天下統一?
禎兆九年(1589年) 四月上旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
関東の大樹から使者が来た。用件は分かっている。風間出羽守が昨日教えてくれたんだ。でも周囲には言っていない。夜中に忍んで来たからな。大樹の使者に面会すると使者は佐々内蔵助だった。
「おお、誰かと思えば内蔵助ではないか。久しいな、元気か」
「はっ、御蔭を持ちまして」
内蔵助が顔を綻ばせている。俺が嬉しそうな声を出したからな。こういうのが大事なんだ。
「その方ほどの者がわざわざ使者になるとは良き報せかな?」
「勿論にございます」
内蔵助が自信満々に胸を張った。こいつ面白いよな。同席している重臣達もニコニコだ。皆も内蔵助が何を言うかは想像が付いているだろう。内蔵助も俺達が察していると分かっている筈だ。まあここは皆で楽しい演技だな。
「では聞こうか」
「はっ、奥州の者共、こぞって降伏致しました」
「降伏したか!」
敢えて大きな声で言うと内蔵助が嬉しそうに”はい”と答えた。重臣達からも声が上がった。皆喜んでいる。分かっていても嬉しいよな。
「兵を動かす前に降伏してきたか?」
「はい」
「奥州の者共、御屋形様の武威に懼れをなしたようでございますな」
荒川平九郎の声が弾んだ。重臣達も頷いている。
「うむ、見事よ。大樹の働きで天下統一が成ったわ!」
ここで俺がもう一度褒める。俺が満足していると内蔵助も重臣達も思うだろう。大樹の許に戻って必ず報告する筈だ。
「ですが残念にございます。折角準備をした戦支度が無駄になりました。奥州の者達に我が戦振りを見せてやろうと思っておりましたのに」
皆が笑った。こいつ、腕を撫でてるよ。
「それは残念であったな」
「真に残念にございます」
俺が笑うと内蔵助も笑った。重臣達も笑った。和気藹々だ。
「しかしな、内蔵助。戦は出来るかもしれぬぞ」
「は?」
内蔵助が困惑している。重臣達もだ。
「大樹に伝えよ。奥州の者共を必ず関東に移せ。移るのを見届けよと」
「はっ!」
「六月までに移せ。口実を設けてグズグズするようなら潰せとな。この件に関して一切言い訳を許してはならぬ。良いな、朽木を甘く見る事は許さぬと伝えよ」
「確と!」
内蔵助が畏まった。もう誰も笑っていない。
「御苦労だったな。気を付けて帰れよ」
「はっ」
「待て、これを受け取るが良い。良き報せを持ってきた礼だ」
後ろに立てかけてあった刀を差し出すと重臣達から声が上がった。朽木刀だ。正興の業物だよ。内蔵助が”有り難き幸せ”と恐縮しながら受け取った。頬が上気している。嬉しいんだろうな。主から武具を貰うのは名誉な事なんだ。内蔵助が下がった。多分、大喜びで飛んで帰るんだろうな。
内蔵助は小田原に戻ったら周囲に刀を貰ったと吹聴する筈だ。皆が俺が上機嫌だと思うだろう。大樹の武功に満足していると。……出羽守から聞いてるんだ。降伏は本人じゃなく使者が伝えてきた。それは良い。でも使者は主が後で挨拶に来ると言わなかった。引っ越しの準備で忙しくて来られないと言ったらしい。皆揃ってだ。舐めんじゃねえぞ、本人が頭を下げて降伏すると言うのが筋なんだ。それで降伏が確定する。それをしないという事は降伏は嘘と取られても仕方ないんだ。
大樹の周りでも問題になっている。だから戦支度は解除していない。一月ほど様子を見ようという事らしい。偉いぞ、解除していたら叱責しているところだ。だが様子見は甘い。本当なら挨拶に来ないなら潰すと脅すべきなんだが……。まあ、ケチは付けられないからな。こういう形で尻を叩くしか無い。奥州の者共が朽木に頭を下げられないというならその頭を踏み潰してやるまでだ。
小夜に天下統一を教えてやろう。綾ママにも。喜んでくれるだろうな。俺もニコニコ笑顔だ。伊勢兵庫頭、毛利、上杉に使者を出さなければ……。御爺、大叔父の墓参りもしよう。五郎衛門、新次郎、真田弾正はどうしよう? 家族に文を送ろう。仏壇に供えて貰えるだろう。きっと喜んでくれる。あとは主立った家臣にも文を書かなくては……。結構大変だな。さて、行くか。
