畏敬
禎兆七年(1588年) 十一月上旬 出羽国置賜郡米沢村 米沢城 朽木滋綱
「残念です。また御屋形様、次郎右衛門の兄上と会えなくなってしまう。そうは思いませんか、兄上」
弟の四郎右衛門が俺を見て拗ねるように言った。
「その気持ちは分かるが父上がこの地に留まる事は出来ぬ。父上が後を託せるのは御屋形様だけだ」
「それはそうですが……」
四郎右衛門は不満そうだ。御屋形様と次郎右衛門の兄はそんな四郎右衛門を可笑しそうに見ている。
四人でお茶を飲んでいる。こんな風に兄弟で寛ぐのも悪くないと思った。御屋形様が駿河に移った頃、俺も四郎右衛門も未だ子供だった。茶を飲んで寛ぐ等という事は考えもしなかったな……。
「離れ離れになるのも父上が御屋形様を頼りにしているからだ。私は御屋形様が羨ましかった。父上から頼りになると褒められたのだからな」
次郎右衛門の兄の言葉に御屋形様が首を横に振った。
「未だ未だだ。父上から焦るなと諭された」
「それは念のため、ではありませぬか?」
問い掛けると御屋形様が”いや”と言った。
「琉球、イスパニアの問題が有る。何時までも奥州に手間取ってはいられないと焦ったと思う。そして足を掬われたかもしれぬ。父上はそれを案じたのだろう」
戦慣れしているであろう御屋形様が焦る……。少し意外だった。自分には落ち着いていて押しも押されもせぬ御大将だと思うのだが……。御屋形様が俺を見た。訝しんでいると思ったのだろう。苦笑を浮かべた。
「どれ程大軍を用意しても率いる者の心に油断があれば付け込む隙が生じる。そして必死な者はその隙を見逃さない。思いがけない敗北を喫するのだ」
シンとした。御屋形様は負け戦の経験がある。その経験から得た教訓なのだろう。御屋形様の言葉にはずしりとした重みが有った。
「御屋形様は慎重なのだ」
次郎右衛門の兄が茶化すように言うと皆が笑った。御屋形様も苦笑している。
「仕方が無い。私は父上では無いのだ。父上の真似は到底出来ぬ」
笑っているが御屋形様の声には苦味が有ると思った。
「今日もそれを思いしらされた」
「関東へ移す事でございますか?」
問い掛けると御屋形様が頷いた。次郎右衛門の兄、四郎右衛門も表情が沈んでいる。二人も及ばないと思ったのだろう。俺も父に圧倒された。何故そんなにも凄い事を考えるのかと。
御屋形様は父の後継者として何かと比較されて来たのだろう。真似をしようと思った事も有るのかもしれない。そして諦めた……。御屋形様にとって父は越えたくても越えられない山なのかもしれない。
「某も出来ませぬ」
俺が御屋形様に同意すると皆がこちらを見た。
「先日の戦で父上は伊達左京大夫に最後まで意地を貫かせました。自分だったら如何したか……。父上の真似は出来なかったと思います」
俺が言うと四郎右衛門が深く頷いた。四郎右衛門も似たような事を考えたのだろう。孫六郎殿も真似は出来ないと言っていた。
「父上の真似は誰も出来ぬ。だから父上なのだ」
御屋形様の言葉に皆が頷いた。今度は声に苦味が無かった。少しは心が軽くなったのかもしれない。それなら良いのだが……。
「四郎右衛門、琉球の事を教えてくれぬか。面白い事、不思議な事は有ったか?」
次郎右衛門の兄が問い掛けてきた。話題を変えようとしているのだと思った。
「そうですね、料理は日本とは違うと思いました。多分大陸の影響を受けているのでしょう。味付けが結構濃いのです。脂っこいとも思います。慣れるまでに時間が掛かりました」
「痩せたのかな?」
御屋形様が問うと四郎右衛門が首を横に振った。
「そんな事は有りませぬ。最初は恐る恐る口に入れましたが慣れれば美味しいと思います」
皆が笑った。
「美しい娘は居たか?」
次郎右衛門の兄が問うと四郎右衛門の顔が赤くなった。居たのか。顔を赤らめる四郎右衛門がちょっと可笑しかった。
「それはまあ。不細工な娘ばかりという訳ではありませぬ」
また皆で笑った。
「ただ日本の娘とは少し違うと思いました。南国のせいか肌の色が浅黒いのです。それと琉球の衣服は日本とは違います。大陸の影響を受けているのでしょうがそれも違うと感じさせたのかもしれませぬ」
