米沢城炎上
禎兆七年(1588年) 十一月上旬 出羽国置賜郡米沢村 米沢城 朽木基綱
「随分と酷いな」
俺の言葉に主税が”はい”と頷いた。俺達の周囲には物が焦げた煙の臭いが充満していた。実際に煙が立っている所もある。
「晴天が暫く続いたせいで空気が乾燥しておりました。そのせいで風は無かったのですが火の回りが速かったようです。二の丸、三の丸、城下町への延焼を防ぐのがやっとでした」
「そうか」
「風が有れば火の粉が飛んでもっと酷い事になっていたでしょう」
「城下にも飛び火しただろうな」
「おそらく」
主税と二人で米沢城を見ているのだが本丸は黒焦げだ。攻め落としたんじゃ無い。朽木勢が来た時には米沢城は火に包まれていた。その火を消したのが朽木勢だ。今も焼け落ちた残骸を片付けている。三郎右衛門、四郎右衛門、孫六郎も率先して行っている。良い経験になるだろう。
大樹、弾正少弼には奥州連合を討ち破った事、米沢城を占拠した事は報せた。本丸が焼け落ちた事も報せたが城を見れば二人とも驚くだろう。
「飛び火しなかったのは幸いだな」
「はい。今の時期に家を焼き出されては冬を越せずに死ぬ者が多数出た筈です」
「ああ、悲惨な事になった」
町の方を見た。今のところ大きな混乱は無いように見える。その事にホッとした。城の再建は大変だが町は無事なのだ。政宗もそれほど苦労せずに済む筈だ。
「少し歩くか」
俺が歩き出すと主税がそれに続く。その後に警護の兵が十人ほど付いてきた。米沢城は石垣は少なく土塁が多い。戦国後期から安土桃山時代の城なら石垣が主流になる。それ以前の城なのだと思った。
「本丸の再建は時間が掛かるでしょう。暫くは二の丸、三の丸を使う事になります」
「火を付けたのは藤次郎の母親だと聞いたが?」
主税が”はい”と頷いた。
「奥州連合が敗れたと聞くと最上御前は迷わず城に火を掛けて自害したそうです。左京大夫殿も死ぬまで戦いましたし夫婦で覚悟を決めていたのでしょう」
藤次郎は酷く落ち込んでいたな。父親だけじゃ無く母親も死んだ。それに米沢城も燃えた……。
「最上御前の遺体は見つかったのか?」
主税が首を横に振った。
「そうか……」
やりきれん話だ。
「某は夫妻の気持ちが分かるような気がします」
足を止めた。主税も止めた。横に立つ主税の顔を見ると主税が困ったような表情を見せた。
「それは?」
「戦場から逃げ出した奥州勢はこの城を目指したようです。戦場から近いですし規模も大きい。この城に籠もる事で朽木勢の勢いを止めようと考えたのでしょう。しかし最上御前は城に火を掛けた。ここで籠城などしても碌な戦は出来ない。寝返り、内通で酷い事になると考えたのだと思います。多分、左京大夫殿とそこまで話し合って戦に臨んだのでは無いかと」
主税がやるせなさそうに息を吐いた。
「かもしれぬな。左京大夫は勝つ事よりも意地を貫く事を考えていた。最上御前もそれを知っていたのだとすれば守りたいと思ったのは城よりも夫の意地だったのかもしれぬ。火を掛ける事に躊躇いは無かったのだろう」
主税が”はい”と頷いた。
「大殿、左京大夫殿は最上の裏切りを予想していたと思われますか?」
「さて……、していたかもしれぬな」
