大海へ
禎兆九年(1589年) 二月中旬 山城国久世郡 槇島村 槇島城 朽木基綱
目の前に二条左府、鷹司内府の二人が居る。二人は茶を飲んでいるんだが左府は穏やか、内府はおっとり。表情は違うが二人からは和やかな雰囲気が醸し出されている。お茶が似合う兄弟だ。俺も一口飲んだ。
「やはり寒い時はお茶に限りますな」
俺が話し掛けると二人が”はい”、”真に”と頷いた。
「それにカステーラが」
内府がカステーラを口に頬張ると”ほほほほほ”と笑った。左府は穏やかに内府を見ている。ほのぼのするな。この兄弟には癒されるわ。
「カステーラがお気に召しましたかな?」
「はい」
「それは良かった」
二人が楽しそうに笑う。帰りにはお土産として渡そう。喜んでくれる筈だ。
「ところで某にお話があると聞きましたが」
この二人、俺に話があると言って来たんだけど寛いでお茶を飲んでるだけなんだよ。二人が顔を見合わせて笑い出した。
「そうでおじゃりましたな、内府」
「はい、兄上。つい寛いでしまいました」
俺も笑った。困った二人だ。
「琉球攻めの事におじゃります。三月に攻めると聞きましたが具体的には何時頃になりましょう?」
左大臣が問い掛けてきた。
「兵を発するのは三月の半ばになりましょう。九州の薩摩から船で押し出す事になります。さすれば琉球に兵が渡るのは四月になるかと。戦が終わるのは五月になりましょう」
内府が”一月か”と呟いた。そうだな、大体一月で攻略戦は終わると思う。
「では琉球王が日本に来るのは何時頃に?」
今度は内府が訊ねてきた。
「後始末も考えれば早くて六月、いや七月頃になるかと」
二人が顔を見合わせた。
「兄上、やはり五月になる前には陣定をしなければなりますまい」
「そうでおじゃるの」
頷きあっている。
「琉球王を迎え入れる陣定でございますか?」
訊ねると二人が頷いた。
「何と言っても新たに令外官を定める事になりますし位階も高く朝廷での序列も摂政、関白、准三宮、太政大臣に次ぐものになります。皆も琉球王を迎え入れる事が得策と頭では理解しましょうが不満に思うところもおじゃりましょう。一度吐き出させた方が良いかと」
左府が考えながら言った。まあガス抜きが必要という事か。無視しない方が良いという事だな。切れるタイプには見えないが目配りは確かだ。
「それに琉球王は一度約を破った者におじゃります。それを厚遇するというのは……。扱いは細心の注意が要ると兄が」
左府が”内府”と窘めた。内府がしまったという顔をしている。何だ? 待てよ、兄って言うのは……。
「前関白殿下がそのように?」
問い掛けると二人が困ったように頷いた。なるほどな、切れるのは兄の前関白か。困ったようにしているのは俺が前関白に不快感を持っていると思っているからだろう。ここは気を付けないと。
「道理ですな。後々自分は納得していない等と不満を言われては琉球王も居辛いでしょう。陣定で皆で意見を出し合い最終的に帝が決を下す。その方が宜しいと思います」
和やかに答えると二人がホッとしたような表情を見せた。
「四月に陣定を行いますが多少公家達に考える時間を与えねばなりませぬ。陣定は四月の終わりになりましょう。その後直ぐに琉球王という令外官を新たに設けるという詔書を作る事になります。そして琉球王を任命する儀式も手順を定めなければ……。まあ、こちらは大政の委任の儀式を参考にする事になりますからあまり手間は掛からないと思いますが……」
左府がゆっくりと話す。なるほど、琉球王の任命は国家行事か。そうだな、その方が琉球王を重視しているという事になる。
「琉球道の名称も陣定で話し合う事になりましょう。まあ、こちらは煩い意見は出ますまい。琉球国という名を残せぬのは皆も分かる筈でおじゃりますからな」
内府が”ほほほほほ”と笑う。笑い終わると”ところで”と言った。
「内親王様の御降嫁の事、本気でお考えでおじゃりますか? 簡単には受け入れられないと思うのですが」
内府が真剣な目で俺を見ている。内府だけじゃ無い、左府もだ。やっぱり他国の王族に内親王を出すっていうのは抵抗が有るか……。
「本気です。今直ぐというわけでは有りませぬ。琉球王は前国王の息子では有りませぬ。甥です。前国王に息子が居ないので娘を娶った新王が琉球王になった。娘を娶る事で琉球王としての正当性を主張しているのだと思います」
