日本の港
禎兆九年(1589年) 四月下旬 山城国葛野郡・愛宕郡 押小路通 二条昭実邸 二条昭実
邸に戻ると対面所で相国が待っていた。
「お待たせ致しました」
「いえ、それほどでも」
相国は穏やかな雰囲気を醸し出している。せっかち、短気といわれているが待てない男ではないのだろう。こちらを威圧するような事も無い。おかげで相国を前にしても必要以上に構えずに済む。
「内裏でお待ち頂ければ……」
相国が顔を綻ばせた。
「某が内裏に居ては公家の方々が自由に発言出来ますまい」
「そのような事は無いと思いますが」
「それなら良いのですが……、或いは急かしているように思うかもしれませぬな。某はせっかちで有名ですから」
相国が声を上げて笑う。釣られて私も笑ってしまった。
相国は朝廷を尊崇する姿勢を見せているが朝廷の中に積極的に入ろうとはしない。公家に馴染もうとはしない。親しくなるのはごく僅かだ。そして足利のように公家を扈従させようともしない。朝廷の中で勢力を振るう事を避けているようだ。朝廷とは一線を画している。自分は武家だという意識が強いのかもしれない。
「関白殿下の所でも良かったのではおじゃりませぬか?」
殿下の北の方である内親王様と相国は従兄妹だ。内親王様の相国への御信頼は相当に厚いと聞く。此処よりも居心地が良かったと思うのだが……。
「いや、陣定を統括するのは左大臣でございます。ここで待つのが道理でございましょう」
こういう所は筋を通したがるのだな。有り難い事だ。御蔭で相国から嫌われているなどと妙な噂が流れずに済む。皆から危ぶまれる事も侮られる事も無い。
「琉球王の事、皆が受け入れに賛成しました。帝が明の皇帝と同じ立場になる。公家達も嬉しいようでおじゃりますな。何と言っても足利の事がおじゃります。あれは屈辱でおじゃりました」
相国が”なるほど”と頷いた。
「それが有りましたな。銭を得るためであったのでしょうが……」
足利は義満が明に従属し日本国王に任じられた。義満に朝廷を軽んじるつもりは無かっただろう。自分の権力を安定させるために富を必要とした。自分の権力を安定させる事が朝廷を安定させる事になると考えたに違いない。しかし朝廷にとっては屈辱であった。義満は帝よりも皇帝の方が上だと示したのだから。そして義満が朝廷のために使った銭は明から得た銭だった……。
「琉球道の事も受け入れておじゃります。帝に奏上しますと琉球王を受け入れ琉球王国は琉球道にするとの事でおじゃりました」
相国が大きく頷いた。満足しているのだと思った。
「では次は」
「はい、琉球王の令外官を制定しなければなりませぬ。ところで、琉球攻めの方は如何でおじゃりましょう?」
問い掛けると相国が”順調のようです”と答えた。
「このままなら遅くとも六月の始めには戦は終わりましょう」
六月の始めか。あと一月だな。琉球からの移動を含めても七月半ばには琉球王は日本に来るだろう。
「では急がなければなりませぬな」
「はい、お手数をお掛けしますがよしなに願いまする」
相国が頭を下げた。いかぬな。
「いやいや、これは朝廷にとっても大事な事におじゃります。手数などとは思っておりませぬ」
今度は相国が軽く目礼してきた。こちらも恐縮する素振りをした。相手は天下人なのだ。当然などという素振りは出来ぬ。だが、かなり丁重な男だと思った。前関白の兄は何故相国を敵視したのか……。
「某は近江に戻らなければなりませぬ」
「なんと! 随分と慌ただしい。京に来たばかりというのに」
驚くと相国が苦笑いを浮かべた。
「呂宋のイスパニアから使者が来たと報せが入りました。九州から瀬戸内に入り堺を目指しているようです。その後は近江に来る筈です」
「なんと! 琉球を攻めた事が影響しているのでおじゃりますか?」
驚く事ばかりだ。思わず身を乗り出して問い掛けると相国が頷いた。
