婚姻外交
禎兆九年(1589年) 二月上旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
文を読む。先ず九州の石田佐吉からの文だ。イエズス会の伴天連達が大分慌てているらしい。例の土地所有の問題だ。イエズス会が現在所有している土地だがやはり判物は無いようだ。大友宗麟が土地を与えたのだろうが判物が無い以上、不法占拠という事になる。伴天連達は判物の交付を一月に佐吉に願い出た。もっと前に願い出たかったのだろうが近江で拘束されていたからな。しかし、コエリョの蜂起を考えると蜂起が上手くいけば交渉で認めさせる事が可能だと見ていたのだろう。失敗に終わったので慌てて佐吉に交付を願い出たというのが真相だと思う。舐めてるよな。
もっとも土地を不法に占拠したと訴えた寺社側も判物を佐吉に出せずにいる。こちらも
判物は無いのだろう。佐吉は伴天連達が日本人奴隷を買い戻さない事、それにコエリョの蜂起等を理由に交付を認めないと書いてきた。問題無い。元々そういうシナリオだからな。交付が無ければ寺院等の建造物は破却だ。こいつはイエズス会も仏教も分け隔て無く潰す。万一のために兵を用意した方が良いだろう。琉球攻めの兵を九州に送る口実になるな。琉球攻めの兵力は二万だが一万多く送ろう。その一万は宗教対策だ。琉球攻めと寺院を壊すのが同時期になる。悪くないな。イエズス会だけじゃばい、呂宋のイスパニアも慌てるだろう。佐吉には手厳しくやれと返事を書いておこう。
次の文は大樹だ。早く奥州制圧を終わらせて近江に帰りたいと書いてある。俺の側で色々と学びたいそうだ。そういう気持ちが有ればドンドン成長する。今は皆が大樹に不安を感じているようだが五年もすれば安心するだろうし十年経てば頼もしく思うだろう。そうなれば俺に代わって太政大臣になっても誰も不満には思わなくなる。順調だよ。文には桐の事も書いてあった。桐を嫁がせる相手は決まっていないそうだ。毛利に嫁がせる事に不満は無いと言ってきた。良し、児玉三郎右衛門を呼ぼう。これで毛利との絆も一段と強まる。
奥州の諸大名達の動向については記述が無かった。つまり動きが無いのだ。如何するかで迷っているのだろうな。大崎左衛門佐が一万石で関東に移る事を承諾したのだ。残りの連中も決断はし易いと思うのだが……。四月になれば奥州再征だ。有りがちな事だがそれまでは目を背けてグズグズと決断を先延ばしにするのかもしれない。気持ちは分かるがこちらの心証は悪くなるぞ。先の事を考えれば早く決断した方が良いんだが……。まあ生まれ故郷を追われるのだ。決断は難しいのだろうな。
関白殿下からも文が来ている。もうじき天下統一だ。天下統一後に改めて俺に大政の委任の儀式を行いたいと言ってきた。大政の委任と大政の奉還。これをきちんと定めたいという狙いも有る。これまでの武家は征夷大将軍になって幕府を開いた。しかし俺は太政大臣になって相国府を開く。前例が無いのだ。朝廷は前例重視だ。これは困る。伊勢兵庫頭と相談して大体の所は纏まったらしい。後は俺に確認をという事のようだ。直に京に行かなければならん。例の琉球攻めの件で朝廷に報告する約束になっている。その前に殿下と話をしよう。
九鬼と堀内からは地方の水軍が協力的になってきたと文が来た。地方の水軍達はイスパニアの襲来に驚いたらしい。そしてイスパニアの水軍を一蹴した九鬼、堀内の実力を認めたようだ。石山には地方の水軍から続々と人が来ている。積極的に教えを受け自分達の水軍を変えようと考えているようだ。やはり一つに纏まるには敵が必要という事だな。直に琉球攻めだ。そうなれば日本は海外に進出すると皆が理解するだろう。協力も一層進む筈だ。
そう言えば九鬼に嫁いだ周からも文が来ていたな。元気にやっていると書いてあった。夫の九鬼孫次郎、舅の宮内少輔は新しい水軍を創るのだと忙しく働いているらしい。親子で色々と話し合っている姿を見ると仕事を楽しんでいるようで嬉しいと書いてあった。九鬼の父子はイスパニアとの戦の話もしてくれるそうで驚く事も多々有るそうだ。夫が仕事をしている姿を嬉しいと思えるのは夫婦仲が良い証拠だ。後は跡継ぎだな。周が男子を産めば万々歳だ。
近衛に嫁いでいる鶴からも文が来ている。舅の太閤殿下が娘の玉姫を溺愛しているらしい。それに入内、入内と騒ぐので辟易しているようだ。鶴は自分の娘が中宮になり自分の孫が帝という未来が想像出来ないらしい。まあ俺も自分の曾孫が帝というのはピンとこないな。しかし早ければ十四、五年後には入内して中宮だろう。男皇子が生まれれば当然だが次の帝候補だ。今はピンと来なくても十五年も過ぎれば否応なく向き合う事になる。その頃には朽木家も俺では無く大樹が色々と差配するようになるだろう。楽しみだな。早くそういう時代になって欲しいものだ。俺、生きてるかな?
