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永禄の変

今回の主な登場人物です。


【六角家】

六角左京大夫輝頼  六角家当主 細川晴元の実子、六角家へ養子に

六角右衛門督義治  六角家前当主 観音寺崩れで隠居

小倉右京大夫    六角家家臣 小倉氏庶流、小倉西家の当主

小倉左近将監実隆  六角家家臣 小倉氏本家当主 蒲生定秀の息子、小倉家へ養子に

蒲生左兵衛大夫賢秀 六角家家臣 蒲生定秀の息子、小倉左近将監実隆の兄


【三好家】

三好修理大夫長慶  三好家前当主

三好孫六郎重存   三好家当主 十河一存の息子、三好本家へ養子に

三好実休      三好家家臣 三好修理大夫長慶の弟     

安宅冬康      三好家家臣 三好修理大夫長慶の弟

三好孫四郎長逸   三好家家臣 三好三人衆

三好右衛門大輔政勝 三好家家臣 三好三人衆

岩成主税助友通   三好家家臣 三好三人衆

松永久秀      三好家家臣

松永久通      三好家家臣 松永久秀の息子

内藤備前守宗勝   三好家家臣 松永久秀の弟


【朝倉家】

朝倉式部大輔憲景  朝倉家当主 一向一揆との戦いで討死

朝倉孫三郎景健   朝倉家家臣 安居城主      

朝倉玄蕃助景連   朝倉家家臣 朝倉山城主


【畠山家】

畠山修理亮高政   畠山家当主 紀伊・河内の守護   


【堅田】

猪飼甚助昇貞    堅田水軍の棟梁

馬場孫次郎     堅田水軍の棟梁

居初又次郎     堅田水軍の棟梁

研屋道円      寄合の顔役、熱心な一向門徒

 

【朽木家】

林与次左衛門    朽木水軍の棟梁  旧高島越中守の家臣

渡辺半左衛門    与次左衛門の部下 旧浅井家家臣

入江小二郎     与次左衛門の部下 旧浅井家家臣

安養寺猪之助    与次左衛門の部下 旧浅井家家臣








永禄八年(1565年) 二月上旬   近江伊香郡塩津浜  塩津浜城 朽木基綱




冷えるな、城の外は雪が降っていた。部屋の中には火鉢が有るがこいつはそれほど暖かくない、精々手を温めるか餅を焼くくらいしか役に立たん。

「小夜、寒くは無いか?」

「いいえ、大丈夫でございます。これがございますから」

小夜が羽織っている綿入れ半纏を嬉しそうに指で示した。


この世界ではまだ珍しい代物だ。去年の暮れ、新しい綿が収穫された時に作った。着物の上に半纏はちょっと格好悪いが寒さには勝てない、小夜も綾ママも半纏を手放さない。マフラーでも作らせようか、着物はどうしても胸元が冷える。外に出る時だけじゃない、部屋で使っても良い。


「殿、これからどうなるのでございましょう?」

「さあ、分からんな」

小夜が不安そうな表情をしている。しかし分からんとしか言いようが無かった。永禄七年から永禄八年にかけて、この数カ月は事が多過ぎた。これからどうなるか不確定要素が多過ぎる。ただ朽木を取り巻く環境は確実に悪化した。と言うより俺がこの世界に生まれてから朽木を取り巻く環境がウハウハになった記憶が無い、なんでだろう?


「でも公方様が殺されるなど……」

「以前にも有った事だ。嘉吉の乱では足利義教公が殺された。とりたてて驚く事ではない」

「まあ」

そんな非難するような目で見るな、小夜。足利義輝は史実でも殺されこの世界でも殺された。義輝にはこの乱世を生き抜くために必要な何かが足りなかったのだろう。そんな奴は幾らでも居る、奴が将軍だったから皆が騒ぐだけだ。


永禄七年の十月から十二月は越前と丹波で戦が起きた。加賀の一向一揆勢が越前に乱入、朝倉式部大輔憲景の戦死後一つに纏まる事が出来なかった朝倉勢を殺しまくった。一揆勢に内通していた朝倉孫三郎、朝倉玄蕃助達も殺された。不倶戴天の仇だからな、一つに纏まっているならともかくバラバラだったら後腐れ無く殺した方が一揆の国を造り易いとでも思ったんだろう。竹槍に首を刺して喜んでいたって言うんだから酷いもんだ。


