿と性格。

生徒会長さん、否、水無月朱鳥君は気まぐれに僕に話しかけてくる。

性格上、一人でいるクラスメイトを放っておけないのだろう。

別に。一人でいたい訳でも、皆んなが嫌いな訳でもない。ただ、考え方が一人ずつ違うのに、同じ行動を取らせられる事が理解出来ないだけ。

社会に出てから真っ先に潰されるタイプ、と良く影で言われている。

要するに、僕には協調性が無いのだ。

「星飾君は友達がいらないの?」

あっけらかんと疑問をぶつけられ、僕はうーん、と首を傾げた。

「欲しいけど、作るものじゃないと思うんだよね。なる、ものなんだよ本来なら」

「じゃあ手始めに、僕はどう?」

「生徒会長さん、学校に着いたよ。僕は図書室に行きたいからここでさよならだね」

「君ってホントに嫌な奴だね」

諦めたような笑みで手を振る彼を残し、僕は図書室に向かった。


朝の図書室は本当に静かで、とても心地が良い。

毎日の日課になっている朝の読者時間は、図書委員の特権だと思う。

冬の厳しい寒さから、暖かな春の訪れを感じ始めた最近。高校の中庭にはかつて桜の木が植えられていたらしいが、今では代わりのように小さな噴水が置かれている。

別段、植物の無い世界に何か思う事があるとか、どうにかしたいとか、そういう思いは無いのだけれど。

最近、閲覧自体に規制のかかった植物図鑑をぺらりと捲り小さく息を吐く。

実際に見てみたかったと、思う。

色とりどりのチューリップや、カーテンのように靡く枝垂れ桜。絨毯の様に永遠と広がるラベンダー畑、青々と輝く緑。

もはや幻想郷の様な光景に、心を奪われた。

その時、ピロン、と小さく音が鳴った。

学生鞄に入れていたケータイの画面には、妹の名前が表示されていた。

「もしもし、麗?」

「あ、兄さん。まだ授業始まってないよね。今日の放課後また迎えに行くから、ちょっと付き合ってくれない?」

「どこに?」

「ふふ、内緒!じゃあまた、放課後ね」

一方的に用件を話すと、麗は電話を切ってしまった。

3歳年下の妹、麗は良く僕と一緒に出かけたがる。どうも兄である僕を心配して誘ってくれているみたいなのだけれど。

「麗には申し訳ないなぁと、思うんだけどね」

予鈴と共に慌ただしく教室へと走って行く生徒、それを注意する教師の声が響く。

僕も図鑑を閉じ、自分の教室へと歩き出した。


放課後、僕の学校の校門前で待っていた麗と合流し、そのまま学校の最寄り駅である新宿駅まで歩き出した。

「兄さんは悪くないからね」

「急にどうしたの」

並んで歩いている最中、麗は真剣な顔をして僕を見つめた。

「兄さんはただ優しすぎるだけなの。だから、兄さんは、そのままで良い」

「麗、何を考えてるの」

「私は兄さんの事だけを考えてる」

漆黒に輝く長い髪の毛をたなびかせ、母に似た幼い顔つきの麗はまるで恋でもしているかのように甘い瞳で僕に微笑んだ。

「私の大好きな兄さん。友達に裏切られて、それを克服出来ないままでいる可哀想な兄さん。私は裏切らないからね、ずっと一緒にいるからね」

麗はたまに、訳のわからない事を言い出す。

その優しい笑みの中にぞっとするような何かを潜めさせている。

僕にはそれが何か、分からないけれど。

「行こう、兄さん。私行きたいところがあるんだ、蒼兄さんに見せたいものがあるの」

麗はそう、楽しそうに笑って僕の手を取った。


新宿駅から山手線に乗って三駅。

いつ来ても人が多い渋谷駅へ到着し、夕方には帰宅ラッシュで大勢の人が入り乱れるスクランブル交差点へ。

大画面のパノラマには、春だから、という理由で満開の桜の映像が写し出されていた。

成る程。

「最近、植物の図鑑とか読んでるよね。毎日図書室に行って見てるんでしょ?実物は無理だけど、今日から期間限定でこの映像展示が始まるって聞いたから見せたかったんだ。どう?凄いでしょ」

「うん、図鑑で見るよりずっと綺麗だ。ありがとう、麗」

「どういたしまして」

満足気に微笑んで「じゃあ、甘いものでも奢って貰おうかな」と僕の手を掴んでずんずん進んで行く麗に「あんまり高いものは無理だよ」と釘を刺す。

友達も多く兄思いのこの妹を、僕は誇りに思うけれど。同時に情けなく感じてしまう。

いつまで一つの出来事を引きずって生きて行くのだろう、と。

パノラマに写し出された満開の桜は、まるで僕を嘲笑うかのようにさわさわと揺れていた。

さわさわ、ざわざわ。

こっち見ないでよ気持ち悪い!本当目障りなヤツ!