禎兆九年(1589年) 四月上旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 勧修寺晴豊
常御所の上座には帝が、下座には一条関白殿下、二条左府、近衛右府、鷹司内府を始め多くの公家達が揃っていた。
「勧修寺におじゃりまする」
声をかけて中に入った。
「只今、伊勢兵庫頭が参りました。奥州で朽木に抵抗していた者達が降伏したそうにございます」
私が報告すると帝が嬉しそうに頷き彼方此方から喜びの声が上がった。
「そうか、奥州が降伏したか。天下統一が成ったか」
帝が声を弾ませた。
「真、目出度い事でおじゃります。乱世が終わりました」
「これほど喜ばしい事はおじゃりませぬ」
二条左府、鷹司内府の兄弟が喜びの声を上げた。
「おめでとうございまする」
関白殿下が帝に言祝ぐと皆が”お目出度うございまする”と唱和した。帝が益々嬉しそうに顔を綻ばせた。
「思いのほかに早うおじゃりました」
「うむ、奥州の者達も敵わぬと思ったのでおじゃろう」
近衛右府、関白殿下の言葉に皆が頷いた。
「大樹は何時頃戻ってくるのかな?」
二条左府が問い掛けて来た。皆が私を見た。
「降伏した者達を関東に移さねばならないとの事でおじゃりました。六月までに移すそうにおじゃります。近江に戻るのはその後となりましょう」
誰かが”では七月頃か”と呟く。皆がそれに頷いた。
「早ければ七月には天下統一の報告と大政の委任の式を執り行う事になりましょう」
「うむ、その後に改元を。九月頃か」
鷹司内府、関白殿下が考えながら言う。
「いや、お待ちください。琉球の件がおじゃります。早ければ今月中、遅くとも六月の頭には戦は終わりましょう。となれば琉球王は早ければ六月、遅くとも八月には此処に来る事になります」
近衛右府の言葉に皆が唸り声を上げた。
「忙しいの」
帝の呟きに皆が頷いた。
「相国はせっかちですからな。琉球攻めは前倒しになりました」
関白殿下の言葉に皆が笑い声を上げた。
「陣定は今月中に行うとして琉球王の迎え入れは天下統一の報告、大政の委任の式の後がよろしゅうございましょう。天下統一前に琉球を下したとするのはたとえ形の上でも好ましいとは思えませぬ」
近衛右府の意見に皆が頷いた。
「となると琉球王の迎え入れが八月から九月。改元は十月以降か。今年は忙しい日々が続きますな」
「まあ慶事が続くのです。殿下、喜びましょう」
「兄の言うとおりです。来年の節会が楽しみでおじゃります」
関白殿下、二条左府、鷹司内府の言葉に皆が晴れやかな笑い声を上げた。
禎兆九年(1589年) 四月中旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木綾
「天下統一か。何時かは相国が成し遂げると思っていたが本当に成し遂げるとは……。ほほほ、不思議な気分でおじゃるの」
兄准大臣である飛鳥井雅春が穏やかに笑った。
「皆様、お喜びでございますか?」
「勿論じゃ。もっとも若い者と年長者では受け取り方は違うの」
「それは?」
問い掛けると兄が困ったような表情を見せた。
「若い者にとって天下統一は驚くほどの事では無いようでおじゃるの。喜んではいるが当然の事と受け取っているようじゃ」
「……」
「年長者にとって天下統一は何処か夢のような部分が有る。麿らが若い頃は乱世の真っ只中でおじゃった。戦の無い世が来るというのが信じられなかったのじゃ。目々に聞いたのだが院は生きて天下の統一を見届ける事が出来たとはと落涙されたそうじゃ」
「なんともお労しい事でございますね」
兄が頷いた。
「そうよな、なんともお労しい事じゃ。麿には院のお気持ちが良く分かる。叶わぬ夢が現実になった。そんな思いがあるのでおじゃろう」
兄が息を吐いた。
「早かったの」
「……早かった?」
訝しんでいると兄が”ふふふ”と笑った。
