琉球攻めの余波
禎兆九年(1589年) 三月下旬 イスパニア領呂宋島 ルソン総督府 サンティアゴ・デ・ベラ
緊張した面持ちでコーボ神父が執務室に入ってきた。
「お時間を頂き有り難うございます」
「いや、私も君と話したい事が有る。君が来てくれたのは好都合だ」
コーボ神父が私をジッと見た。
「日本ですか?」
「ああ、日本だ」
声が苦いと思った。コーボ神父も表情が渋い。
「君から話してくれるかな、コーボ神父」
”はい”と神父が頷いた。
「二つあります。最初に日本のイエズス会から連絡がありました。教会が破却される事になったそうです」
「なるほど。あれかね、土地の所有権が無い物は破却するという」
「はい、イエズス会だけでは有りません。日本の異教徒の寺院も幾つか破却されるそうです」
異教徒も……。
「イエズス会だけを狙ったものではないと言うつもりかな?」
コーボ神父が苦笑を漏らした。
「かもしれません。イエズス会の神父達は残念だと言っていますが驚いてはいません。奴隷の件も有りますが長崎での蜂起の件も有りますから。教会の破却は已むを得ないと考えています」
「布教は認められているのだね」
コーボ神父が”はい”と頷いた。
「相国は自分達の法を守れと言いたいのでしょう。処罰はしますが布教を禁止しないのはそういう事なのだと思います」
「イエズス会に利用価値を認めているのかな」
「多分」
法を守れば教会の建設も許されるのだろう。付け込む隙が有ると見れば良いのだろうか……。計算高いと見れば良いのだろうか……。
「もう一つは何かな?」
問い掛けるとコーボ神父の顔が険しいものになった。
「日本が琉球に攻め込むそうです」
溜息が出た。
「やはりそれか」
「やはり、と言いますと?」
「私の所にもその情報が入ってきた。琉球の商人、日本の商人が日本は戦争の準備をしていると言っているらしい。君と話したかったのはこの件だよ」
今度はコーボ神父が溜息を吐いた。
「教会の事を先に話して正解でした。こちらを先に話したら教会の事など何処かに飛んでしまったでしょう」
「全くだ」
二人で顔を見合わせて笑った。
「イエズス会からの報せですが日本は九州の南、これは琉球にもっとも近い場所ですが、そこに物資を集めているそうです。戦争の準備というのはそれでしょう」
「つまり商人達の騒ぎは根拠が有るという事か……」
コーボ神父が”はい”と頷いた。
「それに琉球は日本との約を破りました。攻めるだけの理由は有ります」
「相国は国内の統一を優先すると言っていたと君から聞いたが?」
コーボ神父が息を吐いた。渋い表情をしている。
「私達は騙されたようです」
「そのようだね。私達は騙されたらしい」
厄介な相手だ。手強いと思った。琉球を攻め獲られればフィリピンは目の前だ。本来なら邪魔したいところだが今のフィリピンには兵が無い。何も出来ない。
「総督、私達を騙すという事はそれだけ私達を危険視しているという事になります」
「我々は日本に兵を送ったのだ。当然だろう」
むしろ統一を優先すると言った相国を疑うべきだったのだ。何処かで私達は相国を侮ったのかもしれない。その事を言うとコーボ神父が頷いた。
「そうですね。彼は戦乱の日本を武力で統一しようとしている男です。力を振るう事を躊躇うとは思えません。その事をもっと重視すべきでした」
そして彼には精強な軍隊が有る……。
「コーボ神父、彼が此処を攻めると思うかね?」
コーボ神父が首を傾げた。
「琉球を攻め獲ればその先はこのフィリピンではあります。油断は出来ません」
「甘く見るなという事か」
「はい。直ぐに攻めてくるとは思いませんが……」
「その根拠は?」
問い掛けるとコーボ神父がグッと顔を近付けてきた。
「琉球は明に服属しています。日本が琉球を攻めれば日本と明の関係は悪化するでしょう。相国は先ず明を注視すると思います。我々との関係を必要以上に悪化させる事は得策で有りません。だからこそ、我々に強気に出て脅しをかける可能性は有ります」
「なるほど、明か」
コーボ神父が”はい”と頷いた。
「明と日本が揉めればですが上手くいけば共闘出来るかもしれません」
「……相国とかね?」
「はい」
コーボ神父の目が貪欲に光っている。対明で相国と共闘関係を作る。その中で日本に食い込み明を共同で征服する。全てでなくとも一部でもイスパニアの領地に出来れば……。そんな事を考えているのだろう。
「上手くいけばだね?」
「はい、共闘は無理でも相国を利用する事は出来ると思うのです」
「そうだね」
共闘には余り期待しない方が良いだろう。甘い相手ではないのだ。
「そのためにも日本との関係を改善しなければ……」
