浮かぶ瀬
禎兆八年(1588年) 七月下旬 陸奥国岩瀬郡長沼村 長沼城 朽木基綱
「本来なら某が須賀川城に行かねばならぬところにございます。お呼び立てして申し訳ありませぬ」
謝罪すると太閤殿下が“ほほほほほほ”と笑い声を上げた。
「気にしてはおじゃらぬ。正直申せばあんじょうしておったのじゃ。堀の水鳥を見る度に鷹狩がしたくなっての、皆が戦をしている時に麿だけ鷹狩というのものう、……困ったものよ」
思わず俺も笑ってしまった。殿下も笑う。ホント、困ったものだ。
「奥州は良い鷹が居ると聞きます。天下統一後はこれまでよりも手に入れ易くなりましょう」
「そうでおじゃるの。いや、どうせならこの地で鷹狩を楽しみたいものよ。麿は関東、越後でも鷹狩を行ったが京で行うよりも獲物が豊富でずっと楽しかった。奥州の獲物が如何いう物か、興味がおじゃる」
眼を輝かせている。益々困ったものだ。
そうだな、天下統一後は殿下に奥州で領地を与えるというのも良いかもしれない。ずっと俺の天下獲りに協力してくれたのだ。奥州で二千石、その近くに鷹狩用の場所を用意する。それは朽木家の直轄領という事にしよう。そうすれば春から夏、秋にかけて鷹狩を楽しめるだろう。その事を話すと殿下が子供の様に笑い声を上げて喜んだ。本当に困ったものだよ。
「良いのう、それは良い。……ところで麿を呼んだのは何故かな? 余程の大事と見たが?」
すっと笑いを収めて訊いてくる、迫力があるな、流石は朝廷の大立者だ。
「呂宋のイスパニアが九州に攻め込んで来るようです。おそらく今頃は戦が起きておりましょう」
殿下が“何と!”と声を発した。
「何故か? イスパニアと関係が悪い等とは聞いておらぬが?」
「伴天連が原因です。あの者共が九州で行った事を咎めましたがその事が気に入らぬようです。伴天連達はこのままでは布教も上手く行かぬと怖れた。そして呂宋のイスパニアに救けを求めた。九州の信徒達を唆し共に戦えば九州でそれなりの勢力を維持出来る、某から何らかの譲歩を引き出せるとでも思ったのでしょう」
殿下が唸り声を上げた。
「伴天連がイスパニアを唆したと申すか」
「政に関わるなと言ったのですが分からぬようですな」
殿下がまた唸った。
「……根切りか?」
殿下がじっと俺を見ている。腹の底に力を入れた。
「南蛮人の手先になる者など謀反人、いや朝敵も同然、獅子身中の虫なれば容赦は致しませぬ」
暗に認めると殿下が大きく息を吐いた。
「已むを得ぬ事でおじゃるの」
そう、これは已むを得ない。史実における島原の乱とは違うのだ。
あれは悪政からの一揆だった。統治者側に問題が有ったのだ。だから幕府側は何度か助命するから投降しろと勧告している。だがこれは違う。イエズス会の神父達はキリスト教の為だと言うだろう。後世では信教の自由は保障されるべきで俺はそれを踏み躙ったと非難されるかもしれない。だがその内実は外国勢力の日本侵略でしかない。安全保障の観点から見てもその連中は排除しなければならない。統一国家日本を成立させ日本人に日本という国へのアイデンティティーを成立させる。それが近代国家日本の土台になる。躊躇うべきではない。
考えて見れば対馬の宗氏が朝鮮に服属したのは服属しなければ生きていけないという事の他に日本への帰属意識が薄かったという部分も有ったのかもしれない。勿論、其処には日本だけでは喰えないという現実が有った。喰えないから帰属意識が育たなかった……。やはり天下統一後は国内を豊かにする事が必要だ。喰える、豊かであるという事を実感させそれは天下が統一され平和だからだと認識させる必要が有る。
「……良いのか? 此処に居て」
「構いませぬ。念のため九州の者共は奥州攻めには呼んでおりませぬ。毛利も抑えとして残しております。それに倅四郎右衛門が九鬼に警告を発しました」
「ならば良いが……」
殿下が唸り声を上げている。異国との戦争、有り得るとは思っていても実際に起きると衝撃なのだろう。
「そうか、九鬼には相国の養女が嫁いでおじゃったの。あれは毛利の重臣の娘ではなかったかな?」
「その通りです、良く御存知で」
殿下が苦笑を漏らされた。
「手抜かりがないの」
笑う事で誤魔化した。九鬼が周を見初めた事が切っ掛けだ。全てを計画したわけじゃない。
「琉球でございますが……」
「ふむ、何かな?」
「人質を出しませぬ。イスパニアの動きを知って取り止めました」
「……」
殿下がじっと俺を見ている。
「天下統一後は琉球攻めとなりましょう」
「非を咎めるか」
「いえ、潰しまする」
「……信用出来ぬという事か」
「はい」
シンとした。殿下が沈思している。反対なのかな?