「琉球から南に船を出せば直ぐに呂宋です。こちらを宥めようというのでしょう。一体どんな話しを持って来るのか……」
相国が”ふふふ”と笑った。余裕が有る。強者の笑いだと思った。日本は強者になったのだと実感した。
「楽しみでおじゃりますな」
「はい、楽しみでございます」
二人で顔を合わせて笑った。うむ、悪くない。少しずつ距離を縮めていこう。信頼されるようにしなくてはならぬ……。
禎兆九年(1589年) 四月下旬 山城国久世郡 槇島村 槇島城 朽木基綱
二条左府の邸から槇島城に戻ると百地丹波守が待っていた。いや、正確には俺が槇島城で待っていろと命じたんだけど。
「待たせたか?」
「いえ、それほどでも」
丹波守が笑っている。うん、これは結構待たせたのかもしれない。丹波守の前には茶碗と御茶請けの皿が有るが皿は空だ。だが茶碗には半分以上お茶が有る。御茶請けはカステーラ、お茶は二杯目だろう。改めて御茶と御茶請けを用意するように命じた。
「済まぬな。思ったより陣定に時がかかった。それで、呂宋からファン・コーボが来たのだな?」
「はい、長崎でフロイス達と会っております。そろそろ堺に着きましょう」
「フロイス達は同行しているのか?」
丹波守が”いいえ”と首を横に振った。本来なら一緒に来るべきなんだよな。それが来ない。琉球攻めで相当に焦っているのかもしれない。いや、焦っているな。今は四月の末だ。マニラに帰るのは六月になる。そろそろ台風が発生する頃だ。危険を承知で来たのだろう。
「南蛮の寺が破却されております。そちらの対応で忙しいようで」
なるほど、それが有ったな。ファン・コーボにとっては誤算かな? だとしたら良いタイミングで破却した事になるんだが……。
「フロイス達は不満だろう。騒ぎを起こしそうか? 信徒は未だそれなりにいる筈だが……」
丹波守が首を横に振った。
「コエリョが失敗しております。騒乱はあっという間に鎮圧されました。それに九州には石田殿の八千の他に日置殿の一万の兵が有ります。なかなか……」
簡単には武力行使には踏み切れないか。イスパニアも敗れたからな。頼りになる味方は居ない。大人しくせざるを得ない。となると俺はファン・コーボだけを相手にすれば良いわけだ。良い傾向だな。
「呂宋のイスパニアは大分慌てているようだな」
丹波守がニヤリと笑った。
「船を失った事で倭寇が大分暴れておりまする。マニラに来る明の商船が襲われ問題になっているようで……」
「なるほど、イスパニアにとっては一大事だな」
「はい」
イスパニアの繁栄を支えているマニラガレオン貿易に支障が出ているわけだ。イスパニアとしては放置は出来ない。捕虜返還を要求するのだろうが少し遅くないかな? ガレオン船は七月になる前にはアメリカ大陸へ戻る筈だ。明の商船はその前に来る。今からでは間に合わないが……。今年は諦め来年以降に向けての準備という事かな?
「日本侵攻など大した事は無いと思ったのだろう。つけを払うのが大変だな」
丹波守が吹き出した。”真に”なんて笑っている。
「ファン・コーボは何を交渉材料にする気だ? 分かるか?」
丹波守がニヤリと笑った。悪い笑顔をするなあ。好きだけど。
「日本人奴隷を何人か連れてきているようです。それに南方の産物を。ポルトガルの協力も得たようです。金と銀も多少用意しているようで」
「なるほど」
南方の産物というのは香辛料だろうな。売ればそれなりの値になるだろう。努力している姿勢を俺に見せようというわけだ。敵対するつもりは無いと言いたいらしい。
「大殿を宥めようと必死のようです」
「そのようだな」
余程にこちらを怖れている。琉球を攻め獲っても直ぐにイスパニアと事を構える事は無いんだが……。先ずは琉球を安定させるのを優先させるべきだ。どのくらい月日が必要かな? 二年くらい? しかしな、二年も経てば呂宋のイスパニアは戦力を回復するだろう。これは面白くない。乱暴でも攻めるべきかな?
