大空を飛ぶキリン
小さな動物園の片すみで、ずっと前から一頭のキリンが飼われていました。
このキリン。
年老いたせいで、体がめっきり弱っていました。
近ごろは、いつも朝から横になっています。
キリンはときおり首を立て、小屋の窓から外の景色を見やります。そして目に映るものといえば、空と動物園の中だけの風景でした。
それは昨日と同じ。
いえ……。
ずっと、ずっと前から同じでした。
けれどキリンは、それをあたり前のことだと思っています。
ここで生まれ、ここで育ったキリンは、窓から見えるものしか知らなかったのですから……。
冬になったある日。
キリンはひさしぶりに母さんのことを思い出していました。
まだ子供だったころ――。
母さんはよく、自分たちのふるさとの話をしてくれました。
「そこは遠い海の向こうにあってね。母さんはそこで生まれて育ったのよ」
「そこって、どんなとこ?」
「とても広くてね。どこまでも、どこまでも緑の草原が続いてるの」
キリンは草原を知りません。
頭の中に広い空が思い浮かびました。
「母さんたち、そこを思いきり走っていたのよ」
「ねえ、走るってどんなこと?」
動物園の狭いサクの中では、これまで一度も走るということがなかったのです。
「とっても速く前に進むことなの」
「どうすれば、ボクも走れるの?」
「何度も、何度も地面を思いきりうしろにけるの。するとね、飛ぶように前に進めるのよ」
「ふうーん」
母さんの話だけでは、草原のことも、走るということもよくわかりませんでした。でも、ふるさとの話を聞くたびに……。
キリンは想像したのでした。
鳥のように空高く……。
鳥のように速く飛ぶことを……。
いつかしら雪が降り始めていました。
年老いたキリンにとって、寒さはなによりも体にこたえます。このときすでに、立ち上がれないほど弱っていました。
その夜。
キリンは夢を見ました。
どこまでも続く青い草原。
母さんに教えられたとおり、足で地面を思いきりけりました。
何度も、何度も地面をけりました。
すると……。
足が地面からはなれ、鳥のように空を飛び始めたのです。
――走るって、なんて気持ちがいいんだろう。
とても自由な気分になりました。
キリンは大空のなか、どこまでも思いきりかけたのでした。
翌朝。
動物園の敷地は雪におおわれ、どこもかしこもまっ白になっていました。
その片すみにある小屋の中。
一頭の年老いたキリンが眠るように息をひきとっていました。