越前の北半分から朝倉の勢力は払拭された。今では一揆勢の勢力範囲だ。そして残りの南半分はパニック状態になっている。一つに纏まろうと右往左往しているが上手く行きそうにない。このままなら春にジェノサイドがもう一度起きるだろう。領地を捨てて逃げれば良いんだがその踏ん切りが付かないようだ。


土地は持って行けないからな。多分来年の後半には木の芽峠に一揆勢が来襲するだろう。鉄砲を増産させよう、場合によっては堺から買っても良い。最低でも二千丁は欲しい。それと兵も少し集めた方が良いな。国人衆に頼らなくても常時八千は保持したい。越前に三千を置いているからあと五千を新たに雇う、難しくは無い。


丹波では三好方の内藤備前守宗勝が反三好勢力に大敗北を喫した。味方だと思っていた国人衆に裏切られての大敗北だ。討ち死にしなかっただけましだろう。丹波から内藤備前守宗勝と内藤氏は叩き出された。丹波は反三好勢力で一本化されている。これをもう一度三好の勢力下に置くのは容易ではあるまい。


そろそろ若狭を攻める頃かと思ったんだけどな。一向一揆の事を考えるとなかなか厳しい。年が明けると丹波での三好勢の大敗北を聞いて河内、紀伊に勢力を持つ畠山高政が反三好の兵をあげた。三好長慶が病死し後を継いだのは養子の孫六郎重存、そして丹波で内藤宗勝が大敗北を喫した。三好の覇権が揺らいだと思ったのだろう。三好としても放っては置けない。三好孫六郎重存は三好実休、安宅冬康、松永久秀を主力とする討伐軍を編成して紀伊方面に送り込んだ。


この状況を喜んだのが義輝だった。三好打倒の日が近付いた、そう思ったのだろう。毎日大騒ぎだったそうだ。六角に文を出し朽木にも文を出した。あれだけやるなと言ったのにだ。学習能力どころか、危機意識さえもなかった。自分が殺されるなんて微塵も考えていなかったのだと思う。変な話だが三好長慶が義輝を甘やかし過ぎた。もう少し厳しく脅しておけば慎重になったのかもしれない。


そして長慶と孫六郎重存は同じ人間ではない。孫六郎重存は義輝の行動を危険視したようだ。この時孫六郎重存が恐れたのはドミノ効果で反三好運動が広がる事だったと思う。阻止するには煽る人間を処断するしかない、誰でもそう思うだろう。孫六郎重存は丹波遠征の名目で兵を京に集め始めた。


丹波を攻めるなら京に兵を集めてもおかしくは無い、そして一月二十一日、孫六郎重存は三好孫四郎長逸、三好右衛門大輔政勝、岩成主税助友通らと共に兵一万を率いて二条御所に攻め入った。史実より半年ほど早い。白昼の攻撃だ、闇に紛れて逃げるなんて事は出来ない。かなり手強く戦ったらしいが最後は多勢に無勢だ、義輝側は全員討死した。この辺りは史実通りだ。


義輝殺害後、孫六郎重存は丹波に行く事無くそのまま京に留まっている。丹波の国人衆は親足利色が強い。義輝殺害で更に反三好感情が強まった。そして畠山との戦いは一進一退の状況で膠着状態だ。孫六郎重存が京から動かないのは京を空けるのが不安なのだろう。長慶死後、間違いなく三好の力は弱まっている。


次期将軍は未だ決まっていない。候補者すら名前が出てこない。孫六郎重存達にとって後継者を決める余裕も無く義輝を殺害したという事なのだろう。或いは三好家内部で誰を将軍にするかの意見が纏まらなかったか。義輝の弟覚慶、後の足利義昭は奈良一乗院で軟禁状態だ。松永久秀の息子久通、そして内藤宗勝が大和に戻って見張っている。そしてその下の弟、周暠(しゅうこう)は殺された……。