攻めるんならマニラ急襲だろう。一気に中枢を叩くのだ。そうすればフィリピンのイスパニア勢は混乱する筈だ。そしてフィリピンは島の集まりだ。連携を取って効果的に反撃するのは難しいだろう。各個に撃破するのは容易だ。今なら可能だろう。フィリピンからイスパニア勢を追い払える。だがそれで終わりじゃ無い。イスパニアは本国からフィリピン奪回のための軍勢を派遣する筈だ。
怖くは無い。イスパニアにとって主戦場はヨーロッパなのだ。戦っている相手はイギリス、オランダ、オスマントルコ。南米からイスパニアに向かう銀はその大部分が戦費に消えたと聞いている。要するにイスパニアが没落したのは銀を国内経済の発展に使えなかったからだ。フェリペ二世は破産宣告を何回もしている。この状況下でアジアにもう一つ戦線を作るのは簡単じゃ無い。大規模な軍事活動は難しいだろう。地の利は有る。敵が少数なら兵力差で圧倒出来る筈だ。あ、お茶が来た。カステーラも来た。大きな茶碗だ。話が長くなると思ったのだろう。両手で持って一口茶を飲む。美味いと思った。丹波守も飲んでいる。
明、朝鮮は余り危険視しなくて良いだろう。こっちは動きが鈍いと思う。明は琉球が滅んだ事を重視するとは思えない。暫くは放置しても問題ないと思うんだが……。朝鮮に使者を送ったのは失敗かな? 寝た子を起こすような事にならなければ良いんだが……。厄介なのは明、朝鮮、イスパニアとの戦争が重なった時だ。こいつは運が悪ければという事だが……。
味方が居ないな。周りは敵だらけだ。という事はだ、待っていては駄目だ。積極的に各個撃破しかない。頭では分かっているんだ。もうずっと前からな。勝てるという事も分かっている。だが実際にやるとなれば不安だ……。ここから先は未知の航海になる。日本がどう変わるのか、世界がどう変わるのか。まるで見えない。一つ息を吐いた。
「如何なされました?」
丹波守が訝しげに俺を見ている。
「いや、少し考え事をしていた」
丹波守が曖昧に頷いた。まあ俺が会談中に無口になるのは珍しい事じゃ無いよな。
「宜しゅうございますか?」
「ああ、問題無い」
「これから先ですが問題になりそうな事がございます」
また問題? 溜息が出そうに成って慌てて堪えた。報告者が報告しづらくなるような事はしてはいけない。
「それは?」
むしろ積極的に聞き出さなければ。ほら、丹波守が安心したような表情をしている。
「マニラの北にアゴーという港がございます。呂宋では日本の港と呼ばれているのですが……」
「日本の港? 日本の商人が多く行くのか?」
俺が問うと丹波守が”いえ”と否定した。
「日本の商人が多く行くのは事実ですが日本の港と呼ばれるのはそこを日本人が作り上げたからで」
作り上げた?
「つまり日本人町という事か?」
「まあそうなのですが何処にも属しておりませぬ」
思わず丹波守の顔を見た。
「アゴーはイスパニアの勢力範囲には無いという事か?」
「はい」
ちょっと驚いたな。呂宋、いやこの場合はフィリピンというべきかな。この地域は島の集まりだ。統一国家は無かった。幾つかの部族の集落が有ったと聞いている。そこに十六世紀の後半にイスパニアが来たのだ。イスパニアの力が及ばない地域が有ってもおかしくはない。その一つがアゴーか……。
「大きいのか?」
「三千人ほど居りまする」
「三千……」
「マニラに有る日本人町とほぼ同規模で」
溜息が出た。相当な規模だな。普通こういうのって現地政権の庇護を受けつつ繁栄するんじゃないの? 独力でそこまで大きくなった? 信じられんな、どういう事だ?
「栄えているようだが」
「はい、イスパニアがマニラに来る前からアゴーの港は有りました」
だろうな。三千人の町なんて一朝一夕に出来るものじゃない。相当前から植民していたのだろう。どういう連中なのか……。滅んだ大名の遺臣、犯罪者、年貢の取り立てが厳しくて逃げ出した農民……。そんなところだろうが……。
「アゴーに来る商人は日本人だけか?」
「いえ、明、琉球、イスパニア、ポルトガルの商人がやってきます。それにムスリムが」
ムスリム? イスラム商人? ここでのムスリムってインドネシアとかそっちの方だよな。まさかアラビアじゃないよな。あれ? キリスト教はどうなっている? イスラムとは犬猿の仲だけど……。
「伴天連達は?」
問い掛けると丹波守が首を横に振った。
「アゴーには三千人ほどしかおりませぬ」
なるほど、魅力を感じないか。だとするとイスラム商人も来やすいな。それにしてもこの時代の東南アジアって国際色が豊かだわ。
「何を扱っているのだ?」
「金と鹿皮にございます」