歩き出すと主税も続いた。そうか、最上御前が城に火を掛けたのはそれが有ったからかもしれない。城に逃げ込んだ奥州勢は裏切った最上源五郎の妹を許す事は無いだろう。城中で最上御前を殺そうとする奥州勢と最上御前を守ろうとする伊達の兵達で戦闘が起きた筈だ。そこに朽木勢が押し寄せる……。左京大夫の死を汚す酷い戦になっただろう。逃げてきた奥州兵を受け入れる事は出来なかった。だから火を付けた……。その事を言うと主税も”かもしれませぬ”と言った。
「あの夫婦の名は末代まで残るだろうな」
「某もそう思います」
史実じゃ政宗の方が有名だけどこの世界では輝宗夫妻の方が有名になりそうだわ。その分だけ最上源五郎の悪辣さが目立つだろうな。
「ところで、あの二人にはもう一人子が居た筈だが? 確か小次郎だったかな?」
「左京大夫殿と一緒に戦場に出たようですが行方が分かりませぬ。」
足を止めて主税を見た。主税が困ったような顔をしている。
「左京大夫が落としたのかな? それとも逃げたのか?」
「乱戦の中で討たれそのままという事も有り得ましょう」
「……そうだな」
探させた方が良いかな? 厄介なのは小次郎が最上に利用される事だ。裏切った事を考えれば小次郎が最上を頼るとは思えない。しかし小次郎にも最上の血は流れている。利用出来ると最上が考える可能性は有る。
しかし小次郎を探させて如何する? 死んでいれば良いが生きていた場合は政宗に預けるのか? 御家騒動の元になりそうだな、止めた方が良いだろう。だとすると殺すしかないが……。公式発表で小次郎は笹野村の戦いで討ち死にとしよう。生きて名乗り出てもそいつは偽者だ。伊達家とは関わらせない。
「探させますか?」
主税が俺の顔を覗き込んだ。俺が悩んでいるのを察したのかな?
「いや、止めておく」
主税が軽く頭を下げた。また歩き出す。兵達が俺と主税を見ている。何を話しているのかと思っているのかもしれない。
「しかし参ったな。この城で最後の戦の方が良かった。そうなれば世話無く逃げた奥州勢を潰せたのだが……」
城中で混乱していればもっと良かった。抵抗らしい抵抗は出来なかっただろう。
「残念ですが奥州勢は四散しました」
そうなんだ。皆逃げた。多分自分の領地に戻ったのだと思うが……。
「如何思う? これ以上兵を北に進めるのは危険だろうな」
主税が渋い表情になった。
「危険だと思います。そろそろ雪が降りましょう。それを考えれば避けるべきかと思いまする」
「そうだな、ならば年内はこれで戦を打ち切るか」
「それが宜しいかと」
面白くない。中途半端だな。消化不良になりそうだ。
「俺は近江に戻ろうと思う。呂宋、伴天連達の事も有るし琉球の事も有るからな。何時までも放置は出来ぬ。奥州は大樹に仕上げさせようと思うが」
「問題無いと思いますが御屋形様を何処に置きます?」
「そうだな……」
米沢城は駄目だ。些か北に寄り過ぎているし本丸が焼け落ちている。大樹を置くには不安だ。それにこの城は政宗の城だ。黒川城も落としたばかりだし不安定さでは変わらない。となると……。
「小田原城が良いだろう。黒川城には信頼出来る者を置く。年が明け雪が溶けたら再度奥州攻めを大樹にやらせる」
主税が眉を寄せた。
「少し遠くありませぬか? 万一の場合黒川城が孤立しかねないと思うのですが」
「長沼城、須賀川城にも人を入れる。米沢には藤次郎も居るのだ。大樹は小田原城でも大丈夫な筈だ」
主税が”なるほど”と頷いた。
「大樹と弾正少弼が直に此処に来る。その後で軍略方、兵糧方を入れて話をするつもりだ」
