兵(つわもの)
禎兆七年(1588年) 十一月上旬 出羽国置賜郡笹野村 伊達政宗
地響きを立てて伊達勢が攻め寄せてくる。見事だと思った。相国様はそこまで奥州勢を追い込み父を追い込んだ。思い通りだろう。だが相国様は父を褒めた。俺への気遣いだろうか? 相国様に視線を向けた。厳しい目を戦場に向けている。少しも緩んでいない。気遣いでは無いと思った。相国様は楽観していない。父への賛辞は本心なのだと思った。その事に胸が熱くなった。
「父上」
思わず声が漏れた。父を誇らしく思うと共に哀れにも思った。攻め寄せてくるのは伊達勢と相馬勢だけだ。他の奥州勢は動く気配が無い。このままでは伊達勢と相馬勢だけが戦う事になる。圧倒的に不利だ。もっとも相国様は鶴翼の翼を動かしていない。本当なら伊達勢の横腹、後ろを突かせて良いのだが翼は動かない。奥州勢としては動くに動けないと感じているのかもしれない。
笹野山に視線を向けた。最上の伯父は寝返りを約している。父が不利になれば直ぐさま裏切るだろう。大崎、葛西も戦意は低い。伯父が裏切れば一緒に裏切るかもしれない。そうなれば他の奥州勢からも裏切る者が出るだろう。奥州連合など所詮寄せ集めの烏合の衆だ。その脆さが出たと思った。
”ダダーン”ともの凄い鉄砲の音がした。父への思いなど吹き飛ぶような轟音だった。狙われたのは相馬勢だ。伊達勢と共に駆けていた相馬勢が崩れている。周りから歓声が上がった。皆が喜んでいる。未だだ、伊達勢は轟音に怯む事無く前へ進んでいる。また”ダダーン”と鉄砲の音がした。今度は伊達勢が狙われた。伊達勢の先頭が混乱している。前へ進む勢いが鈍った。大きな歓声が上がった。唇を強く噛み締めた。そうしなければ怒鳴りつけそうだった。
ざわめきが起こった。伊達勢が混乱を収め前に進み始めた。相馬勢も進み始める。そうだ、それで良い。
「攻撃だ! 後方に置いた五千を除いて伊達勢、相馬勢に攻めかからせよ! 押し出せ!」
「はっ!」
相国様が大声で叫んだ。攻撃? 訝しむ間も無く”ダダーン”と鉄砲の音がして相馬勢が混乱した。
「左翼の鯰江、青地。右翼の遠山、諏訪に伊達勢、相馬勢の横腹を突けと命じよ」
「はっ!」
朽木勢が動き出す。直ぐに”ダダーン”と鉄砲の音がして伊達勢が崩れた。そうか、伊達勢が混乱する事を見越して兵を攻めかからせたか。また鉄砲が放たれた。狙われたのは相馬勢だ。混乱から立ち直れない所にもう一撃食らった。元々兵力が少ないのだ。損害が大きすぎる。もう相馬勢は駄目だな。
伝令が駆け出すのが見えた。四騎、左翼、右翼に二騎づつ駆けていく。伊達勢が混乱から回復しようとしている。先頭が何とか走り出した。朽木勢も喚声を上げて走っている。勢いは朽木勢にある。正面からぶつかれば勢いで押されるだろう。だが兵力では伊達勢の方が多い。堪えられるか? ……ぶつかった! たちまち伊達勢が押される! 相馬勢は飲み込まれた。周りから歓声が上がった。いや、伊達勢は崩れない。押されながらも必死に立て直そうとしている。朽木勢を押し戻そうとしている。
「あれを耐えるとは、やるな」
「手強い」
「うむ、見事よ」
感嘆、賛辞が彼方此方から聞こえた。奥州人の意地だ。父は奥州人の意地を必死に貫こうとしている。涙が出そうになって懸命に堪えた。
「見事だ。だがここまでだ。鯰江、青地、遠山、諏訪が伊達の横っ腹を突く」
相国様の言葉に視線を両翼に向けた。動き出そうとしている部隊が有る。急いでくれと思った。あの部隊が横っ腹を突く前に態勢を立て直す。そしてあの部隊に備える……。
左翼から四千、右翼からも同程度の兵が動き出す。また周囲から歓声が上がった。動きが速い。逸っているのだと思った。伊達勢が押された。動揺している。頼む、堪えてくれ。このまま崩れないでくれ。……動いた! 伊達勢から両翼の動きに対応しようと兵が動いた! 周りからどよめきが起こった。両側から突っ込んでくる朽木勢を横っ腹を突く寸前で伊達勢が防いだ。それぞれ二千ほどの兵が倍以上の朽木勢を防いでいる。
「父上」
涙が零れた。
禎兆七年(1588年) 十一月上旬 出羽国置賜郡笹野村 朽木基綱