「呂宋のイスパニアを攻めようとすれば琉球の動向は無視出来ませぬ。向背の定かならぬ者を背後に置くのは危険でございます」
「……そうでおじゃるの」
「それに……」
殿下が俺に視線を向けた。他にも有るのかという視線だ。メキシコの銀の事を話した。世界は密接に繋がっている。その流れを断ち切ればどうなるか……。断たれた国は滅びかねない。それが明で起きるかもしれない。
殿下が溜息を吐いた。
「まさか、そのような事が……」
「明の政はイスパニアが運ぶ銀が支えているのです。その銀が途絶えれば当然ですが明は窮します。そうなれば明は必ずイスパニアが呂宋に戻る事を望みましょう。イスパニアが呂宋に攻め寄せれば琉球、朝鮮に日本を叩けと命じましょう」
「そうでおじゃるの」
「敵が増えるのを待つのは愚策にございます」
殿下が“うむ”と頷かれた。
「明、朝鮮とも戦う事になるか……」
殿下が感慨深げに吐いた。日本が中国と戦ったのは一番近くて元寇の時だから三百年程も前の事になる。信じられんのだろうな、だが日本と明が戦う時は明は戦費で更に国内に重税を強いる事になる筈だ。果たしてそれに何処まで明人が耐えられるか……。困窮は史実よりも厳しいだろう。
「殿下、申し訳ありませぬが京へお戻り頂とうございまする」
「院、帝に今の話をせよというのでおじゃるな」
「それもございます。この基網が戦を好んでいると思われては敵いませぬ。この日ノ本を守る為には已むを得ぬ事と御理解頂かなくては」
「そうでおじゃるの」
「それにイスパニアが攻めて来たとなれば公卿方は混乱致しましょう」
「なるほど、皆を落ち着かせろと申すか」
「はっ、それが出来るのは殿下のみにございます」
殿下が“分かった”と言って頷かれた。
「こうなると天下統一、急がねばならぬの」
「はい」
「麿も久し振りに馬に鞭を入れるとするか」
「はっ」
「フフフフフフ、相国よ、敵は減らんのう」
「はい、減りませぬ」
殿下が笑うのを止めた。
「明は滅ぶか?」
「おそらくは。五年以内にはっきりと見えてきましょう。十年以内にはどのような形で滅ぶかも見えて来るかと思いまする」
殿下が大きく頷かれた。
「この眼でそれが見られるか、まだまだ死ねぬのう」
全くだ。俺が明を滅ぼすきっかけを作る事になるとはね。長生きはするものだと思うよ。
禎兆八年(1588年) 八月上旬 陸奥国岩瀬郡長沼村 長沼城 片倉景綱
「伊達藤次郎政宗にございまする」
「うむ、基綱である。二人居るな、小十郎は知っているが今一人は誰だ? 中々の面構えだが」
「伊達藤五郎成実、某の従兄弟にございまする」
「なるほど、そうか」
上座に居られる相国様は我ら三人を興味深げに見ておられた。長沼城の大広間、部屋には朽木の重臣達が揃っていた。若殿が前に私と藤五郎殿が後ろに控えた。
「此処に来るまで大分苦労したようだな」
「はっ」
苦労した。三十人程いた仲間は半分にまで減った。或る者は伊達の追手、別な者は蘆名の追手に討たれた。生き残った者は部屋で我等の首尾を待っている。
「さて、その方が此処に居るという事は左京大夫は隠居を拒んだという事だな?」
「はっ」
「隠居では家中が収まらぬか」
思わず相国様の御顔をまじまじと見た。伊達の内情を知っている……。若殿も驚いておられるだろう。
「違ったか、藤次郎」