「うむ、相国の目を明に向けるためにもそれは必要だ」
私の言葉にコーボ神父が頷いた。
「日本に行こうと思います。こちらの土産に相国が満足するとは思いません。しかしこちらが日本との関係を改善しようとしている。努力している。そう思わせる事が出来ればと思います」
「よろしく頼む。私は本国にフィリピンの軍事力を増強して欲しいと頼むつもりだ。日本が勢力を伸ばせばアジアの緊張が高まる。誰が相手であろうと今のままでは戦力不足だ。そう思うだろう?」
「はい」
コーボ神父が大きく頷いた。場合によっては明と共闘して日本を征服する事も考えた方が良い。そのためにも日本を油断させる事が必要だ。
禎兆九年(1589年) 三月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木小夜
大殿が夜空を見上げている。月が出ている。美しい下弦の月。
「良いお月様ですね」
お茶を薦めながら言うと大殿が”ふん”と鼻を鳴らした。お茶を一口飲む。
「頼りない月だな。俺は好きじゃない」
「まあ、ほほほほほほ」
私が笑うと大殿がまた”ふん”と鼻を鳴らした。
「暖かくなりましたね」
「ああ」
「薩摩は暖かいのでしょうか?」
「うむ、ここよりずっと暖かい。琉球は薩摩より南だからもっと暖かいぞ」
風邪をひく事はないのかしら。大殿が私を見た。
「三郎右衛門が心配か?」
「それは心配です。息子ですもの。四郎右衛門殿の事も雪乃殿が心配しております。随分と可愛がっておりますから……」
大殿が頷いた。
「もう琉球に攻め込んだかもしれぬ。勝てるだけの準備はした。無理をせずとも勝てる筈だ。早ければ一月ほどで終わるだろう。後は運だな」
「運?」
「ああ、あやふやなものだがやはり運の良し悪しは有ると思う」
運、三郎右衛門は運に恵まれているのだろうか? 考えても仕方ない。大殿は勝てるだけの準備をしたと言った。信じるしか無い。
「そろそろ四月になります」
大殿が私をちらりと見た。
「関東では大樹が戦の準備をしている。風間出羽守の調べでは奥州では大名達が右往左往しているようだ」
「まあ、戦うのでしょうか?」
問い掛けると大殿が首を横に振った。
「去年、笹野村で戦わずに逃げた連中だぞ。戦う覚悟など有るまい。右往左往しているのは少しでも良い条件で降伏したい。奥州に留まりたい。そんなところだ。今更ではあるな」
「……奥州というのはそれほど良い土地なのですか?」
「代々そこで生きてきたからな。愛着が有るのだ。地縁も有る」
「……」
「これから日本はイスパニア、明、朝鮮との関係が難しくなる。南に力を注ぐには北を安定させなければ……。面倒な連中は纏めて引っこ抜いて関東に移す。そうすれば大人しくなる筈だ」
大殿がお茶を飲んだ。
「納得するのでしょうか?」
「納得出来なければ潰す」
「大変ですのね」
大殿がちょっと不満そうに私を見た。
「他人事のように言うな。これは朽木の天下は足利の天下とは違うという事でも有るのだ。大名達の我儘は許さぬ。大樹には決して手を緩めるなと言ってある」
天下は重いのだと思った。あの子にそれが背負えるのか……。
「まあ、関東の事は心配は要らぬ。直に関東に移ると言い出す筈だ」
「では戻って来るのですね?」
声が弾む。大殿が私を可笑しそうに見ている。少し恥ずかしかった。
「戻ってくる。もっとも奥州の大名達が関東に移るのを見届けなければならんし奥州に大まかに人を配さねばならん。戻るのはまだ先だ」
まだ先……。でも戻ってくるのだ。以前から天下を統一したら近江に戻すと聞いていたけど余り実感が湧かなかった。でも今日は違う。戻ってくると実感出来た。
「琉球も直に片が付く。年内に子供達が揃うだろう」
「ええ、大方様も喜ぶと思います」
「そうだな」
「大樹には政を教えるのですね」
「それも有るが異国の事も学んで貰わなければならん」
そうだった。あの子はずっと関東に居た。異国の事は何も知らないだろう。
「それに子作りにも励んで貰わなければ」
「子作り?」
思わず問い返した。確かに大樹には子が少ないけど……。
「朽木の天下を安定させるには大樹の子供が要る。これは色恋では無い。政だ。側室が要るな。奈津には了簡して貰わなければならぬ」
冗談を言っているのかと思ったけど大殿は大真面目だった。天下って大変。
禎兆九年(1589年) 四月上旬 山城国葛野・愛宕郡 東洞院大路 勧修寺晴豊邸 勧修寺晴豊
弟の三位宰相万里小路充房が顔を強張らせて押し黙っている。何か事が有るとこの弟は実家に戻ってくる。万里小路に養子に行き当主であるのに……。万里小路の邸は居心地が悪いのだろうか?