やるわ。普通なら横っ腹を突かれそうになれば動揺して崩れる筈なんだけどな。伊達は必死に堪えている。政宗が泣いている。そうだろうな、父親の伊達左京大夫輝宗はたった一人で戦っているんだ。奥州勢は誰も助けようとしない。親朽木派だった伊達輝宗が奥州人の意地を貫くために戦っている。そして見殺しにされようとしている。酷い話だ。政宗はやりきれんだろう。俺もこんな戦はさっさと終わらせたいわ。
「笹野山に一番近いのは誰だ?」
「田丸勢にございます」
重蔵が答えた。そうか、蒲生下野守の娘婿だったな。
「重蔵、田丸に命じて笹野山の最上勢に鉄砲を撃ちかけるというのは如何かな?」
重蔵が”それは”と言って苦笑している。他の連中は吃驚だ。最上はこちらに寝返ると言っているからな。攻撃して良いの? そんな感じだ。倅共も目を点にしている。でもね、関ヶ原では家康がやっているよ。問い鉄砲の名で有名だ。もっとも事実じゃ無いらしいけどな。この世界では事実にしてやる。
「お怒りでございますか?」
「まあな、あれでは伊達は見殺しだ。こんな後味の悪い戦は早く終わらせたい」
「まあ、そうですが」
重蔵の苦笑が止まらない。
「駄目か?」
重蔵の苦笑が止まった。
「田丸勢だけでは足りませぬな。やるのであれば長門守様の鉄砲隊も動かすべきかと」
「なるほど」
こっちに向かって来るなら叔父御の鉄砲隊で痛い目に遭わせるぞという事か。伊達、相馬が痛い目を見ている。余程の覚悟が無ければこちらには向かってこない。寝返りをしようという男にそこまでの覚悟が有るかな?
「ふふふふ、悪い奴だな、重蔵」
俺が褒めると重蔵が軽く頭を下げた。
「良いだろう。叔父御と田丸に伝令を出せ。協力して最上勢に鉄砲を撃ちかけろとな。当たらなくても良い。脅せと。田丸には単独で攻めるな、叔父御を待てと伝えよ」
「はっ」
小早川藤四郎が陣の外に向かった。戦場に目を戻す。やるわ、伊達勢は必死に耐えている。奥州人の意地のために。或いは後に続く者が必ず現れると信じて……。その希望を俺が打ち砕く。嫌な仕事だ。……甘ったれるな! 天下を統一し日本を外からの脅威に立ち向かえる国にする。今それが出来るのは俺だけなんだ。詰まらん感傷は捨てろ!
伝令が飛び出す。一騎は叔父御の元へ、もう一騎は田丸のところへと駆け出す。しかしなあ、奥州勢八万、朽木勢七万、合わせて十五万の大軍が此処に居る。それなのに戦っているのは四万程だ。戦国最後の戦いになる筈なんだけどな。なんか変な感じだわ。あ、叔父御の鉄砲隊が動き始めた。奥州勢も視線はあの部隊に釘付けだろうな。次は何をするのかと固唾を呑んで見守っているだろう。
「まさか!」
「なんと!」
「馬鹿な!」
周りがざわめき始めた。参ったね、押されていた伊達勢が押し戻し始めた。そのせいで周囲が慌てている。如何する? 新たな部隊を攻めかからせるか? 動かすのなら予備の五千だが……。阿呆! ここで予備を使って如何する? 予備を使うのは最後の最後だろう。
「狼狽えるな! 一時的に持ち直しただけではないか。こちらが有利なのだ。直に鯰江、青地、遠山、諏訪が伊達勢の横っ腹を突く」
叱咤すると狼狽が収まった。最近きつい戦をしていないからな。ちょっと思うように行かないと騒ぐみたいだ。まあ、俺もなんだけど。大丈夫、横から攻めている部隊はもう少しで防いでいる伊達勢を押し切りそうなんだ。そうなればまた伊達勢は崩れるだろう。
「田丸勢、長門守様が笹野山に近付きますな」
「そうか」
視線を向けると田丸勢と朽木の鉄砲隊が徐々に笹野山に近付いている。
「山の上の旗が揺らめいております」
「ああ、不安に思っているのだろう」
まだ当たる距離じゃ無い。それに山の上に居る方が有利だ。最上源五郎は自分にそう言い聞かせているだろうな。
「そろそろですな」
「ああ、そろそろだ」
田丸勢と鉄砲隊が進んでいく。……止まった。さて、どうなるかな。
禎兆七年(1588年) 十一月上旬 出羽国置賜郡笹野村 伊達政宗
”ダダーン”
”ダダーン”
鉄砲の音がした。周囲がどよめいている。如何する? 最上の伯父は如何する? 朽木勢に立ち向かうなら相当の損害を受ける事になる。裏切るのか? 父が必死に戦っているのに裏切るのか? 動いた! 最上の旗が動いた! 正面じゃ無い! 横に動いている。その先には大崎勢、葛西勢が……。
