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My Fair Vampire  作者: 九重ゆえる
第1話『先生はヴァンパイア?』
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第1話 1

 10年後、もしも高校生活を思い出すとしたら、きっと前の学校のことは思い出さないだろう。それは決して上手くやっていけなかったという理由ではなく、父親の仕事の都合でたった3ヶ月ほどしか通えなかったからである。

 多少の未練はあったが仕方ない。

 相澤ハルカにとって親は絶対だった。自分をこの世に誕生させた親に拒絶され失望されることは、世界の終わりに等しい程の絶望を感じた。従い、認めてもらうことで、自身の存在意義を感じることが出来ていた。

「はぁ……。やだな」

 憂鬱さ全開に呟いたハルカはテレビの電源を切り、リモコンをソファーに放った。本日の最高気温が35度であることをあっさり告げる女性アナウンサーの、馬鹿っぽい笑顔とうるさいくらいの明るい声がハルカの癇に障った。

 電波を通してストレスという名の迷惑極まりない贈り物をするそのテレビ局のビルは、ハルカの住むこの高層マンションの40階の部屋からよく見えた。

 そのテレビ局を広いリビングの窓から冷めた目で半眼に見つめ、小さく舌を出したハルカは、今日初めて着た新しい学校の制服に腕を通していた。

 えり周りが四角いワンピースタイプの制服で、スカート部分はプリーツだった。色は白だった。汚れが目立ち易いものの清潔感に溢れていたので、ハルカはさっそく気に入った。細長い帯状の赤いリボンも派手過ぎず落ち着いていて、ハルカの趣味に合っていた。

 黒のハイソックスを履いたハルカは振り返って、リビングの低い透明のガラステーブルの上に置いてある、Sサイズのピザくらいの大きさの浅い缶を覗き、「エアコンはつけっぱなしにしとくよ?」と言う。……しかし反応はない。

 昨晩ハルカが両手で“掬った”、エメラルドの瞳に空色の羽根をした“しゃべる謎の小鳥”は、相変わらず羽根を広げてハルカが作った急ごしらえの“お菓子の缶ベッド”の中でぐったりとしていた。目を閉じて無反応の様子からしてどうやら眠っているらしかった。

 鳥どころか動物を飼ったことがなかったハルカは餌に困った。誰かが公園で鳩にパンの耳をちぎってあげていたのを思い出し、ハルカはとりあえず缶の中にパンの耳と水を置いた。そしてその後“ソファーで寝た”。容態が気掛かりだったし、何かと“寝言の多い鳥”だったので。

 “だから唐揚げは嫌だ”とか、“あのだめヴァンパイア”とか、“オレの代々木公園がぁ……”とか、訳分からないことを何度も言っていた。お蔭でハルカは“違う意味”でいろいろ心配になり、次の日学校初日だというのにあまり寝付けなかった。

 それでも、起きたらいつの間にか少し減っていたパン耳と水を見たら、寝不足なんてどうでもよくなっていた。

「……じゃあ──行ってくるよ」

 名残惜しかったが、ハルカはパン耳と水がまだ十分あることを確認し、指定の黒いナイロンバッグを持ってリビングを出ようとした──が、また小鳥の元へ戻って約束するように小さく呟いた。

「死んじゃダメだよ?」

 ハルカの表情は“人形”のように1ミリも変化することはなかった。感情が無いのではない。内心は心配でいっぱいだった。ただ、表情に表すことが嫌いなだけだった。それは動物相手にも同じだったのだ。

 自分の気持ちなど知られたくない。隠していたい。人形でいたい。人形がいい。……そうすれば、こっちの心の変化に“相手”は気付かないから、例えば悲しみにくれた時、“相手”を悪者にしてしまい、刺すような鋭い目に見られないで済むし、喜びに沸いた時、“相手”の癇に障ってしまい、怒鳴られ、虚しい気持ちにならないで済むから。

 ハルカは今でも怯え、支配されていた。過去の出来事に。それはハルカ自身も自分でよく分かっていた。もうずいぶん長いこと自分が、“感情を顕著に表した本当の顔”を誰にも見せていないことも。

 小鳥からの反応はやはりなかった。しかしハルカはそれ以上口を開くことをせず、静かにリビングを出て、“一人で住むには広すぎる4LDKの家”を後にした。







「朝倉先生っ! 何っなんですかそれはっ!」

 この男はまた何か厄介事を持ち込んで来たのか──と思った、この私立セント・エーデルワイス学園の高等部の教頭を務める戸田が、白いものが混じり始めたいつもばっちり決めている黒髪が乱れるのもお構いなしに叫んだ。職員室にいた教職員達が“またか”というような目でちら見し、またすぐ各々の作業に戻った。