あの時の笑い声みたいに、耳触りな音が喧騒と混ざって鳴り響く。

ああ、全く。

僕は本当に弱虫だ。


真夜中。

春が近づいて来たからといっても、芯から冷える寒さは健在らしい。

都心の喧騒から少し離れた駅に終電で辿り着き小さく息を吐く。

今から夕飯を食べるのもどうか、でも空腹では寝られないし、などと考えていると路地裏から呻き声のようなものが聞こえてきた。

仕事帰りで疲れていた彼にとって、それは自分の幻聴に聞こえたのだが。

その声は闇の中、複数の箇所から聞こえてくるように感じられた。

駅からは街灯の少ない一本道で、自分のアパートまでは暗くて細い道を通らなくてはならない。

老朽化したアパートと一軒家がぽつぽつあるくらいでコンビニも見当たらないこの場所で、こんな真夜中に声が聞こえたのは初めてだった。

歩いて15分の道を、ただひたすらに無言で歩き続ける。

声は幻聴、あるいは猫がいるのかもしれない。

ああ、早く帰ってビールでも呑もう。

きっと自分は疲れているんだ。

さっきまで寒いくらいに思っていたのに、何故か今は冷や汗が止まらない。

呻く様な、叫ぶ様な、喚く様なその声が、闇の中から彼を追う。

早く、早く帰ろう。

さわさわ、ざわざわ。

追ってくる声に、足音は無い。

ただ、何か重いものを引きずるような低い音がずるずると響き渡る。

やっと自分のアパートが見え、彼は大きく安堵した。

さあ、階段を上がって部屋に。


「…え?」


彼は気づいていなかった。

背後から追いかけてきたものがもう、すぐ後ろまで追いついてきていた事に。

彼を飲み込もうと、深い闇のようなその口が大きく開いていた事に。


その夜、彼のアパートの前には何かに群がるようにシャクナゲの花が美しくも禍々しく咲き乱れていた。

勿論、植物など周りには一つも生えておらずそこだけ別の写真を貼り付けたかのような、異様な光景だった。

彼の部屋にはもう誰も、帰ってこないまま深い夜は明けていく。


「今日のニュース、星飾くんは見たかい?植物による猟奇的事件さ」

「それって、種子を埋め込まれた人間が人を襲った事件の事?」

春の日差しが柔らかく降り注ぐお昼の時間、僕と生徒会長さんは屋上にいた。

母さんの自信作である卵サンドを食べながら、真っ青な空を仰ぎ見る。

隣に座って購買でも人気ナンバーワンの焼き鳥バーガーを頬張りながら、生徒会長さんは楽しそうに頷いた。

「それそれ。あの科学者が消えてからそういう事件が多発しているらしい。どうしてか、はまだ分からないみたいだけどね」

「種子ってさ、どうやって人間に埋め込まれるのかな」

「へえ!珍しい。僕の話にのってくれるなんて。今日は槍でも降るのかな」

普段から大きな瞳をさらに大きく真ん丸にしてそんな事を言った彼に、僕は食べ終えたランチボックスを持ってその場で立ち上がった。

「生徒会長さんがしつこいから話にのっただけだよ。話す気がないなら教室に戻るね」

「あるよ!だからお昼に誘ったんだもの。星飾くん、君、最近閲覧禁止の図鑑に興味を持っているみたいだけど、先生にバレる前にやめたほうが良いよ」

「…規制がかかっただけで禁止にはなってないよ。何でそれを僕が読んでいるのを知ってるの?」

思わず落としそうになったランチボックスを慌てて持ち直し、座ったまま僕を見上げる彼を見た。

楽しそうな笑みはそのままに、瞳の奥では薄暗い感情がちらりと姿を現した様に見えた。

彼は僕に、警告しているのだ。

「君は植物に魅入られているだけだよ。好奇心を持ちすぎて危ない方に歩いて行こうとしているんだ。駄目だよ、星飾くん。種子の事だって、君は知らなくても良い事なんだ」

「生徒会長さんは、何でそんな事を僕に言うの?植物に興味を持っている人だって、好奇心を持っている人だって沢山いるのに」

平静を装って矢継ぎ早に質問をぶつけると、

彼は今まで浮かべていた笑みを消し腹の底に響くようなドスの効いた声で呟いた。

「君は危険性が高い、と判断しただけさ。いいね、忠告はしたからね」

彼はゆっくり立ち上がり、僕の肩を軽く叩き「さあ、午後の授業が始まるよ」といつもの口調で言うと、先に屋上から出て行った。

僕は暫く、その場から動けずにいた。


「ねえ、麗から連絡無かった?」

放課後、僕が図書室の清掃と戸締りを終えた頃。母さんから連絡が入った。

ほぼ毎日、中学生である麗が僕の高校まで来て一緒に帰っている事を知っている母さんが「まだ麗が家に帰ってこないから蒼と一緒だと思ったのに」と電話をして来たのだ。

生憎、今日は朝から一緒に帰れない事を麗に伝えていた為、放課後に麗から連絡が入る事は無かった。

部活に入っていない麗が、放課後僕以外と遊びに行く事はまず無かったし、もし予定が入ったならば必ず母さんか僕に連絡を入れるはず。

それが無い、と言う事は決して無かった。

今まで一度も。

「心配なの、何かあったのなら連絡を必ず入れる子なのに。それに、ほら。今朝怖い事件があったじゃない。場所も近かったし…蒼なら何か知ってるかなって思ったんだけど」

「分かった、僕もこれから帰るところだったから探してみるよ」

「お願いね。もし何か分かったらすぐ連絡頂戴」

「うん。分かった」

電話を切り、すぐに学校から出て駅に向かう。

念のため、最初は麗が通う中学校に行き、麗がまだ学校にいないかどうか確認してみた。

担任の先生には「ホームルームが終わってすぐに帰ってますよ。いつもきちんと挨拶をする子なので間違いありません」と言われてしまい再度麗のケータイに連絡をするが、やはり繋がらなかった。

