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カラス

作者: こむぎ

「そいつ」はいつも、そこにいた。とあるビルの屋上。とあるビルとは、僕が勤める会社が入っているビルの事。「そいつ」とは、僕が昼休みに昼食を持って屋上に行くと、必ずいるカラスの事だ。


僕は屋上で一人で昼食をとるのが好きだ。外に誘われる事もあるけど、たいがい断った。理由は薄給である事と、一人が好きである事。会社の仲間はみんな気のいいやつで嫌いじゃないけど、なぜか溶け込めないでいた。そして、最近加わったもう一つの理由がそのカラスだ。


カラスはいつも屋上にいる。じっとしている訳ではなく、ぴょんぴょん跳ねていつも動き回っている。僕が持ってきたパンをちぎって投げてやると、ぴょんぴょんと近づいてきてパンを咥え、そのまま呑み込む。近くに置いても近づいてこないので、きっとカラスなりの決められた距離感というのがあるのだろう。それは徹底されていて、なんとなくその距離感がつかめた頃に、その境界線あたりにパンを投げてみたら、ちょっと迷ったそぶりを見せた後、プイッとそっぽを向いてしまった。僕はなんとなくそのカラスに好感をもった。


ふと、カラスが飛んだところを見た事がない事に気付いた。たまに思いついたように羽ばたく事があるけれど、20〜30センチほど浮いてすぐに着地する。ひょっとして、飛べないのかな?と思って初めて僕の方からカラスに近づいて行くと、ぴょんぴょん跳ねながら逃げ回った。それ以来僕から近づく事はしていない。


昼食をとりながらカラスをぼ〜っと目で追うのが、今の僕にとっては一番リラックスできる時間だ。不吉の象徴のように扱われ、忌み嫌われているが、よく見ると艶のある漆黒の羽毛に覆われた姿は美しく、どこか気位の高い貴婦人を思わせる。


なぜここにいるのか、いつからいるのか、なぜ飛べなくなったのか、こいつはいつまでここにいるのか。そんな事も考えなくなった頃、カラスのある行動に気付いた。基本的にはぴょんぴょん動き回っているが、たまに空の一点を見つめている時がある。空に思いを馳せているのだ。カラスは空を飛びたがっている。僕にはそれが痛いほどにわかった。初めてそれに気付いた時には、カラスに走り寄って抱きしめてやりたいと思ったくらいだ。


最近、カラスが空を見上げる時間が長くなってるような気がする。胸を、ぎゅっと締め付けられる。飛びたくても飛べない。こいつは僕だ。そう思った。

僕にも夢があった。いや、夢がある。でも、飛ぶ力が、翼があるのかどうか確かめもしていない。何もせず、好きでもない仕事をしながら、ただ夢想する。カラスが空を見上げるように。


おまえは本当に飛べないのか?本当は飛ぶ力があるんじゃないのか?飛び方を忘れてしまっただけじゃないのか?飛んでみろよ!おまえは飛べるはずだ!頼むから!僕に勇気をくれ!


自分の事を棚に上げて、僕は何を言っているんだろう。その日の晩は自己嫌悪に悶え苦しんだ。次の日もモヤモヤして仕事に身が入らなかった。昼休みも、どこか後ろめたくて、屋上にはいかなかった。


就業時間が過ぎて、少し残業してから帰り支度を整え、エレベーターに向かう。1Fのボタンを押そうと伸ばした指は、なぜか、なんとなく、最上階のボタンに着地した。

最上階から屋上までの階段を登っている途中で、昼休み以外に屋上に行くのは初めてだと気付いた。そしてなぜか、少しだけ胸騒ぎのようなものを感じていた。


屋上は夕日でオレンジ色に染まっていた。へぇ〜この時間の屋上もいいなぁ、なんて事を考えながら、目はカラスの姿を探す。


ドクンッと鼓動が一つなった。カラスが屋上の端の柵の上にいて、少し上を見上げていた。僕はゆっくりとカラスの後ろ姿を凝視しながら近づいていく。


おいっ、危ないぞ!


おまえ、飛べないんだぞ!?わかってるのか?


早く、そこから降りろ!


カラスの距離ギリギリまで近づいた。これ以上近づいたら、びっくりして飛び降りてしまうかもしれない。僕は戻る事も出来ず、ただカラスを見つめ続けた。


どれくらい時間がたっただろう。日は沈みかけていて、オレンジ色に青が混ざり初めている。カラスは微動だにしなかった。


飛び降りたりしないよな…もう、帰るか…


そう思った時、突然、カラスがクルッと振り返った。首だけをこちらに向けて、目は間違いなく僕を見た。


笑った。


いや、そんな気がしただけかもしれない。一瞬だったから。でも僕にはそう見えた。


おまえ、僕に笑いかけてくれたのか?


カラスはまた、前に向き直り、羽ばたいた。


そして、屋上から飛び出した。


僕はあまりの出来事に、しばらく身動きが取れなかった。


飛んだ…のか?


ゆっくりと歩いて近づき、柵に体を預け、空を見上げた。カラスの姿を探しながら、少しずつ視線を下へと向ける。


ビルの前の歩道に黒いシミが出来たように、カラスが横たわっているのが見えた。



歩道の隅で、地面に少し血を滲ませたカラスは、明らかに絶命している。見開いたままの目は、空を見上げているような気がした。


僕が、飛んでみろよなんて、勇気をくれなんて言ったから?いや、そうじゃない。あいつは自由に、空への夢に、挑戦したんだ。こんな話、誰も信じないだろう。でも、確かにあいつは笑ったように見えたんだ。いや、絶対に笑った。くそっ、先を越された。


夕闇の中、家路を歩く僕の足取りは今までになく力強い。すでに、会社を辞める決心は固まっている。









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