禎兆九年(1589年) 二月上旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 児玉元良
呼び出しを受けて相国様の元へ向かうと直ぐに面会の運びとなった。毛利を重視しているという事の表れなら嬉しい限りだ。それだけに気を付けなければ……。
「児玉三郎右衛門にございまする」
「ああ、早かったな。もっと近くへ」
相国様が扇子で場所を指し示す。”失礼致しまする”と一礼して躊躇う事無く前へと進んだ。このお方に詰まらぬ遠慮は無用だ。そういう事は嫌がる。
「かねて毛利家から願いの有った幸鶴丸殿の嫁取りだが孫の桐を出す事に決めた」
「真でございましょうか?」
驚いた。毛利では桐姫様は上杉に行くのでは無いかと見ていたが……。
「大樹から返事が来た。幸いな事に桐の相手は決まっていなかった。大樹も毛利に出す事に異存は無いと言っている」
間に合ったのだと思った。上杉の先を行ったらしい。これで毛利も安泰よ。上杉に引けを取らずに済む。
「有り難うございまする。桐姫様を毛利家にお迎え出来る事、真に有り難く思いまする。主、右馬頭も毛利への御信任に心から感謝致しましょう」
礼を言うと相国様が満足そうに頷いた。お元気そうだ。先日は御加減宜しからずと面会謝絶の触れが出た。過労という説明だったが……。うむ、嘘では無さそうだな。国元にも伝えなければならん。
「まあ、桐を嫁がせるのは最低でも十年は先の事だろう」
「はい」
相国様が苦笑を浮かべたが直ぐに真顔になった。
「だが婚約の事はきちんと定めておきたい」
「是非にもお願い致しまする」
相国様が頷いた。きちんと定めておけば天下に公表出来る。ここが大事だ。毛利は朽木家と強く結び付いたのだと皆が理解するだろう。
「両家の人間が集まった上で婚約の儀を整えるべきだと思う」
「結納でございますな?」
問い掛けると相国様が”うむ”と頷いた。相国様も毛利との縁組みを重視しているのだと思った。
「桐は大樹の娘だ。大樹も同席した方が良かろう」
「はい、それが宜しいかと思いまする」
後々大樹公が自分の知らぬ所で進められた等と臍を曲げられては困る。瑕瑾になるような事は避けなければ……。
「となると奥州制圧が終わって大樹が近江に戻ってからとなる。奥州の仕置きも有る。早くても夏を過ぎよう」
場合によっては冬になるかもしれぬ。あまり先に伸ばしたくはない。大樹公が心変わりをしないとも限らない。
「内々に御約束を頂くというのは如何でございましょう?」
「内々に約束か」
「はい。結納の日取りだけでも先に決めてはと思うのですが」
相国様が”なるほど”と頷いた。そして”ははははは”と笑い出した。
「心変わりされぬようにかな?」
「決してそのような」
否定したが相国様は笑うばかりだ。
「大物を釣り上げたからな。針から外れぬようにしなければならぬ。そうだろう?」
見抜かれたか。苦笑した。二人で笑う。困ったものだ。
「良かろう。大樹には結納の日取りを毛利と決めると伝える」
「有り難うございまする」
「それで如何する? 俺とそなたで決めて良いのかな?」
「いえ、右馬頭が直接近江に来て相国様とお話する事になるかと思いまする」
国元の恵瓊からは殿が近江に行きたいと何度か漏らしたと文が来た。良い機会だ。こちらに来て貰おう。そして御礼を言上し日取りの相談を殿と相国様で行うのだ。この婚儀を毛利が重視している証になるだろう。朽木側も自尊心を擽られる筈だ。
「分かった。俺は直に京に行かなければならぬ。京には二月の末頃まで滞在するだろう。右馬頭殿が此処に来るなら三月以降という事にしてもらいたい」
「承知致しました」