「御義爺様は如何御過しでしょう? お気を御落としと伺いましたが……」

「御爺にとって人生の半分以上は足利と有ったからな。気落ちもするだろう」

御爺にとって足利は人生の選択肢だった。足利のために戦ってきた。その選択肢が滅びようとしている……。御爺の気持ちを思うとやり切れんな。


飛鳥井家からこの一件について文が来たのだがそこには奇妙な事が書いてあった。襲撃の前日、義輝は危険を感じたのか二条御所を抜け出したらしい。避難しようとしたと書いてあるから或いは朽木に逃げようとしたのかもしれない。だが義輝の近臣がこのような行為は将軍の権威を失墜させると反対した所為で渋々二条御所に戻ったらしい。逃げていれば死なずに済んだだろう。っていうか殺されたらもっと権威が落ちる。多分、止めた奴は三好が攻めてくるとは考えていなかったのだと思う。義輝だけじゃない、周囲も認識が甘いよ。


おそらく義輝は自分を殺そうとする計画が有る事を知ったのだと思う。三好内部に情報源が有ったのか、或いは三好側に将軍殺害に反対する人間が居て故意に情報を流したのか。将軍殺害は極秘事項の筈だ、三好家内部でも知っている人間は上層部の一部だろう。孫六郎重存本人と伯父二人、三好三人衆、松永兄弟。その辺の筈だ。もし情報が流れたのだとすると将軍殺害に対し三好内部に意見の対立が有った事になる。今後、それが如何なるのか。広がるのか、収まるのか……。


「殿も元気を出してください」

「俺は元気だ」

鬱陶しいのが居なくなって清々したわ。

「皆心配しておりますよ」

「……俺は元気だ」

落ち込んでいるのは先が見えなくなったからだ。

「春齢内親王様の御降嫁も決まったのですし」

「そうだな。派手に祝ってやろう」

また金がかかるな。


春齢内親王の結婚相手が決まった。五摂家の一つ、一条家当主正三位権中納言一条内基。天文一七年生まれだから俺や春齢内親王より一つ年上になる。良い相手だ、朽木の利益になる、ちょっと前までならそう思っただろう。だが今ではそう気楽には思えん。近衛の例も有るからな。公家は力が無いから反って油断ならん。


義輝は近衛家と縁が深かった。義輝の母、慶寿院は近衛尚通の娘だ。そして妻は近衛稙家の娘。慶寿院は近衛稙家の妹だから義輝は従妹と結婚した事になる。母親の慶寿院は義輝と一緒に死んだ、自害したらしい。だが義輝の妻は丁重に近衛家に帰されている。そして義輝の側室、小侍従は殺された。どうも妊娠していたらしい。


嫌な感じだよ、義輝の妻だけが助かったというのがどうにも気にかかる。近衛家の当主前久は将軍殺害計画を知っていたんじゃないか、義輝の妻である妹の保護と引き換えに将軍殺害を黙認したんじゃないか、そんな気がする。そして近衛家の女を母に持つ義昭は奈良で軟禁状態だがその弟の周暠は殺された。周暠の母親は近衛家の女ではない……。


「朽木も上手く行かぬが六角家も上手く行かぬな。小夜も心配であろう」

「はい」

小夜が視線を伏せ小声で答えた。去年の暮れから今年にかけて唯一上手く行った事は蝦夷地との交易だけだった。持って行ったものは全部高値で売れたし昆布、干しナマコ等の海産物を山のように持ってきてくれた。安全保障は問題有りだが経済は二重丸。朽木は何時もこれだ。素直に喜べんな。もう直ぐ三月になる。また北への交易船を出さなければ。


まあそれでも六角よりはましか。六角家は観音寺崩れから何一つ上手く行かない。今度は領内で争いが起きた。六角輝頼はその制圧が上手く行かず手間取っている。六角家の被官に小倉という一族がいる。蒲生郡に勢力を持つ一族でそれなりに分家も有り力を持っているのだが一族の仲が良いとは言えない。本家の統制力が弱いらしく一族内に緊張が有った。昨年の十一月の事だが小倉氏の一族、小倉西家の山上城主小倉右京大夫が延暦寺領山上郷の年貢を横領した。


この事件、史実でも起きている。比叡山とのトラブルなんて後々面倒になるのは目に見えている。それでもやったという事は余程に困窮していたのだろう。或いは輝頼には何も出来ないと侮ったか。重臣達と輝頼の間が思うようでない事は小倉右京大夫には分かっていた筈だ。


