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琉球王死す




禎兆八年(1589年)    一月下旬      山城国久世郡 槇島村  槇島城  朽木基綱




 今日は天気が良い。冬の晴天は青く突き抜けるように澄んでいる。風が無いから庭を歩いても寒くない。良いねえ。……そろそろ近江に帰らなくてはならん。でもなあ、あんまり帰りたくないんだよな。近江は今琵琶湖運河で大騒ぎだ。帰れば必ず捕まって詰め寄られるだろう。それを考えると憂鬱だ。このままずっと此処で散歩していたい。女達は豊千代の母親に会いに行ったと思っているようだが俺は此処に避難しているだけだ。でも、誰か連れてきても良いかもしれない。


 しかしなあ、近江だけじゃ無いんだよな。この京でも公家達が騒いでいる。琵琶湖運河が完成すれば京から敦賀に船で遊びに行けると大喜びらしい。敦賀は花火が有るからな。見物したいそうだ。遊びじゃ無いんだぞ。国家の大事なんだ。昨日は関白が訪ねてきた。妻の春齢内親王【いとこひめ】が興味津々らしい。公家だけじゃ無い、公家の奥方達の間でも敦賀の花火が見られると相当に話題になっているようだ。


「はあ」

 溜息が出るわ。

 先日、小兵衛が夜中に訪ねてきた。例の朝鮮に派遣される宦官の使者だがやはり明の皇帝が派遣したらしい。政府は関係していないようだ。となるとだ、まともな使者じゃないって事になる。使者の目的は不明だが明では宦官があっちこっちに行って銀をかき集めている。それを考えれば朝鮮に銀を出させるのが目的だろう。朝貢という形を取るのか、それとも宦官が毟り取るのか。使者は三百人ほどの護衛兵を付けているらしい。手荒く行く可能性は十分に有る。


 又兵衛が明の商人が塩を買っていると言っていた。おかしな話だよな。明では塩は専売なのだ。国家財政の重要な財源の一つになっている。当然だが闇で塩を作るのも売るのも禁止だ。外からの輸入もな。その塩を商人が日本で買う。密輸だ。相当に塩が高くなっているのだろう。そして日本では塩は安い。安い日本の塩を大量に買って売っている。闇の流通ルートが有るのだ。塩は生活の必需品だ。役人は摘発に必死かもしれないが民は生活のためにその流通ルートを守ろうとする。簡単には摘発出来ない。


 小兵衛に塩は高いのか、日本から流れているのかと確認したら苦笑いされた。何でと思ったら八門が塩を運んでいた。唖然としたよ。馬鹿馬鹿しい話なんだが当初、八門は明では塩が専売だと知らなかったらしい。純粋に商品として持っていったようだ。明に行って専売だと知り役人が来る前に捨てるしか無いかと思った時に声を掛けてきたのが塩の闇商人だった。どうもそれ以前から日本産の塩は商人によって明に運ばれていたらしい。だから八門は塩が商品として有効だと思い専売だとは気付かなかったようだ。


 まあ明国内で塩を生産するのはリスクが高いからな。海外産を使った方が安全なのだろう。それ以来、八門にとって闇商人は重要な情報源になっている。明の役人達は闇の塩を何とかしようとする筈だ。最初に考えるのは塩田の摘発だろう。製造場所を叩けば自然と闇に出る塩は消えるからだ。しかし今回の場合、生産場所は明の国内には無い。最初は分からないだろうがいずれは海外から輸入していると判断する筈だ。


 対抗手段は商船を臨検して塩の摘発か。水際作戦だが効果があるかな? 八門はもう港には塩を持ち込んでいないらしい。塩の取引は海上で行うと言っていた。取引を終えてから通常の荷を港に運ぶと。多分、他の商船も似たような事をやっているのだろう。だとすると摘発は難しいだろうな。


 しかしなあ、商人がそこまでリスクを冒すのかと不思議なんだがもしかすると商人も必死なのかもしれない。塩の購入に使う銭が多くなればその他の商品は売れ難くなる。塩の代金が可処分所得を圧迫するわけだ。安い塩を売る。勿論利益は確保しているだろうがそれによって他の商品を買わせようという計算なのかもしれん。


