前編
パキン、と澄んだ音が響いてリラはうつむいたまま、大きく目を見開いた。
それは、聞こえるはずのない音。
冷たい雫が降り注ぎ、息を飲む音がこぼれる。体が、強張りで引きつる。頬に当たる雫に次いで浴びせられたのは、母親からの罵声だった。
しんと静まり返った神殿の祭壇に、わんわんと響く声がリラの耳の奥でいつまでも聞こえた。
齢十六になると、成人とされるのがこの世の定めである。
貴族や庶民関係なく、その年の誕生日には祝福を受ける。基本的に貴族は神殿で司祭から、庶民は神殿のご神木に参ることが多い。
リラも、例外ではなかった。
貴族の末席にいて、家族から蔑ろにされている存在だとしても、世間体を気にする社会のなかでは成人の儀を省くことは避けたかったらしい。
その儀が失敗するまでは、両親もそう思っていたはずだ。
「この役立たずっ! なにひとつまともにできないなんて……恥を晒しただけじゃないの!」
家から出すんじゃなかった! 儀式なんていらなかった!
甲高い声と一緒に荒々しく馬車に押し込められ、家に着けば部屋に放られた。
「ご、ごめんなさい」
無情に響く扉の音に続いて鍵のかかる乾いた音。
リラの声をかき消したその音で、もう、部屋から出ることもままならないのだと悟った。荒々しく去っていく足音が聞こえなくなるまで立ち尽くしてから、リラは大きなため息を落とした。力なくベッドに腰掛ける。
震える手で裾を掴んで込み上げてくるものを耐えた。着慣れないドレスはくしゃくしゃになってしまったけれど、それを気にすることもできそうにない。
灯りがひとつだけの部屋は薄暗く、ベッドと、小さなテーブルと椅子、箪笥、本棚が並んでいる。質素だがここで事足りるようになっている部屋だ。食事は自分で用意し、閉じ込められているときにはパンとスープを侍女が運んでくれる。だから、生きることには困らなかった。それだけだった。
幼いころから、リラの周りは不思議なことが起こった。
よく棚から物が落ちて壊れたり、触った物が姿を変えたり。しおれて下を向いた花をリラが撫でると、さっき蕾がほころんだみたいに鮮やかになったり、しなびた林檎がみずみずしくなったのを見て、両親は顔を真っ青にした。一見素晴らしい力に見えるが、そんなことができるのは異様である。
両親がリラを娘として見なくなるのは早かった。
物心ついた頃にはこの部屋に軟禁され、そのまま過ごすこと幾年。
初めは泣いて泣いて両親を恋しがったけれど、突っぱねられるたびに窓が割れ、本が落ち、水差しがこぼれ、ますます向けられる視線や言葉が冷たくなるだけ。歳を重ねるごとにリラの異様さは強くなり、十を数えるころには邸から出ることは許されなかった。最低限の教育だけはして、表向きは病弱な娘ということにしているらしかった。
それでも、成人の儀をしないわけにもいかないと、ため息を濃くした両親に連れられたのである。
夕暮れ時に訪れた神殿は、参拝者の姿がほとんどなかった。
祝福は我先にと、誰もが明るい顔で早い時間に神殿へ行く。そうすることが一般的だ。
両親が日も暮れはじめたこの時間を選んだのは、不本意であると言外に述べているのだろうとリラは思った。けれども、連れて行ってもらえるだけよかったとも思った。リラだって、成人の儀に憧れを持っていたのだ。
ほんの少しでもなにかが変わるかもしれないと、考えないようにしてうまくいかないことを繰り返して迎えた特別な日。
神殿は、大きくて厳かな佇まいだった。
足早に進む両親の影にいたリラは、早く終わらせろとばかりに司祭の前に立たされた。母親の猫撫で声が祝福をと言って、父親の腕がリラをその場に跪かせる。
初めてやってきた神殿の中も、司祭様も、祭壇も、満足に見ることができないまま膝をついたリラは、強張らせた顔で唇を噛む。
成人の儀といっても、神官から祝詞と聖水のひと雫をもらうだけ。たったそれだけのことなのに。
絶対におかしなことをするな、と言葉にはされなくても両親からの視線や態度がひしひしと伝えてきた。