「宜しいかと思います。大殿が御屋形様を重んじるところを見せるのが肝要にございましょう」
「勿論だ」
大事な息子だ、頼りになる息子でも有る。いずれは天下を治めて貰うんだからな。
禎兆七年(1588年) 十一月上旬 出羽国置賜郡米沢村 米沢城 朽木堅綱
「申し訳ありませぬ。遅くなりました」
「申し訳ありませぬ」
次郎右衛門と共に謝罪すると父が声を上げて笑った。
「なんの、遠回りをしたのだ。遅くなるのは当然で有ろう」
「ですが今少し急げば笹野村での戦いに間に合いました。そうであれば父上だけを戦わせるような事にはなりませんでした」
父がまた笑った。
「そなた達が合流すれば奥州連合に勝ち目は無い。そう思ったから奥州勢は合流する前に決戦を挑んできたのだ。御蔭で早めに決着が付いた。そなた達は十分に役目を果たした。気にするな」
父が労ってくれた。もう一度頭を下げた。
「戦ったのは伊達と相馬だけだったと聞きましたが」
問い掛けると父の表情が曇った。脇に控えている三郎右衛門、四郎右衛門、孫六郎殿も表情が優れない。
「ああ、他は逃げたわ。伊達左京大夫は死を覚悟していた。奥州人の意地と誇りを貫くためにな。どれ程有利であろうとそういう相手と戦をするのは辛いものだ。相手が見事に戦えば戦うほど死なせたくないと思ってしまう。だが降伏を促す事は出来ぬ。そんな事をすれば相手を侮辱する事になるし一つ間違えばこちらが馬鹿にされる。恥をかく事になるからな。それを避けようとすれば殺さざるを得ぬ。それを思うとな、段々戦をするのが嫌になる」
「……」
「早く終わらせるために最上源五郎を寝返らせた。余り気持ちは良くなかったな。伊達左京大夫に名誉ある死を与える事が俺に出来る精一杯の事だった。辛い事だ」
父の声が沈んでいる。余程に辛い思いをしたのだと思った。自分はそういう戦をした事は無い。自分なら伊達左京大夫の死を飾る事が出来ただろうか……。
「城が焼けたとは報せを受けて知っていましたがここまで酷いとは思いませんでした。まさか二の丸を使うとは」
次郎右衛門の言葉に父が頷いた。
「火の回りが早くてな。朽木勢が押し寄せた時にはもう手が付けられなかった」
「……」
「伊達家は藤次郎に十万石と考えていたが加増して二十万石にするつもりだ」
「……伊達左京大夫の見事な戦いに報いる為でございますか?」
次郎右衛門が問うと父が”それも有る”と頷いた。
「伊達左京大夫は天晴れだった。藤次郎も見事に務めを果たした。それを評価するのは当然の事だ。そうする事で逃げた者達への処罰を重くする事が出来る。あの者達は敵対しながら戦わずに逃げた。恥ずべき者達だな。寝返る事もしなかった。愚かな者達だ」
なるほどと思った。父は戦った者達よりも逃げた者達を重視しているのだと思った。或いは口には出さなかったが伊達には最上への抑えという役割も期待しているのだろう。
「相馬の家も残そうと思っている」
「当主の孫次郎は討ち死にしましたが適当な者がおりましょうか?」
問い掛けると父が顔を綻ばせた。
「幸いな事に息子が三人居るらしいな。いずれも未だ元服前で戦には出なかった。今、相馬の居城である小高城に使者を送っている。三人は俺が後見して成人させる。成人後は三人に領地を分割して与える。それまでは相馬の領地は朽木家で預かるとな」
「分割でございますか」
納得するだろうか?