麗が好きなカフェ、良く遊びに行く駅、今度行きたいと言っていたショッピングモール。

数打ち当たれで動いてはみたものの、残念ながら収穫は無し。

気づけば夜の20時になっていた。

「とりあえずまだ警察には電話はしていないのだけれど、お父さんが帰って来たら話し合うつもりよ。蒼も疲れたでしょう、一度帰って来て。色々探してくれてありがとうね」

「僕は大丈夫。そうだね、とりあえず今から帰るよ」

母さんは少し涙声になっていた。

普段あまり歩かない僕の足は、明日からの筋肉痛を予言するように小さく痛みだしていた。

一体、どこに行ったのだろうか。

妙に耳障りな喧騒の中、まるで僕が迷子になったかのような感覚に陥る。

昨日までいつもと変わらない日常を過ごしていたはずなのに。

今日は何がいつもと違っていたのだろう。

ぼんやりそんな事を考えながら歩いていた時。昨日は美しい桜を映していたパノラマ画面に厳しい顔をしたアナウンサーが映っているのが見えた。

確かパノラマ画面での桜の映像展示は昨日始まったばかりでまだ来週までは予定されていたはずだけれど。

大画面を使って流されていたのは、今朝発見された植物による猟奇的殺人事件の事だった。

そう言えば、生徒会長さんもこの話を振ってきたな。

朝っぱらから怖い事件の事なんて聞きたくないと、麗が不満を漏らしていたんだっけ。

そう、麗と僕はこの事件現場を知っていた。

最寄り駅まで徒歩15分かかるが、それにプラス5分すればあの事件が起こった駅に行けるのだ。

だから、身近な場所で起こったあの出来事を、麗は怖がっていた。

だけどその時僕は、「ちょっとだけ興味あるな。不謹慎だけど、その花が見られるなら見てみたいかも」と軽い気持ちで言ってしまった。

そう、僕はその場に咲いていたと言う花を見たいと、麗に零したのだ。


気づいた時には、走りだしていた。


いつもなら街灯の灯りも殆ど無い場所に、沢山の武装した人達が立っていた。

駅から事件のあったアパートまでの道のり全てにキープアウトと書かれたテープが張り巡らされている。

通行禁止の看板も立ち、行こうと思っても現場には近づく事が出来事ない。

僕はその光景を見て酷く安心した。

これなら麗も、立ち入る事が出来なかったはずだ。

報道関係の人達、野次馬、近所に住んでいるのであろう人達の隙間を縫って現場とは逆の薄暗い道へと進む。

僕の考えが違うのならここにいても仕方ない。とりあえず近道を通って家に帰ろう。

駅まで一度戻り、そこから事件現場とは反対の方へゆっくり歩いて行く。

街灯が少ないのはこちらも一緒で、この時間だと本当に真っ暗で少し不気味だ。

僕はこの道を通るとき本当はあまり良く無いのだけれど、アパートとマンションの間にある細い路地裏をつっきってしまう。

ショートカットになるのでつい使ってしまうのだ。

今日もその路地を少し早足で通っていた時だった。

路地から出た場所にある街灯の下に、誰かがいる。

人が、立っていた。

僕は、もしかしたらこのアパートか、マンションの人で無断で通ってきた僕を怒る為にその場で待っているのかと思ったが。

それにしては、シルエットが小さすぎる。

大人では無いし、男性でも無さそうだ。

そう、もっと小柄な…。

「麗?」

僕が呟くと、麗はくるりとこちらを見てにっこり笑った。

「兄さん、やっぱり見に行って来たの?」

「うん。ねえ麗、何でケータイに連絡したのに返事をくれなかったの。母さんも父さんも心配してるよ。早く家に帰ろう」

路地から出ると、僕は笑みを浮かべたまま動こうとしない妹の手を取った。

触った瞬間、さっと血の気が引いた。

まるで血が通ってないみたいに、冷たい。

驚いて麗の顔を見ると、麗はまだ笑っていた。

まるでその表情しか知らないみたいに。

様々な光が入り乱れて、いつも輝いていた瞳にはただ闇色が広がるばかり。

何かが、おかしい。

まるで、壊れてしまったみたいだ。

「麗、どうしたの?具合でも悪いの?ねえ、大丈夫…」

不安になって、怖くなって、いつもの麗が恋しくなって、肩を掴んで顔を覗かせた。

その瞬間。

麗は僕の首に噛み付いた。

人間とは思えない凄まじい勢いで、まるで喰いちぎろうとするかのように。

「っ…?!」

僕は動転して上手く体に力が入らずただただ得体の知れない恐怖と、痛みに耐える事しか出来なかった。

普通に考えれば力で負けるはずのない麗を、引き剥がす事も出来ず、うわ言のように名前を呼び続けていた。

僕の左側の首もとに噛み付いたまま、麗は夢中になって血を吸っているようだった。

いや、実際は何をしているか何て全く分からなかった。

ただ、熱い舌が、鋭利な歯が、獣のような息が、全てが怖くて堪らなかった。


ぐち、ちゅ、ちゅる


ざわり、と身体中が震えた。

今、何かを、植えつけられた?