 或いは単純に税を取ることしか考えない政府に対して反発しているのか。商人にとって今の明は商売のし辛い国だろう。市場は大きいのに税が高くて民の購買意欲は低い。腹を立てたとしてもおかしくは無い。もしかすると朝鮮からも塩が流れているのかな? もしそうなら、そして宦官がその事を知っていたとしたら相当に荒れそうだな。明と朝鮮の間がギクシャクするのは悪くない。小兵衛には宦官から目を離すなと命じたが結果報告が楽しみだ。……何時か塩が日本と明の懸案問題になりそうな気がする。気のせいだよな。幾ら何でも塩で戦争は無いよな。


 鳥が飛んでいる。大きな鳥だ。鷹だな。良いよな。あんな風に自由に空を飛んでみたい。「現実逃避だな」

 頭を振った。天下人が現実逃避をして如何するんだよ! 阿呆! 南瓜は上手く行った。関白からは甘くて美味しい。院、帝も喜んだし公家達からも評判が良かったと言われた。悪くない。これで南瓜の栽培に弾みが付く。近江に帰ったら又兵衛と陣八郎に言わなければ……。あー、帰りたくない。


「大殿」

 呼ばれて振り返ると千賀地半蔵が跪いていた。全然気付かなかったな。

「半蔵、未だ昼間だぞ」

 冗談を言うと半蔵が顔を綻ばせた。

「御寛ぎの所、申し訳ありませぬ。大事にございますればお許しを」

「分かった。遠慮は要らぬ。立て」

 ”はっ!”と畏まってから半蔵が立った。一歩、二歩と近寄る。


「琉球王が亡くなりました」

「……何時だ?」

 そう聞くのがやっとだった。琉球王が死んだ?

「はっきりとは分かりませぬが年末から年始の間かと」

「伏せたのか?」

 問い掛けると半蔵が頷いた。


「琉球王には男子がおりませぬ。争いがあったわけではありませぬが新たな王を誰にするかで多少の調整を必要としたようです」

「未だ若かったと思ったが」

「はい、三十か三十一でございましょう」

 若いな。自然死、だよな。不審が有るなら半蔵が言う筈だ。半蔵は無言だ。


「跡を継ぐのは?」

「娘婿の尚寧が継ぎまする」

 本当なら日本に人質に来る筈だった男だ。王になって人質にならずに済むと喜んでいるかな?

「予定通り、だよな」

「はい」

 尚寧は娘婿だが琉球王に近い王族でもあった。つまり王位を巡って争いがあったわけでは無い。


「琉球は日本を如何見ているのだ? 人質を送らなかった事だが」

 半蔵がニヤリと笑った。悪い顔をするなあ。好きだけど。

「イスパニアが敗れた時は慌てておりましたが今は落ち着いておりまする」

「噂が効いたか?」

 半蔵が嬉しそうに”はい”と頷いた。やはりな。日本が奥州に手こずっていると噂を流したが飛び付いたか。まあ実際に天下統一は成っていない。日本を怒らせたが交渉で関係改善する時間は有ると見ているのだろう。甘く見られたものだ。


「琉球王はこれから如何するつもりかな」

「先ずは即位をしなければなりませぬ。色々と有りましょうし日本に使者を送るのは遅くなりましょう。明にも冊封使を送らなければ」

「そうだな」

 半蔵の言う通りなら政策面で争いは無かったという事になる。もし、使者が直ぐに来るのなら政策面で変更が有ったという事だ。琉球王の死は自然死じゃない可能性が出るな。日本を怒らせる事を危険視する勢力が動いた……。


「ふふふふふ」

 思わず笑い声が漏れた。どうなるかな?

「如何なされます?」

「琉球で日本は天下統一を優先するらしいと噂を流してくれ。イスパニア、伴天連にも強く当たらなかったと。相当に奥州は手強いようだとな」

 半蔵が顔を綻ばせた。酷い嘘だと思ったのかも知れない。

「ついでにな、俺が隠居所を建てているというのも流してくれ。四十を過ぎて健康に不安があるようだとな」

 半蔵が笑い出した。俺も笑った。なんでこんな酷い嘘を思いつくんだろう。


「承知しました。琉球攻めは予定通り、でございますな」

「うむ。代替わりが有ったのだ。日本との関係改善をする絶好の機会だろう。新しい琉球王が直ぐに使者を送ってくれば俺も考えなければならん。だがその機会を潰すようでは信用出来ぬな。予定通り攻める」

