謝啓紹
禎兆九年(1589年) 二月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
文を書かねばならん。宛先は大樹だ。先ずは書くべき事を箇条書きで記す。第一に朝廷が大樹を重視している事だな。これまで朝廷と関わって来なかったから朝廷は大樹にどう接して良いか分からずにいる。特に前関白の弟達は前関白と大樹の間でトラブルが有ったから不安に思っている。そういう不安を払拭する必要が有ると書こう。大樹は自分が怖れられていると知れば驚き、訝しむかもしれない。だがそういう立場にいると認識して貰わなければならん。……いかんな、失敗した。書き直しだ。
第二は琉球攻めの事だな。紙は別な紙に書こう。琉球王は殺さず帝に仕えさせる。位階もそれなりのものを与えて厚遇する。そうする事で琉球の民の反発を抑える。その辺を書こう。帝が明の皇帝と同じ立場になると歓迎している事もだ。実権が無いからこそこういう形式的な事に朝廷は拘る。要するに顔を立てれば満足するのだ。その辺りの事を大樹に理解させなければ……。それを理解出来れば朝廷の扱い方も上手くなる筈だ。
その次は琉球の統治について書こう。琉球道の創設と統治機関である琉球道総督府の設立、琉球道総督の事を書く。琉球のことは上杉と毛利にも書かねばならん。毛利は輝元がもうすぐ来るが文も書いておこう。後々の証拠になる。総督の人選もしなければならん。誰が良いかな? 琉球人は必ずしも日本に好意的では無い。硬軟両方が使える人物が良いな。ついでに言うと喰えない奴が良い。そのくらいじゃないと占領地の統治は難しいだろう。……平四郎は如何だろう? 荒川平四郎。親父の平九郎は生真面目な男だが息子の平四郎は生真面目さなんて逆さに振っても出てこない男だ。しかし押さえるべきところは押さえている。平四郎が良いかもしれない。後で打診してみよう。
琉球関係はそんなもので良いだろう。となると後は奥州だな。大樹にとっても一番の関心事は奥州だ。先ず油断するなと書こう。それと奥州の連中は何とか譲歩を勝ち取ろうとする筈だ。決して許すなと書かなければならん。それと奥州にも総奉行を置こう。積極的に開発する姿勢を見せる事で上方の資本を奥州へ導入するんだ。後は飢饉対策だな。奥州は寒いからちょつとした事で米不足に陥りやすい。気を付けなければならん。その辺りも書こう。
後は関東、奥州に誰を配置するかだな。これは大樹に案を出させよう。大樹の事だ。半兵衞や新太郎に相談するのは見えている。変な案は出さないだろう。ほぼほぼ受け入れればその分だけ大樹の威信は上がる。これからは鍛えるだけじゃ無く育てるも考えなければ……。
「大殿」
顔を上げると小姓の松浦源三郎が俺を見ていた。
「呼んだか?」
「はい、片倉小十郎様がお戻りになりました」
「そうか、ここへ連れて参れ」
「ここへ、でございますか?」
源三郎が困ったように部屋を見ている。ああ、部屋は紙屑だらけだな。
「ここは俺が片付ける。その方は小十郎を呼べ。それと誰かに茶の用意を、二人分だ」
「はっ!」
源三郎が一礼して去った。”よっこらしょ”と掛け声をかけて立ち上がった。年だな、四十になってから時々掛け声が出るようになった。皆は若いって言ってくれるけど確実に年は取っている。紙屑を拾って屑籠に入れ始めた。一つ、二つ、三つ。……書き損じは程々にしよう。
更に三つ、四つと片付けると部屋の中は綺麗になった。席に戻って座る。左程に待つ事無く小十郎が現れた。するするすると俺の前に進みピタッと姿勢を正して座った。
「片倉小十郎にございまする」
「戻ったと聞いたのでな。ここに呼んだ。喉が渇いただろう。今、茶が来る」
「畏れ入りまする」
小十郎が頭を下げると”失礼致しまする”と声がして女中が入ってきた。小十郎と俺に茶碗を置いて去った。
「頂戴致しまする」
小十郎が一口茶を飲んだ。表情が緩む。やはり喉が渇いていたらしい。
「どうであった、伊勢は」
「はっ、豊かで賑わっていると思いました」
「そうだな、伊勢は米も穫れるし海に面しているから交易も盛んだ。隣国の尾張も同じだ。伊勢、尾張は日本で尤も豊かな国の一つだな」
小十郎が”はい”と頷いた。
史実の信長は尾張、美濃の後は伊勢を攻め獲った。三カ国で百五十万石は有るだろう。米は穫れるし尾張、伊勢は海が有るから塩が取れる。兵糧に不安は無かっただろう。それに交易が盛んだから銭も有った。他の大名達からみれば不公平なくらいに豊かに見えただろう。
「特に大湊の賑わいには驚きましてございます。堺にひけを取りませぬ」
大湊か……。
「小十郎、大湊でも琉球を討つべしの声は強いのかな?」
小十郎が”いいえ”と首を横に振った。
「琉球が約を破った事を責める声は有りますが討つべしという声は左程には……」
