表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
285/294

ムスリムの影



禎兆九年(1589年)    五月上旬      山城国葛野郡 一条邸  二条昭実




「なるほど……。庭田権中納言、正親町権中納言が陣定を利用して相国を動かそうとした。政に介入しようとした。左府と勧修寺権大納言はそう思うのでおじゃりますな」

 関白殿下が訊ねてきた。

「はい。麿は気付きませんでした。しかし勧修寺権大納言に指摘されて……」

 権大納言に視線を向けると権大納言が頷いた。

「考え過ぎかもしれませぬ。しかし見過ごしにも出来ず左府に相談致しました」

 殿下が”なるほど”と頷いた。殿下が沈鬱な表情をしている。殿下も気付いていたのだろうか?


 勧修寺権大納言が私の邸に来た。二条家と勧修寺家は決して親密な関係には無い。むしろ勧修寺家の者は二条家を忌諱しているだろうと思っていただけに予想外の訪問に驚いた。だが話の内容はそれ以上の驚きだった。庭田権中納言、正親町権中納言が政に関与しようとしている。そう言ったのだ。陣定を利用して相国を動かそうとしていると……。権大納言が私を訪ねたのは私が左大臣として陣定を主催する者だからだろう。何も気付かなかった。なんと迂闊な事か……。


「あの二人は前々回の陣定で国書を突き返し改めて帝に出し直させるべきだと言いました。出さぬようなら琉球を討伐するべきだと。随分乱暴なと思いましたがその意見が受け入れられる事は無いと思いましたので気にもしませんでしたが……」

「確かにそうでおじゃりましたな。麿も随分と乱暴なと思った事を覚えておじゃります」

 殿下が頷いた。あの時殿下は左大臣として陣定を主催した。覚えているというのは余程に印象に残ったのだろう。


「もし、あの時国書を突き返していればで琉球を討伐する事になったかもしれませぬ。その時は帝の命にて相国が動く、そういう形になった筈でおじゃります」

 私の言葉に殿下が息を吐いた。

「権大納言の話ではあの二人は琉球の違約を知って喜んだのだとか」

「喜んだ……」

 権大納言が”殿下”と呼び掛けた。


「あの二人は琉球攻めの陣定が楽しみだと言っておじゃりました。陣定で琉球攻めが決まれば帝の命で相国が琉球を攻める事になります。内実は公家達の意見で相国が動く事になる。それを望んだのでおじゃりましょう」

「なるほど」

「殿下のお考えは如何でおじゃりましょう? 麿は考え過ぎでおじゃりましょうか?」

 権大納言が問い掛けると殿下が首を横に振った。


「いや、考え過ぎとは思いませぬ。あの二人は朝廷が武家を動かす。公家が帝を利用して天下を動かす事を考えたのでおじゃりましょう」

 殿下も同じ認識なのだと思った。

「陣定を主催する左大臣として気付かなかった事をお詫び致しまする」

「いやいや、それは麿も同じでおじゃります。迂闊でおじゃりました」

 殿下が息を吐いた。そして”厄介な事になりました”と呟いた。


「相国は強過ぎまする」

 ポツンと権大納言が呟いた。私と殿下が権大納言を見ると困惑したような表情を権大納言が見せた。

「相国は強過ぎまする。なれどその強さを朝廷に、公家に向ける事はおじゃりませぬ。そして朝廷の中にも入ろうとしない。朽木は武家である、朝廷を護る者であると律しているのかもしれませぬ。しかしその事は公家達に相国の怖さを忘れさせるのかもしれませぬ。そして相国の強さを利用してみたい。自らが政を動かしてみたいと思わせるのかも……」

 殿下が”愚かな”と首を横に振りながら呟いた。


「力の無い者が力を求める事の怖さを分からぬとは……。後鳥羽の院、後醍醐の帝。どちらも悲惨な事になった。だから朝廷は自らが力を求める事を止め武家に協力する道を選択したというのに……」

 その通りだ。古に溯るまでもない。ひたすら力を求め続けた義輝、義昭兄弟も悲惨な最期を迎えた。何故それが分からないのか……。


「応仁の乱以降、朝廷は衰微し公家達は困窮を極めました。力が無い事の惨めさを嫌と言うほど思い知らされたのです。だからこそ今、力を求める者が出るのかもしれませぬ」

 権大納言の言う通りだとしたらこれからも力を求める者が出るのかもしれない。朝廷が安定し公家達が貧に怯えずにすむようになったのはこの十年ほどなのだ。まだまだ、あの苦しかった時代を忘れる事は出来ないだろう。