二人が頷いた。まあそういうわけでからな。琉球王を離婚させて降嫁というのは拙い。琉球王の正当性に傷が付く。
「ですので降嫁すると言っても十年後、十五年後になりましょう。息子の代です。その頃になれば琉球王も大分受け入れられていると思いますし琉球の存在は今以上に重要視されていると思います」
「なるほど」
左府、内府が頷いている。少しは安心したらしい。十年後、十五年後には日本の勢力は更に南方に進出している筈だ。それに砂糖も琉球で生産されているだろう。今以上に重要な拠点になる。公家達も分かる筈だ。
「無茶は致しませぬ。御安心を」
「そうは言われましても……。初めての事ばかりで……」
内府が困ったように言う。俺が笑うと左府も笑った。内府も笑う。お土産のカステラは奮発して一人三本だな。
禎兆九年(1589年) 二月中旬 山城国久世郡 槇島村 槇島城 百地泰光
面会を望むと直ぐに大殿の元へと通された。部屋には大殿の他に誰も居ない。信頼されている。自分達の持ってくる情報を重視していると思うとゾクゾクするほど嬉しい。このお方は我ら忍びの扱いが飛び抜けて上手いわ。
「久しいな、丹波守。何が起きた?」
「はっ、琉球で混乱が起こっておりまする」
大殿が”ほう”と声を上げた。
「混乱とは?」
「大殿が琉球を攻めるのでは無いかと危惧する声が強まっているようで」
「今頃か、丹波守。随分と暢気な事だな」
「それは大殿が天下統一を優先すると見ておりましたから」
大殿はニヤニヤ笑っている。
「伊賀衆は良い仕事をするな」
「畏れ入りまする」
頭を下げると大殿が”ははははは”と笑い声を上げた。
「何故気付いた?」
「畿内で琉球を討つべしとの声が強まっておりまする。それが琉球にも伝わったようでございます」
大殿が頷いた。
「商人が怯えたか。それで琉球の混乱とは?」
「大殿に使者を出して弁明するべきだという者達と必要ないという者達がぶつかっておりまする」
「優勢なのは?」
大殿はニヤニヤ笑っている。分かっているのだ。
「必要ないという者達にございます。明との交渉を思えば琉球には強く当たれぬのだと随分と強気だそうで」
「まあそうだろうな。明の事も有るだろうが使者など出して俺に咎められては面倒な事になると思っているのだ。琉球王も即位早々に謝罪の使者など出したくなかろう。心情的には無視したいと思っているだろうな」
「はい、それに使者を出すべきだという者達も一つには纏まっておりませぬ。人質を直ぐ出すべきだという者、出さずとも良いという者。様々にございます」
大殿が”ふふふ”と笑った。
「琉球王にそれを裁けるかな?」
「難しゅうございましょう。何分脇から入りましたから重臣達に遠慮が有るようでございます」
「ほう、となるとそれぞれの意見に有力者が居るか」
「はい」
「年は幾つだった?」
「二十代の半ばかと」
大殿がまた”ふふふ”と笑った。
「頼りない事だな。グズグズしていると皆から見捨てられるぞ。下の者達は決断出来ない上を蔑むからな」
その通りだ。織田の三介がそうだった。最後は皆から見離された。
「大殿に会いに来る者達が居ります」
大殿がジッとこちらを見た。
「……何者だ?」
「以前、琉球の使者として来た者達にございます。大殿の真意を探り戦が起こるのを止めようと考えております」
大殿が不満そうな表情を見せた。
「その者達、前琉球王が約を破った時は止めなかったのか?」
「止めましたが無視されたようで……」
「……」
「琉球での身分もそれほど高くなく琉球王への影響力もそれほどには無かったようにございます」
大殿が”馬鹿にした話だな”と言った。
その通りだ。日本を重視していれば有力者を寄越しただろう。そうであれば琉球王も無視出来なかった。だが日本には身分の低い者を寄越した。琉球王の日本への関心はそれほど高くなかったのだ。番犬代わりに使おう、そんなところだったのかもしれぬ。その考えは新たな琉球王も受け継いでいる。
「琉球王の許しは得ているのか?」
”いいえ”と首を横に振ると大殿が視線を逸らした。俯いて憂鬱そうにしている。何を考えておられるのか……。
「哀れだな」
哀れ? 大殿は俯いた儘だ。心の内が漏れた? それにしても哀れとは……。大殿が顔を上げた。
