家族というもの
夕陽の声で道が目をさました。
「どうした? まだ遅いぞ」
「な、七瀬……七瀬が……」
「え? 七瀬がどうした?」
「変なの! こんな生まれて3カ月の赤ちゃんが、携帯を使いこなせる!? おかしいわ!」
夕陽は軽くパニック状態になってしまっている。かなり大きな声でヒステリックに叫んでいて、このままでは一歌に水城さんも起きていまいそうだ。などと、渦中にいる私は呑気なことを考えていた。
「夕陽、少し落ち着け。一歌たちが起きてしまうだろう。な?」
そう、道が優しげに声をかけると、夕陽はゆっくりと深呼吸を始めた。間もなく落ち着きを取り戻す。
道が時計を見ながら言う。「まだ4時だ。もう少し寝よう。もしかしたら、これは夢かもしれないし」
「そんな訳……わかった」
夕陽はそうあって欲しいと願うように、わかったと言い、布団に潜りこんだ。私もスマホを消して、掛け布団をかぶる。目を閉じるが、なかなか寝付けなかった。
結局あまり眠れず、朝になった。今日がいつも通りなら良かったのだが、運悪く、今日は2人とも非番だった。もちろん話題として今日の明け方の事が上がる。
一歌の耳に入れるような話では当然ないので、水城さんに京子の家に連れて行ってもらった。
一歌を送り、帰ってきた水城さんに、道は「基本的に1,2階の掃除をしていてくれ。私達は3階の子供部屋にいるから、何かあれば呼んで。」とだけ伝え、言葉通り子供部屋に入っていく。私達もそれに続く。いつも夕陽は、私を抱っこしたらニコニコとして、よく話しかけてくるが、今日は硬い表情で、口を噤み、ただひたすらに前を見ている。それが、中身もまだまだ17歳の私には怖かった。どうなってしまうのだろう。
「ではまず、夕陽が七瀬をおかしいと思った理由を教えてくれ。スマホをいじっていたという事だけでは、弱い」
「まず、ロックを解除できていた事。3カ月の赤ちゃんに、そんな事はできない」
「たまたま解除できた、という可能性は?」
「何度も何度も失敗すると、しばらくはロックがかかる。その可能性は低いわ」
「それもそうか」
他にも夕陽は、画面が空いたらツイッターのはずだということ。それをいじっても、ブラウザで赤ちゃんの成長過程を調べる事はおかしいということを上げた。
「いじってブラウザを開いたとしても、検索することは難しいはずよ。漢字も間違わずに打ってあった。おかしいでしょう?」
「たまたま履歴から、というのは?」
「私は調べていないわ。一歌を育てたんだもの。成長過程なんて調べなくても分かる」
「……ふむ。確かにな」
道は視線を落として考え込んだ。居心地の悪い沈黙が流れる。ややあって、道が私を見て言った。
「話せるか?」
―――……はい!? 落ち着け、落ち着け……。
何度も言うが、私は生まれて3カ月しか経っていないベイビーである。聞かなくても話せるわけがない。まず、聞いたところで返事はできないのだから、聞いても意味がないのだが。つまり、そんな聞くまでもないことを聞いてきたということは、道は私が話すことができると判断したのだろう。
どう返事すべきか悩んでいると、私より先に夕陽が口を開いた。
「な、なに言ってるの……? こんな赤ちゃんが、話せるわけ、ないでしょう?」
途切れ途切れ話していることから、動揺しているのがわかる。
「だが、スマホを操作できるだけの知能を既に持っているんだ。日本語が理解できているはずだ。話せても、おかしくはないだろう」
「や、やめてよ……。気持ち悪い!」
気持ち悪い。母親である夕陽の口から放たれたその言葉は、思いの外深く私の心に突き刺さった。
―――うん。仕方ない、仕方がないよ。私だって自分の子がこんなんだったら気持ち悪いもん。うん……普通だよ……。
必死に自分に仕方がないと言い聞かせても、傷は早々癒えない。今までは、暇でなくても私のところに来て、うざったいほど「可愛い」を連発し、抱きしめ、頬ずりをしてきた母。同一人物とは思えない豹変ぶりが、つらい。
ついに涙が出てきそうになったとき、ここにいるはずのない人の声が耳に飛び込んできた。
「では、家から出せばよろしいのではございませんか、奥様?」