料理、衣服、どちらも大陸の影響を受けているか。やはり琉球は日本よりも明を重視するだろうと思った。
「親しくなったのかな?」
御屋形様が問うと四郎右衛門が首を横に振った。
「美しい娘が何人も私に話し掛けてきました。思わせぶりな素振りをする娘も居ました。ですが琉球に行く前に父上から酒と女には気を付けろ、付け込まれるなと言われていたので……」
「そんな事を言われたのか?」
問い掛けると四郎右衛門が頷いた。
「危なかったと思います。父上に言われた時は半信半疑でしたが琉球に行って自分は朽木の者で琉球にとっては利用価値が有るのだと実感しました」
なるほどと思った。もし四郎右衛門が琉球の娘と親しくなっていたらどうなったか。四郎右衛門は琉球攻めに反対したかもしれない。そうなれば父と四郎右衛門の間で深刻な対立が生まれただろう。
「得難い経験をしたな」
御屋形様の言葉に四郎右衛門が頷いた。
「琉球に行って良かったと思います。父上から琉球は強かな国だと聞いていました。某もそう思います。あの国は日本と明を天秤に掛けている。もしかするとイスパニアも利用しようと考えているのかもしれません。琉球だけでは有りませぬ。日本の外には色々な国が有り様々な思惑を持っている。天下が統一されればそういう国々を相手にする事になります」
御屋形様が、次郎右衛門の兄が大きく頷いた。呂宋のイスパニアは攻めてきたのだ。国内の統一で満足する事は許されないと思ったのだろう。
「また行ってみたいと思います」
「琉球にか?」
次郎右衛門の兄が問い掛けると四郎右衛門が首を横に振った。
「琉球だけでは有りません。暹羅、占城などもっと南の国にも行ってみたい。行かなければその国の事は分からないと思うのです。そしてその国から日本を見る。日本に居ては見えない日本が見える筈です」
大きくなったと思った。初陣をせがんでいた昔の四郎右衛門とは違う。もしかすると四郎右衛門は琉球に行く事で初陣を飾ったのかもしれないと思った。
禎兆七年(1588年) 十一月中旬 出羽国置賜郡米沢村 米沢城 朽木基綱
「御苦労だったな、弾正少弼殿」
声を掛けると上杉弾正少弼景勝が”はっ”と頭を下げた。景勝からは報告を受けている。葛西、大崎地方では戦らしい戦は無かったようだ。まあ兵力差が有りすぎるからな、皆逃げたらしい。
「相国様には奥州連合を見事に討ち破ったと聞きました。景勝、心からお喜び申し上げまする」
「ああ、有り難う。伊達と相馬が見事に戦ってな。手強い相手であった」
「そのように聞いております」
「この城も負けると最上御前が火を掛けて自害した。伊達は相当な覚悟で戦に臨んだのだろう」
伊達と相馬の名は褒め称えなければ。そうする事で俺が奥州を蔑んでいないという証拠になる筈だ。
「逃げた者達が居るようですが如何なされますか?」
「本当は追いたいのだが直に雪が積もる。これ以上兵を動かすのは危険だと思う。年内の戦はこれで打ち切りだ」
景勝が頷いた。安心しただろうな。
「俺は近江に戻る。弾正少弼殿も越後に戻られると良い。一緒に越後に行きたいがこれから行っては一冬を越後で過ごす事になる。また別の機会に寄らせて貰おう。関東管領殿に宜しく伝えて貰いたい」
景勝が”はっ”と畏まった。
「では来年の再征に備えまする」
嬉しいね、こういうの。頼りになる婿の存在は本当に有り難いよ。
「いや、これ以降の奥州平定は大樹に任せる」
「なんと」
景勝が俺の横に座る大樹を見た。大樹が小さく頷くと景勝も小さく頷いた。
「近江でも問題が山積みなのでな。何時までも放置は出来ぬ」
「なるほど」
「弾正少弼殿も国元では何かと事が有ろう。戻って片付けられると良い」
「はっ。お気遣い、有り難うございまする」
景勝が畏まった。
「弾正少弼殿、改めて礼を言う。此度の馳走、忝い。御蔭で大いに助かった」
「私からも礼を言わせて頂く。義兄上、心強い限りだった」
俺と大樹が礼を言うと景勝が”畏れ入りまする”と言った。