「無いか」
「はい。某も少し不思議に思いました」
畿内の方が声が強いか。やはり公家が騒いだからかな? 軍事力、政治力は無いが発信力は有る? ちょっと嫌な感じだな。
「琉球の商人は来ているのかな?」
「はい、その数は少なくありませぬ」
つまり大湊に来ている琉球の商人達は不安を感じていないという事になる。そして畿内に来た琉球の商人達は不安を感じたのだろう。なるほど、情報の入手経路が違うのだ。それが琉球を混乱させている。
多分、不安を感じている連中は俺に会った者達と畿内で商いをした商人から情報を得た者達だろう。それ以外の者達は俺を見くびっているのも有るのだろうが商人達からそれほど危険は無いと聞いて安心しているのだ。騒いでいる連中を蔑んでいるだろうな。何を煩く騒ぐのかと。そして琉球王は明確に言わないがその意見に重きを置いているらしい。日本が琉球に攻めてくるなんて思いたくないのだ。これじゃ琉球政府に動きが無いのも当然だな。
「直に琉球から人が来る。俺に会いにな」
”琉球から”と小十郎が考える素振りを見せた。
「その者達は以前琉球の使者として俺に会った者達だ。俺が琉球を攻めるのでは無いかと疑っているらしい。それでな、俺の真意を聞き出して戦を止めようとしている」
「琉球王の使者でございますか」
「いいや、今回は自分の判断で此処に来るらしいな。琉球王の許しは得ていないようだぞ」
小十郎が”なんと”と驚きの声を上げた。小十郎も似たような経験をしている。思うところは有るだろう。
「同席するか?」
「宜しいのでございますか?」
小十郎が目をぱちくりしている。
「藤次郎へ土産話にすると良い。喜んでくれると思うぞ」
「有り難き幸せ」
小十郎が頭を下げた。平四郎も同席させよう。連中に新しい琉球の支配者だと紹介してやる。楽しみだな。
禎兆九年(1589年) 二月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 雪乃
「あ、笑った。うれしいか、範千代」
四郎右衛門が範千代を抱き上げてあやしています。本当に楽しそう。範千代も嬉しそうです。
「可愛いですか? 四郎右衛門殿」
「はい、可愛いと思います」
「大殿もよくそうやってそなたをあやしていましたよ」
「そうですか」
四郎右衛門が照れ臭そうな顔をしました。大殿にそっくり。
「ええ、本当です。あの頃の朽木家は大きくはなっていましたが未だ未だ多くの敵が居ました。苦労されたと思います。それでも大殿は子供達を可愛がっていましたよ。戦から帰ると上機嫌で必ず子供達の顔を見ていました。お疲れだった筈ですけどそういう素振りは少しも見せませんでした」
四郎右衛門が感心したように頷きました。
大殿は妻達、子達を大事にしていました。それが分かったから私達は大殿に何でも相談出来ましたし大殿を信用出来たと思います。大殿が七歳の竹を上杉に嫁がせると決めた時も私は耐える事が出来ました。大殿が竹を見殺しにする事は無いと信じられたから。その事を言うと四郎右衛門が大きく頷きました。
「私の事をのびやかに育てよと母上に言ったと聞きました」
「そうです。あの時は驚きましたしとても嬉しかった事を覚えています」
四郎右衛門はのびやかに育ったと思います。本当に嬉しい。
「私はそういう父上の気持ちが分かりませんでした。兄上達に比べて大事にされていないのでは無いかと思ったのです。心の何処かで兄上達を妬んでいたのかもしれませぬ。情けない事です」
「……」
「今は違います。父上は私を見ていました。奥州に行った時、良くやったと褒めてくれたのです」
「ええ、大殿はそなたを褒めていました。頼もしくなったと」
四郎右衛門が照れ臭そうな笑みを浮かべました。大殿に褒められた事が嬉しかったのでしょう。男の子は父親に褒められる事で自分の成長を実感するのかもしれません。
「母上、また琉球に行く事になるかもしれませぬ」
「琉球には行かないと聞いていましたが」
「ええ、そのつもりでしたが……」
歯切れが悪いです。
「如何したのです?」
「直に琉球攻めが行われます。母上はご存じですか?」
「ええ、薄々は」
公にしていなくても戦準備というのはなんとなく分かるのです。今、国内で戦をしなければならない相手は居ません。そして琉球は日本との約を破りました。このままで済む筈が有りません。或いはと思っていましたが当たったようです。
「朽木の兵は琉球の事を知りません。私は琉球の事を多少知っています。それで……」
そういう事……。溜息が出てしまいました。
「四郎右衛門殿の力を借りたいと言うのですね」
「ええ、そうです」
「兵を率いるのですか?」
四郎右衛門が”いえ”と首を横に振りました。