「この件、太閤殿下にお伝えしなければならないと思いますが? その上で対策を考えなければ……。相国にも伝えなければなりますまい」

 私が提案すると殿下が”そうでおじゃりますな”と同意した。

「相国はさぞかし不快に思いましょう」

 権大納言の言葉に殿下が”ふふふ”と苦笑を漏らした。


「さあ、それはどうでおじゃりましょうな」

 はて、どういう事だろう? 権大納言も訝しげな表情をしている。我等二人を見て殿下の苦笑が更に大きくなった。

「あの二人だけではおじゃりませぬ。他にも朝廷を利用して相国を抑えようとした者がおじゃります」

「なんと」

「まさか」

 私と権大納言が声を上げると殿下が首を横に振った。一体誰が……。まさか前関白の兄か? 兄なら有りそうだが……。


「左府、如何された。表情が硬いが」

「あ、いえ」

 口籠もると殿下が得心したように頷いた。

「前関白殿下ではおじゃりませぬぞ」

 ホッとした。慌てて”畏れ入りまする”と頭を下げた。となると一体誰が……。


「琉球人です。相国が琉球を攻めようとしていると知って朝廷と琉球で和を結ぼうとしたのです。朝廷に相国を抑えさせようと考えたのでおじゃりましょう……」

「なんと……」

「まさか……」

 溜息が出た。権大納言も溜息を吐いている。とんでもない話だと思った。だが兄が関白だったら……。身体が凍り付くような恐怖を感じた。兄なら受け入れたかもしれない。相国を抑えられると喜んだだろう。そして朝廷と相国の間でとんでもない騒乱が起こったに違いない。


「幸いな事に琉球人に相談された商人は協力を断りました。だから朝廷への接触はおじゃりませぬ。ですが相国はそれを知り太閤殿下に相談しました。その際ですが相国は朽木は武家の格が低い。だから朝廷の信任を受けたという形で武家の棟梁になったと言ったそうです。その事は琉球人に朝廷には朽木を抑える力が有ると思わせたのだろうと。そしてこれからもそう考える者が現れるかもしれないと……」

 実際に庭田権中納言、正親町権中納言の二人が現れた。


「太閤殿下のお考えは如何でおじゃりましょう?」

 勧修寺権大納言の問いに殿下が表情を厳しくした。

「酷くお怒りでおじゃります。もしかすると相国よりも事態を重く見ているかもしれませぬ。朝廷を支えているのは相国、その相国の権威を貶めるような事はしてはならぬと。朽木が揺らぐ時は朝廷も揺らぐのだとお怒りでおじゃりました」

 素直に頷けた。朝廷には強く頼り甲斐の有る武家が必要なのだ。相国は朝廷を重んじている。頼りになる武家なのだ。それを忘れてはいけない。


「そして相国の、朽木家の血を朝廷が高めなければならないとも言っておじゃりました」

 血を高めるか。言っている事は分かる。しかしどうやって……。考えていると”左府”と殿下に呼ばれた。厳しい目で私を見ている。姿勢を正した。

「何でおじゃりましょう?」

「順当に行けば麿の次は左府が関白に任ぜられましょう。今の事、決して忘れてはなりませぬぞ」

「御教示、肝に銘じまする」

 頭を下げると殿下が満足そうに頷くのが分かった。なるほど、関白の心構えを諭されたのだと思った。兄の事が有る。不安に思ったのかもしれない。弟にも話しておくべきだろうな。


「庭田権中納言、正親町権中納言は麿から注意しておきましょう。帝にもお伝え致します。暫くは権大納言への昇進は難しいでしょうな」

 殿下が”ほほほほほ”と笑い声を上げた。勧修寺権大納言と共に笑い声を合わせる。陣定は上の者の意向を読み取るのが大事と聞いていたがその通りだな。




禎兆九年(1589年)    五月中旬            近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




 壺を磨く。何かね、ぽっかりと時間が空く事が有る。本当はこの時間は人と会っている筈なんだが予定がキャンセルになった。そういう時は無理に仕事を探さない。壺を磨いたり庭を散策したりしてとりとめの無い事を考える。これが大事なんだ。理詰めで考えて疲れるんじゃなくあっちこっち思考が飛ぶのが良い。疲れないんだ。でも記憶には残るんだよ。後で役に立つ事も有る。丹波焼きの壺。この壺も長いなあ。磨いているから色艶が良いんだ。おとなしめの若草色が何とも言えない。