「私、兄さんの花が見たいの。きっと、とっても綺麗な花を咲かせてくれるはずだから。

私から兄さんに贈った種、大事に育ててね」

「なっ…?!」

涙で歪んだ視界の中、麗の妙に白い顔が浮かんで見えた。

口元には、まるで紅の様に真っ赤な僕の血がべったりとついてしまっている。

麗が口を離した隙に首に触ると、ぬるり、とした血が僕の手にもべったりとついた。

多分皮膚が剥がれて肉が見えてしまっているのだろう。やけに生暖かく、べたついた。

痛い、と言うよりも凄く熱かった。

身体中、熱を出しているみたいに熱くて頭がぼおっとしてきた。

今、麗は種、と言った。

兄さんに贈った種、と。

「うふふ、どうしたの。あはは、変な兄さん」

妖艶な笑みを血の気のない肌にのせ、僕の血を美味そうに舌で舐めている彼女が、本当に僕の妹なのか分からなくなってきた。

怖い。

心の底から、怖いと感じた。

自分の身体に起きている異変も、妹が変わってしまった事も。

全部。

「兄さん、私だけの兄さん。私だけを見て、私だけを愛して。私は兄さんだけのものだから。同じくらい愛して、私だけを欲して!」

まるで幼い頃の妹を見ているみたいだった。

寂しがり屋で、独占欲が強くて、愛を欲しがって僕にしがみついていた。

あの頃と同じ。

彼女は今まで楽しそうに笑っていたのが嘘のように、突然泣き出した。

激しい喜怒哀楽を呆然と眺めながら、今更のように襲ってきた猛烈な痛みに、僕は膝から力が抜けその場に座り込んでしまった。

熱い。

熱くて堪らない。

息が苦しくて、死んでしまった方が楽になるんじゃないかと考えてしまう。

「うっ、ああ、兄さん。痛かったよね、怖かったよね。ごめんなさい、ごめんなさい!!私、私は、ただ兄さんに花を見せてあげたかっただけなのに。なんで、こんな…」

ぼんやりと霞んで見えた麗は、酷く不安そうで、今すぐに抱きしめてあげたくなった。

そうだよ、僕の妹は。

いつだって僕を求めていたじゃないか。

僕が種子を埋め込まれたのは、彼女が恐ろしい植物に毒されていただけさ。

ああ、早く。

助けてあげなくちゃ。

「いい、よ。麗。僕は、大丈夫だから。怖かったよね、辛かったよね。僕が助けてあげるから、だから、ほら。こっちに来て」

息を乱しながら、微笑んで両手を広げる。

泣き腫らして、いつも以上に幼くなった顔をこちらに向け、助けを求める様に手を伸ばしてきた。

「兄さ」


麗の手は、僕に届く前に宙を舞った。


「えっ」

疑問の声を上げたのは、果たしてどちらだったか。

鮮やかな鮮血が、麗の断末魔が、目の前で広がった。

絵の具をぶち撒けたように。

目の前に雷が落ちたような衝撃が走った。

音は遮断され、映像はスローモーションで流れていった。

これは、一体なんだろうか。

今、何が起きたのだろうか。

気付くと、僕の目の前にはぐったりと倒れ込む麗の姿だけが血だまりの中に残されていた。

「うら、ら?」

掠れた声が、ぽつりと闇に溶けていく。

耳が痛いほどの静寂の中で、自分の呼吸音が煩く響き渡る。

僕と麗だけが、真っ暗な世界に置き去りにされたようだった。

僕はその時、目の前の事にばかり夢中で、後ろから近づいて来ていた彼に気付く事が出来ずにいた。

突如として聴こえたあの、甘やかな声に心臓が跳ね上がった。

「ねえ、星飾くん。僕の忠告は無意味だったかな」

ひゅう、ひゅうと無駄に大きな音を立てて息をしながら、恐怖と緊張で張り詰めた体を無理矢理声の主である彼へと向けた。

いつもは学校でしか出会わない彼は、見慣れない真っ白な軍服の様な服を身につけて柔らかな笑みを浮かべていた。

「生徒、会長さん…?」

「ああ、君はこういう時でも名前を呼んでくれないのか。残念だなあ」

闇に浮かぶその白が、酷く異様な存在に思えて仕方が無かった。

僕と麗を照らす街灯の光が、彼の持つ黒光りする剣銃に当たってきらり、と光った。

ひゅ、と変な声が喉奥からあがった。

現実味を帯びない光景に、映画やドラマでしか見なかった武器。

僕が見た事の無かった、同級生の冷酷な眼差し。

妙に不可思議なその情景はまるで、悪夢でも見ているようだった。

「先日、種子を埋め込まれた異能力者が暴走を起こし、苗床となる人間を探してこの辺りに紛れ込んでしまった。民間人に恐怖を与えてしまった事、新たな被害者を出してしまった事は全て我々レスクレの力不足が原因です。申し訳ない」

きちんと姿勢を正し、深々とこちらに頭を下げる彼を何も言えずに眺める。

レスクレとは確か、政府が組織した科学班の事だったような。

何故、同級生であるはずの彼からそんな名前が出るのか。

まるで他人行儀な言動も不安ばかりを募らせる。いや、友人では無いし仲が良かった訳でもないのだけれど。

でも、こんな心の無い話し方をされたのは、初めてだ。

「しかし、種子を埋め込まれた以上君は被害者で無く加害者だ。いつ暴走を起こすか分からない、危険な有害者。埋め込まれた種が芽を出し、異能力が解放される前に君を殺さなくてはならない。そこに転がっている彼女と同様にね」

