蘆名平定
禎兆八年(1588年) 九月上旬 陸奥国会津郡平潟村 朽木基綱
「蘆名勢一万二千か。総力を挙げて出て来たな。黒川城は空だろう」
主税が“はい”と頷いた。
「余程の覚悟と見えますな」
しれっと言うな。もっとも二人で立小便をしながらの会話だ。俺達の間には緊張感など欠片も無かった。
「味方は七万、六倍の兵力だが……」
「簡単にはいかぬかもしれませぬなあ」
気の滅入る返事だ。もっとも主税の顔には笑みが有った。勝てると見ている。まあ俺も勝てるだろうとは思う。だがこの世の中に絶対はない。いつもの様に俺が先に終わり主税を待つ事になった。こいつと立小便をすると如何いうわけか落ち込むわ。
朽木勢は陸奥国会津郡平潟村にまで進出した。平潟村は現代では福島県の猪苗代湖の傍なのだが此処から蘆名氏の居城である黒川城は眼と鼻の先と言って良い。六倍の敵を相手にするのなら籠城という手段も有るのだが蘆名勢はそれを取らない。朽木勢から一キロ程の距離を置いて陣を敷いている。野戦で勝敗を決めようという事だ。それには三つの理由が有ると俺は見ている。
一つ目、味方が信用出来ない。蘆名氏の内部は当主の義広を筆頭とする親佐竹派とそれを敵視する勢力に分かれている。そして親佐竹派は追い込まれている。義広は佐竹からの養子なのだが佐竹が危うくなるにつれて足元が危うくなってきた。家臣への統制が効かなくなってきたのだ。この状況では籠城なんて出来ない。六倍の兵に囲まれ内応者が出ては城を守る事は出来ないのだ。野戦なら逃げる事も出来るが籠城では腹を切るしかない。それを避けるための出陣だと俺は見ている。
二つ目、後詰が無い事だ。佐竹主導で結んだ奥州連合だが機能しているとは言い難い。伊達家で藤次郎政宗が家を追い出された後、最上、大崎、葛西でも御家騒動に近い内紛が起きた。出羽守の調べでは親朽木派と呼ばれる者達、朽木に降伏するのは已むを得ないと考える者達が排斥されたらしい。伊達は父親の左京大夫が息子を逃がしたが他は殺された様だ。その混乱の所為で奥州連合は一時的に麻痺状態に有る。援軍は期待出来ない。
しかしなあ、そんなに朽木に降伏するのは嫌か? 不条理としか思えん。元々奥羽は安部、清原なんてのが居て独立色が強かった。それは奥州藤原氏になっても変わらなかっただろう。だが頼朝が奥州遠征をした事で藤原氏は滅び奥羽は武家政権の支配下に入ったのだ。それは室町時代になっても変わらない。
今室町幕府が滅び新たな天下人として朽木基綱が登場した。普通は俺に臣従して本領安堵を願うのが筋なんだ。だが連中は俺を拒否している。いや、気持ちは分かるよ。人間なんて合理的な生き物じゃないからな。連中が何故俺を拒否するのかは分かる。しかしね、拒否される当人にしてみれば決して面白い事態じゃない。何で? と言いたくなる。
史実では奥州の大名の殆どが秀吉に従った。それには政宗の存在が大きいのだと思う。政宗は蘆名氏を滅ぼし奥州で勢力を拡大していた。奥州の大名は政宗を恐れたのだ。政宗の勢力拡大を望まないから秀吉に従った。だがこの世界では政宗は伊達家の当主になっていない。伊達家の興隆も無い。奥州の大名が俺を頼る必要は無い。そういう事なのだと思う。
三つ目、もう直ぐ上杉軍、そして大樹の軍がやってくる。上杉は遅くとも中旬には黒川城に迫るし大樹は佐竹の居城、太田城を囲んでいる。大樹からはもう直ぐ敵は降伏するだろうと報せが来た。そうなれば朽木勢は更に兵力を増す。味方の援軍はいつ来るか分からないが朽木勢は確実に兵力を増す。戦うなら今しかないのだ。
主税の小便が終わるのを待ってから本陣に戻った。戻ると風間出羽守が俺を待っていた。
「動きが有ったか?」
「はっ、戦は明日の昼から行うと決めたそうにございます」
「昼か」
昼も遅い時間だろうな。形勢が悪くなっても夕刻になれば野戦を避けて打ち切ると見ているのかもしれない。何処かで弱気が出て来ている。自信を持てずにいるのだ。
「それと針生、河原田、長沼、山内、富田、松本、佐瀬、平田ですが戦が始まれば陣を退くと」
「そうか」
いずれも蘆名家では有力者だ。これらが抜ければ最低でも三千は減るだろう。養子も楽じゃないな。六角輝頼もそうだが外から入って来て家を纏めるというのは簡単な事じゃない。そう思うと吉川元春、小早川隆景は流石だと素直に感心するわ。