「はあ? 鹿皮?」
いかん、間抜け声が出た。丹波守が顔を綻ばせた。
「鹿皮は革羽織や甲冑に使われておりますので日本の商人や明の商人が……」
「ああ、革羽織や甲冑に使われているのは分かっている。しかしな、アゴーから買い入れていたのか……」
「はい、高値で取引されるようで」
溜息が出た。外国産の鹿皮を使った甲冑で戦ってたのかよ。硝石とか鉛ってのは分かるけど鹿皮も? 戦国時代は百年以上続いた。大儲けだっただろうな。もしかするとアゴーってのは戦国時代に入ってから、十五世紀の後半ぐらいに出来たのか? だとすると百年ぐらい続いている事になる。
「大殿、アゴーは厄介な立場に有ります」
「……」
「アゴーの住民達はイスパニアがアゴーを攻めるのではないかと心配しております」
マニラの北だと聞いた。つまり琉球に近いのだ。日本が琉球を攻め獲ればアゴーは日本とイスパニアの間に有る事になる。三千人では独立の維持なんて無理だ。その事を言うと丹波守が頷いた。
「それもございますが倭寇も絡んでおりまして」
倭寇? 嫌な予感がした。
「まさかとは思うがアゴーは倭寇と関係があるのか?」
「ハッキリとは分かりませぬが……」
口調が弱い。
「丹波守、その方はアゴーには明の商人、日本の商人が来ると言ったな。その中に倭寇が居るのではないか?」
「かもしれませぬ」
丹波守の表情が渋い。俺が指摘する前から疑っていたな。
「丹波守、アゴーが倭寇に襲撃された事は有るか?」
丹波守が俺をじっと見た。
「手の者が現地の商人に確認しました。そのような事は無いと」
「では決まりだな」
「はい」
丹波守が頷いた。
国家の後ろ盾が無いんだ。それなのに繁栄している。何故倭寇に襲われないんだ? 簡単だ。倭寇の協力者だからだ。倭寇にとっても国家に属していない町なら捕まる恐れは無い。襲うよりも協力者にしたほうが都合が良い。補給場所になるし休息所にもなる。なにより倭寇には奪った荷を売り払う相手が要るのだ。国家に属さない自治の町くらい適した町は無いだろう。
「イスパニアはそれに気付いているのか?」
「分かりませぬ。ただ……」
「ただ?」
促すと丹波守が困ったような顔をした。
「十五年程前ですが林鳳という倭寇がおりました。相当に大きな勢力を持ちマニラに攻め込んだのですがイスパニアに撃退されました。その林鳳が逃げ込んだのがアゴーの近くです。イスパニアは林鳳を捕らえようと兵を送ったのですが逃げられました。その後、林鳳の行方は分かりませぬ」
アゴーが手助けしたかな?
「そして七年ほど前には大夫様と呼ばれる倭寇が大きな勢力を持ちました。彼はカガヤンと呼ばれる地方をイスパニアから奪い取るほどの力を示しましたが最後はイスパニアに撃退されました。アゴーはカガヤンの近くにあります」
大夫様? 間違いなく日本人だな。多分、何とか大夫という名前なんだろう。状況証拠は限りなく黒に近いな。イスパニアが疑ってもおかしくない。しかしイスパニアはアゴーを放置だ。
「丹波守、イスパニアは何故アゴーを攻めなかった?」
丹波守が”分かりませぬ”と首を横に振った。
「考えられる事は倭寇が増えた事です。薩摩、大友、龍造寺。九州で大きな大名が没落しました。主家が無くなり海に活路を求めた者達は少なくありませぬ。イスパニアはそれらの対応に追われた可能性は有ります」
そうか、島津を滅ぼしたのが六年前? だったかな。そして大友、龍造寺を潰したのが二年前か。大きな倭寇を叩いて一息ついたら島津が滅んでまた倭寇が勢力を回復した。それを叩いたら今度は大友、龍造寺か……。まるでモグラ叩きだな。
「それとマニラにも日本人町はございます。アゴーに厳しい対応を取るとマニラの日本人町が動揺すると思ったかもしれませぬ」
有り得るな、マニラの日本人町も三千人ほどだと聞いた。騒がれては面倒だろう。
「マニラの日本人町とアゴーは関係が深いのか?」
長門守が顔を綻ばせた。
「同じ日本人でございます。それなりに繋がりはございます」
そうだよな。繋がりが無い方がおかしい。阿呆な事を訊いたわ。丹波守が”大殿”と俺を呼んだ。
「これまでは琉球が日本とイスパニアの間に有りました。イスパニアが日本を危険視する事は無かったと思います。アゴーの事も倭寇と通じているかもしれないと訝しく思う程度だったのかもしれませぬ。しかし、今後は違います」
そうだな。場合によってはアゴーは呂宋攻略における日本の重要拠点になるだろう。丹波守が俺に面会を求めたのもコーボの事よりもこちらを伝えたいと思ったからかもしれない。さて、如何するかだな……。先ずはお茶を飲もうか。