麗をまるで道端に落ちている空き缶などと同じ物のように、軽く一瞥するとすぐに僕を真っ直ぐ見つめた。

銃口を僕に向け、引き金に指をかける。

氷のように冷たいその眼に、僕はどんな風に映っているのだろう。

頭の中では疑問ばかりが浮かんで全く考えがまとまらないまま、不条理な現実だけが目の前で繰り広げられていく。

このまま、僕は撃たれて死んでしまうのか。

麗と、同じように。

「君とはもっと、別の形で話し合いたかったよ。残念だ、本当に」

ぎゅっと目を瞑り、すぐにくるであろう衝撃に備えて歯を食いしばる。

この場から逃げ出そうとしたところで、後ろから撃たれて死ぬだけだ。

ならばいっそ、このまま撃たれてしまった方が楽な気がした。

怖いけど、この種子を持ったまま生きるより全然良い様に思えたのだ。

「ばいばい、星飾くん」


衝撃は、別の形で現れた。


「芽生えろ、アサガオ!」

静寂に包まれた暗闇の中に、良く通る高い声が響き渡った。

それと同時に、突如として地面が割れ、勢い良く大量の蔓が僕と生徒会長さんの間を裂くように生えた。

まるで壁のように。

目の前に広がった緑に困惑していると、不意に背後から誰かに抱き締められた。

先程の声の主かと思ったが、それにしては身体つきがしっかりしている気がする。

「唄ちゃん、オッケーよ!」

「う、わぁっ?!」

耳元で大声を上げられ、びくり、と体が硬直する。掛け声に合わせるように、蔓からぷっくりと膨らんだ蕾が頭を覗かせたかと思ったら、いきなりそれが弾け飛んだ。

まるで花火のように、色とりどりの蕾がパンパン、と耳に痛いくらいの音を出して弾け続けた。

「ごめんなさいね、後でちゃんと説明してあげるから。とりあえず今は我慢して頂戴!」

暗闇を彩る謎の花火の中、僕は勢い良く後ろにいる人に抱き抱えられその場から脱出した。

口調は女性らしいが、おずおずと見上げた先にある首や、腕を見るに男性らしかった。

僕は目まぐるしく過ぎ去っていく出来事に頭も体もついていけず、そのまま意識を手放した。


「朱鳥、あの子は?」

「大変申し訳ございません。僕の力不足で、強奪されました」

「そう、手を抜いた訳ね」

カツン、とヒールの音が鳴り朱鳥の後方から科学班レスクレのリーダーである鬼城珠莉が颯爽と現れた。

彼女は朱鳥に目もくれず、そのまま事切れている麗の元へと近づいた。

「まだ苗床として呑み込まれる前に処理できたのは不幸中の幸いね。だけど、行動が遅すぎる。あなたの自己的な考えで犠牲者、ないし加害者を増やす所だったのよ。もっと考えて行動しなさい。彼があなたのクラスメイトであったとしても、今では有害者。しかも、芽が出てしまえば異能力者として世界的に追われる存在となるのよ。そんな事も分からない子だったのかしら」