「父上、信用出来ましょうか?」
問い掛けてきたのは三郎右衛門だった。不安そうな表情をしている。
「龍造寺か?」
「はい、あの時はこちらを騙してきました」
「そういう事も有ったな」
初陣で裏切りが有ったからな、如何しても不安になるのだろう。
「三郎右衛門、こういう場合はな、彼らが約束を守らずとも勝てるだけの準備をすれば良いのだ」
「はい」
「こちらが有利だとなれば余程の事が無い限り約束を守る筈だ」
「なるほど」
三郎右衛門が頷いた。
「それと決して油断をせぬ事だな。主税、全軍に夜襲に備えるように触れを出せ。少数の兵が大軍に勝とうとすれば相手の虚を突こうとする筈。万一に備えさせよ」
「はっ」
主税が畏まった。
敵もこちらの状況を物見を出して確認しているだろう。夜襲を警戒しているとなれば自分達の考えが漏れていないと思う筈だ。明日の昼というのが此方への偽情報だとしても洩れていないと思えば判断に迷うだろう。こちらは明日、早朝から戦だ。敵の思うようにはさせない。大軍で相手を攻め立てる。いずれ蘆名は体力負けするだろう。その見極めが付けば針生、河原田も兵を退く。それで勝てる筈だ。
禎兆八年(1588年) 九月上旬 陸奥国会津郡平潟村 朽木滋綱
陣がざわめいている。武者達が走り回る音が煩い。寝ている所を休夢に起こされ慌てて父上の元に向かった。どうやら蘆名の陣に動きが有ったらしい。夜襲を仕掛けてくるのだろうか。
「三郎右衛門にございます」
声を掛けて陣幕の中に入るとそこには父上の他に主税殿、重蔵、宮内少輔、曽衣、沼田上野之助、黒田官兵衛、長九郎左衛門が居た。
小姓が床几を用意してくれた。一番末席だ。遅れて来たのだから已むを得ない。其処に坐ると父上が微かに頷くのが見えた。席をもっと上に等と言ったら叱責されていただろう。少しして三好孫六郎殿、四郎右衛門が現れた。二人の椅子が俺の下座に用意された。二人とも大人しく席に着く。
「蘆名の陣に動きが有った。重蔵」
父上が重蔵の名を呼ぶと重蔵が畏まった。
「先程から蘆名の陣で騒ぎが起きております。最初は喧嘩の類かと思いましたが徐々に騒ぎが大きくなり申した。どうやら同士討ちの様にござる。今、風間出羽守殿が確認しております」
同士討ち? 寝返りを約した者達が行動を起こしたのだろうか?
「全軍に戦の用意を命じた。状況が分かり次第動く事になるだろう」
「針生達が逸ったと思われますか?」
問い掛けると父上が首を横に振った。
「その可能性が無いとは言わぬ。だが少なかろう。逆だろうな、裏切る前に手を打った、そんなところだと思う。だが混乱している所を見ると齟齬が有ったようだ」
「おそらくは急に思い立って処断したのでしょう」
父上と主税殿の言葉になるほどと思った。元々仲が悪いのだ、当然だが疑いの目を向けていただろう。戦が間近に迫って裏切りを確信する何かが有ったのかもしれない。
「出羽守にございます、御免」
声と共に風間出羽守が入って来た。息を切らしている。忍者でも息を切らす事が有るのだと思った。
「如何であった、出羽守」
「同士討ちにございます」
出羽守の答えに父上が大きく頷かれた。周りもざわめいている。
「中に入ったか?」
「はっ、針生民部盛信、河原田治部少輔盛継が討たれ長沼、山内、富田、松本、佐瀬、平田は蘆名に攻めかかりました。敵は混乱しておりまする」
「うむ、直ちに全軍に押し出す様に伝えよ」
父上が立ち上がった。
「貝を吹け! 総攻撃だ!」
皆が立ち上がって“おう!”と声を合わせた。
禎兆八年(1588年) 九月上旬 陸奥国会津郡平潟村 朽木基綱
ブォー、ブォーと法螺貝が鳴る。そして喚声と地響きを立てて朽木勢が動き出した。夜間だからはっきりとは見えない。しかし音で分かる。大軍が動いている。此処に残るのは多賀新之助、鈴村八郎衛門、石川玄蕃頭、北条又二郎が率いる旗本隊五千のみだ。笠山敬三郎、敬四郎の代わりに石川玄蕃頭と北条又二郎が入った。
玄蕃頭は旧徳川家臣の石川伯耆守数正の次男だ。徳川は手強く戦った、それに北条、織田に対してかなりの謀略を使った事でどうしても悪く言われがちだ。酒井、大久保に九州で領地を与え差別はしないという事を示したのだがまだまだ足りない。旗本隊を預けるのも過去は問わない、信頼しているという証だ。同じく旗本隊を預けた北条又二郎にもそれは厳しく言ってある。今の所問題は無い。