膝をつき、両手を胸に当てる。
よく磨かれた床を見つめたリラは、もしもなにかしてしまったらとばかり考えていた。
神官服の長い裾が視界に入って、目の前に司祭様がいるとがわかると余計に体は強張った。真っ青で綺麗な色の布地に、繊細な銀の刺繍が走っているのだけ視界の端に映る。手を伸ばせば、届くほどの距離。
リラは胸に当てた手が震えてしまう。必死に落ち着くように言い聞かせ、服をぎゅっと握る。
緊張に気を取らせていたせいか、いつの間にか儀式が始まっていてリラは焦った。けれども、穏やかな祝福の言葉も耳に入らず、自分の心臓の音だけが頭の中をいっぱいにするだけ。
リラの心臓が破けたっておかしくないほど、どくんどくんと脈打った。
だから、パキンと澄んだ音が、なんなのかわからなかった。
自分のよくわからない気持ち悪いものが聖杯にヒビを入れ、弾くように聖水を降り注がせたのも。
母親の金切り声がリラへ現実を突きつけた。
開けるかもしれないと思っていた細い道が、一瞬にして閉ざされたのだと悟るにはそれだけで十分だった。
リラが部屋から出られたのは、誕生日から七日を数えた日だった。
侍女から居間へ行くように伝えられたリラを迎えたのは、おまえの婚約が決まったわという母親の機嫌の良い声である。
服の裾を握って唇を噛んでいたリラは、自分の耳を疑った。
自分の靴から視線をあげると、ふかふかした絨毯に置かれたソファーへ腰掛け、優雅に微笑む母親がいる。
すぐにでもとの先方たってのお言葉もあって、明日、邸を移るように。
呆然とするリラには構わず、それだけ告げると下がるように手を振られた。
部屋に戻ったリラは、ベッドに腰掛ける。
身の振りようがない自分を押し付ける相手が、見つかったということだ。どんな相手かも聞けなかった。その人は、リラを押し付けられるその人は、この気持ち悪いなにかのことを知っているのだろうか。
リラは思って首を振る。知っていたら、迎え入れようとは思わないだろう。
知ったら婚約も破棄される。またこの部屋に戻ってくるのか、それとも同じような扱いをされるのか。婚約破棄をされた娘なんてますます両親は持て余すだろうから、死んだことになって田舎へ追いやられるかもしれない。それはそれで、気が楽になるだろうか。
なんで、こんな気持ち悪いものが自分にあるんだろう。
いっそあの儀式のときに、心の臓が裂けてくれたらよかったのだろうか。
ぐるぐる考えているうちにいつの間にか浅い眠りに落ちて、朝を迎えてしまった。
馬車から降りると、荷物を放られるようにドサドサとその場に降ろされる。そして家主に挨拶もせずに馬車は来た道を引き返して行く。
こぢんまりとした邸の前に、荷物とリラだけが残された。
こんな扱いで、相手は侮辱されたと怒らないのだろうか。
小さな門からは、雑草が生えて荒れた庭の中に小路が走り、焦げ茶色の扉まで続いている。手入れはされていないが、庶民の家ではなさそうだった。
リラには、ここが誰のお邸なのかもわからない。
神殿に行ったときとはまたちがった青色のドレスを着たリラは、ぎゅっと裾を握って、うるさい心臓の音をなだめながらゆっくりと息を吐く。
また変なことが起こってはいけない。とにかく荷物を運んで、挨拶をしなくては。
「唇を噛んではだめですよ」
鞄に伸ばそうとした手を遮ったのは、穏やかな声だった。びくりとリラの肩が跳ねる。
弾かれたように顔を上げると、さらりとした銀髪の間から空の色みたいに綺麗な青がリラを見つめていた。
相手は、リラが運ぼうとしていた鞄をひょいと抱える。
リラより頭ひとつ以上高い彼は、思わず目を丸めたリラへ気さくに笑みを浮かべた。
「出迎えができずに申し訳ありませんでした。荷物は私が運ぶので、リラ嬢は居間へ」
「で、ですが」
「あなたの細い腕では大変ですよ」
いいからいいからとうながされ、鞄を持った相手と一緒に開けっ放しだった扉から邸へと踏み入る。
