第1話 4
「ふぅ……」
一息ついた女子生徒は男を見下ろし腕を組んで、
「今日はこのくらいにしといてあげる」
眉を吊り上げ低い声で呟く。そしてハルカに向き直り、「大丈夫?」と言って立たせてくれた。その声はとても慈愛に満ちていて穏やかだった。微笑んだ顔立ちはシャープで美しく、凛々しい大人の女性を思わせた。髪は短めで赤っぽかった。ハルカはこの女子生徒に“あねご”的な空気を感じとった。さばさばしてそうだし、面倒見も良さそうだし、よく小さなことに気が利きそうだから。
「私は岡本ユカリ。“ユカリ”でいいよ。まぁ、よろしくね?」
自分のミスとはいえ会ったばかりの男に下着を見られ、クラス中にその色を知られたハルカは、得意の“人形フェイス”がまたもや崩壊寸前だった。こういう時こそ上手く発動して欲しいのに。
「……よろしく」
心理状態が不安定だったハルカは無理矢理素っ気なく応えた。そして言ってしまってから気付く。その前に“ありがとう”を言っておくべきだったかもしれない。しかし女子生徒はもう自分の席へ引き返してしまった。ハルカは自分の不器用さにがっかりした。
「……で、わたしの席はどこなんですか」
ため息混じりに刺々しくきくハルカ。立ち上がった男はしおらしく窓の方の席を手の平で指し示しながら、「そちらの列の後ろから3番目になります……」と言う。
(微妙だなぁ……)
可も無く不可も無い位置にハルカは心中でぼやいた。窓際から2番目の列の前から4番目だった。ハルカが一番好きな学校の席ランキングは、1位が窓際の一番後ろ、2位は窓際の一番前、3位は出来るだけ窓際寄りの一番後ろの席だった。よって今回の席は本当に微妙だった。
ハルカがその席に向かおうとしたら──「ちょっといいですか」と素早く小声で言った男に肩を掴まれた。やはり自己紹介をしなくてはならないのか──と思ったが、男はなぜかハルカの腕を掴んで、「一瞬しゃがんで下さい」と真面目に言ってきた。……なんだろう。
意味不明だったが、さっきまでの“ヘタレな表情”がなかったかのようなその鋭い眼光に、ハルカは半ば無意識に言われた通りにした──。次の瞬間、流されるまま小さいハルカは“木製教卓の中”にすっぽり収まった。背中は教卓の内側の壁にぴったりくっつく。その壁の向こうにはもちろん生徒達がいる。
ハルカを教卓の中に連れ込んだ男は、閉じ込めるようにハルカの左右の床に両手をつき、そっと顔を近付けて来て、ハルカの目を見ながら小さく囁いた。
「“あの子”が言った私がヴァンパイアというのは本当さ。だからたわいない噂としてでも流れたら困る。誰にも言わないで? ハルカ──」
そこで男はハルカの真っ直ぐな黒髪から覗く白い耳に口を近付けて、
「放課後、職員室で待ってる。今日は一緒に帰ろう」
「ちょっとハイコ!」
パンッ!
先程の“あねご”な女子生徒が、男の背中を教卓の上に置いてあった出席簿で叩いた。
「堂々と何してるの?」
脅すような声。
「いやだなぁユカリ嬢は。私は何もしてませんよ?」
立ち上がった男は微笑みながら飄々と言う。
「はい嘘!」
当たり前のようにまったく信じようとしない様子の女子生徒。
「“花束作戦”も“手にキス作戦”も見事に失敗したね。まぁ、僕はそんなヘタレなハイコちゃんが好きだよ? 顔がよくてなにもかも順調な奴って見ててむかつくし?」
「ハイコちゃん何してたんだよー。こんな暗闇でぇ!」
「まさかいやーんなこと!? 俺やだよ? 担任がニュースに出ちゃうの」
ハルカがいる教卓の周りに生徒達が集まって来た。みんな好奇の目でハルカを覗いている。
「なっ! 失敬な! 紳士であるこの私がそんなことっ。ただちょっとお話ししてただけなのだよ諸君!」
生徒達の侮辱に憤慨したような男は、腕を組みながら言う。
「はいはい、“もどき”はすっこんでて」
女子生徒が半眼で男を見遣る。そしてハルカを見ながら苦笑いして、
「相澤さん。こんなG組だけどさ、嫌いにならないでね?」
「そしてようこそなの! 高等部──ううん。このエーデルワイス学園で“一番変でおもしろい”モモ達のクラスへ!」
そう言ったのはいつの間にかいた、最初の女子生徒とはまったく違う雰囲気の、子供っぽいマイペースな感じの女子生徒だった。
ハルカは教卓の中で放心しながらも、意味不明だった男の言葉を反芻していた。そして眉をひそめて胡散臭そうに思う。
(……先生は、ヴァンパイア?)
◆第1話◆
◆END◆