敵は多分崩壊するだろう。殆ど防ぐ事も出来ずに逃げ出す筈だ。追撃は如何する? 夜間の追撃だからな、土地勘も無いし深追いは危険だな。混乱して同士討ちなんて事も有り得るし本隊が孤立するのも問題だ。戦果を拡大したいという思いは有るが早めに打ち切った方が良いだろう。
多分、敵は黒川城には戻らない筈だ。逃げている間に兵は脱落する。その状況で黒川城に籠ってもどうにもならない。まともな防戦など出来ず賤ヶ岳で敗れた柴田勝家の様に腹を切る事になる。おそらく伊達領に向かうだろう。そして奥州連合に加わって捲土重来を期する筈だ。
黒川城をとったら上杉と大樹を待とう。彼らが加われば兵力は十万を軽く超え十五万に近い数字になる。そして一気に圧し潰そう。それで奥州の制圧は成る。その後は統治体制を確立しつつ琉球問題、イスパニア問題に対応しよう。なかなか暇にはならんな。
禎兆八年(1588年) 九月中旬 陸奥国会津郡黒川町 黒川城 樋口兼続
「御久しゅうございまする。相国様には蘆名を平定なされました事、心よりお祝い申し上げまする」
喜平次様の挨拶に相国様が顔を綻ばせた。
「蘆名の平定は済んだが奥州平定にはまだ時間がかかる。真、久しいな、弾正少弼殿。此度は馳走、忝い」
「いえ、それほどの事でも」
「いやいや、佐渡でも助けて頂いた。感謝している」
「畏れ入りまする」
喜平次様と相国様が和やかに談笑しておられる。久し振りに拝見したが相国様は極めてお元気そうだ。
「もうじき大樹がこの城に来る。その後で押し出す事にしよう。狙いは伊達の居城米沢城になる。奥州の者共もそこに集まる筈だ」
「承知しました」
おそらく、そこで決戦という事になる。そして国内で行われる大規模な戦はそれが最後になるだろう。
「謙信公にはお変わりはないかな」
「はっ、特には」
「左様か、虎千代殿は元気かな」
「はっ」
「子が生まれたと聞いた。男の子だと。目出度い事だ、名は何とつけられたのかな?」
「勝千代とつけましてございまする」
「ほう、勝千代か、良い名だな」
喜平次様は余り喋らないが相国様は気にする事無く上機嫌に話しかけている。正直ほっとした。
御裏方様が御産みになられた御子は若君だった。これで虎千代様に続いて二人目の男子。朽木家の竹若丸様とは母方からも父方からも従兄弟になる。上杉家の将来は極めて明るい。家中の者は皆喜んでいるし喜平次様も男子が続けてお生まれになった事にはひどく喜ばれている。多分一番喜ばれているのが留守居を命じられた越前守様と御方様だろう。御二人で勝千代様を取りあっているに違いない。そして次は姫君をと願っておいでだろう。
「しかし童女であった竹がもう二人も子を持つ母親とは……。月日が経つのは早いものだ」
「真に」
喜平次様が頷かれた。朽木家の家臣達の間にも頷く姿が有る。真に時が流れるのは早い。御裏方様が越後に参られたのは七歳の時、良く直江津の湊へと引き摺られたものだ。眼を輝かせて産物を見ておられた。
「自分が四十になったのだという事を実感した。もっとも迷ってばかりの四十だ、自慢にはならぬ」
相国様が苦笑を漏らされた。迷ってばかり……。天下統一も間近というのに迷ってばかりとは……。もしかするとイスパニアの事だろうか?
「帰りに越後に寄りたいと思うが如何かな? 謙信公にも会いたいし竹や子等にも会いたい」
「こちらから願おうと思っておりました。皆喜びましょう」
相国様が顔を綻ばせた。
「嬉しい事を言ってくれる。忝い」
これは本当だ。奥州遠征の帰りに越後に御寄り頂く。それによって朽木家と上杉家の緊密さを改めて天下に知らしめる必要が有る。上杉は天下人と親しい関係にあるのだ。
「いずれは上洛をなされるが良い。朝廷も随分と変わった。譲位も有ったからな。改めて挨拶したほうが上杉家の為になると思う」
「御配慮、忝うございます」
なるほど、上洛すれば当然だが相国様にも挨拶する事になる。今度は天下人として喜平次様を迎えるという事だろう。先に越後を訪ねるのはこのためかもしれない。こちらが上洛し易い様にという事なのだろう。