居間は、大きな窓からあたたかな日差しをいっぱい注がれていた。ここで待つように言われ、ひとりだけ取り残されたリラは戸惑うしかなかった。
彼は、この邸の主人の従僕だろうか。
あんなふうに気を遣われたことがなかったリラは、どうしてよいのかわからなかった。
邸には人の気配がなかった。
厚い絨毯に、深緑色のソファー。火の入っていない暖炉の横では、開いた窓とひらひらとなびくカーテン。最低限のものはあるが、どこか生活感がない気がした。
ただただ居間に立ち尽くして、窓の外と居間の扉を交互に見るしかできないリラに気づくと、すっかり荷物を運び終えた彼は笑ってソファーを勧めた。慌ててリラは首を振る。
「あ、あの、リラと申します。こ、こちらの旦那様へご挨拶をしたいのですが、お会いすることはできますか?」
たどたどしく、声も震えてしまった。裾を握る手に勝手に力が入ってしまう。
すると彼は二度ほどまたたくと、またすぐにやわらかな笑みを浮かべた。
「……ご挨拶には及びません。こちらこそ、礼儀をわきまえず申し訳ありません」
わずかに笑みに苦味を含ませた相手に、リラは内心でため息をついた。
挨拶もいらないというのなら、主人は不在なのだろう。それなら挨拶を気にもしなかった両親にも、リラへの扱いも腑に落ちる。
なんだ、そういうことか。小さな落胆を感じて、リラは自分がほんの少しでも期待していたことを知ってしまった。期待は裏切られるものだと、すっかり身にしみたはずなのに。自分の浅ましさに胃のあたりが重たくなる。
そんなリラへ、目の前の彼は笑みを穏やかなものへ変えてから裾を握った手にそっと触れた。
「私は、レグルス。あなたのことはすべて任されていますから、心配しないで」
リラのことには関心がない主人なのかもしれない。
それならそれで、今までと変わらないからいい。このやわらかな雰囲気を持った青年がついてくれるだけ、よくなったと思っていいくらいだ。
年はリラよりいくつか上。身に着けていた灰色のベストとシャツは上品だが、リラの父親と比べると落ち着いたものだった。それでもやはり庶民のものとは違って見える。リラにわかるのはそれくらいしかなかった。
仰々しくない態度はリラに対して適切なのかもわからないが、リラにとっては好感が持てた。自分なんかを貴族のお姫様扱いされたほうが困ってしまう。
黙って自分を見つめているリラに、レグルスは失礼と断りを入れてからその手を取ってソファーへ腰掛けさせた。自分はリラの前に膝をついて少し下からそっと見上げる。
「……主人は、あなたの手を煩わせるつもりはありません。間に合いませんでしたが、これからメイドを雇うつもりでいますし」
恐る恐る腰掛けたリラは、驚きに目を見開いた。
レグルスの空色の瞳をちらりちらりと窺いながら、慌てて首を横に振る。膝の上にのせた手でまたぎゅっと裾を握り、なんとか自分を奮い立たせて口を開く。
「そんな、もったいない。わたしは、置いてくださるだけで……料理も洗濯も、苦になりません。その、わたしは上手にできないので、だ、旦那様が、お嫌でなければ、ですが……」
尻すぼみになっていくリラの言葉に、レグルスは辛抱強く耳を傾けてくれた。
ぎゅっと握った手をたしなめるように叩いてから、今度は彼が首を振る。ゆっくりとため息をついてリラを見つめた。
「リラ、あなたはもう少し楽しむことを覚えなくては」
悲しげにひそめられた眉が、不思議だった。
今までリラにそんな顔をした人はいなかった。なぜ、彼はこんな言葉をくれるのだろう。そんな顔をするのだろう。
なんと言っていいのかもわからないリラへ、レグルスはふわりと笑みを浮かべた。よく笑う人だなとリラはぼんやり思った。
「ですが、他に人がいて気疲れするかもしれませんね。ひとまず、リラの好きなようにしてください。もし手が必要そうなら、あとから考えましょう。私も手伝いますから」
向けられる空色の瞳に、リラはやはりなんと言っていいのかわからない。
