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海洋国家




禎兆九年(1589年)    七月上旬            近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木滋綱




「三郎右衛門にございます」

「四郎右衛門です」

「うむ、入れ」

 琉球王との対面の後、四郎右衛門と共に父上に呼ばれた。父上は一人だった。表情も穏やかで静かに座っている姿を見ると本当にこの日本の覇者なのか、海の外に兵を出した人なのかと思ってしまう。


 父上の前に座ると父上が”御苦労だったな”と改めて俺と四郎右衛門を労ってくれた。

「どうかな? 俺と離れて戦に加わったが」

 四郎右衛門と顔を見合わせた。俺から言うべきだろうな。

「最初は戸惑いました。しかし実際に戦が始まると戸惑うような余裕は有りませんでした。必死だったと思います。ですが琉球が直ぐに降伏しましたので……」

「慣れる暇は無かったか」

 ”はい”と答えると父上が頷いた。


「四郎右衛門はどうだ?」

「気が付けば戦は終わっていました。鎧が重いと感じたのはその後です」

 父上が吹き出した。

「それで?」

「鎧を脱ごうとしたら又兵衛に止められました。父上に殴られたくなかったら国に帰るまで鎧は脱ぐなと」

 父上が”ははははは”と声を上げて笑った。


「又兵衛の奴、随分と丸くなったものだ。俺の息子だから遠慮したかな。預けたのだから殴り飛ばしても構わぬのだが」

 四郎右衛門が”父上”と情け無さそうな声を出すと父上が”ふふふ”と笑った。

「昔はな、怖い年寄りが居た。俺は殴られなかったが俺の周りには殴られた者も居る。俺は若くして家を継いだからな。乱世を生き抜けるようにと厳しく育てようとしたのだろう。試される事も随分有った」

 父上が”四郎右衛門”と呼んだ。


「戦場では気を抜いてはならぬ。ほんのちょっとした油断が命取りになるのだ。勝ち戦でも油断すればその方が死ぬ事は十分に有り得る。その事を忘れるな」

「はい」

 四郎右衛門が答えると父上が俺を見た。

「三郎右衛門も油断してはならぬぞ」

「はい」

 父上が俺達を見て満足そうに頷いた。


「大樹と次郎右衛門はそれなりに経験を積んでいる。その方達が経験を積めば大樹も随分と心強かろう」

 そうなれば良いと思った。父上の跡を継ぐのは大変だ。御屋形様を少しでも支えられれば……。四郎右衛門が”父上”と声をかけた。

「如何した?」

「琉球王は明が助けてくれると思ったのでしょうか? 父上が期待するのは無駄だと言うと動揺していたと思うのですが……」

 そうだな、琉球王は動揺していた。四郎右衛門も見ていたのだと思った。


「信じたのでは無く信じたいと思ったのかもしれぬな。或いは降伏を薦めた者がそう言ったのか……。だとすればそれに縋る事で自分を励ましたのかもしれぬ」

 縋ったか。それが事実なら哀れだな。

「俺はそれを打ち砕いたわけだ。惨い話だな。だが希望が有る限り、琉球王はこの国に馴染もうとはしないだろう。それはこの国を蔑むのと同じだ。そして蔑まれれば人は敏感に反応する。琉球王のためにならぬ」

 その通りだと思った。琉球王は朝廷に出仕するのだ。帝や院を蔑む事は許されない。


「三郎右衛門。その方は琉球を初めて見た。どう思った?」

「……日本とは違う、異国だと思いました」

「豊かか?」

「はい、豊かだと思います」

 この近江のように賑わってはいなかった。でも貧しさは感じない。豊かだと思った。父上が頷いた。


「琉球人を見ただろう。彼らは日本をどう見ている?」

「兵を出して攻め滅ぼしたのです。日本を敵視していると思いました。それに蔑んでいるとも思いました」

 父上が四郎右衛門に視線を向けた。

「どう思う?」

「蔑んでいると思います。それは以前に使者として行った時から感じていました。彼らが重視するのは明です」

 父上が”ふん”と嗤った。不愉快なのだと思った。


「いずれな、琉球人達を日本に呼ぶ。琉球王に挨拶をさせる」

「挨拶、でございますか?」

 四郎右衛門が問うと父上が頷いた。

「琉球王は日本の帝に改めて琉球王に任じられるのだ。祝いの言葉を述べるのは当然であろう」

 琉球人達にとっては屈辱だろう。だが現実を見せる必要が有ると父上は考えているのだと思った。


「日本はもう戦国乱世ではない。統一され豊かで強大な国なのだと認識させる。あの連中の意識をそう変えさせる。琉球道総督の平四郎を助けねばならぬからな」

 なるほど。父上の懸念はそちらか。政が上手くいかねば琉球は安定しない。父上の目は琉球の先を見ている。

「次の戦のためでございますか?」

 問い掛けると四郎右衛門が驚いたように俺を見た。父上が顔を綻ばせた。

「そうだ。次の戦のためだ」

「イスパニアでございますね」

 父上が”ふふふ”と楽しそうに笑った。


「何故そう思う?」

「明は琉球を見殺しにしました。日本を咎める使者も出しませぬ。日本を全く危険視していないのだと思います。ならば明との間で戦が起きるとは思えませぬ」

「……」

「今なら明に邪魔される事無くイスパニアを攻める事が出来ます」

 父上がまた”ふふふ”と笑った。


「三郎右衛門、少し抑えるのだな。鋭過ぎると怖がられるぞ」

 身体の中がカッと熱くなった。喜び? それとも不満だろうか?

