危機感
禎兆九年(1589年) 四月下旬 山城国久世郡 槇島村 槇島城 百地泰光
大殿が厳しい表情でお茶を飲んでいる。このお方は分からぬ。時折ぼんやりと考え込む事も有れば今のように厳しい表情を見せる事も有る。一体何を考えているのか……。大殿が一つ息を吐いた。
「聞き忘れたが朽木に関わりの有る者はアゴーを利用しているのか?」
「はい、何処にも属しておりませぬから利用しやすいようで……。商人は勿論でございますが九鬼、堀内の船も利用しております」
近年、アゴーを訪れる船は増え続けているらしい。日本に来る中継地となっている。
「伊賀衆もか?」
「はい。アゴーからですとマニラの動きは良く分かります。我等はアゴーとマニラの両方に人を入れております」
大殿が頷いた。
「アゴーの者達は朽木を如何見ているのだ?」
「驚いております。朽木が天下を統一しつつある事、そして日本の外に出ようとしつつある事に」
大殿が”ふふふ”と笑った。
「厄介な事になったと思っているのではないか?」
「多少はそういう部分が有るかと」
大殿がまた”ふふふ”と笑った。不快には思わないらしい。この辺りが不思議な所よ。
「アゴーの町は誰が治めているのだ?」
「浜木文四郎という者が長として町を治めております。年は三十を超えたばかりで」
大殿が”ほう”と声を上げた。
「若いな、アゴーの長は世襲か?」
「いえ、長は死ぬか自ら引退を選ぶまで長で有り続けます。文四郎は二年前に長に選ばれました。四十年程前、文四郎の父の代にアゴーに移ったそうです」
「では文四郎はアゴー生まれのアゴー育ちか」
「はい。他に寄合衆というのが十人居ります。町の有力者で長を助けてアゴーの町を治めております。長を選ぶのもこの者達です」
大殿が”なるほど”と頷いた。
「その文四郎だが寄合衆の傀儡か? それとも力は有るのか?」
「力は有るようで」
大殿がニヤリと笑った。どうやら楽しんでいるらしい。
「文四郎と寄合衆は現状を如何見ているのだ?」
「日本とイスパニアはいずれはぶつかる。そのなかでアゴーはどちらかを選ばなくてはならなくなると見ております」
大殿が頷いた。
「何故そう思う?」
「大殿は未だ四十を超えたばかり、内に引き籠もるより外に出るだろうと見ております。実際琉球は攻められつつあります。それに李旦が」
大殿が”李旦?”と声を上げた。
「李旦が絡んでいるのか?」
「はい、李旦は文四郎、寄合衆と昵懇の仲にございます。李旦は大殿が現状に満足しているとは思っておりませぬ」
大殿が一つ息を吐いて”ふふふ”と笑った。
「海賊め、アゴーと倭寇の仲立ちをしているのが李旦だとしても俺は驚かぬな」
「某も驚きませぬ」
その可能性は大きいだろう。
「まあ良い。いずれアゴーは李旦を通してこちらに接触してくるだろう。多分、琉球攻略の後だな。それを待とうか」
「それが宜しいかと」
こちらから早々と動いてはアゴーに足元を見られかねぬ。動くのは後で良い。だが現状は認識して頂く。それが相手に甘く見られないコツだ。
「待てよ」
大殿が宙を睨み一つ膝を叩いた。音が高い。厳しい表情をしている。
「俺も焼きが回ったか!」
「?」
「大事な事を見逃していた。丹波守、李旦とムスリムの関係を調べてくれ。ただの元倭寇かと思ったがそうでは無かったのかもしれぬ」
「はっ!」
身が引き締まった。大殿が何かに気付いた。何だ? ムスリムが絡んでいるようだが……。
「アゴーが現状を厳しく見ているのは分かった。それでイスパニアは如何なのだ? アゴーを攻めるつもりなのか?」
「分かりませぬ。ですが呂宋の総督が本国に兵の増強を願った事は分かっています」
大殿が口元に力を入れた。予想外の事だったらしい。
「兵の増強か。どの程度だ?」
「残念ですがそこまでは」
大殿が息を吐いた。
「本国からとなれば早くても一年後だ。アゴー攻めを考えての増強なら一年後には兵が届くだろう。だが日本に対抗するためとなれば相当の兵力が必要だ。揃えるのは簡単では無いが……」
大殿が眉を顰めた。相手の狙いが読めない。それが不快なのだと思った。
「長崎の一件でイスパニアは兵を損じました。その影響で倭寇が勢いを増しております。マニラに来る明の商船が襲われているのです。アゴーの件、大殿の琉球攻めを除いてもイスパニアが危機感を強くするのは当然かと」
「そうだな」
大殿が頷いた。そしてまた膝を叩いた。
「これまで南の海はそれなりに安定していたのだろうが俺が琉球を攻めた。琉球は滅ぶ。その事が南の海を混乱させている」
「……」
大殿が”ふふふ”と笑った。
「荒れるぞ。イスパニアが兵を増強するのだ。他の国も増強するだろう。一気に鍋が煮え滾ってきた。誰が煮られる事になるのか……」
また大殿が”ふふふ”と笑った。
「丹波守、呂宋の地図を用意してくれ」
「どのような?」
問い掛けると大殿がジッとこちらを見た。
「呂宋全体の地図とマニラの地図だ。それとは別に兵、軍船の配置図も欲しい」
「はっ! 何時までに?」
大殿が”そうだな”と言ってお茶を一口飲んだ。
「呂宋全体の地図とマニラの地図は年内に頼む。兵、軍船の配置図は年明けで良い」
年内には攻めない?