「僕の未熟さから来た事です。リーダー、彼は僕が必ず殺します。もう一度チャンスをください」

背後から感情のこもった声をぶつけられ、珠莉は思わず振り返った。

いつも仕事に対して感情を一切持たず、淡々とこなしていた彼らしからぬその言動。

先程の有害者はただのクラスメイトではないらしい。

珠莉は朱鳥に向け吠えた。

「ならば必ずやり遂げなさい!責任は一切をあなたに託します」

「寛大なる処置、ありがたく存じます。必ず、やり遂げます」

深々と一礼をし、すぐさまその場を離れた朱鳥。

珠莉は小さく息を吐くと麗に向け、一発銃弾を放った。

その瞬間、ぞわり、と麗の身体から毒々しくも美しい花々が一斉に咲いた。

「汚らわしい、植物め」

腹の底に響く、暗い声で毒突くとその場から距離をとり珠莉はパンツスーツのポケットから何かを取り出すとぽんっと麗に向けて放った。

ドン!と地を揺らす衝撃が走り、ごうごうと炎が燃え上がった。

「私は必ずやり遂げる。もう奪わせない、誰にも」

かつて麗であったものは声なき声をあげながら、炎に包まれ暗闇を明るく照らした。


僕は小さな頃、高熱を出したことがあった。

苦しくて、熱くて。

なんだか一人だけ取り残されたような孤独感に襲われて。

このまま死んでしまうのでは、と思った。

「蒼、大丈夫よ。大丈夫。ゆっくりお休み」

ほっそりとした母さんの手が優しく僕の頭を撫でてくれる。

それだけでどれだけ救われたか。

安心できたか。

今更、思い出しては泣きたくなった。

大丈夫、大丈夫。

これは全て、悪い夢なんだから。

目が覚めたら全て、元に戻っているからね。

あの頃と同じように言ってほしかった。

目を開ければ温かい部屋に、可愛い妹、穏やかな笑顔を浮かべた両親がいて。

安心から、ちょっと涙が出たりして。


そんな空虚な幻想を抱いてしまうほど、僕は今の現状を、現実を、受け入れる事が出来ていなかった。


「あら、目が覚めた?」

「っ…?!」

聞き慣れない人の声に驚いて飛び起きる。

ぼんやりとしていた頭が、次第にクリアになっていく。

そうだ、確か。僕は生徒会長さんに殺されそうになって、その時誰かに助けてもらったんだっけ。

焦りと不安からか心臓が煩く脈を打つ。

ぎゅっと手に力を入れると、簡易ベッドのシーツに皺が出来た。

見たことの無い部屋。

壁は真っ白で家具は黒いものが多い。

掛け布団も、床に敷かれた薄そうなカーペットも、チェストも、その上に置かれたテレビも、壁にかけられた時計も全て黒い。

あまり生活感の無い、モノトーン調の部屋。

「やあねえ、部屋の中をあんまりじろじろ見ないで頂戴!レディーに対して失礼よ」

「…レディー?」

僕は、ベッドに腰掛けているその人を見つめる。先ほど、僕をあの場から連れ出してくれたその人だった。

ベリーショートの髪、キラキラ光るピアス、首には濃い紫色のチョーカーが巻かれ、浅いVネックのボーダーニットにダメージジーンズを履いている。

「んふふ、レディーって言ってもあたしはれっきとした男性よ!だからそんな顔しないで頂戴。怒るわよ」

「す、みません」

「まあ普通、そういう反応になるわよね。大丈夫、慣れてるから。それより、傷はどう?体調は大丈夫?」

優しく微笑むと、その人は僕の首元に手を当てた。そう、麗に噛まれたあの場所に。

瞬間、塞き止められていた涙がが溢れ出してしまった。

恐怖や、驚愕に隠れてしまっていた悲しみが止める術もなく流れて手の甲を濡らした。

「…そうよね、悲しかったわよね。あなた、まだ泣けていなかったものね。今は大丈夫よ、ここはまだ彼らに暴かれていないから」

「彼、ら?」

「そう。政府が立ち上げた科学班、レスクレの事よ。あたし達は、彼らに追われている立場なの。種子を埋め込まれた有害者としてね」

「あなたも、種子を埋め込まれたんですか?」

「あたしも、このefにいる人間はみんなね。ああ、そうか!あたしったら自己紹介もまだだったわね。あたしは暗峠夜廻、あなたと同じ種子を埋め込まれ人間で、efのリーダーよ。efって言うのは、有害者によってつくられた組織の事なの。レスクレに対抗し、そしてとある人物を探し出す為の組織」

夜廻さんは僕の首元から手を離すと、ベッドから立ち上がりテレビをつけた。

映し出されたのは、毎日目にする彼の捜索願い。

「政府が血眼になって探している、この悪夢のはじまりを創り出した人物。件の事件の首謀者を」


夜廻さんはテレビを消し、ベッドに戻ると僕の顔を真っ直ぐ見据えて小さく息を吐いた。

「まずは、あなたが直面した事件について説明していきたいのだけれど。気持ちの良い話では無いし、すごく辛いとは思う。でも、きちんと話しておかないと、あなたも理解しきれないと思うの。…話しても大丈夫?」

「気を使って頂いて、ありがとうございます。でも、ちゃんと分かっておきたいから。大丈夫です。話してもらえますか?」

僕も夜廻さんの深い闇色に輝く瞳をまっすぐに見つめて、ゆっくり言葉を紡いだ。

よく見ると、深い闇色は紫色がかった色をしている。吸い込まれそうなその瞳を、柔らかく細めて夜廻さんは笑った。

「偉い子ね、じゃあ説明するわ。あなたの妹、星飾麗ちゃんを襲った今回の事件について、ね」

夜廻さんの説明は、学校の先生のそれより順序もバラバラだし途中で脱線することもあって上手いとは言えなかったけれど。

沢山の言葉の中から、僕が分かりやすいように、傷つけないように選ばれたものばかりで凄く心地が良かった。

凄く、嬉しかった。

「今朝発覚した猟奇的事件については、知っている?」

「はい。家が近いから、麗は怖がっていたけれど僕は興味があったから見に行きたいって言ってしまったんです」

「じゃあその犯人について何か知っているかしら?」

「はい、ニュースで言っていたので。確か、種子を埋め込まれた人間が一般人を襲った猟奇的事件だって。それも、まだ犯人が捕まってないんですよね」

「なるほどね、ニュースではそうなっている訳。じゃあ、その犯人についてまず説明しましょうか。あなたは『フルール』について知っている?」

「フルール…?」

「そう、フルール。植物から人に種子を埋め込む為に産まれる存在、わかりやすく言うなら人の形をした化け物かしら。繁殖欲の旺盛な植物が意思を持ってから産まれた恐ろしい生物よ」

「その、フルールが麗に種子を埋め込んだって事ですか?」

「ええ。フルールから人に埋め込まれると、その種子はその人の感情にリンクして種子自体が成長するの。その器として選ばれた人間の事を苗床と言うのだけれどね。苗床になれない、いわばフルールからの種子を埋め込まれてもその種子が成長出来なかった場合、身体がその種子を拒んだ場合、それは誤植と呼ばれてね。きちんとした手順で育たなかった種子が暴走して体内で咲き乱れてしまうの。今回の事件の死因はその誤植よ。あなたの妹の麗ちゃんはフルールから種子を埋め込まれて苗床になってしまったの。だから、あなたに種子を植えつけた。麗ちゃんには強い感情があったのね」

夜廻さんの説明では。

フルールが産み出されるのは植物が種子を拡散、より多く繁殖する為の手段なのだそう。

それが人の形をしているのはまだ理由が定かでは無いという。

恐らく、種子を埋め込むのに適しているのが人間であるから、より種子を埋め込みやすい形に植物の方から変化したのでは、という見解なのだとか。

フルールから種子を埋め込まれた人間は、半数が苗床となる。僕や、夜廻さん達はその苗床から種子を埋め込まれた為苗床とは違う異能力、即ち花を咲かせる役割を押しつけられたらしい。

「苗床は種子を『ギフト』、と呼ばれる行為で特定の人にしか種子を埋め込まないのよ。ほら、よく吸血鬼なんかが昔の映画とかでやたらと人を襲ったりする描写があるじゃない?あれとは真逆で、苗床は一人にしかギフトを行えないの」

「ギフトを行う対象者はどうやってきまるんですか?」

「それが、さっきも言った感情の強さなの。苗床となった人間が誤植を起こさずにいられるのも、その感情が強く関わっているのよ。

例えば、愛情。苗床がある一人を心から愛していたとする、その人への愛情が種子を成長させギフトが発生する。ギフトの方法はだいたいが体内への直接的な接触ね。一番多いのはあなたも体験した様に、噛み付かれて埋め込まれるパターンね。種子をどうやって体内に埋め込むのかは、まだ明確じゃないのだけど。種子自体も、本当に種の形をしているのか実は分かっていないしね。液体かもしれないし、固体かもしれない。まあ、ともかくギフトで植えつけられた種子は次に花を咲かせようとする。その養分となるのが、あたし達って訳」

