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南部と津軽




禎兆七年(1588年)    九月中旬      陸奥国会津郡黒川町  黒川城 上杉景勝




「本来なら太閤殿下もこの場に居られたのだが……」

「京に御戻りになられたと聞きましたが」

俺が答えると相国様が“ほう”と声を上げた。

「耳敏いな。流石は上杉家、というべきかな。良く御存知だ」

相国様が声を上げて御笑いになった。頬が熱い、褒められたのだが妙に気恥ずかしかった。


「ならばイスパニアの事も御存知であろうな」

「はっ、九州に攻め込んだという事ならば存じております」

相国様が頷かれた。

「南蛮の者共が攻め込んだとなれば京の公卿達が騒ぎかねぬ。いや、無関心よりは良いが騒ぎ立てられるのは困る。それで殿下に御戻り頂いた」

なるほど、太閤殿下は京の公卿達への重石か。


「イスパニアの事、驚かれたか?」

「はっ」

正直驚いた。南蛮との関係が悪化しているとは聞いていたがそれ程とは思わなかった。伏嗅から報告を聞いた時は何かの間違いではないかと思って聞き返した程だ。


「南蛮の宣教師共、九州では大友や大村、有馬に食い込み随分と勝手な事をしていてな。先年の九州遠征で大友達が没落した所為でかなり苦しい立場にあった。その事に不満が有ったようだな、ルソンからイスパニアの兵を引き入れ自分達の立場を強化しようとしたようだ、笑止な事よ」

「……」

冷笑を浮かべている。


イスパニアの兵、それに同調したキリシタンの者達は瞬時に叩き潰された。奥州制圧には九州の兵は動員されていない。どうやら相国様は連中の動きを想定していたらしい。与六もそのように見ている。

「坊主というのは何処の世界でも欲が深いようだな」

相国様が皮肉ると彼方此方から笑いが起きた。

「奥州平定が成れば次は琉球に兵を出す事になる」

「琉球に」


驚いて問い返すと相国様が頷かれた。そして明とイスパニアが銀で密接に絡んでいる事を教えてくれた。明の皇帝が暗愚で湯水のように銀を使っている事、イスパニアの銀が明に入らなくなれば忽ち困窮するであろう事も……。話の大きさに相槌も打てずに聞いていた。


「幸い琉球から出兵の口実を与えてくれたのでな、遠慮なく琉球を攻め潰す事が出来る」

「……」

「琉球を占領した後は呂宋に攻め入る。そして呂宋からイスパニアを駆逐する。そこまで行けば先ずは一安心と言ったところだろう」

「……」

「驚いたかな?」

「はっ、些か」

答えると相国様が“無理も無い”と仰られた。


「天下統一が漸く見えてきた。国内から戦が無くなるという時に次は海の外で戦をするというのだからな。我ながらうんざりする事だ。だがイスパニアを放置は出来ぬ」

相国様が息を一つ吐かれた。相国様の眼は国の外にも向かっている。天下を治めるという事は日本の中だけでは無く日本の外にも眼を向けなければならぬのだと思った。


「御疲れなのではございませぬか」

相国様が苦笑を漏らされた。

「歳かな? 最近皆に労わられる様になった」

「これは、御無礼を致しました」

慌てて謝罪すると相国様が声を上げて御笑いになられた。

「もう四十なのだという事を実感した。これからは人生の下り坂になる。若いころの様に無理は出来なくなるだろう」

「未だ御若うございます」

御世辞ではない、四十には見えないし健康そうだ。まだまだ長生き出来るだろう。家臣達も頷いている。


「嬉しい事を言ってくれる。あと十年、欲を言えば十五年生きたいものだ。その頃になれば政の仕組みも整うであろうし海の外の事も片付くと思う。俺もただの爺になって茶を飲みながら日々を暮す事が出来るようになるだろう」

思わず相国様を見た。この御方が茶を飲みながら日々を暮す?