 今夜は誰だったかな? 昨日は桂だったから夕か。明日の夜は藤でその次は小夜だ。うん、ローテーションを守るのは大変だけど未だ未だ頑張らないと。これは色恋じゃ無い。政だ。朽木の天下には娘が必要なのだ。幸い女達は皆美人だ。性格も良い。生まれた娘には期待出来る。ガンガン子供を作って朽木の血で天下を安定させる。壺を磨く手にも力が入るわ。幸いローテーションを組んでいるから何時でも女達には新鮮な気持ちで向き合える。飽きたとか倦怠期なんてものは俺には無い。


 天下人は子沢山でなければならないのだ。源氏が三代で終わったのは頼朝に男子が少なかったから、妻の政子が嫉妬深かったからだ。目指せ! 息子二十人、娘二十人。合わせて四十人だ。閨の世界でも俺は天下人になってみせる! 夜の征夷大将軍、夜の太政大臣だ! ……阿呆な事ばかり考えてるな。いや、阿呆じゃ無いな。子供が必要なのは事実なのだ。そこから目を背けてはならない。四十一歳、未だ老けるには早いさ。よし、磨き終わった。


 良いね、この壺、落ち着くわ。奥州の大名達が自ら小田原に出頭した。大樹が五万の兵を黒川城に送ったからな。慌てたようだ。どうも降伏すると言って時間稼ぎをするつもりだったらしい。愚図って大樹から譲歩を引き出そうとしていたようだ。まったくなあ、往生際が良くないわ。あの連中の頭の中は未だ足利の天下なのだろう。笹野村の戦いでも逃げたから負けたという意識が薄いのかもしれない……。


 風魔を呼ぼう。関東に移ったあの連中を調べさせるのだ。多分、不満一杯な筈だ。誰か一人、それを理由にして藤吉郎に潰させる。藤吉郎の出自を知ればぎゃーぎゃー騒ぐだろうな。同調する連中もいるかもしれない。構わない、纏めて潰す。俺に訴える奴も居るだろう。家柄を持ち出す奴も居るだろう。全部無視だ。世の中は変わった。足利の権威は通用しない。朽木の権威をこそ尊べ。骨の髄まで思い知らせてやる。藤吉郎に後で文を書こう。


 奥州の片倉小十郎から文が届いた。上方で見聞を広める事が出来た事、それと俺に色々と配慮して貰った事を感謝していると書いてあった。主君の伊達藤次郎からも文が届いた。小十郎への配慮に感謝していると書いて有ったな。律儀なんだよ、二人とも。それと伊達家も近江に家臣を常駐させたいと言ってきた。奥州は遠いので何かと不便だから信頼出来る家臣を置いて俺との連絡役にしたいそうだ。毛利と同じだな。悪くない。それだけ朽木を重視しているという事だからな。こちらに来る家臣は石母田左衛門景頼と書いてあった。六月の中頃に来るらしい。邸を建てたいので適当な土地を頂きたいとも書いてあったから用意しないと。


 江戸幕府みたいに大名達を近江に集めるべきかな? 邸を構えさせ参勤交代とかやらせる? あんまり好きじゃ無いんだよな、あれ。俺には大名苛めにしか思えない。しかし室町幕府も守護達を在京させた。将軍のお膝元に守護や大名を集める事で将軍の権威が高まった事は事実だ。室町幕府が衰退したのは守護達が在京しなくなった事が一因として有る。そして朽木は権威を必要としている。


 参勤交代で街道に銭が落ちた。それによって街道が整備され宿場町が発展した。江戸に大名とその家臣が集まる事で江戸に銭が落ち消費経済が発展したという面も有る。江戸が大都市に成り日本の首都になったのは江戸幕府が二百五十年以上続いて大名達が江戸に銭を落とし続けたからだろう。もっとも大名達は出費で苦しかった筈だ。江戸は物価が高かっただろうからな。参勤交代の費用、邸の維持費、人件費、他藩との交際費……。銭は幾ら有っても足りない。領民は増税で相当絞られた筈だ。