夜廻さんはチェストの引き出しを開け、紙とペンを持って僕の前に座り直した。

「さて、ギフトを受け取った側。あたし達は政府側から異能力者、と呼ばれているわ。さっきも言われたでしょう?有害者になったって。あたし達には種子が埋め込まれただけでは無く、埋め込まれた種子の養分として特殊な能力も埋め込まれた事になるの。えっと、こう書けば分かるかしら?」

白い紙に三つ、単語が書き入れられる。

上から、咲き乱れ、開花、芽生え。

夜廻さんはその横に矢印を書きながら僕に説明した。

「ここからが重要よ。あなたの今後に深く関わってくるからね。有害者には三種類の能力があるの。上が能力的に高いもの、下が能力的に低いもの。芽生えはこの中で一番能力的に低いものでね。ギフトの際、感情が相互に一致したけれど、結びが弱い状態だと種子から花が咲いてもそれ程能力が強くならないのよ。次に開花、これは芽生えより能力が高く、結びつきも強いから能力もぐんと高まるわ。だけどね、一番能力が高いのがこれ。咲き乱れ、ね。苗床との結びつきが異常に強く、能力的に最も高くなる。この三つの種類があるって事は理解できた?」

僕は紙に書かれた三つの単語をじっと眺めながら「はい」と返事をした。

正直、理解できたか、と言われるとまだ混乱していて全てを飲み込めた訳では無かったけれど。僕はとにかく夜廻さんの説明を頭に入れ込むことにした。

理解するのはその後だ。

「それじゃあ、次はその能力の内容についてね。さっき、あなたの目の前に突然蔦が出てきたでしょう?あれがあたし達に備わった能力なの。有害者と呼ばれる所以でもあるわね。あたし達は異能力、即ち一般的には備わる事の無い、異常な力を手に入れてしまった訳。それが」

「夜廻姐、ミルクが爆発したんだけど?!」

バタン!と扉が勢い良く開かれ、慌てた様子で女の子が転がり込んできた。

甘栗色の柔らかそうな髪の毛をゆるく巻き、淡いピンク色のニットにベージュのパンツを合わせている。大学生くらいだろうか。

僕がぽかんと口を開けて彼女を眺めていると、夜廻さんは説明の途中だったのも忘れたように「やだ、もう!またやっちゃった!」と悲鳴をあげながら飛び出していった。

「あ、君ごめんね。夜廻姐と話してる最中だったよね。ちょっと待っててね、多分すぐ戻ってくるから。ああ、そうだ!さっきはごめんね、目の前で能力発動させちゃって。びっくりしたでしょ?」

「さっきの蔦は、貴方の能力なんですか?」

「ありゃ、まだそこまで話して無かった感じ?じゃあ自己紹介しておくね。私は霞崎唄、君より二つ歳上だよ。能力は芽生えで、種類はアサガオなんだ」

よろしく、と言おうとしてはっとする。

先程話していた時から疑問に思っていた事が大きな疑惑に変わる。

何で夜廻さんも唄さんも、僕の事を知っているんだろうか。

夜廻さんはさっき、僕の妹の名前を知っていた。

唄さんは、僕の歳を知っていた。

僕とは今、会ったばかりなのに。

「あの、唄さん。どうして僕の歳を知っているんですか?」

今更になって、目の前にいる彼女達に不信感を抱く。多分、悪い人達では無いのだろうけど。無条件に信じて良い理由も無いのだ。

唄さんは僕を見ておや?と首を傾げた。

「夜廻姐まだ言ってなかったの?そりゃ不審に思うよね、ごめんごめん。君が寝てる間にね、君の学生証とか見させてもらったの。まあ、政府から追われる身になっちゃった時点で君の個人データは公開されて指名手配されちゃうんだけどね。あ、まさかまだそこも聞いてない?!うわ、どうしよ。夜廻姐!!私色々話しちゃったんだけどさぁ、まだ話さない方が良かったかなぁ?」

「唄ちゃん、勝手に話を進めないでよ。せっかく順序だてて話てたのに。もお、蒼君が混乱するでしょう?」

「ごめんって!だって部屋に篭って話しちゃうから私達にまで状況が伝わってこないんだもん。これからは家族同然になるんだから、きちんとみんなで話さなきゃ。ね、君もそう思うでしょ?」

「後からちゃんと全員を紹介するつもりだったのよ。今は時間をゆっくりかけて話して行くべきなの」

だから唄ちゃんはリビングに戻ってなさい、と夜廻さんが半ば強引に唄さんを部屋から追い出した。

二人だけになると、夜廻さんは大きな溜息を吐いた。持っているカップからはゆったりと湯気があがっている。

「ごめんなさいね、せっかく一から順に説明してたのに…。さっきの子は霞崎唄、あたし達は唄ちゃんって呼んでるの。良い子なんだけどね、猪突猛進なタイプでガンガン突っ込んでいっちゃう癖があって。あ、これホットミルク」

「あの、夜廻さん。指名手配って…」

「うん。大丈夫、そこも説明してあげる。いや、そっちから説明してあげるべきかしら。あのね、あたし達は種子を埋め込まれた時点で有害者であり、異能力者だと認定されてしまった訳。それは、政府から追われる身となった事を意味するのよ。植物と密接的な関わりを持つ者として、社会から敵視される存在へと成り果てた。さっき唄ちゃんが言っていた指名手配、というのはね一般市民に向けて、では無く警察とか、政府側の人達に自動的にデータが開示される事なの。例えば、街中を歩いてたら警察から補導されてレスクレ行きになる、って感じね。あたし達にも蒼君の情報が入るようになった訳じゃないから安心して?まあ、勝手にあなたの鞄を開けて個人情報を見ちゃった事の方が不味いわよね…。ごめんなさいね、仲間になる人の事だから事前に知っておきたくて」