大崎、葛西の旗が揺れている。疑っているのだ。伯父が寝返ったのでは無いかと疑っている。疑うな! 裏切ったと判断して最上を攻撃するのだ! 最上勢は山を降りてくる。勢いを付けて突っ込んでくるだろう。迷っている暇は無い! 先手を打って最上勢を叩くんだ! 迷うな! ここで最上を叩けば奥州勢は未だ戦える。父も踏ん張れるのだ! ……駄目だ、大崎も葛西も戸惑っているだけだ。このままでは伯父に蹴散らされて終わる……。
最上勢が大崎勢に突っ込んだ。忽ち大崎勢が混乱し崩れた。隣の葛西勢も動揺している。
「父上、最上勢が寝返りました」
「そうだな」
三郎右衛門様の声が静かなら相国様の答えも静かだった。陣中も静まりかえっている。伯父の寝返りで勝敗は決まった。でもそれを喜んでいないのだと思った。
「貝吹け! 総攻めだ」
相国様の言葉に何人かが動いた。相国様が俺を見た。
「伊達左京大夫も此処までだな」
慌てて伊達勢を見た。横腹を突かれて混乱している。総攻めの命を出したのは伯父の裏切りでは無く伊達勢の動きが鈍ったからだったのかもしれない。
貝の音が鳴り響く。朽木勢が動き出した。動きが速い。総攻めの命が有ると待っていたのだろう。
「藤次郎! これへ」
名を呼ばれて慌てて相国様の元に寄った。今ならこのお方を殺せるかもしれないと思った。背後に居る監視役を振り切って斬りかかる……。
「その方、俺の名代として伊達左京大夫の下へ行け」
父の下へ? 降伏を促すのか? 思わず相国様をジッと見た。
「そして左京大夫に伝えよ。奥州人の意地と誇り、確かに見た。名を惜しみ命を惜しまぬその働き、真に天晴れ。伊達左京大夫輝宗、天下無双の兵であると」
「はっ」
素直に頭を下げた。このお方は父の思いを受け止めてくれた。そしてそれを父に伝えようとしている。その役目を俺に与えてくれた……。
相国様が刀をこちらに差しだした。
「この刀を持っていけ」
「……」
受け取って良いのか? 躊躇っていると相国様が一つ息を吐いた。
「左京大夫はその方に討たれる事を望むかもしれぬ。その時は決して逃げるな。左京大夫に最後まで意地を貫かせるのだ。それが出来るのはその方だけぞ。この刀で相手をせよ。そして左京大夫には俺から預かった刀だと伝え俺の名代として俺の刀で相手をすると伝えよ。良いな」
「はっ!」
刀を受け取った。ずしりと重みを感じた。刀とはこれほどまでに重い物か……。このお方は父の最後を飾ろうとしている。奥州人の意地と誇りを最後まで貫かせようとしている。涙が零れそうになった。
「急げよ、時が無いぞ」
「はっ!」
もう一度頭を下げてから御前を下がった。急がなくては……。
禎兆七年(1588年) 十一月上旬 出羽国置賜郡笹野村 伊達輝宗
「山城守、奥州勢は皆崩れたか」
「はい、逃げた者もおりますな。逃げてどうなるものでもありますまいに」
遠藤山城守が哀れむように言った。思わず笑った。
「戦っているのは我等だけか」
「そのようですな。おお、そう言えば最上も戦っておりますな。忘れておりましたわ」
また笑った。山城守も笑う。
「その方が冗談好きで助かるわ。気が腐らずに済む」
「得難い家臣でございましょう」
「全くだ」
二人で声を合わせて笑う。周りに居た武者達も声を合わせて笑った。負け戦とは思えぬほどの明るさだ。
もっとも状況は良くない。伊達勢は横腹を突かれて崩れた。最上が裏切った事も大きい。討たれた者も多いが相当数が動揺して逃げ出したようだ。残っているのは儂を中心に五百ほどにまで減った。儂も山城守も手傷を負っている。小次郎は気付いたら居なかった。多分、死んだのだろう。その事に気付かぬほどに激しい戦いだった。先程まで激しく攻め寄せて来た朽木勢は今は遠巻きにしてこちらを囲んでいる。手強いと見たのかもしれぬな。損害が馬鹿にならぬと。だとすれば弓か、鉄砲か、飛び道具で攻めてくるのだろう。本望よ、朽木勢を怖れさせたと末代まで名が残るわ。
「はて、一人こちらに来ますな。鎧を着けておらぬようですが……。あれは若殿では?」
「そのようだな。儂にも藤次郎に見える」
降伏を促しに来たか……。上手い手だ。周りの者達もホッとしたような表情をしている。これではもう戦えぬな。だが儂は別だ。負けたとなれば奥は米沢城に火を掛ける筈だ。戻る城は無い。たとえ相手が藤次郎で有ろうと最後まで戦う。戦って奥州人の意地を貫くのだ。