問題無い。これから国元へ連絡して準備を整えて近江へ出向くとなれば如何見ても三月になる。国元には三月上旬には近江に到着するようにと伝えよう。
「それとな、三月に琉球を攻める」
さり気ない口調だったが息が止まるかと思った。三月、天下統一は未だなっていない。それなのに動くのか……。
「ほう、驚かぬようだな。周から聞いたか?」
「娘からは何も」
「では次郎五郎、藤四郎かな?」
「いいえ、聞いておりませぬ。なれど京では琉球を攻めるべきだとの声が上がっていると聞きます。或いはと思っておりました」
相国様が”そうか”と言った。
「毛利の者は口が固いな。特に口が固い娘は貴重だぞ」
「畏れ入りまする」
相国様が”ははははは”と笑った。
「陸路を使うから毛利領を通る事になる。国元に伝えて欲しい。兵は二万だ」
「はっ、必ずや」
相国様が満足そうに頷いた。琉球攻めか。いよいよ海の外に出るのだと思った。
禎兆九年(1589年) 二月中旬 周防国吉敷郡上宇野令村 高嶺城 吉川元春
呼ばれて部屋に行くと右馬頭は居なかった。居たのは恵瓊だ。恵瓊が満面の笑みを浮かべて儂を見ている。
「駿河守様、どうぞお座りを」
「如何した? 殿は?」
「殿は南の方様の許へ行きましたぞ。駿河守様へのお話は愚僧に任せるとの事にございます」
思わず顔を顰めた。儂を呼んでおいて自分は女房の許へか……。恵瓊が”ふふふ”と笑った。
「御不快のようですな。しかし愚僧の話を聞けば驚きますぞ」
「勿体振るな、お主の悪い癖だぞ」
恵瓊が頭を撫でながら”これは失礼を”と言った。一回だな。
「近江の三郎右衛門殿から文が来ました。幸鶴丸様のお相手が決まりましたぞ」
「真か!」
恵瓊が嬉しそうに”はい”と言った。早いな、となると……。
「桐姫様か」
「はい」
思わず唸った。上々吉よ。
「上杉からの申し出は無かったようですな。まあ、上杉では血が近過ぎると思ったのかもしれませぬ」
「そうだな」
嫡流の姫を頂くのだ。これで毛利は上杉に引けを取らずに済む。
「相国様は婚約の儀を整えておきたいと申されたそうです。結納ですな」
「望むところよ」
桐姫様が毛利に来られるのは随分と先の事だ。今は婚約で十分。お釣りが来るわ。
「ですが結納には大樹公の御臨席が必要でしょう。お戻りを待つとなると随分と先になります」
「うむ、慶事の先延ばしは良くないぞ」
心変わりも無いとは言えぬ。上杉が割り込む事も有り得よう。
「はい。しかし大樹公抜きでの婚約というのも些か問題が有ります」
恵瓊が儂を見た。そうだな、娘の婚約に加われぬ。面白くなかろう。しかし奥州征伐後となれば戻るのは夏を過ぎよう。半年以上先になる。
「如何する?」
「婚約の日取りを決める事で内々の御約束を頂くという事に」
日取りか。なるほど、婚約では無く婚約の日取りを決める事で確約を得たという事にするか。日取りなら大樹公も不快には思うまい。
「上手い手だな、恵瓊」
「はい、三郎右衛門殿も中々」
二人で顔を合わせて笑った。やるわ、やはり近江に三郎右衛門を置いたのは正解よ。あの時は窮余の一策だったが今では誰もが三郎右衛門が近江に居る事を当然の事と思っている。上手い具合に嵌まったものよ。
「そうそう、三郎右衛門殿の文には相国様は大層お元気だったと書いてありましたな。御加減宜しからずというのはやはり過労だったようです」
「なるほど、相国様も四十を超えたからな。これまでのように無理は出来ぬか」
恵瓊が”そのようで”と言った。
「大した事が無くてなによりだ」
ホッとしている自分がいた。何時の間にか乱世よりも太平を望んでいる。年を取ったのは相国様だけでは無いのだと思った。
「しかし天下を纏められるのは相国様のみ。残念ですが大樹公では些か荷が重いでしょう。まだまだ休めませぬ」
「そうだな」