「遅くなると兵が増えますが?」
「構わぬ。明と朝鮮の動きも未だ見えぬのだ。慌てる必要は無い。それより兵の練度と武装も調べてくれ。そちらの方が大事だ」
「分かりました」
やる気だ。大殿は呂宋を攻めようと考えている。
「日本は戦国乱世が終わったが海の外はこれからが本番だ。楽しくなってきたな、長門守」
「はっ!」
このお方は乱世を楽しんでいるのだと思った。天下は統一された。このお方はそれを詰まらなく思っていたのかもしれない。だが海の外が有る。これからはイスパニア、ポルトガル、明、朝鮮が相手の天下統一だ。琉球は煮られた。次に煮られるのは……。
禎兆九年(1589年) 五月上旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 ファン・コーボ
「お久しゅうございまする。相国様にはお変わりも無く心からお慶び申し上げます」
マニラの日本人町から通訳として連れてきたゼンスケ・カガミが日本語に訳してくれると相国が頷いた。左右には相国の重臣達が四人ずつ控えている。こちらを重視しているのだと思ったが私を見る視線は厳しい。嫌でも身が引き締まった。
「久しいな、コーボ神父。暮れにマニラに帰ってまた日本に来たとは御苦労だな。海は荒れなかったか?」
相国が私を労ってくれた。彼の視線は柔らかい。だが油断は出来ない。この男ほど腹の読めない男は居ない。
「いえ、それほどには」
「そうか。だが帰りは急いだ方が良かろう。呂宋はこれから海が荒れるからな」
「お気遣い、有り難うございまする」
こちらの事は良く知っているのだと思った。
「琉球攻めの事、驚いたかな?」
「はい、驚きました」
驚いた。まさかそちらから切り出してくるとは……。相国が頷いた。
「琉球王が余りにこちらを愚弄した態度を取るのでな、滅ぼす事にした。そなたがマニラに帰る頃には琉球が滅んだと報せが届くかもしれんな」
気負いは無い。もう彼の頭の中では琉球は滅んでいるのだと思った。
「昨年の暮れですが王が亡くなり新たな王が即位したと聞きましたが?」
相国が”ふん”と鼻で笑った。
「顔が変わっただけだ。俺を愚弄する姿勢は変わらぬ」
私へ、いやイスパニアへの警告だな。自分を馬鹿にするなと言っている。
「明の皇帝は如何思いましょう?」
相国がまた”ふん”と鼻で笑った。
「面白くはなかろうな。だが兵を出せるかな? 戦は金がかかる。しかし明の皇帝は遊ぶのが忙しそうだぞ。朝鮮に遊ぶための銀を差し出すように命じたそうだ。戦に金を使うのは嫌がろう」
思わず耳を疑った。ゼンスケに本当に銀を差し出せと命じたのかと問うとゼンスケは怒ったように相国はそう言っていると答えた。相国はこちらをニヤニヤと笑いながら見ている。馬鹿な……。
「信じられぬか? だが事実だぞ」
「……」
「イスパニアは明に関心が有ると思ったのだがな、皇帝の事は良く知らぬのだな」
嘲りが有ると思った。直接言葉を交わしているわけではない。ゼンスケに訳して貰っている。それでも感じるのだ。こちらを嗤っていると……。そして我等が明に強い関心が有る事も察している。
「それでもイスパニアが銀をマニラに運んだ。明の商人達が一生懸命銀を国内に運ぶ筈だ。絹や陶磁器と交換してな。皇帝は喜んで銀を搾り取るだろう」
顔が強張る。この男を甘く見るな! 戦だけが取り柄の男では無い。銀の流れも把握している。極めて厄介な男だ。そして明は皇帝が馬鹿だ。頼りにならない。その事も見切っている。
琉球攻めで明と日本の関係は間違いなく悪化するだろう。だが明と日本が戦争に突入する可能性は思っていたよりも低いのかもしれない……。となれば相国が明よりもイスパニアを危険視する可能性は有る!