 半蔵が”はっ”と頭を下げた。俺が酷いのか、琉球が甘いのか。後世の歴史家は悩むだろうな。


「ところで、呂宋のイスパニアだがファン・コーボは戻ったか?」

「はい、年が明けてから戻りました。それ以上の事は」

「分からぬか」

「はい」

 半蔵が面目無さそうな顔をしている。まあ良い。連中との交渉が本格化するのは琉球制圧後だろう。向こうは慌てる筈だ。その方が主導権が取れる。


「倭寇が暴れていると聞くが?」

「はい、暴れております。そちらの方を重視しているような気配もございます」

「そうだろうな」

 呂宋の海が荒れれば明との交易にも響く。イスパニアにとっては死活問題だ。日本よりも倭寇の方が危険だと考えているだろう。少し嫌がらせをしてやるか。


「半蔵」

「はっ」

「九州で噂を流してくれ。呂宋で倭寇が勢いを増している。大分稼いでいるようだとな」

 半蔵がニヤリと笑った。九州でコエリョの蜂起に加勢した浪人は一万五千ほど居た筈だ。そいつらの十分の一でも呂宋の海に行ってくれれば千五百だ。相当な脅威だろう。


「俺からは以上だ。その方からは有るか?」

「いえ、ございませぬ」

「そうか。御苦労だったな、半蔵。楽しくなりそうだ」

 頷くと一礼して半蔵が去って行った。さて、俺も近江に帰るか。大評定が待っている。

 



禎兆八年(1589年)    一月下旬            近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




 大評定を終え私室に戻ると直ぐに組屋源四郎、古関利兵衛、田中宗徳の三人がやってきた。この三人、今日は朝から城で待機しているらしい。大評定の結果が心配で不安だったのだろう。

「如何でございましょうか?」

「うむ。やる事になったぞ、源四郎」

 源四郎が他の二人と顔を見合わせた。三人とも喜色満面だな。


「有り難うございまする」

「礼を言うのは早い。先ずは調査だ。四月になったら敦賀、塩津浜の間を確認する。何処に水路を通すかは地形の調査も必要だが土の質も確認しなければならぬからな。以前にも言ったがそれ次第では中止という事も有り得る」

 三人が”それはもう”、”分かっております”、”十分にございます”と言った。


「調査が終わっても直ぐには始まらぬ。計画を立てて十分に成算有りとなったら工事だ。上手くいっても工事が始まるのは一年以上先の話だろう」

 俺の言葉に三人が頷いた。完成は何時かな? 最低でも五年、いや十年くらいかかるかもしれない。なんせ人力だ。機械なんて無いんだから。

「それにしても驚きました。私共は敦賀、塩津浜の水路をとお願いしただけですのに京、石山、伊勢にまで水路を作ろうとは……」

 利兵衛が嘆息を漏らした。他の二人は頷いている。


「真、相国様は考えられる事が大きゅうございます。流石は天下人ですな」 

「宗徳、煽てても何も出ぬぞ」

 宗徳が”いやいや”と言い他の二人が声を揃えて笑った。でもなあ、これで転けたら俺は隋の煬帝と同じだな。煬帝も運河を作って外征をした。国内で反乱が起きて最後は殺された。そういう風に成らないように気を付けないと……。縁起の悪い事は考えないようにしよう。大丈夫だ、上手く行く。これが上手く行けば史実とは違う日本が誕生する。その事を考えるんだ。

  

「反対は無かったのでしょうか?」

 源四郎が不安そうな表情を見せた。

「案ずるな、源四郎。皆、乗り気だ」

 大評定では殆ど反対は出なかった。問題視されたのは二点だ。一点は本当に西回り航路が出来れば敦賀、塩津浜の陸路は敦賀、石山の海路に負けるのか。もう一点は経費だ。膨大な経費が掛かるが体力的に大丈夫なのか。明、イスパニアとの戦いも控えている。難しいのでは無いか。


 最初の問題なのだが平九郎が実際に船を使った調査結果を報告した。それによるとやはり敦賀、塩津浜の陸路を使った輸送は相当に不便で経費が掛かるのだ。先ず敦賀で荷物の積み替えを行い塩津で荷物の積み替えを行う必要が有る。淡海乃海に出るまでに二回の積み替えだ。そして大津でもう一回荷物の積み替えが発生する。つまり運送業や倉庫業をしている問屋への手数料の支払いが三回発生する事になる。これが馬鹿にならない。おまけに峠を越えるから大量の荷物を一気に運ぶ事が出来ない。少しずつに成る。それも手数料が嵩む理由だ。