「如何したのだ。何か話す事が有ってこの邸に来たのでおじゃろう。黙っていては分からぬぞ」
弟がバツの悪そうな顔をした。
「今日は驚きました。琉球王を朝廷に迎え入れるなど……」
「未だ決まった事ではおじゃるまい。陣定が終わってから帝が判断される」
「それはそうですが……」
弟が言葉を切った。そして”決まったも同然です”と小さい声で続けた。まあそうだな。公家達の間で反対が有るとは思えぬ。帝は受け入れる事を望んでいるのだ。
「不満か?」
「……意味が有るのかと……」
「有る」
断言すると弟が不満そうに唇を噛み締めた。
「それは?」
「陣定を行わずにいきなり琉球王を受け入れると言えば皆も不満を募らせるのではないかな。陣定を行うという事は皆の意見を聞くという事だ。言いたい事を言えば多少は気も晴れよう」
弟の不満そうな表情は変わらない。
「茶番でおじゃりましょう」
「茶番?」
問い返すと弟が頷いた。
「ただ押し付けられているだけではおじゃりませぬか。断る事は出来ない。それなのに皆の意見を聞いたという形を取る事で受け入れる。茶番だと思います。そうではおじゃりませぬか?」
弟がジッと私を見た。
「そなたは琉球王を受け入れる事に反対なのか?」
「そうではおじゃりませぬ」
「では自分で決められぬ事が不満か?」
「……」
弟は返事をしない。返事をしないという事は否定しないという事だ。そうなのか、自分で決められない事が不満か……。
「自分で決めるという事は自分が力を持つという事でおじゃるぞ」
「……」
「場合によっては相国と対立する事にもなる。その覚悟が有って言っているのか?」
弟が狼狽した。
「そうではおじゃりませぬ。相国と対立するなど」
考えた事がなかったのだと思った。なんと危うい事か……。
「なら良いがな。前関白と相国の関係はお世辞にも良好とは言えなかった。その事が周りをどれだけ不安にさせたか……。そなたも分かっておじゃろう」
弟が渋々頷いた。前関白は相国を無闇に疑った。天下の統一を望んでいないような素振りを見せた事も有る。相国の勢威が強まるのを嫌がったのだ。皆が前関白とは距離を取った。付いていけないと思ったのだ。前関白は辞任した。弟の二条左府、鷹司内府は相国との関係を密なものにしようと必死だ。兄の前関白と同じだと公家達に思われるのは危険だと認識している。目の前の弟はそれを理解していないのだろうか?
「相国は朝廷を尊重し盛り立ててくれる。朝廷の今の繁栄は相国が齎したものだ。だがそれが無条件に与えられるものだと思うな。朝廷が相国の新たな天下に協力するから相国も朝廷を重視するのだ」
「分かっておじゃります」
「ならば忘れるな」
念を押すと弟が”はい”と頷いた。
「それに相国は朝廷に無理を言っているわけではおじゃらぬ。琉球王を受け入れるという事は朝廷の権威が弥増すという事でもある。これまで異国の王が帝の臣下になった例など無いのだ」
「……」
「詰まらぬ不満を持つより陣定でなんと答えるかを考えた方が良いぞ。上の者は下が何を言うかを見ているからな。答え方次第で評価が上がる事も有れば下がる事も有る」
「はい」
困ったものだ。思慮が浅いわ。よくよく気を付けねばなるまい。