「マニラの総督から相国様宛の書状を預かっております。御披見を願いまする」
書状を二通出す。一通はイスパニア語、もう一通は内容は同じだが日本語で書かれたものだ。相国が脇に控える重臣に視線を向けると重臣がこちらに近付いて書状を受け取った。そして相国に渡す。
「ほう、一通は日本語か。気が利くな」
相国が文を読み出す。二度読んだ。満足そうな表情をしている。そして両脇に控えた重臣達に視線を向けた。
「イスパニアの総督はコエリョに騙され長崎に兵を出した事を申し訳なく思っているそうだ。日本が怒るのも当然だとな」
重臣達が満足そうに頷いた。
「総督は日本と良好な関係を築きたいと願っている。コーボ神父に交渉の全権を委ねるので彼と交渉して欲しいそうだ。日本側が望む銀は用意する事は難しい。代わりの物を用意したと書いてある」
今度は重臣達は不満そうだ。相国が声を上げて笑った。
「そう不満そうな顔をするな。代わりの物も中々の物だぞ。そうだろう?」
相国がこちらを見た。
「勿論にございます。銀も僅かではございますが用意致しました。他に香辛料を」
相国が頷いた。
「銀は一万両だったな。香辛料は丁子、肉ずく、胡椒。中々の物だ。それに奴隷として売られた日本人も連れてきた。二十人ほどな」
「はい、我等は相国様を無視するつもりは有りませぬ。マニラに二十人ほど奴隷になっていた者達が居りましたので連れてきました。総督はアカプルコ、本国にも日本人を返還して欲しいと頼んでおります。そちらは時間がかかるかと」
これで一年は時が稼げる。そして一年後なら兵力も増強する。
「そうだな、来年以降だな」
「銀が少ないように思いますが」
重臣の一人が言った。
「そう言うな、平九郎。銀は一万両だが香辛料も持って来たのだ。売れば銭になる」
「それはそうですが」
相国がこちらを見た。
「もともと五十万両の銀を払えるとは思っておらぬ。だが俺は神父の為人も力も何も知らぬ。だから敢えてふっかけさせてもらった。神父がどの程度信用出来る人物なのか、俺に敬意を払っているのか、総督との関係はどうなのかを知るためにな」
「……」
「神父は十分に俺の期待に応えてくれた。俺に敬意を払っている事、信用出来る事、総督の信頼が厚い事も分かった。こうして謝罪の書状も貰ったのだからな」
相国が書状をポンポンと叩いた。
「畏れ入りまする」
「長崎の件はこれで終わりだ。後はイエズス会が俺に誠意有る対応が出来るかだな。コーボ神父は捕虜を連れてマニラに戻られると良い。捕虜を運ぶ船は俺が手配しよう」
「有り難うございまする」
ホッとした。予想外の上首尾だ。やはり相国は明を重視しているのかもしれない。前回厳しく出たのは自分の顔を立てろという事なのだろう。
「ところで、総督は兵の増強を本国に頼むと聞いたが本当かな?」
思わず表情が動きそうになって堪えた。如何答える? 嘘は駄目だ。嘘を吐いても来年には分かるのだ。意味が無い。
「はい、倭寇の勢いが増しております。総督は今のままでは倭寇を抑えきれないと危惧しているようです」
相国が頷いた。嘘では無い、だがそれが全てでは無い。総督が本当に怖れているのは目の前の男だ。
「明の皇帝が悪政を布いているからな。海に出る者が増えるようだ。兵が足りぬのなら何時でも俺に言うと良い。多少は力になれると思うぞ」
「有り難うございまする。総督に必ず伝えまする」
相国が満足そうに頷いた。背中を気持ちの悪い汗が伝わる。疲れる男だと思った。
禎兆九年(1589年) 五月上旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
ファン・コーボと通訳が帰ると皆が物問いたげに俺を見た。
「何だ、言いたい事が有るなら遠慮せずに言え」
声をかけると又兵衛がもじもじしながら”あの”と言った。
「あれで宜しかったので? 些か罰が軽すぎるのではないかと思うのですが……」
何人も頷いている。一番強く頷いているのは平九郎だ。もっと銀を搾り取れとでも言いたかったのだろう。
「構わぬ。イエズス会は不満に思うだろうな。自分達と扱いが違うと。この件でコーボ達がイエズス会に積極的に協力する事は無いだろう」
何人かが頷いた。でも残りは不満そうだ。あのな、敵は分断して叩く。基本だろう。その事を言うと漸く皆が不満そうな表情を消した。いや、平九郎が不満そうだ。
「未だ不満か、平九郎」
「イスパニアは攻めませぬので?」
「攻めるぞ」
平九郎が満足そうに頷いた。
「だが先ずは琉球を安定させる事が最優先だ。明、朝鮮の動きを見定める必要も有る。イスパニア攻めはその後だな」
皆が頷いた。火種は他にも有るのだ。慌てる必要は無い。
「イスパニアが兵を増強しますが?」
舅殿が心配そうな声を出した。
「呂宋は島だ。そしてイスパニアの本国とは距離が有る。兵を増強すると言っても船で運ぶのだ。簡単では無い。先ずはどの程度増強するのか、見させて貰おう」
増強前に攻めるなら来年の春先だな。イスパニアが運ぶのは新大陸の原住民かもしれない。さて、どうなるかな。