「上杉の兵が必要な時は何時でもお声がけを頂きたく思いまする」
「ははははは。嬉しい限りだ。そうでは無いか、大樹」
「はい」
俺が笑うと大樹も笑った。そして周囲からも笑い声が上がり”真に”、”その通りにございます”と声が上がった。うん、和気藹々だ。
北の上杉と西の毛利。両家と朽木の関係は円滑だ。だが上杉に比べると毛利は血の繋がりがちょっと弱いな。毛利は嫡男が生まれたようだしそこに朽木の娘を入れれば血の繋がりでも不安は無くなる。上杉でも男子が生まれている。そっちも考えた方が良いな。
禎兆七年(1588年) 十一月中旬 出羽国置賜郡米沢村 米沢城 伊達政宗
「伊達藤次郎にございまする」
相国様に呼ばれて部屋に行くと其処には相国様以外に大樹公、次郎右衛門様、三郎右衛門様、四郎右衛門様が居た。相国様を中心に扇状に座っている。
「近う、遠慮するな」
相国様が手招きした。遠慮無く前に進むと相国様が満足そうに頷いた。
「明後日に近江に戻る。知っているな?」
「はっ、そのように聞いておりまする」
「銭と米を多少置いていく。使うと良い」
「有り難うございまする」
ホッとした。戦のせいで米も銭も無い。どうやって冬を越すか、城を再建するかと困っていたのだ。今は少しの米、銭でも有り難い。
「これ以降、奥州攻めは大樹が行うが大樹は冬の間、小田原に戻る」
「はい」
小田原か、随分と遠いが……。
「そして黒川城には次郎右衛門が入る。兵は一万ほどを率いる事になる」
「左様で」
なるほどと思った。次郎右衛門様が奥州に残る……。一万か……。何か事が起きても対応出来るようにという事だな。次郎右衛門様を見た。端正な顔立ちをしている。誰にも似ていないと思った。
「それでな、伊達家から次郎右衛門の傍に人を二人出してくれぬか」
「は? 人をでございますか?」
思わず問い返すと相国様が”うむ”と頷くと次郎右衛門様が”父上、私が”と言って俺を見た。
「私は奥州の冬を知らぬ。それに笹野村の戦いで逃げた者達の事も有る。何かあればそなたと私で防ぐ事になるだろう。私の傍に奥州の事を良く知る伊達家の人物が必要だと思ったのだ」
そういう事か。このお方、愚かでは無いな。大樹公の信頼が厚いと聞いているがそれなりの人物のようだ。問題は無い。家中では相国様に感謝する声が溢れているのだ。多くの者が相国様こそ武士の心を知る真の御大将と言っている。俺も父の事では相国様に感謝している。
「分かりました。当家から二人、次郎右衛門様のお傍に送りましょう」
「済まぬな。そなたも何かと大変だと思うが頼む」
「宜しく頼む」
次郎右衛門様、大樹公が頭を下げた。三郎右衛門様、四郎右衛門様も頭を下げる。それに応えながら随分と丁寧だと思った。相国様は俺の事を四人に如何話したのだろうと訝しく思った。伊達二十万石。当初の十万石から加増された。相国様は俺を頼りにすべき人物と話したのか、警戒するべき人物と話したのか……。
「頼むぞ、藤次郎」
「はっ」
相国様に念を押された。
「最上の事だが油断するなよ。朽木の天下をひっくり返そうとするほどの野心家では無いが自分の利益になると思えば躊躇うような男では無いからな。その事は分かっているな?」
「はい」
伯父は寝返る事で最上を守ったのだ。油断は出来ない。
「それと来年の奥州攻めでは伊達家は兵を出さずとも良い。本丸の修復と領内の掌握に努めよ」
「はっ!」
「但し、その方は大樹の傍で相談相手になって欲しい。良いな」
「はっ! 微力を尽くしまする!」
お気遣いをして頂いたと思った。有り難い事だ。これで領内の事を疎かにせずに済む。しかし僅かでも良いから兵を出すべきだろう。お気遣いを受けているのだ。それに応えなければ……。
「奥州平定が終わり本丸の改修が終わったら上洛すると良い。その途中で色々と城を見るのだな」
「はい」
「その後は黒川城の改築となる」
「楽しみにしております」
「俺もだ。その方がどんな城を築くか楽しみにしている」
奥州に新しい城を築く。土塁で築かれた無骨な城では無い。石垣で作られた美しい城だ。きっと皆が驚くだろう。