「ま、夢だな」

御笑いになられた。皆も笑った。確かに夢に違いない。楽しい夢だ。


「琉球出兵の折は上杉家には関東、奥州への目配りを頼む事になるだろう」

「御自ら海を渡られますか」

相国様が“いや”と首を横に振られた。

「政の仕組みも整えねばならぬ。渡海は難しいだろうな。弾正少弼殿に越後に居て貰うのも関東、奥州で騒ぎを起こさせぬためだ」

「はっ、尽力致しまする」

相国様が満足そうに頷かれた。関東、奥州で騒ぎが起こった時は上杉家がそれを抑える事になるだろう。


「ところで南部、大浦、九戸、安東の事、御存知かな?」

「はっ、三日程前に越後の柏崎に着いたと聞いております」

相国様が頷かれた。

「もうじき、ここへやってくる。彼らの到着を待とうとしようか」

「はっ」

やれやれよ、こちらから申し上げる前に言われたか。耳敏いのは相国様の方が上だな。これだから油断は出来ぬ。




禎兆七年(1588年)    九月中旬      陸奥国会津郡黒川町  黒川城 朽木基綱




「御初に御目にかかりまする、九戸左近将監政実にございまする」

眼の前にデカイ男が居た。これが九戸左近将監政実か。身長は六尺に近いだろう。大男で眼光の鋭い厳つい男なのだが色は白い。それに髪にも白い物が目立つ。確か五十歳は越えていた筈だ。うん、君のあだ名はシロクマ君だな。

「良く来たな、左近将監。以前から会いたいと思っていた」

「畏れ入りまする」

嬉しそうに顔を綻ばせた。嘘じゃないぞ、本当にそう思っていたんだ。それにしても良い笑顔をするじゃないか。


「海は荒れたのではないか?」

「それほどでもありませぬ」

「それなら良いが……、しかし大変だっただろう」

「何とか辿り着きました」

左近将監は奥州でも岩手県の北部に領地を持つ。此処には船で越後まで行ってから陸路で此処に来た。だが敵対している南部氏は下北半島にまで勢力を持っている。此処に来るのは簡単では無かっただろう。


「いつぞやは硫黄をくれたな」

「はっ、相国様が鉄砲を大量に御使いになると聞き献上いたしました」

「有り難く使わせて頂いた。礼を言う」

やはりそうか、俺を十分に調べてから贈り物を用意したのだ。外見からは想像出来ないがかなり繊細な心配りが出来る男なのだと思った。


「こちらこそ、大層な御返しを頂き恐縮しておりまする」

「確か石鹸と干し椎茸であったな」

「はっ、丁度正月に使者が戻って参りましたので新年の祝いの席に干し椎茸を使わせていただきました」

「それは良かった。詰まらぬ物を渡したかと心配していた。だが余り重い物を持たせては使者が困ると思ったのでな」

「御心遣い、有難うございまする」

左近将監の表情に曇りは無い。朽木の天下に不満は無いのだろう。歳も五十を超えている、史実で秀吉に叛旗を翻したのは南部の家臣として扱われたからだろうな。その辺りを注意すれば大丈夫だ。


左近将監が服属を申し出て俺が所領の安堵を認めた。所領は九戸村、二戸村だからそれほど大きくはない。大体一万石から二万石くらいのものだ。史実では五千の兵で籠城したと記憶しているが事実だとすればその殆どが外部からの兵だったのだろう。これで秀吉と戦おうとしたのだから凄いわ。


和やかな会談が終わると左近将監は俺の家臣の一人として席に着いた。

「大浦弥四郎為信殿、大殿への拝謁を願っております」

小姓の松浦源三郎の言葉に頷いた。こいつの声は太くて良く通るな。戦場では役に立つだろう。そんな事を考えていると一人の男が俺の前にやってきた。周囲からざわめきが起きた。


「御初に御目にかかりまする、大浦弥四郎為信にございまする。参陣が遅れましたる事、心からお詫び申し上げまする。相国様の御軍勢の片隅に加えて頂ければ幸いにございまする」

「良く来たな、大浦弥四郎」

「はっ」

弥四郎が頭を下げた。


大浦弥四郎、後の津軽為信だ。元は南部家の家臣だったが南部氏の混乱に乗じて自立した。要するに下剋上だ。しかし信義の無い男では無い。この男、結構義理堅いのだ。秀吉に独立した大名として扱われた事に感謝して徳川の時代になっても城内で秀吉を祀っていた。それに関ヶ原でも親石田的な動きを津軽は見せている。まだ大浦の姓を名乗っているがいずれは津軽姓を名乗りたいと言って来るだろう。この場で名乗らせてやるか。