「何時来るのだ?」
「二月の末には大湊に着きます。三月に入れば直ぐに近江に参りましょう」
「そうか」
「始末致しますか?」
大殿がジッとこちらを見た。琉球王の正式な使者では無いのだ。殺しても問題にはならない。
「いや、その必要は無い。折角琉球から来るのだ。会おう」
「宜しいのでございますか?」
訊ねると大殿が頷いた。
「何を言うのか聞くのも一興だ」
一興と言うが大殿は喜んでいない。嫌な感じがした。
「某も同席する事をお許し頂きたく」
「ふむ、危険か?」
「念のためにございます」
大殿の顔が綻んだ。
「分かった。頼むぞ」
「はっ」
頭を下げた。念のためだ。念のため。
禎兆八年(一五八九年) 二月中旬 山城国葛野郡 近衛前久邸 朽木基綱
「そろそろ近江に戻ろうかと考えております」
「そうか、御苦労でおじゃるの」
太閤殿下が俺を労ってくれた。
「そのような事は」
「しかし面倒でおじゃろう。何かにつけて朝廷に配慮しなければならぬ」
俺を試しているのかと思ったが殿下は真顔だ。からかっている訳ではないようだが……。
「権威と権力の両方を揃えるというのは簡単ではありませぬ」
「うむ」
「朝廷にそれを手伝って貰っているのですから面倒とは思いませぬ」
「うむ」
殿下が満足そうに頷いた。本心を言えば面倒だ。でもね、権威っていうのは一朝一夕で成立するものじゃないんだよ。朽木は血筋は悪くない。宇多源氏だからな。しかし武家としてみれば余りパッとする家じゃ無いんだ。自分で権威を纏うのは難しい。それなら朝廷の権威を利用した方が楽なのだ。
「直に琉球征伐じゃの」
「はい」
「今回は相国の息子達も戦に加わると聞いたが」
「はい、三郎右衛門は兵を率いますし四郎右衛門は軍略方として加わっています」
太閤殿下が”ほう”と声を上げた。殿下の顔が綻んでいる。
「大樹と次郎右衛門は奥州、三郎右衛門と四郎右衛門は琉球か。良い息子達よ。頼もしいの」
「真に。何時の間にか歳を取りました」
「そうでおじゃるの」
太閤殿下が感慨深そうに頷いた。そうだな、歳を取ったという思いは殿下の方が強いだろう。殿下の若い頃は乱世の真っ只中だった。その乱世が終わろうとしている……。
「奥州の者達は降伏しそうかな?」
「おそらく。雪が降る前の事ですが大樹の下に使者が来ています。関東で一万石と聞いて迷っているのでしょう。しかし大崎左衛門佐はそれを受け入れて関東に移りました。受け入れた者が居るとなれば続くのは難しく有りませぬ。滅ぶよりはましだと自分を納得させましょう」
殿下が頷いた。
「雪が溶ければ動きが出るか」
「はい。抵抗する者は居ても僅かでしょう。潰すのは難しく有りませぬ」
奥州から俺に敵意を持つ者は居なくなるだろう。朽木の天下を受け入れられない者は居なくなる筈だ。今後、奥州で騒乱が起きる事は無くなる。奥州だけじゃ無い、日本全土で騒乱は無くなる。俺は九州から奥州まで武を振るい、敵を討ち滅ぼしたのだ。
「いよいよ天下統一か。夢のようでおじゃるの」
「真に」
大袈裟じゃ無く夢のようだと思う。八千石から出発したのだ。朽木は乱世で藻掻いていた。いや、藻掻いていたのは朽木だけじゃ無いな。皆が藻掻いていたのだ。生き残るために必死に藻掻いていた。
「だが天下は統一されても乱世は終わらぬ。そうでおじゃろう?」
殿下が俺を見た。
「はい、終わりませぬ。次は異国との乱世が待っております」
「うむ、間に合ったわ」
間に合った? そうだな、間に合った。明、ポルトガル、イスパニアの手を払いのけられるだけの力を付けた。大航海時代を乗り切るだけの、いやメインプレイヤーの一人になるだけの力を付けたのだ。
「これからでございましょう。これまでは日本の中で大名同士の戦いにございます。いわば内輪揉めでございました。しかしこれからは国と国の戦いになります。負ければ国が無くなりまする。琉球のように」
「そうでおじゃるの」
殿下が満足そうに頷いた。可笑しかった。負ける事なんて考えていないらしい。俺を信じているのか、それとも楽天的なのか。少し諫めた方が良いな。
「これからが勝負にございます」
力を込めると殿下が破顔した。
「うむ、楽しみでおじゃるの」
……期待に添うように頑張るよ。