「俺に敵対したのだ。そのまま与える事は出来ぬ」
なるほど、道理だ。その辺りの事も話せば納得するだろう。
「逃げた者達は如何なさいます?」
次郎右衛門の問いに父の表情が引き締まった。
「大樹に任せる」
私に? 皆の視線が集まった。
「軍略方、兵糧方を含めて改めて話すが雪が降る前に近江に戻るつもりだ。向こうでも仕事が山積みだからな。何時までも放置は出来ぬ」
皆が頷いた。そうだな、伴天連の事、イスパニア、琉球の事、父が片付けなければならない仕事は溜まっている。
「笹野村の戦いで奥州連合の兵力はずんと減った。伊達、最上が抜けた事で中核になる者も居ない。纏まって戦う等という事は出来まい。今頃は領地に戻って城の守りを固めるのに手一杯だろう。後始末を押し付けるようで済まぬが頼むぞ」
「はっ、お任せ下さいませ」
父が顔を綻ばせた。
「頼りになる息子が居るのは助かるな」
思わず赤面した。”お戯れを”と言うのが精一杯だった。
「戯れでは無い。本心だぞ。念のため冬の間に調略を仕掛けるのだな。連中が一つに纏まらぬように」
「はい」
「年が明け雪が溶けたら一気に動く」
「はい」
既に降伏を申し出て許された者が居ると広めれば良いだろう。許された条件は戦場で寝返る事。最上の例が有る。疑心暗鬼になる筈だ。
「焦るなよ」
「は?」
思わず問い返すと父が顔を綻ばせた。
「天下の統一は目前だ。その事で急いではならぬ。焦らずゆっくりと行け」
「はい」
頷くと父も頷いた・
「連中には後が無いのだ。じっくりと圧していけば必ず連中は耐えられずに心が折れる。分かるな?」
徳川甲斐守を思い出した。焦ったが故に甲斐守にしてやられた。あの苦い教訓を忘れてはいけない。そしてじっくりと圧したから甲斐守を下せたのだ。
「御教示、有り難うございまする。心に刻みまする」
父が笑みを浮かべている。未だ未だ足りない。父には届かないと思った。
「ところで降伏を申し出る者も現れるかと思いまする。その者への扱いは如何しましょう?」
問い掛けると父の表情が厳しくなった。
「所領を没収し改易とする。その上で新たに関東で一万石を与える。大樹、不満を言うようなら容赦なく潰せ」
「はっ」
厳しいと思った。弟達は顔を強張らせている。
「関東は何処で?」
「そうだな、上総が良かろう。分かるな?」
「奥州からは離すという事でございますね」
答えると父が”それもある”と頷いた。それも、か。父の本当の狙いは違うのだと思った。
「下総、常陸には織田、徳川の旧臣から信頼出来る者を置く。さすれば上総で騒ぎが起きても騒乱は限定的なものになる。それに北から押し出せば逃げ場は無い」
なるほどと思った。父は騒乱が起きる事を前提に考えていたのだと思った。この辺りが及ばぬのだ。しかし……。
「騒乱が起きましょうか?」
父が口元に冷ややかな笑みを浮かべた。愚かな質問をした。騒乱が起きる前提で考えるべきなのだ。
「奥州に残せば起きる」
「……奥州に残せば……」
父が頷いた。関東では無く奥州? どういう事だ?
訝しんでいると父が”ふふふ”と笑った。
「どうやら皆、分からぬらしいな」
見回すと次郎右衛門、三郎右衛門、四郎右衛門も訝しんでいる。
「皆良く覚えておけ。武士というのは土地と密接に繋がるのだ。その地に長く居れば居るほど繋がりは強くなる。愛着もな。その土地に根が生えてしまうのだ。そういう連中はな、領地を削られると必ず取り返そうとする。そして領民もそれに協力する。だから残す事は出来ぬ」
もう父は笑っていない。
「関東に移せばその根を断つ事が出来る。繋がりも愛着も消えるのだ。騒乱が起きる可能性は小さくなるだろう。起きても規模は小さくて済む」
「なるほど」
私が頷くと弟達も頷いた。
「連中は色々と言い訳するだろうが決して手を緩めるなよ。朽木の天下は足利の天下とは違う。逆らっても頭を下げれば許されるなどという事は無い。その事を天下に知らしめよ」
「はっ」
厳しいと思った。だがそうで無ければ天下を安定させる事は出来ないのだと思った。