自分が言ったことをこうして聞いて、言葉をくれる相手に返す言葉なんて持ち合わせていなかった。
だから唇を噛み締めて、弱々しく頷くことしかできなかった。
料理というにはおこがましい、焦げたパンと具が不揃いで味の薄いスープ。
それがリラの作った夕食だった。
自分が食べるにはそれで十分だったが、誰かへ出すにはお粗末すぎるのだと気づくのが遅かった。
下ごしらえから付き添ってくれたレグルスはとても喜んでくれたけれど、リラは落ち込んだ。自分が言い出したことなのだから、レグルスには申し訳ないが上達するまで付き合ってもらうしかない。
今日は疲れただろうと休むように言われ、邸の主人に挨拶もしないまま一日を終えてしまうことに身を縮めたリラ。
レグルスに尋ねても気にするなとしか返って来ず、リラは迷った末に紙とペンを用意してもらった。
【旦那様
初めまして、リラと申します。
お会いできなくて残念です。
レグルスはとてもやさしくしてくれます。なるべく迷惑をかけないようにいたします。
ふつつか者ですが、よろしくお願いします。】
月が高くなるまで悩んで悩んで、何度も書き直して、それだけを書き終えると、リラはそれを居間のテーブルへ置いた。
まだ見ぬ婚約者が自分のことを嫌々引き取ったのだとしても、引き取ってくれただけ感謝したかった。たとえ会う気がなくても、返事だってないとしても。
身支度をして恐る恐る居間へ行くと、レグルスが昨日と同じようににっこりしてリラを迎えてくれた。
おはようございますと言われ、ぎこちなく同じ言葉を返すリラは、テーブルに置かれた封筒に気づいた。
白い真新しいそこには【リラ嬢へ】とある。
またたいたリラにレグルスはくすりと笑ったが、なにも言わなかった。咎めるでもなく、むしろその笑みはリラを後押しするかのようにも思えてきて。
リラは何度か封筒とレグルスを見比べたけれど、やはり彼がなにも言わないので、そっと音を立てないようにしてその封筒を両手で持った。
封はされていない、折り返された口を開けて中の便箋を取り出すと、綺麗に走った文字が言葉を綴っていた。
【リラ嬢へ
大事な日にもかかわらず、お迎えする準備が万全でなく申し訳なかった。
レグルスはあなたの身の回りのことも厭わずこなすから、遠慮なく申しつけてかまわない。
不便があったらすぐに言うように。
こちらこそ、よろしく。】
どれだけ探しても、リラの中に言葉になるものはなにもなかった。
何度も何度も読み返しても、並んだ言葉はリラへ向けられている。
込み上げてきたものをこらえることは難しく、ぽろりとこぼれて頬を濡らした涙を慌てて拭う。
窓からの朝の日差しの中で、リラはどうすることもできなくて、手紙が汚れないように丁寧に封筒へ戻すことだけを意識した。
少し遅くなってしまった朝食を終えると、リラはレグルスに促されソファーに腰掛けた。
リラの前に膝をついたレグルスは、そっとリラの手を自分の手で包み込む。
「神力、ですか?」
いくつか部屋があるけれど家具が整っておらず、人もいないこの邸で、することは限られていた。
少ない家事のなにから手をつけようかと眉を寄せていたリラだったが、まずは話を、と言い出したレグルスから耳慣れぬ言葉を聞いて首を傾げる。
うなずいたレグルスは、自分の手の中でリラの手のひらを上へ向けた。
「神官たちが持つ力をそう呼びます。傷を癒したり、祝福を与えたり。きちんと指南を受けて使い方を身につける必要はありますが、まれに意図せず使ってしまう場合があって」
「……それが、わたし?」
「ええ。不可思議なことが、身の周りであったと聞いていますよ」
リラのあの気持ち悪いなにか。
それが神力だなんてものには思えなかった。
困惑するリラに彼はゆっくりと言葉を出していく。
「使い方を知らないと持て余してしまうのですよ。あなたは、とくに……ご家族から使わないよう抑圧されていたのでしょう?」
びくりと肩を跳ねさせたリラの唇を、やんわりとなでてからレグルスは瞳を細める。