輝頼は当初小倉本家の小倉左近将監実隆に小倉右京大夫の討伐を命じた。だがこの討伐が失敗する。右京大夫は周辺の小倉一族を集め本家に抵抗、左近将監実隆は昨年の十二月に討ち死にする。ここで蒲生左兵衛大夫賢秀が出てくる。実は討ち死にした左近将監実隆は蒲生賢秀の弟だった。小倉本家に跡継ぎがいなかったので養子に入っていたのだ。その縁で蒲生賢秀が混乱を鎮めようとした。


本家当主である左近将監実隆の統制力が弱かったのは蒲生からの養子の所為も有るだろう。小倉一族の中には本当なら小倉内部から選ぶべきだという反発も有った筈だ。騒動を起こした小倉右京大夫に味方する小倉一族が多かったのはその所為じゃないかと俺は思っている。養子のくせに当主面するな、そう思う小倉一族が居たのだろう。


ここで輝頼が出てくる。輝頼は左近将監実隆が蒲生賢秀の弟だったと知らなかったらしい。騒動を蒲生賢秀が収めれば蒲生の影響力が強まる、それを避けたいと思ったのだろう。自ら小倉右京大夫の討伐軍を起こした。或いは自分の武威を示すという考えも有ったかもしれない。輝頼が何を考えたか、蒲生賢秀は当然分かっている。面白く無かっただろう。蒲生賢秀は輝頼の討伐軍には全く協力していない。


小倉一族の混乱は年が明け二月になっても解決しない。そしてつい先日、六角右衛門督義治が死んだ。病死と発表されたが誰も信じていない。義輝が死んだ事で後ろ盾が居なくなったと不安になったのだろう、義治を担がれて反乱など起こされては堪らんと輝頼が殺したようだ。噂では毒殺だったと言われている。葬儀はひっそりと行われた。輝頼は自分が六角家で必ずしも支持されているとは思っていない様だ。不安になっている。


三好が義輝殺害に踏み切ったのは六角が混乱している事も影響しているだろう。丹波で内藤宗勝が敗れた、河内、紀伊で畠山高政が挙兵した。義輝は六角、朽木に文を出して三好包囲網を作ろうとしている。完成する前に司令塔である義輝を殺してしまえ。今なら六角は動けない、朽木は北を警戒している……。足利ってやってることはいつも同じだな。畿内で最も強い力を持つ大名を周囲の力を利用して倒す。戦乱が続くはずだよ。


将軍殺害の一件で上杉輝虎から文が来た。大分憤っていたな。面倒だから適当に返事をしておいた。でもなあ、将軍殺害で憤っている文の中で俺も唐物欲しいとかもっと朽木と交易を大規模に行いたいとか書くなよ。緊張感なんて欠片も無い手紙になってるじゃないか。あいつ、変な所で経済感覚が発達してるな。まあ交易そのものには反対じゃないから良いよとは返事をしておいたが……。




永禄八年(1565年) 二月下旬   近江滋賀郡本堅田村  猪飼昇貞




「甚助殿、居られるか? 孫次郎じゃ」

湖で鍛えた胴間声が聞こえた。相変らずの事よ。

「おう、居るぞ」

胴間声は儂も変わらぬの。互いの声が玄関と居間で聞こえるとは……。

「上がるぞ。又次郎殿も一緒じゃ」

「おう、上がられい」

のしのしと音がして馬場孫次郎殿と居初又次郎殿が姿を現した。居間に入りどんと音を立てて腰を下ろす。相変らず遠慮の無い男達だ。


「如何された?」

「話しが有っての、寄らせてもらった」

「さっきまで我ら二人、研屋(とぎや)に会っていたのよ」

研屋道円か……。

「そんな顔をするな、甚助殿。儂らも会いたくて会ったのではない、向こうから訪ねて来た」

「向こうからか? 孫次郎殿」

「うむ」


研屋道円、熱心な一向門徒で寄合の顔役でもある。だが儂らと懇意というわけでは無い。むしろ互いに避け合う仲だ。その道円が訪ねて来た?