 邸は作らせよう。留守居役を置かせる。参勤交代は五年に一度は顔を見せろという緩いものにしよう。行列も簡素なもので良い事にする。負担は大分減る筈だ。その分だけ領内の開発に力を注げる。謀叛を考える奴が現れるかな? 上杉、毛利、伊達、最上……。現れるかもしれない。だがそれを潰せるだけの力を整えておけば問題は無い。そして国の外に皆の目を向けさせられれば……。国内で争っている場合じゃないと分かるだろう。


 武家の法度も作らねばならん。朽木仮名目録ではない。朽木版武家諸法度が必要だ。その中で参勤交代も制度として制定する。これは公事奉行の役目だな。俺と守山弥兵衛で考えなければ……。そこには相談役も入れよう。相談役には重蔵も居るし曽衣も居る。幅広い視点で意見を言って貰えば良い。法度はあまりガチガチにしないようにしよう。末期養子も認める。大名潰しに血眼になるような政権は作りたくない。


 そう言えば京の伊勢兵庫頭から中御門大路に作っていた隠居所が出来上がったと報せが有ったな。検分に来て欲しいと。もっとも公には未だ普請中となっている。理由は出来上がったと公表すれば祝いの客が押し寄せかねないからだ。琉球王に献上するのだ。祝いの品は要らん。月末に大評定だ。その前に行ってこないと……。


 奥州が統一された以上、如何治めるかを決めなければならん。東北を発展させようとするならやはり仙台だな。青森や弘前は南部、津軽が居るし仙台平野は東北で最大の平野だ。此処を拠点に発展させる。奥州総奉行を作ろう。奥羽、出羽を一元的に治めさせるのだ。奉行は誰にしようかな? 街道の整備、河川の整備。やっぱり兵糧方から選ぶべきだよな。蒲生忠三郎は如何かな? 後で検討だ。奥州総奉行については直ぐに奥州の大名達に通達しておこう。その方が良い。


 奥州の統治で気を付けなければいけないのは最上だ。こいつは信用出来ない。謀叛は起こしそうに無いが最上の得になると思えば混乱を起こす事に躊躇うとは思えない。それに奥州には藤次郎が居る。簡単に謀叛を起こすとは思えないが覇気が強過ぎるからな。抑えが無いと暴発しそうだ。俺が生きている間は大丈夫だと思うが……。溜息が出るわ。他にも奥州には南部と津軽という火種も有る。津軽は親朽木だと思うが南部は分からん。注意が必要だ。……奥州に親朽木の大名を作る必要が有るな。九戸だ。こっちにもって来ようと思ったが止めだ。九戸は奥州に置く。弟が居たな。分家させよう。それぞれに五万石ほど与えるんだ。それと伊達の家中を懐柔しよう。伊達家中を親朽木にすれば藤次郎を抑えてくれる筈だ。


 蝦夷地を如何するかな? 史実だと蝦夷は蠣崎(松前)なんだよな。でもこの世界だと安東なんだ。蠣崎は史実だと勢力を伸ばして安東氏から独立するんだがこの世界では上手くいかなかったらしい。安東氏の配下に留まっている。安東氏の勢力範囲なんて北海道の渡島半島までだ。その先には手が出ていない。安東氏の勢力範囲を確定しよう。そしてそれ以外の地は朽木領として探検隊を送る。植民も考えなければならん。


 塩津浜、敦賀間の水路は現地で測量を始めた。城造りの縄張りみたいに土を掘るところを縄で確定するらしい。こういうのって兵糧方は得意なんだな。街道の整備も道幅を決めてから縄を張って作業するのだと聞いた。当たり前なんだが下請けみたいな組織も有る。兵糧方ってきちんと組織再編をした方が良いな。俺が思ったいたよりもずっと大きくなっている。兵糧方の下に調達係、普請係、測量係を作ろう。調達係は資材、武器弾薬を調達し普請係は土木作業、測量係は文字通り測量だ。出来れば日本地図を作らせたい。


 でもなあ、これって相当に数学の知識が要るよな。伊能忠敬が日本地図を作成したのって江戸時代の後期だよ。今から二百年は先だ。江戸時代になると戦が無くなって学問に力を入れるようになった。和算も江戸時代に発展した。あれって元は中国からの導入だよな。この時代にも有る筈なんだがどうなってるんだろう? 算盤は俺が普及させたがさっぱり分からん。まあ良い。目標として日本地図作成を掲げよう。そうすれば必要な知識として和算も発展する筈だ。次の評定で話そう。その前に右兵衛尉の叔父、左衛門尉の叔父に話してみよう。