「水城さん!? あなた、どうしてこの場に……。入ってこないよう言ったではありませんか! なぜここにいるのです?」
「ノックをしたのですが返事が無く……」
「ならば扉の前でお待ちなさい!」
「夕陽、落ち着け。水城は心配してくれたんだ。八つ当たりをするな、大人気ない」
道が叱責すると、夕陽はまだなにかいいたそうだったが、渋々といった様子で着席した。
「水城。君はどこから聞いていた?」
「奥様が赤ちゃんが話せるわけがない、とおっしゃったところあたりからでしょうか。内容は存じません。ご安心ください」
「では、何故家から出せば良いと言った?」
「その後、奥様が気持ち悪いとおっしゃったからです。前の言葉から、対象は七瀬お嬢様かと。……違いますか?」
道はハァ、と軽くため息を吐きながら顔を伏せた。当たっているが肯定も否定もできない。知られたくなかったのだから当然だ。
「家から出しますか? 奥様、気持ち悪いのでしょう? 七瀬お嬢様が」
「そ、れは……」
言ったが追い出すとは言っていない、と言うような表情で私を見てくる。
私は追い出されたら施設にでも行かない限り生きていけないので、できたらここにいさせてもらいたい。
「先程、おっしゃいましたよね? 気持ち悪い、と。では、もしお嬢様が話せるのならば、どうしますか? そのお言葉、聴こえていたかと思いますが」
大きく目を見開いた夕陽がこちらを向いた。だが、すぐに目を逸らしてブルブルと頭を振る。
「そんな訳ないわ! 七瀬は、まだ3カ月よ」
「そう、言い切れますか?」
「夕陽。聴こえていようがいまいが、君は七瀬に言うことがあるのではないか?」
そうだ。相手が我が子だろうと、言葉のわからない赤子だろうと、言うことはある。言いづらくても、言わなければならない事が一言あるはずだ。
「……ごめん、なさい。七瀬、ひどいこと言って、ごめんね」
―――思ってないでしょ?
目を逸らして、ボソボソと言うことか。
私のことを認めたくないことはわかる。特殊であることが嫌だということは当然なのかもしれない。
「そのような小さな事で、家族を捨てられるのですか?」
「え?」
「家族とは、何ですか? 家族は、何があっても、家族でしょう?」
「「家族は、何があっても、家族……」」
道と夕陽の声が重なった。私も、心の中で水城さんの言葉を反芻していた。
「この3ヶ月間、ちょっと変わっているから、では捨てることのできない思い出はできませんでしたか? 他の誰にもわからない、小さな出来事は? 無いはずがございません。奥様は、七瀬お嬢様が誕生なさって、さらに明るくなられました。私にはわかります」
水城さんは2人の返事を待たずに言葉を続ける。
「私は、捨てられて悲しかったです。このような思いをする人は、少ないに超したことはございません」
―――え……? 捨てられた? 水城さんが……?
私は混乱したまま、大人たちの話に耳を傾ける。
「もし、お2人が七瀬お嬢様を手放されるのなら、私がお嬢様を引き取ります」
両親は口を噤んだままだ。すぐに答えられないということは、もう……
「私は七瀬を手放すつもりはない。水城の言う通り、家族は何があっても家族だ。夕陽が何と言おうと、それは替えない」
―――お父さん……。
「私も、手放しません。少し周りと変わっていようと、血の繋がった私たちの子供です。……ごめんなさい。七瀬」
今度は私の目を見てそう言って、夕陽は私を抱きしめた。
―――お母さん……。
「家族は何があっても家族」。その言葉は、一生忘れられない言葉になった。
水城さんは遠巻きに、私たち家族の抱擁を嬉しそうに、けれどどこか羨ましそうに見ていた。
水城さんの子供時代、一体何があったのだろうか。いつか本人の口から聞きたい。
私を「家族」として認めてくれた。
私のこれまでの事は聞いてこない。
―――お父さん、お母さん、ありがとう。これからも、よろしくお願いします。
声には出さないが、心の中で何度も何度も私は2人に言った。
時間がかかりましたが、何とか投稿できました。
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