「妙な事を言いおった。堅田の水軍は朽木の水軍に勝てるかと」

「何と答えたのだ、又次郎殿」

又次郎殿がニヤリと笑った。

「負けるから止めておけと言っておいたわ」

皆で顔を見合わせ声を上げて笑った。


「そんな事を聞いて来るとは、越前はもう一揆持ちの国か。目処は着いたという事だな」

「敦賀を除いてな」

皆で顔を見合わせた。

「連中、朽木と戦いたいらしい」

「加賀の門徒共に頼まれたか?」

儂が問うと又次郎殿が首を横に振った。


「それも有るだろうが本当の所は朽木の領地を一揆の物としたいのよ。涎が垂れる程に旨味が有ろう。あそこは宝の山じゃ」

「又次郎殿の言う通りよ。それにあそこが一揆の物になれば北近江から越前、加賀と一揆の勢力下になる」

「欲深な、今のままでも十分に利を得ていよう。朽木様様ではないか」

儂が吐き捨てると二人が頷いた。朽木が関を廃した事で物がこれまで以上に動く様になった。堅田は十分にその余禄を得ている。


「孫次郎殿、又次郎殿。真面目な話、朽木には簡単に勝てまい」

儂が問うと二人が顔を見合わせた。

「船の扱いで言えばこちらの方が上であろうな。だが数で言えば朽木の方が上じゃ」

「朽木が堅田に攻め込んでくれれば勝てよう。地の利はこちらに有る、数はさほど問題にはならぬ筈じゃ」

孫次郎殿、又次郎殿が答えた。


「攻め込んでくるかな? 孫次郎殿、又次郎殿」

二人が顔を顰めた。

「林与次左衛門、慎重な男だからの。難しかろう」

「渡辺半左衛門、入江小二郎、安養寺猪之助。与次左衛門の配下も血の気が多いとは聞かぬ」

二人が首を横に振った。


「ではこちらから攻め込めば?」

二人が顔を顰めた。

「難しいな。朽木領は広い。こちらは敵を求めて動く事になる。舟木、海津、大浦、塩津浜。拠点が多く船の数が多い向こうが有利よ、常に敵の新手を気にしなければならん。それに儂らの留守を狙う事も考えねば……」

「一度たりとも負ける事は出来ぬ。負ければ敵は堅田に押し寄せよう。船の数を減らしてしまっては堅田は守れぬ」

「となると睨み合いか」

孫次郎殿、又次郎殿が頷いた。何度話し合っても答えは同じだ。互いに攻め込んでは不利、睨み合いになる。


そして二人が口に出さぬ事が有る。その気になれば朽木は堅田に対して荷止めをしかねぬという事だ。湖を使わずとも朽木谷を使えば京に荷を届ける事は出来よう。効率は悪いが堅田に打撃を与える事は出来る。だがその時は堅田も朽木に対して荷止めをする事になる。西からの物が止まる。どちらが先に音を上げるかの戦いになるだろう。


「無理はせぬ方が良い」

「同感じゃ。坊主どものために危ない橋を渡る事は無いわ」

二人が口々に戦いたくないと言った。儂も同じ想いだ。

「儂も朽木とは戦いたくない。弥五郎殿は面白いからの」

二人が声を上げて笑った。

「そうじゃのう、あれは武士と言うより商人だろう」

「同感、同感。立派な商人よ。今浜に東近江最大の湊町を造ろうとは、武士では考えぬ」


「それより危ないのは堅田であろう。叡山が如何思うか」

二人の顔から笑みが消えた。堅田は比叡山延暦寺の庇護下で発展して来た。にも拘らず今の堅田は本願寺の強い影響下にある。当然だがその事を比叡山延暦寺は不快に思っている。そして今越前が一揆の手に落ちようとしている。越前には叡山の所領が有った筈……。


「場合によっては堅田の方が叡山と朽木に叩き潰されかねぬか」

「欲の皮を突っ張らせている場合ではないの。もう一度堅田大責が起きかねん」

孫次郎殿、又次郎殿が顔を曇らせた。

「これまで滋賀郡は叡山と六角家の争う場だったが六角の勢いが後退し朽木の勢いが強くなった。朽木の目は北を向いているが我らに声をかけてきた事を考えれば西も見据えている。下手な真似をすれば口実を与えかねぬ」

二人が頷いた。


朽木の怖い所は動きが読めぬ事だ。浅井を滅ぼすのも早かったが敦賀を攻め獲ったのも早かった。朽木の次の狙いは若狭だと思うが滋賀郡という事も有る。海を狙うか、淡海乃海を狙うか。海なら交易を、淡海乃海なら畿内への物の流れを押さえるつもりだろう。どちらも朽木にとっては旨味が有る。滋賀郡なら叡山と事を構える事になるが……。果たして……。





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