「はっは。いやだなぁ教頭先生は。これは薔薇という、花の中で最も高貴で気高い──」

 白薔薇の花束を持った“碧い目”の男が飄々と言うのを遮るように、

「そんなことは見れば分かりますっ! 私が言いたいのは何故それを持って出勤して来たかということのみなんですっ!」

 銀縁めがねの位置を直した戸田は唾を撒き散らしながら男に詰め寄る。内面の神経質さが滲み出る顔は紅潮し、額には血管が浮き出ていた。

「そんなの決まっているではないか!」

 何分かり切ったことをきいて来るんだ──とでも言いたげに目を丸くして憤慨したような男は、

「今日はマドモアゼルの記念すべき初登校の日。昨日メールの返事がやっと来たのさっ。かわいそうに……──」

 そこで突然泣きそうな顔になった男は、

「彼女は夏風邪をこじらせてしまったらしく、始業式に間に合わなかったのだ……。15歳──女の子──多感なお年頃──」

 男は拳に力を入れて熱く語り出した。戸田は“また始まった──”と思い一歩引く。この男には“演劇癖”があったのだ。

「ただでさえ転校というどきどきイベントに不安を抱えているにもかかわらず、追い討ちをかけるように出遅れてしまった……っ!」

 下唇を噛んで目を閉じた男はさらに続ける。何人かの教員達が出席簿を持って、「今日も暑くなりそうですねー」「そうですねー」などと雑談しながら、ばらばらと職員室から出て行く。

「あんまりだ! あぁっ! 神よっ! 何故このような惨い仕打ちを!? いたいけな少女に!?」

 天井を見上げて劇的に叫んだ男は、唐突に戸田を見下ろして言う。

「とっゆー訳で、私は雨に濡れた震える子猫のように不安でいっぱいであろうまだ見ぬ彼女の為に、この美しい薔薇を差し上げて心に安息という名の傘をさしてあげようと思ったのですよ。うーん。なんて素敵な演出なんだ!」

「ああそうですか……」

 若干落ち着いた様子の男が一段落つくと、戸田はげっそり疲れたように言った。

(突っ込むんじゃなかった……)

 戸田は今切実に後悔していた。この男の奇行は今に始まったことじゃない。この間なんて生徒が冗談で言った、“白馬で登校して来て欲しい。絶対似合うから”という言葉を真に受け、本当に白馬に乗って現れたくらいだ。白薔薇を大量に持って来たくらいで驚いている小さい自分が妙に情けなかった。

「“今年から共学になった”我が高等部ですが──」

 冷静さを取り戻した戸田は男に背を向けるように、ゆっくりと職員室内を歩きながら話す。

「女子生徒の数は男子生徒に比べ極端に少ない。朝倉先生のクラスなんかは“たった二人”ですしね。他校から来たその女子生徒は突然男子校に放り出された錯覚を覚えることでしょう。それに彼女は女子校からの転入だそうですから、余計です」

 めがねをくいと上げた戸田は男を振り返る。

「よって気にかけるのはいい事ですが、くれぐれも粗相のないように頼みますよ? 年頃の娘はいろいろと難しいのですから──って……きいているんですか朝倉先生っ!」

 何やら額に手を翳し、きょろきょろ窓の外を窺っている男を戸田はやきもきしながら怒鳴った。

「ところで教頭先生──」

 我関せずといった表情で飄々としゃべる男。

「それはそれはかわいらしい、“小さな青い鳥”を見かけませんでしたか?」

 振り返った男はまたもや演劇風の大袈裟な挙動を交えながら言う。眉間に皺を寄せて悲痛な表情をしている様子からして、どうやら今回は“悲劇”らしかった。

「宝石のエメラルドよりも美しい翠の瞳。マシュマロよりも柔らかい白いお腹……。あぁっ! 我が愛しのエリザベスよっ!」

 男は天井を見上げ、花束を持っていない右手を開いて上に延ばし、空を掴むように拳を作って、「何処へ行ってしまったんだい?」と嘆く。

「代々木や南青山、はたまた東池袋まで……。行きそうなところはすべて探したというのに……」

「どうでもいいですよあなたのペットの話しなんてっ」

 どうでもいいことへもしっかりと突っ込んだ几帳面な戸田は、その後呆れながら、

「というか“普通の鳥”をそんな広範囲で放し飼いにするなんて、あなた阿呆ですか? 今までちゃんと戻って来てたのならそれは奇跡なので、良い思い出として残すのが得策ですよ」

「“普通の鳥”ねぇ……」

 その時男が意味深に微笑った。まるで、空想上の存在を信じようとしない子供に、それを信じさせようと思った親がする、子供の好奇心を逆手に取った秘密で怪しい微笑だった。

 戸田が呆気に取られていると、「教頭先生にもこれを差し上げましょう」と言った男が白薔薇を1本抜き取り、それを優雅に差し出してきた。

 受け取って貰えたことを確認すると、男はすぐに踵を返して職員室を出ようとした──が、ドアの溝の上でちらりと戸田を振り、

「……“しゃべる”んですよ。うちの子は」

 華麗にウインクして遠ざかる。

「いやいりませんよ私はっ」

 流されるままあっさり白薔薇を受け取ってしまった戸田は、慌てて我に返ってそれを近くにあった花瓶に勢いよく挿した。花びらが数枚落下する。

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