「某は親に怖がられる程の男になりたいと思います。そうでなければ父上に追い付けませぬ」

 父上が”はははははは”と楽しそうに笑った。笑い声が部屋に響く。未だ未だ父上には追い付けないと思った。




禎兆九年(1589年)    七月上旬            近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




 自室で寛いでいると”よろしゅうございますか?”と主税の声がした。

「構わんぞ」

「失礼致しまする」

 主税が身を屈めながら部屋に入ってきた。そして俺の前に座る。

「茶でも飲むか?」

 主税が顔を綻ばせて”はい”と言った。小姓を呼んで茶を持ってくるように命じた。


 最近時々こうして主税とお茶を飲む。そして異国の事を話す。まあ主税にとっては寛ぎながらのお勉強だな。この間は主税が明が朝鮮を見殺しにする事が有るかと訊いてきたから無いと答えた。琉球と朝鮮では明にとって重要度がまるで違う。明にとって朝鮮半島には親明の国家が必要なのだ。


「さっきまで三郎右衛門と四郎右衛門が居た」

「左様でございますか」

「少しずつだが成長していると思った。俺が歳を取る筈だな」

 主税が顔を綻ばせた。

「また爺むさい事を。大殿は未だ未だお若いと思います。あっという間に天下を獲られました」

 今度は俺が笑った。


「初陣から三十年になるぞ」

「長かったと思われますか?」

「いや、そうは思わぬな。無我夢中だった。気が付いたら四十になっていた。そんな感じがする」

 主税が頷いた。西に東にと兵を動かした。良くやったよ。


「それで? 話があるのだろう?」

 問い掛けると主税が”はい”と言った。

「朝鮮は明に相当な物を送ったようですがこれで終わりでしょうか? 明がまた銀を要求する事は有りませぬか?」

「十分に有り得るだろうな。本来なら断るべきだが朝鮮は譲歩した。明は押せば朝鮮は譲歩すると思う筈だ」

 明の使者は宦官だろう。一国の王を脅して財を奪うのだ。自分が皇帝になったような気分で止められんだろうな。積極的に皇帝を唆すかもしれない。いや、志願したとしても俺は驚かない。


「日本が琉球を攻めたからでございますか?」

「そうだ。日本と朝鮮の関係は必ずしも円満とは言えない。日本が国交を求めても朝鮮は拒絶する。徐々に緊張は高まっているのだ。朝鮮は不安だろう」

「ですが二度、三度と要求が続けば朝鮮も相当に不満が溜まりましょう」

「そうだな」

 主税が俺をジッと見た。

「それをお待ちで?」

 ”いいや”と言って首を横に振った。あ、お茶が来たな。俺と主税の前にお茶が置かれた。カステーラも一緒だ。お茶を一口飲む。主税も飲んだ。


「朝鮮は日本を、俺を相手にしていない。何と言っても俺は明に認められた足利を滅ぼした下克上の男だからな。足利が俺を認めなかったように朝鮮も俺を認めない。こちらに引き寄せようなどと考えても無駄だ」

「……では朝鮮は明に毟り続けられる事になります」

 その通りだ。毟り続けられるだろう。それでも朝鮮は明に付いていくだろうな。悲鳴を上げながら。


「琉球は見捨てられた。朝鮮は琉球のように見捨てられたくなければ明に唯々諾々と従うしかないと考えるだろう」

「馬鹿げております」

 主税が呟くように言った。

「俺も馬鹿げていると思う」

 だが朝鮮王と家臣達にとっては明から離れて俺と組む事の方が馬鹿げているんだ。無茶苦茶だよな。だがこのアジアは明を頂点とした冊封体制から成り立っている。俺はその冊封体制に含まれていない。要するに夷なのだ。相手にするわけが無い。


「大殿は明が日本に銀を要求すると見ておられます」

「うむ。朝鮮には銀が無い。明の皇帝にとっては不満だろう。そして日本には銀が有る。朝鮮も明の目を日本に向けようとしている」

「何時頃に?」

 主税が俺をじっと見た。困ったな。


「さあ、分からんとしか言い様が無いな」

「……真に?」

 いや、そう問われるともっと困る。

「明は税は銀で納められる。銀が必要なのだが明の国内では銀を十分に産出出来ない。交易で銀を得るしか無い」

 主税が頷いた。


「当初、明を支えたのは日本の銀だ」

「石見や生野ですか?」

 主税が小首を傾げた。

「そうだ。明は日本との交易で銀を得ていた。但しこれは密貿易、倭寇だ。要するに明を支えていたのは倭寇達という事になる」

 主税が溜息を吐いた。気持ちは分かる。密貿易が明を支えていたなんて信じられんだろう。だがな、経済というのは利で動くだけに正直だ。海禁という明の国是がいかに馬鹿げていたかという事が分かる。王直や利旦の気持ちが良く分かるよ。