「足利が京を捨てて十年ちょっとで相国は天下を統一した。不思議とは思わぬか? あの頃の相国の領地は広大ではあったが畿内、北陸の一部に過ぎなかった。天下の大部分は相国に従っていなかったのじゃ。それを十年ちょっとで天下を統一した。それまでの混乱は何だったのかと言いたくなる」
「言われてみればそうですね。なんと不思議な……」
百年以上続いた乱世が十年で終わった。確かに不思議としか言い様が無い。息子は何か特別な事をしたのだろうか……。
「何故だと思う?」
「さあ、何故でしょう」
兄が笑った。
「足利から離れたからだと麿は思う」
「……それは、どういう……」
兄がまた笑った。
「分からぬか? 能登と伊勢。義昭の口出しで相国は随分と手間取った。そうでは無かったかな?」
素直に頷けた。
「能登はともかく伊勢では苦労していました。長島の一向一揆、北畠に手を焼いていたと思います」
兄が頷いた。
「能登は二度遠征したの、あれも無駄よ。伊勢の北畠は義昭の仲裁で伊勢に留まった。だが相国の邪魔ばかりして最後は怒りを買って皆殺しになった」
「はい。北畠権中納言様は伊勢で旧領の回復を試みたと聞いています。長島の一向一揆とも通じていたそうです。最後は義助様に寝返ったとか」
兄が”ふふふ”と笑った。
「足利は大きな大名を嫌う。義昭が畠山を能登に戻したのも北畠を伊勢に置いたのもそれが理由でおじゃろう。相国に敵対し自分に忠誠を誓う大名が必要だったのじゃ。そのせいで相国は随分と寄り道をした。足利が絡むと手間ばかりかかって果【はか】が行かぬ。能登と伊勢の件で相国はそう思ったのよ。だが足利は主筋だから始末が悪い。敵ならば叩き潰せる。だから義昭が兵を挙げるように追い込んだ」
兄がジッと私を見た。そうかもしれない。舅は何時か息子が足利と決別する。戦う事になると見ていた。息子も義昭様も引く事は無いと……。
「その後はあっという間に毛利を降伏させた。織田も滅ぼし島津も滅ぼした。西へ東へと兵を動かしての。あれよあれよという間に天下を平定した。なにやら夢のようでおじゃるの。はははは」
兄が声を上げて笑った。そして押し黙った。
「如何なされました?」
「麿が若い頃は三好修理大夫が畿内で勢力を伸ばした。畠山や六角も修理大夫には及ばなかった。足利に代わる天下人。皆がそう思った事でおじゃろう。だが四十を過ぎたばかりで病で死んだ。あの時思った。あと十年、欲を言えば二十年。何故天は修理大夫に寿命を与えぬのか。さすれば三好の天下は安定するのにと……」
「……」
「だが相国を見ると違うのだと分かった。相国は四十で天下を統一したのじゃ。修理大夫の寿命に不足はおじゃるまい。修理大夫は足利と敵対しても足利を叩き潰そうとはしなかった。中途半端だったのよ。だから大きくなれなかった。天下を統一出来なかった。そういう事でおじゃろうの」
兄がホウッと息を吐いた。私も息を吐いた。天下を獲るというのは妥協を許さないのかもしれない。その事を言うと兄が頷いた。
「そうでおじゃろうの。天下人は天下に一人なのじゃ。共に並び立つ事など許さぬ。修理大夫にはそれが分からなかったのでおじゃろう」
「かもしれませぬ。あの子は敵に対しては容赦はしませんでした。どれほど非難されようと、どれほど惨い事になろうと決して退きませんでした。だから皆があの子を怖れました」
怖かったのはあの子がそれに怯まなかった事。普通なら怖れられていると思えば何処かで後悔する。でもあの子は後悔しなかった。仏敵、鬼畜と罵られても怯まなかった。何万人と根切りにしようと躊躇わなかった。あの子は振り返る事無く前だけを見据えて進んだ……。
「覇者とはそういうものでおじゃろう。そして覇者が歩む道が覇道。どれほど血に汚れようと覇者が通った後は争いは無い」
「……」
「覇者は天下太平への道を切り開くのじゃ」
天下太平への道。あの子がそれを切り開く……。
『何が有ろうと大膳大夫を止めるでないぞ』
『あれには翼が有るのだ。思いっきり羽ばたかせよ』
舅の声が聞こえる。舅はあの子が覇者の道を歩き始めたと分かっていたのだろうか……。舅の笑い声が聞こえるような気がした。