 それに比べると西回り航路は荷物の積み替えは石山で一回で済む。運賃そのものは敦賀、塩津浜経由の大津の方が遙かに安いのだが手数料で負けるだろうと平九郎は言った。だろうと言うのは未だ西回り航路が完成していないからだ。何処に泊まれば良いのか分からない状態で船を出したらしい。石山に着くまで相当に日数が掛かったようだ。だがそれでも敦賀、塩津浜の費用に比べて左程に遜色は無かったらしい。俺は船の積載量を大きくすればコストパフォーマンスで石山の方が有利だと言ったが平九郎も同意見だった。航路に慣れれば、そして積載量を大きくすれば西回り航路が有利だと断言した。


 もう一つの銭に付いては平九郎が問題無いと断言した。水路を作った後は水路の使用料を取る事で財源にする。負担になるのは最初の敦賀、塩津浜の水路だけだと。そして笑顔で俺に迫った。銀二十万両、必ずイスパニアから取って下さい。……あいつ、金が絡むと性格が変わるな。後で通行料をどの程度にするかを平九郎と詰めなければならん。


「特にな、関東総奉行の木下藤吉郎が乗り気だった」

「木下様が」

 宗徳が呟くように言うと他の二人が顔を見合わせた。面識が無いからな、戸惑っているのだろう。

「藤吉郎は淡海乃海と伊勢を結ぶ水路に期待しているらしい。そこが完成すれば関東と畿内の距離が一気に近くなるからな。関東総奉行としては関東の発展に大きく寄与すると見ているのだ」

 三人が”確かに”、”左様ですな”と言いながら頷いた。


「利根川の流れが変われば江戸は奥州とも近くなるのだ。陸路だけでは無い、海路の整備も必要だと張り切っている」

 三人がそれぞれに同意の声を上げた。東海道の海路を整備して関東から奥州の海路を整備する。要するに東回り航路だ。面白くなって来たな。

「いずれ関東は繁栄するぞ。特に江戸はな。今のうちに江戸に店を出してはどうだ?」

 三人が顔を見合わせた。笑みがある。乗り気だな。この三人が江戸に店を出せば他の連中も店を出すようになる。藤吉郎にとっては何かと頼りになるだろう。


「しかし順番としては敦賀、塩津浜が最初になる。次は京、石山だ」

 三人が頷いている。源四郎が俺を見た。

「先ずは北陸から畿内までの大きな水路を完成させるのですな」

「そうだ。これが出来れば相当に便利だぞ」

 日本の物流の大動脈が誕生するのだ。これまでとは繁栄の度合いが違ってくる。


「ではその後で小浜、伊勢を?」

「そうなるな、利兵衛。水路の通行料がどの程度の物になるかによるだろうが一緒に作るという事も有るだろうな」

 鯰江は不満かもしれない。後回しにされればその間小浜は寂れるからな。しかしなあ、此処は我慢して貰おう。本来なら小浜に水路は無くても良いんだから。


 いや、ちょっと待てよ。日本海側に敦賀、小浜という畿内への入り口が二つ出来れば徐々にだが東日本の日本海側が敦賀を使い、山陰が小浜を使う事になるだろう。という事は混雑を避けるために水路は二つ有っても良いのかもしれない。太平洋側では東日本が伊勢を使い西日本が石山を使う筈だ。なるほど、小浜に水路を作るのは将来的には正しかったって言われそうな感じだな。


 ここは鯰江は関係なく小浜に水路を作るのだと皆に徹底させた方が良いな。調査結果で問題無しとなったら事業計画書を作ろう。其処に書くのだ。敦賀、小浜、伊勢、石山。この四カ所が近江の外港になるのだと。その狙いもな。




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― 新着の感想 ―
14ページ!!!見た瞬間鳥肌立った!
琵琶湖の水量めっちゃ減りそうだけど大丈夫なんかな
基綱さんの活躍の影響がいよいよ海外で楽しみですね。この小説にひかれて、歴史に興味が出て実際の朽木陣屋跡、清水山城跡、気比神宮、岩神館足利庭園、野良田町、国友鉄砲館、観音寺城跡、竜王霞み堤、石見銀山を回…
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