無意識に唇を噛みしめていたことに驚く間もなく、リラはレグルスの言葉に鼓動が早くなっていくのを感じた。
「ねじ曲がってしまった力が、よくないふうに作用することはやむを得ないこと。あなたのご家族も、神力が成したものだと気づかないと思います。だから、主人は急いであなたを迎えると決めました。あなたとご両親の様子を見て、あまり褒められるような扱いをしていないだろうと」
レグルスにまで、リラの気持ち悪いものの話が伝わっているのか。
リラはぐっと唇を噛んだ。それでは、旦那様も知っているはずだ。それでも迎えてくれたのは、なぜだろう。厄介者でしかないはずなのに。
「ほとんどが神官の血縁が受け継ぎますが、まれに持って生まれる人もいます。ただ、周知はされていないでしょう。だから、あなたのように不遇な扱いを受けてしまうことがあります。……私は人より少しだけ神力に詳しいから。リラさえよければ、使い方を覚えてみませんか?」
噛んではだめだよ、と苦笑してまた唇を解かせたレグルスへ、リラはすぐに答えることができなかった。
気持ち悪い、あの、なにかが。
もしかしたら神力かもしれない。きちんと名のある力で、嫌わないでいられるものかもしれない。
実感がわかなくて戸惑うけれど、まっすぐと向けられた青い瞳に、リラは小さくうなずき返した。
【旦那様
お仕事がお忙しいとうかがいましたが、お体は無理をなさっていませんか?
レグルスから神力のことを聞きました。わたしに、そのようなすごい力があるとも思えませんが、もし、本当にそうならお役に立つことができるかもしれません。
レグルスが教えてくれると言いました。
がんばって覚えたいです。
こんなわたしを、このお邸に引き取ってくださって感謝しております。ありがとうございます。
お体をお大事になさってください。】
【リラ嬢
あなたの持っているものは、たしかに神力だ。使い方を身につけることで、あなたの自信につながれば嬉しい。
数日はレグルスがついて教えるが、少しすればいなくてもあなた自身で訓練をすることができるようになると思う。むずかしいことではないから、安心するといい。
わからないことや不便なことは、遠慮せずレグルスに言いつけてかまわない。あなたをお迎えして、それがあなたの安らぎになっているならよかった。
私へのお気遣い痛み入る。リラ嬢も、こんを詰めすぎないように。】
旦那様の手紙を三度繰り返し読んで、ようやくリラは自分に神力があるのかもしれないと思えてきた。
食事をすませてから、レグルスはあの日当たりのよい窓辺にリラを呼んだ。
手を取って、向き合う。
あたたかな日差しとはまたちがうぬくもりが手を包み、リラはなんだか落ち着かない気持ちになる。母親にだって、こんなふうに手を触れてもらったことは少ない。
目を閉じて。
穏やかな声がリラをうながす。
「手から、私の氣が流れるのを感じる? リラの左手から頭を回って、右手に抜けていく」
ゆっくりとした呼吸に合わせ、レグルスの声がリラを導き始めていた。
「抜けた氣が、あなたの色に染まって、私の中に入っていく。長く滞っていたものが、動き出すのがわかる?」
それは、あたたかいなにかだった。
澄んでいるあたたかななにかが入ってきて、リラの中を動かして出ていく。
「抑えつけようとしてはいけない。リラの中にはたしかに力があって、それを感じてごらん。感情の影響を受けやすいから、落ち着いて、ゆったり構えることが大切。あふれそうになったら、いいんだよ、外に出してあげれば」
目を開けて。
青い瞳がまっすぐとリラを見つめていた。体の中が澄んで、軽くなっているような気もしてくる。
ぽかんとしているリラに、レグルスはほらと手のひらを示してみせた。
「これが、リラの力だ」
ぼんやりと手を覆うやわらかな光。
窓から見える空に吸い込まれるようにして、きらきらと舞って消えていった。なにも傷つくことも、壊れることもなかった。