父もそんな思いをしたのかもしれぬ。さぞかし辛かっただろう。頭を振った。感傷を捨てろ。太平になっても家を守る戦は続くのだ。
「話を戻そう。それで? この先は如何する?」
問い掛けると恵瓊がにんまりして頭を撫でた。二回目だ。
「三郎右衛門殿の文には殿が近江に赴き相国様と直接会って決めるべきだと書いてあります。相国様にもそのように伝えたそうです」
当主で有る右馬頭が近江に行く。朽木も悪く思わない筈だ。
「異存は無い。殿が行くべきだ」
「相国様からは三月に日取りを決めたいと言われたそうです。三郎右衛門殿は三月の上旬には近江に来るべきだと」
「それも異存は無い。それで婚約の日取りは何時にする?」
問い掛けると恵瓊が頭を撫でた。三回目だな。
「その事ですが先程殿と話したのですが年が明けてからではどうかと」
年内の方が良いと思うのだが……。いや、右馬頭も同意しているとなると何か意図が有るのかもしれぬ。
「随分と遅いな。何か有るのか?」
問い掛けると恵瓊が頷いた。やはり有るのか。
「京の二条様より文が届いております。天下統一後に朝廷と朽木家の間で朽木に天下の大権を委ねる儀式を執り行うそうです。今、関白殿下と伊勢兵庫頭の間で色々と話し合っているようですな」
「……」
「大樹公もそこに加わるのだとか」
「なるほど」
大樹公が戻って来るのが夏を過ぎるとなれば秋から冬頃に儀式が執り行われる事になる。場所は京だろう。となると年内に出来ぬとは思わぬが忙しいな。
「それに、これは愚僧の勘ですが」
「何だ?」
恵瓊がジッと儂を見た。
「改元が有るやもしれませぬ」
「改元か、道理よ」
思わず膝を二回叩いた。天下統一を言祝いでの改元か。十分に有り得る。いや、乱世が終わったのだ。無ければおかしいだろう。そこに気付くとは……。憎い坊主だ。この坊主が毛利に居たのは僥倖よ。
「儀式と改元か。確かに年内は忙しいな」
「はい。婚約は盛大に行わなければなりませぬ。毛利の家格を上げる婚約なのですから儀式と改元に圧されて霞むようでは困ります」
「そうだ、困る。となれば年が明けてからのが良いか」
恵瓊が”はい”と頷いた。
「殿は南の方様も近江に連れて行く事を考えております」
なるほど、それで奥に行ったか。
「しかしな、幸鶴丸は連れて行けまい。離れるのは嫌がるのではないか?」
「まあ、それは……。しかし殿は必ず連れて行くと」
「……」
「淡海乃海を四方の海と繋ぐ。殿は大きな衝撃を受けておられます」
「うむ、途方も無い事よ」
儂の言葉に恵瓊が頷いた。その話を聞いた時、儂も驚いた。他の者がやると言ったら馬鹿かと一笑に付しただろう。だがあの男がそれを考えているとなればとても笑えぬ。ただただ驚くしかないわ。
「淡海乃海を四方の海と繋ぐ。淡海乃海を見せればそれが何を意味するのか分かるだろうと」
「なるほど、これまでの天下とは違うか」
「はい。天下は変わります。武だけではない、政も変わるのだと分かりましょう。それを教えたいとお考えです」
右馬頭は懸命にあの男に追い付こうとしている。
「ふふふふふふふ」
「如何なされました?」
恵瓊が訝しげに儂を見ている。
「いや、儂や左衞門佐は殿を一人前に出来なかった。その事で随分と歯痒い思いをした。しかし、今考えると儂や左衛門佐にはそれだけの力が無かったのだな」
恵瓊が複雑そうな表情をしている。肯定すれば儂や左衞門佐を誹る事になると思っているのだろう。
「ふふふふふ、憎いお方だ」
笑う事しか出来ない。憎いのよ。
「それと、相国様は三月に琉球を攻めますぞ」
「なんと!」
恵瓊が”ふふふ”と笑った。
「天下統一の前に動く。皆、意表を突かれましょうな。憎いお方にございます」
「全くだ、憎いわ」
恵瓊と二人、声を合わせて笑った。