申し訳なさそうに両手を合わせてこちらを窺う夜廻さんに、僕は「大丈夫です」と伝えたけれど。

頭の中では情報が錯綜していて、夜廻さんとの話に追いついて行くのがやっとだった。

有害者になった、指名手配された、警察に自分だとバレたらレスクレに捕まる…。

種子を埋め込まれる、という事の重大さに今更ながら血の気が引いて行く。

まるで犯罪者扱いじゃないか。

大切な人を失って、尚且つ種子を埋め込まれた被害者は僕の方なのに。

暗く沈んでいく気持ちに押しつぶされそうになっていると、夜廻さんが僕の両手を優しく包み込んだ。

「一気に説明しちゃったから、頭の中がごちゃごちゃになったでしょ。一度休憩しましょうか。ほら、ホットミルクも無事だったしね。あたしったら鍋に火をかけたままあなたと話してたみたいで、もう少しで火事になるところだったわ」

夜廻さんから貰ったミルクは、確かに熱し過ぎたみたいで暫くは口をつけられなかったけれど。

はちみつの入ったほんのり甘い、優しい味がした。

ゆっくりと固まった身体をほぐしてくれるみたいに、胃の中に注がれていく。

ふと、部屋の中に置いてある時計を見ると時刻は夜の23時をまわっていた。

ああ、父さんと母さんにはこの事が伝わっているのだろうか。

麗の事は何と説明されるのだろうか。

麗の死をちゃんと、受け入れてくれるだろうか。

僕の事ばかりを考えていて、周りが見えていなかったけれど。僕が有害者になった事を、両親はどんな風に思うだろうか。

失望されてしまっただろうか。

ぐっと押し上がって来た感情を、暖かいミルクと共に飲み込む。

駄目だ、嫌な事ばかり考えてしまう。

「蒼君、説明を再開しても大丈夫?」

心配そうに見つめる夜廻さんに、先程よりもずっと暖かくなった両手に力を込めながら答える。

「はい、お願いします」


鍋底に盛大な焦げのついたミルク鍋を睨みつけていた男が、部屋から出て来た夜廻に口を開く。

「あんた、何回鍋を駄目にしたら気がすむんだ。これで3個目だぞ」

「てるてる帰ってたのね、おかえりー。だって説明に集中してたんだもの、もうしないわよ」

「もうしない、は聞き飽きた」

てるてる、こと雨宮照は夜廻よりもずっとガタイの良い身体つきで目つきも鋭い。

二人がキッチンに並んで立つと、華奢な夜廻の方が歳下の様に見える。

照は夜廻の部屋をちらりと覗き、「あいつは」と一言訊ねた。

「蒼君?大丈夫、しっかりした子よ。ただ、まだ状況を全て把握した訳じゃない。今はあたしの話をなんとか頭に叩き込んだだけ。妹ちゃんの事も、自分の事も、きちんと考えられてない感じね。でも、今はそれが限界よ。あたしやてるてると同じ開花だったとしたら花が咲くまで二週間。芽生えなら一週間。明日から少しずつefに馴染んでいけるようにしていけば大丈夫よ」

「咲き乱れの可能性は無いのかよ」

照の言葉にぴくり、と夜廻の肩が跳ねた。

蒼が使っていたカップを洗いながら暗い瞳を何処か遠くに向ける。

「さあ、分からないわ。能力値の高さは感情次第。部外者には測れないもの」

蛇口を閉め、カップを水切りに置く。

タオルで手を拭き、ひんやりと冷たくなった手で顔を覆う。

本当は、彼自身よりも緊張しているのだ。もし、蒼が咲き乱れだったら。彼はそれを受け入れられるだろうか。その結末を知った時、絶望しないだろうか。

自分はそれを、何も出来ぬまま見ている事しか出来ないのだから。

「咲き乱れになった時の、最悪の事態も話しておいた方が良いぞ。唄や翼はすぐに変化が出たから黙ったままでも通っているけどな、あいつもそうとは限らないだろ」

「…あの子の時みたいに、オーバーキルになったら、どうするの?」

夜廻の瞳が不安げに揺れる。何かに怯えた様な、暗い感情が瞳の奥で渦巻いている。

照は夜廻の肩を掴むと真っ直ぐに見つめた。

「そん時は俺たちが、きちんと殺してやるしかないだろ。なあ、夜廻さん。あんたがそんなに、何もかもを抱え込む必要は無いんだぞ。何のための組織なんだよ。何の為に仲間としてここにいるんだよ。…頼る為だろ。全員で、協力していく為だろ?」

照の言葉を聞き、夜廻は困った様に笑った。

「そうね、そうだったわね。ごめんなさい。てるてる、明日は蒼くんにメンバー紹介するから、朝のトレーニングはほどほどにしてね。あ、朝食はフレンチトーストね!食パンが固くなってきちゃったから」

話が終わると、夜廻は照から離れ各部屋の戸締りを確認しにリビングから出て行った。

一人残った照は、底の焦げた鍋をぼんやりと見つめていた。

「…あんたのせいじゃないんだ。あれは」

ぽつりと呟いた言葉は小さく、独りぼっちの空間に溶けて消えた。

外では先程まで小雨だった雨が勢いを増していた。




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