 

「だが朽木が大きくなると変わってくる。日本と明の交易で徐々に銀は日本に戻るようになった。これは又兵衛と平九郎に調べさせたから間違いない」

「ええ、そういう話を聞いています。朝廷に報告したとも聞いています。何時頃からなのです?」

「はっきりとは分からんが四、五年程前からだと思う」

 主税が頷いた。


「大殿、明が朝鮮に銀を要求したのもそれが原因ですか?」

「そうなのだろうな」

 史実では日本の銀、イスパニアの銀が明に流れ込み明を支えた。だがこの世界では明から日本に銀が流れている。史実よりも銀が明に流れる量は少ないのだ。足りない分を朝鮮に求めたのだろう。主税、そんな呆れたような顔をするなよ。俺だってこんな事になるとは思わなかったんだ。


「そして今、明を支えているのはイスパニアの銀だ。イスパニアは海の向こうから銀を呂宋のマニラに運んでくる。大体五月頃だ。そして明の商船と交易する。明の商船は絹や陶磁器を運び銀と交換する。そして七月の頭にはイスパニアの船はマニラを去る」 

「……」

「しかしな、状況が変わりつつある」

「それは? アゴーの件ですか?」

 主税が不安そうな表情をした。


「いや、そうじゃない。呂宋のイスパニアが日本に兵を出し負けた事でイスパニアの力が弱体化した。そのせいで倭寇が呂宋の海で暴れ回っている。イスパニアは倭寇を抑えられずにいるのだ。呂宋に行く事を避ける商船が出ている」

 主税が”なんと”と呻いた。

「明に入る銀が減少するのですね」

「そういう事になるな」

 銀の量が減ればその分だけデフレが進むだろう。不景気感満載の明帝国か。おまけに皇帝が暗君万暦帝だ。救いが無いな。


「来年、イスパニアとの戦が始まれば?」

「マニラに来る商船は更に減るだろう。明の使者が来るとすればその後だな」

 七月以降はフィリピンの海は荒れる。戦は来年の前半に終わらせる必要が有る。イスパニアの海上戦力を撃滅しマニラを攻略する。アゴーには補給物資を置くと共に陸上戦力を上陸させて南下させよう。


 イスパニアの銀が明に入らない。影響が出るのは来年の後半だろう。となると日本に使者が来るのは早くても来年の末頃かな? 明との戦はその後という事になる。出来るだけ交渉を引き延ばそう。呂宋から完全にイスパニアを追い出し日本の体勢を整えるまで時間稼ぎが必要だ。ポルトガルがイスパニアに加勢するかもしれない。そこは注意だな。利旦に調べさせよう。戦の準備をしなければならん。アゴーに一万の兵を送る。マニラを攻める兵力は伊賀衆の報告を聞いてからだな。


「大殿、明の使者が来たらどうします?」

「さあ、どうするかな」

 主税が不満そうな表情を見せた。真面目に答えろと思ったのかもしれない。

「明と戦ですか?」

「何故そう思う?」

 主税がジッと俺を見た。


「大殿が明に頭を下げて銀を払うとは思えませぬ」

 こいつには嘘は吐けんな。

「多分、俺の予想では五年以内に起きると思う」

 主税が頷いた。日明戦争か。史実では朝鮮半島で日本と明・朝鮮連合が戦った。日本が攻め込み明・朝鮮連合が防いだ。だがこの世界では海上での戦いになるだろう。そして朝鮮は明側に立って参戦するに違いない。明・朝鮮が攻め込み日本が防ぐ形になる。要するに元寇と一緒だ。


 多くの者は戦争の原因は銀だと思うだろう。違うよ、銀じゃ無い。掛かっているのは東アジアの覇権だ。戦いに勝てば明を頂点にした冊封体制は大きく揺らぎ東アジアのパワーバランスに劇的な変化が生じる筈だ。そして日本はアジア最強の海軍力を持つ海洋国家としての姿を現す事になるだろう。史実とは違う世界史の誕生だ。





 



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― 新着の感想 ―
この頃ヌルハチが建州女真を統一(女真族全部でないけど)して台頭してるはずだから、なんで朝鮮だけ使者を派遣してヌルハチ(女真族)に使者を送ってないんだろ… ヌルハチに火縄銃等を送って戦力強化すれば明の牽…
書籍版19巻、楽しませていただきました。
久しぶりの更新とても嬉しいです。 気になっているところとして台湾はどうするのかがあります。 この時期は特に統一王朝もなく、植民地化もされていませんが1624年頃にオランダ東インド会社が占領しています…
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