「兵は率いません。琉球攻めの総大将は田沢又兵衛になります。私は又兵衛の傍で気付いた事を進言したり又兵衛の質問に答える事になります」
「そうですか」
溜息が出そうになって慌てて堪えました。二度も溜息を吐いては四郎右衛門が可哀想です。
「大丈夫です。それほど時は掛かりませぬ。三月の中旬に出陣し夏頃には戻って来られると思います」
明るい声です。私を気遣っているのだと思いました。息子に気遣われる……。四郎右衛門は本当に一人前になったようです。嬉しいですけど同じくらい寂しいです。
禎兆九年(1589年) 三月上旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
大広間の上段の席に俺、下段には朽木の重臣達、それに三郎右衛門、四郎右衛門、百地丹波守、片倉小十郎が控えている。これから琉球から来た男達に会う。本当はね、非公式の会談でもっとこじんまりとする筈だったんだ。でもね、月末の評定でポロって喋ってしまったら公式の会談にしましょうって事になってしまった。相手は正式な使者じゃ無いし琉球王の許可も得ていない。大袈裟にしなくても良いと思うんだが皆は公式の会談にする事で相手に朽木が怒っているんだと教えるべきだと言うんだな。
正直に言うと俺はそれほど怒っていない。琉球を潰すべきだとは思っているけどね。どちらかというと呆れているのが本心だ。安全保障問題について鈍いとしか言いようがないし外交面でも拙いと思う。日本が統一されつつあるという事が何を意味するのかまるで分かっていない。国家っていうのは統一されれば外に出たがるものなんだ。隋の煬帝、唐の太宗、モンゴルのチンギス・カン、日本の豊臣秀吉。北東アジアだけでも簡単に出てくる。統一のエネルギーというのはそれほどまでに強い。これを上手く利用した人間が英雄と呼ばれるのだろう。失敗すれば暴君と呼ばれる事になる。
「源三郎にございます。琉球からのお客人をお連れしました」
松浦源三郎が入り口で控えている。
「御苦労だったな、中に通せ」
俺が声をかけると男が三人入ってきた。一人は五十代後半だな。この時代じゃ十分な老人だ。後の二人は三十代半ばと二十代半ばだ。この二人は以前に使者として来たから顔は知っている。名前もだ。たしか年長の方が高嶺顕、若い方が巴択信だ。しかし五十代後半の男は今回が初めてだな。痩身で穏やかな表情をしている。武張ったところ、脂ぎったところはない。気の良いおじさんだ。三人の後ろからもう一人入ってきた。こいつは通訳だ。名は調所新左衛門詮房。以前は島津に仕えていたが島津が滅んだ後は朽木に仕えている。
「お初にお目に掛かりまする。謝啓紹と申しまする」
周りからざわめきが起こった。おじさんが日本語を喋ったからだ。低く渋い声だった。現代なら声優が務まるだろう。悪役が似合いそうだ。
「謝啓紹か」
おじさんが”はい”と答えた。謝啓紹、高嶺顕、巴択信というのは唐名【からな】だ。琉球の男達は琉球での名の他に唐名という中国風の名を持つ。主として公文書や外交の場で使用される名前だ。つまりそれだけ大陸の影響が強いという事でもある。
「この国の言葉が喋れるようだな」
「はい、二十年ほど前まで十年ほど堺に居りました」
堺? 二十年前? またざわめきが起こった。俺が根切りとか焼き討ちをやってる頃だな。なるほど、こいつは俺を知っているわけだ。残りの二人が謝啓紹に話し掛け謝啓紹が答えた。説明しているらしい。
「堺では何を生業にしていた?」
「医師にございます。明で医学を学んだ後、堺へ」
「琉球に戻らなかったのか」
謝啓紹が穏やかな苦笑を浮かべて”はい”と言った。戻らない、いや戻りたくない理由が有ったらしい。堺か、後で調べさせよう。
「それで、琉球でも医師をしているのか?」
「はい」
「繁盛しているのかな?」
謝啓紹が”それなりに”と答えた。また残りの二人が謝啓紹に話し掛け謝啓紹が答えた。
「説明が大変だな。随分と信用されているようだ」
朽木の重臣達が笑い出した。謝啓紹も苦笑している。
二人は謝啓紹を信用していない。信用していれば謝啓紹から説明が有るまで待つ筈だ。三度二人が謝啓紹に話し掛けた。
「煩いぞ」
二人が俺を見た。
「俺が謝啓紹と話をしているのだ。邪魔するな。謝啓紹、伝えろ」
謝啓紹が話をすると二人が露骨に不満そうな表情を見せた。阿呆。ここに来て内輪揉めをするつもりか?
謝啓紹とこの二人は同志じゃ無い。信頼関係が無いのだ。それなのに一緒に来た。という事はこの三人をくっつけた人物が居る事になる。そいつはそれが出来るだけの権力を持ちそれなりの地位も有るのだろう。謝啓紹はその人物の信頼を得ているらしい。後の二人はそれが面白くないのだ。そいつが誰かを確かめなければならんだろうな。