皆がざわめいているのはこの男が下剋上を起こしたからではない。髭だ。もみあげから顎まで物凄い髭を蓄えている。三国志の関羽みたいな髭だ。

「凄い髭だな」

「畏れ入りまする」

弥四郎が笑みを浮かべている。本人も自慢の髭なのだろう。


「平賀郡、鼻和郡、田舎郡を領していると聞いた」

「はっ、所領の安堵を御認め頂ければ幸いにございまする」

「良いだろう、平賀郡、鼻和郡、田舎郡の領有を認める」

「はっ、有り難き幸せ。以後は懸命に御仕え致しまする」

「津軽半島はその方の物だな。これより以後は大浦の姓を津軽に改めると良い。津軽弥四郎の誕生だ。皆、祝ってやろう」

彼方此方から“おめでとうござる”と声が上がった。一際大きかったのが九戸左近将監だ。


「……あ、有難うございまする。この御恩、決して忘れませぬ」

弥四郎が深々と頭を下げた。声が震えていたから胸が詰まったのかもしれない。弥四郎が俺の前を下がって家臣の列に加わる。左近将監の隣に座ると二人が小声で話している。仲は悪くないらしい。源三郎が“南部九郎信直が拝謁を願っております”と言った。“此処へ通せ”と答えると一人の男が入って来た。俺より多少年上だろう。だが九戸左近将監よりは若い。表情の険しい男だった。


「南部九郎信直にございまする。相国様に御仕えするべく罷り越しました」

「うむ、御苦労。此処まで来るのは大変だっただろう」

「はっ」

「南部が治める領地は糠部郡、閉伊郡、鹿角郡、久慈郡、岩手郡、紫波郡であったな」

「畏れながら申し上げまする。平賀郡、鼻和郡、田舎郡も南部の支配地にございます」

ざわめきが起きた。そりゃそうだ。その三郡は津軽領だと認めたばかりなのだから。


「その三郡は其処に居る津軽弥四郎の所領であろう」

南部九郎が訝しげな表情をしたから津軽の姓を与えたと教えると顔面が紅潮した。怒ったようだ。

「その者は南部の家臣でありながら不当にも押領したのでございます。何卒相国様の御裁可にて平賀郡、鼻和郡、田舎郡の三郡を南部領と御認め頂きたく思いまする」

九郎が平伏した。津軽弥四郎の顔は強張っている。まあそうだな、押領は事実だ。


「押領か、弥四郎は南部家の家臣か」

「左様にございます」

「つまり下剋上だな?」

「はっ」

「奥州では珍しいのかもしれぬが上方では左程に珍しい事ではないな。俺を見ろ、足利の天下を奪ったぞ」

「……」

ありゃありゃ、さっきまで意気込んで答えていたのに無言になっちゃったよ。


「南部九郎、下剋上というのはな、相手に力が有れば簡単に潰されるものだ。下剋上が成功するというのはそれだけの力が有ったからよ」

「下剋上を御認めになると?」

「現実を見ろと言っている。その方が平賀郡、鼻和郡、田舎郡の三郡を南部領だと主張してもその三郡を治めているのは津軽弥四郎だ。そして弥四郎はお主を主君と認めておらぬ」

弥四郎が安堵の表情を、九郎が悔しそうな表情を見せている。左近将監はザマアミロとでも言いたそうな表情だ。


「不満か? だがな、南部に非が無いと言い切れるのか? 下剋上は相手に弱みが無ければ成功せぬぞ」

「……」

「南部彦三郎晴継は何故死んだのだ?」

九郎の顔が青褪めた。あらま、もしかすると南部彦三郎を殺したのはこいつかな?


