序幕
今までの人生で私は何をしただろう。しでかしたことはあっても、なし得たことなどあっただろうか。たしかに勉強はできるし、学年で一番をとったこともある。けれど、それは私がたまたま勉強が得意であっただけで、血の滲むような努力の末に勝ち取った栄光ではない。
結局、私はただ生きてきただけなのだ。平和で幸福な環境に恵まれて、それを享受することしかわたしはしてこなかったのだ。
こんなことを考えるようになったのは本当につい最近になってからだ。それまでは自分の怠惰に気づくことさえなかった。
しかし気づいたからといって、なにかできるわけでもない。わたしみたいなちっぽけな人間は突然変わることなんてできないのだ。
ただひたすらに悶々として、鬱々として、結局わたしは今までと変わらずに生きている。そんな自分がまた心底嫌になる。
わたしのこのもやもやに拍車をかけるのは兄の存在が大きい。兄はわたしの二つ上で今年大学受験を控えた高校三年生。年も近いし小さい頃はよく二人で遊んだりもした。大きくなるにつれて少なくはなってきたけれど今でも一緒にゲームをしたりして遊ぶこともあるし、比較的仲の良い兄妹だと思う。
兄のことは嫌いではないし、むしろ好きだ。わたしとのやり取りも嫌々言いながらも付き合ってくれるし、困っているときには助けてもくれる。
だけど、わたしには兄が眩しすぎる。兄は何に対しても真っ直ぐで、努力家で、そして色々なことを成し遂げてきた。そんな兄の姿をわたしは一番近くで見てきた。
最近は兄を見ていると胸が苦しくなる。自分の存在が否定されている気がする。
そんなことだから兄と喧嘩をしてしまった。こんなに盛大にしたのは何年ぶりだろうか。わたしの個人的な悩みに最悪の形で兄を巻き込んでしまったのは本当に申し訳ないと思っているし、後悔しかない。
すぐに兄のところに戻って、謝って、仲直りして、そうすればまた元に戻れるだろうか。まあ、兄ならわたしを許してくれるだろう。あの人は人が良すぎるくらいだから。だけど、ねじ曲がったわたしはそんな簡単なこともできない。
ひたすらにループする負の感情。抜け出すことができない…………
誰かに付けられているようの気がした。背中を嘗めまわすような嫌な視線。わたしが歩くたびに少しずつ近づいている気がする。気のせい?勘違い、今のわたしはあまり普通の精神状態ではないからその可能性の方が高いかな。
違う。間違いない。わたしの足音とかぶせて、いるが明らかに後ろから誰かがわたしについてきている。どんなにめちゃくちゃな道を通っても。今は夜の八時頃。だいぶ日も短くなってきて、空はもう真っ暗だ。家を飛び出して十分ほどの住宅街。とにかく人通りの少ない場所は危険だ。急いでもっと人がいる場所に。
ここから駅までは走ってもあと十分はかかる。ここから一番近い人の多いところは…………
走って走って呼吸は苦しくなり体はガタガタだ。たった数百メートルしか走っていないのにこの様、さすが帰宅部は鍛えられ方が違う。なんとか商店街のところまでくることができた。この商店街は駅から約一キロ続く地元では有名なところで、夜になっても賑わっているし、人もたくさんいる。
ここまでくれば大丈夫…………
と、わたしは異変に気づく。
商店街のすべての店のシャッターが下りている。人の姿も不自然なほど見当たらない。人の気配が全くない。思えば、ここまで走ってくる途中も、誰ともすれ違うことがなかった。自転車も車も、人が一人もいなかった。
こんなことがありえる?
混乱して、商店街通りの真ん中に立ち尽くすわたしの背後から着実に足音が近づいてきている。さっき走った分も含めて心臓がフルパワーで加速する。汗が全身から吹き出て、体温が上がったり下がったりを繰り返しているような気持ち悪い感覚に教われる。
怖い、怖い怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!!
頭は逃げろといっている。けれども足は言うことをきいてくれない。おもりをつけられたかのように。
どうすることもできないわたしに唯一できたことは、首を後ろに動かすことだけだった。
足音はもう後ろ数メートルのところまできていた。
心拍数は最高に達し、呼吸もかつてないほどの荒れ狂う。
わたしは震えながら視線を後ろに向け、そして…………