 九州では佐吉が切支丹の寺院と幾つかの寺を破却した。伴天連達は騒がなかった。信徒達も大人しく受け入れたが日本の寺の方で騒動が起きた。破却に反対して信徒を集めて妨害しようとしたらしい。佐吉は兵を動かして信徒を追い払い扇動した坊主は全員首を刎ねた。その上で寺を破却した。寺に有った財産は没収して仏像は焼却したそうだ。偉いぞ、佐吉。良くやった。


 日置左門が大活躍したらしい。坊主共が”仏罰が下るぞ”と脅したそうだが左門は”そんなものが怖くて天下が獲れるか!”と笑い飛ばしたらしい。左門、流石は日置家の男だ。見事だぞ。政に違反すれば寺は潰すし坊主が騒げば首を刎ねる。特権などは認めない。朽木家のテーゼだ。九州の坊主共もこれで大人しくなるだろう。これで分からないようなら信徒も纏めて根切りと焼き討ちだ。そろそろ佐吉も戻さないと。久し振りに佐吉の頭が見たくなった。顔じゃ無いぞ、頭だ。あの独特の形が良いんだよ。


 ファン・コーボは捕虜を連れて帰った。大喜びだろうな。俺を甘いと思ったかもしれない。だがな、日本とイスパニアの間には他にも火種は有るぞ。アゴーは間違いなく火種になる。それも大きな火種にだ。琉球を征服すれば必ず李旦はこちらに接触してくる。アゴーと日本を結び付けようとする筈だ。アゴーもそれを望むだろう。服属の条件はアゴーの自治を認める事。そんなところだろうな。アゴーが日本領になれば嫌でもイスパニアと日本の関係は緊張する。マニラの日本人町もこちらの影響を強く受ける事になる。そして倭寇はこれまで以上にアゴーを利用するだろう。それはマニラ・ガレオン貿易に支障が出る事を意味する。イスパニアは日本領のアゴーが邪魔になる筈だ。


「うふふ」

 笑った。壺を磨く手に力が入る。おかしいよな、本当におかしい。李旦はイスパニア、ポルトガルが邪魔だと言っていた。俺に近付いたのは日本を使ってイスパニア、ポルトガルを排除するのが目的だと思っていた。でもそれだけじゃないのかもしれない。李旦が本当に組んでいるのはムスリムの可能性が有る。だとすれば李旦は俺とムスリムを繋げようとするだろう。


 ムスリム、イスラム教徒の事だ。アラビア半島でイスラム教が成立したのが七世紀の初頭だった。同じ頃にアジアでは唐が成立している。イスラム教はシルクロードを通って中国に伝わった。現代でもアラブ世界から中央アジアはイスラム教の勢力が強い。だが海からもイスラム教は伝わったのだ。海のシルクロードと呼ばれる交易ルート、アラビア半島からインドを通って船でイスラム教が東南アジア、中国に伝わった。


 イスラム教徒達は中国の沿岸部と東南アジア、インドを行き来して活発な交易を行ったらしい。中国に留まる者も多かったと聞く。沿岸部には裕福なイスラム商人が沢山居たのだろう。そのイスラム商人が大きく活躍するのが元の時代だ。色目人と呼ばれて優遇された。随分と良い思いをしただろう。アジアの海はイスラム商人が活躍する場所だった。今では東南アジアでもイスラム教を国教とする国が誕生している。


 だが十五世紀になると大航海時代が始まり十六世紀になると大航海時代の波はアジアにも及ぶ。ポルトガルの進出でイスラム商人が没落しポルトガル商人がアジアで活躍するようになる。イスラム商人にとってポルトガルもイスパニアも邪魔な存在だろう。イスラム教を信じる国でも目障りな存在の筈だ。史実ではそうなんだ。そういう風に教わった。だがこの世界ではどうなるか……。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
江戸幕府の行った参勤交代は中央集権の加速化と江戸の周りだけの発展だよね。地方に財政負担を強要して弱体させて反抗されてもすぐ潰せるように。ただ開国した直後は大陸に近い、弱体化させたはずの西日本の力が強く…
安東氏出た!初登場じゃないか? 奥州征伐で名前がなかったけど、どう動いたんだろう。 関東に移されていないようだから、南部と同じタイミングでくだったのかな?
信長の親父は本当に40人くらい子供作ったけれど信長以外パッとしなかったんだよなぁ 弟が秀吉、光秀級の人物ならガンガン引き上げて使っただろうし
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