先々代の南部家当主は南部大膳大夫晴政という人物だったのだが近隣に武威を振るい南部家の勢力を大いに拡大させた。その様は『三日月の 丸くなるまで 南部領』と言われるほどのものだった。意味は三日月の頃に南部領に入ると領内を通り抜けるのに満月になるまで日数がかかるという事らしい。まあ最低でも十日以上は南部領を歩く事になるという事なのだろう。


それ程の人物だったのだが弱点も有った。後継者に恵まれなかった事だ。その為一族の中から養子を迎え娘と(めあわ)せ後継者とした。この後継者が今、俺の前に居る九郎信直だ。大膳大夫晴政にはもう一人娘が居たがこの娘は九戸左近将監の弟に嫁いだ。これは同盟関係の強化だろう。このままでいけば南部家は有能な後継者と頼りになる同盟者を得て発展し続けただろう。ところが養子を迎えた後に大膳大夫晴政に実子が出来た。それが彦三郎晴継だ。この時、大膳大夫晴政は既に五十を超えていた。この事が南部家を混乱させる事になる。


晩年に儲けた子だ。それだけに可愛かったのだろう、大膳大夫晴政は彦三郎晴継に跡目を譲りたかった。自分が南部家を大きくしたのだから自分の子が継ぐのが当然だという感情も有っただろう。養嗣子の九郎信直との養子関係を解消したかっただろうが彦三郎晴継が元服するまで十年以上掛かる、当主として独り立ち出来るまでには最低十五年は掛かるだろう。となれば大膳大夫晴政は七十近くまで生きなければならない。家臣達の多くが養子関係の解消に反対した。当然だが大膳大夫晴政は九郎信直を疎んだ。殺そうとまでしたらしい。九郎信直は養嗣子の座を辞退して逃げなければならなくなった。


鬱陶しい養子が居なくなって大膳大夫晴政は喜んだだろうな。跡継ぎは実子の彦三郎晴継になった。そして彦三郎晴継が十三歳の時に大膳大夫晴政が死んだ。彦三郎晴継は当主になったが直ぐに殺された。父親の葬儀を終わらせて帰城する途中で殺されたと言われている。


犯人は分からない、南部家当主の座を狙った九郎信直か、或いは弟に南部家家督を継がせたいと思った九戸左近将監か、又は南部家の混乱を望んだ津軽弥四郎か……。彦三郎晴継では頼りないと思った家臣達の仕業という線も有る。彦三郎晴継が死ねば良いと思った人間は少なくなかったのだ。


「某ではございませぬ。関わりなき事にございます。彦三郎を殺したのは其処に居る左近将監か、大浦弥四郎にございます」

「何を言うか! 彦三郎を殺したのはお主であろう! 彦三郎を殺して家督を奪った!」

「左近将監殿の言う通りだ。我等に罪を擦り付けるな!」

南部九郎、九戸左近将監、津軽弥四郎が睨み合った。


「止めよ、誰が彦三郎を殺したのかなど如何でも良い事だ。俺は興味が無い」

「……」

「彦三郎が殺されたのは彦三郎にはこの乱世を生き抜く力が無かったという事であろう。喰える物は喰う、喰う事を躊躇ってはならぬ、それが乱世の掟だ。生き抜く力が無い者は喰われるしかない。彦三郎は喰われたのだ」

「……」

三人が神妙な顔をしている。こいつらも乱世を生きてきたのだ。俺の言う事は分かる筈だ。


「南部九郎、彦三郎を殺したのはその方ではないのかもしれぬ。だがその方は南部家の当主になった。南部家を喰ったのだ。乱世の掟に従ったという事であろう。津軽弥四郎も同じよ。喰える物を喰ったに過ぎぬ。押領などと詰まらぬ事は言うな」

「……」

不満そうだが反論はしなかった。


「奥州平定が終われば乱世は終わる。これ以降は押領などという事は許さぬ。その事も覚えておけ」

「はっ」

「南部九郎、糠部郡、閉伊郡、鹿角郡、久慈郡、岩手郡、紫波郡の領有を認める。但し糠部郡の内、九戸村、二戸村は除く。その二つは九戸左近将監の所領だ」

「はっ」

南部九郎が頭を下げた。後は安東か、領地安堵も楽じゃないわ。






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― 新着の感想 ―
1530年から1600年迄の間に新大陸からヨーロッパに流入した銀の総量は1万5千トン位らしい その殆どがスペインに入った筈なのに、スペインはこの時期に3回もデフォルトしてる 余りに大量に流入したせいで…
明で無駄遣いした銀はどこに消えるとしているのだろう? 物は物理的に溶けるわけではないし、投機的なことができるわけでもない。 国内から国外に出ていかない限りその国の中にあるはず。 どうも読んでいると消え…
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