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My Fair Vampire  作者: 九重ゆえる
◆Prologue◆ 『満月の夜、小さな出会いはやってくる』
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◆Prologue◆ 『満月の夜、小さな出会いはやってくる』

「……やだな」

 もはやそれが少女の口癖だった。

 ただ、一人になったとき、ある人が鼻歌を歌うように、ある人が煙草を吸うように、少女はこの言葉を呟く。

 少女にとって世界は酷く憂鬱だったから。

 前も後ろも真っ暗で、光が見えなかった。とても、疲れていた。

 もう、“あの人”は傍にはいないのに。玄関の扉を開けても、全身が凍り付くような、あの恐ろしい足音は、もう聞こえて来ないのに……。

 夜の高級住宅街は静かだった。皆出掛けているか、ゴールデンタイムのテレビ番組でも見ているのだろう。少女の小さな足音だけがこだましていた。

 買い溜めした食材で見事に膨れ上がった、パンパンの白いビニール袋を両手に提げ、少女は3週間前に引っ越して来た、この辺りで一番高い高層マンションへの帰路を進んでいた。

 長引いた風邪も治り、明日からやっと新しい学校に通える。学校は嫌いではなかった。友達とたわいもない話しをしていると、心の奥底に閉じ込めてある、淀んだ暗いものを遠ざけていられるから。

 ふと少女はアスファルトにビニール袋を置き、肩まで延びるストレートな黒髪を耳に掛けた。細い華奢な指には、ビニール袋が食い込んだ赤い痕がいくつも出来ていた。9月の残暑は今日も厳しく、白い首筋には汗が滲んでいた。

 背が低く小柄で物静かな雰囲気は典型的な日本人のそれだった。

 陶器のような白い肌には一点の曇りもない。薄く整った桜色の唇はみずみずしい。

 まだあどけない顔立ちにありながらも、少女にはミステリアスで妖しい魅力があった。陰鬱で重苦しい気配はないが、光り輝く情熱的なオーラもない。成長期だからこそある、どんなものにでもなりえそうな危うい魅力だった。

 今宵は満月。

 少女のミステリアスさに磨きをかけるかのように月が雲から顔を出した。

 天体観測が数少ない趣味の一つでもあった少女は、しばし月をその深い宇宙のような黒い瞳で見上げ、立ち尽くしていた。まるで月からエネルギーを貰っている、誰も知らない秘密の妖精のように。

 顔を降ろした少女は、指に食い込むビニール袋を持ち上げて、再び帰路を進み始めた。

(買い過ぎたかな……。ちょっと重い……)

 後悔し始めた少女が両腕に力を入れて角を曲がった時だった。

 前方の空間に動くものがあった。思わず立ち止まり目を細める少女。

 よく見るとそれは、目が覚めるように鮮やかな空色をした小鳥だった。腹の部分は白く、柔らかそうだった。文鳥に酷似しているがそれより幾分小さい。こんな鳥は見たことなかった。

 小鳥はまるで誰かにめちゃくちゃに操られているマリオネットのようだった。ばたばたと狂ったように舞っている。

 手の届く距離まで近付いた少女はビニール袋をアスファルトに置き、苦しそうに飛んでいる──というよりはゆっくり落ちている、空色の小鳥を躊躇うことなく両手で掬った。まるで何かに導かれるように。

 逃げる力が残っていないからか、安堵したからか、小鳥は少女の手の中で羽根を畳むのも疎かにぐったりした。そして──

「ハイコォ……。どこにいるんだよぉ……」

 それは寝言のようにか細かった。“人の声”だった。“幼い少年の声”だった。

 少女は瞬時に後ろを振り返った。……誰もいない。

 そしてまた手の中の小鳥を見る。エメラルド色の瞳がゆっくり瞬きした。クリーム色のくちばしが開いた。

「早くオレを見つけて……」

 少女はぎょっとした。

(しゃべった……!)







 大都市東京。南青山。

 深夜の大通り──表参道。細い路地で腰を屈め、地面をきょろきょろしている男が一人。

「エリザベス」

 男はもう何時間もこうして、はぐれてしまった“大切なもの”を捜している。通行人に、「何あの人?」「変質者?」「キモッ!」と吐き捨てられるのも気にしない。

「エリザベス……」

 植え込みの中。

「エリザベスッ」

 車体の下。

「エリザベス?」

 自動販売機の商品取り出し口。

「エリザベスゥ~」

 他人ん家のポスト。

「はぁっ」

 盛大にため息をついた男は夜空を見上げた。

 今宵は満月。

 男の“碧い目”が月と重なった。

 ごくり。

 喉を鳴らした男は急激な“渇き”に襲われていた。それは抗えない、“本能から来る宿命の渇き”だった。

 男は着ている黒のロングコートから、“トマトジュースのラベルが貼ってある小さなペットボトル”を取り出し、軽く振って月に翳した。残量をチェックしていた。

 その“赤い液体”は、子供でも一口で飲める程に少なかった。

 ゆっくりとキャップを開けて飲み口に口を近付ける男の表情は、“善良な人間が不本意に犯罪に手を染める時”のように、複雑な迷いに満ちていた。

「……っ」

 出来ない。

 眉間に皺を寄せた男は、ペットボトルを降ろした。怖かった。飲んでしまったら、自分が違うものになってしまう気がして……。

 キャップをきつく閉めた男は誠実に思った。

(……ごめん……エリザベス……)









◆Prologue◆

◆END◆

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