「いえ、その通りにございまする」
「親子で協議し左京大夫は俺を受け入れられぬ者を率いて戦う、その方は俺を受け入れられる者を率いて俺に仕える、そういう事だな?」
「御意、伊達藤次郎政宗、相国様に御仕え致しまする」
二人がじっと見詰め合った。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれとは言うが……、その方がその瀬か。重い荷を背負ったな、藤次郎」
「……」
「良かろう。伊達藤次郎政宗の服属を認める」
「有り難き幸せ」
ほっとした。場合によっては功利に過ぎると受け入れられぬ場合も有った。これで何とか伊達の名跡は守れることになった。
「もうじき蘆名が出て来る。大樹が佐竹を大分追い詰めていてな。このままでは俺と佐竹を滅ぼした大樹の両方を相手にせねばならなくなる。そうなる前に俺と戦おうという事の様だ」
「左様でございますか」
「蘆名を潰した後は兵を戻して佐竹の背後を突く。佐竹を潰し大樹の軍と合流して伊達領へと向かうだろう。そこで決戦だな」
「畏れながら、今一度父に降伏を促したく思いまする。伊達の者共も蘆名が滅び佐竹が滅んだ後なれば己が無力さを理解致しましょう。何卒お許しを頂きとうございまする」
若殿が頭を下げて請い願った。私と藤五郎殿も頭を下げる。
「残念だがそれは認める事は出来ぬ」
「相国様!」
「控えられよ!」
「伊達殿!」
若殿が前に進もうとして重臣達に叱責された。おそらく若殿は悔しげにされているだろう。
「藤次郎、今九州で何が起きているか、知っているか?」
「は? 九州にございますか?」
若殿が問い返すと相国様が頷かれた。九州?
「知るまいな、九州に呂宋のイスパニアが攻め込んできた」
イスパニア? 思わず藤五郎殿と顔を見合わせた。驚きが有る、若殿も驚いている筈だ。
「イスパニアと申されますと南蛮にございますか?」
「そうだ」
「何故南蛮が日本に」
「伴天連がイスパニアに援軍を求めた。俺が伴天連共に厳しく当たったのでな、不満らしい」
「……」
イスパニアが九州に攻め込んだ、これを如何受け取れば良いのか……。奥州攻めは……。
「まあこちらも備えはしておいたのでな。大した事にはなっておらぬ。南蛮の船は全て沈めるか拿捕した。九鬼も堀内も良く働くわ」
九鬼、堀内か。朽木の水軍として活躍してきた者達だ。備えをしておいたという事はイスパニアと戦う事を計算していたという事か。
「問題は陸だ。切支丹の信徒の他に浪人達が加勢した。九州では島津、龍造寺、大友と大きい所を潰すか領地を削ったからな。喰い詰めた連中が一旗揚げようとしたようだ」
相国様が冷たい笑みを浮かべた。
「二万程になったようだな。だが所詮は烏合の衆だ。一戦して敗れた。散り散りよ。まあ信徒共はそれでも抵抗しようとしたようだが根切りにした。五千程を殺したらしい」
「……五千」
「分かるか、藤次郎」
「と申されますと?」
相国様が笑みを浮かべられた。
「らしくないぞ、藤次郎。今少し切れると思ったがな」
「……申し訳ありませぬ」
「イスパニアとの戦いはこれで終わりではない。これが始まりだ。もう国内で争っているような時代ではないという事だ。日本という国を一つに纏め外に備えなければならぬ。外との戦の度に後ろを振り返って奥州は背かぬか等と心配している暇はないのだ」
「……」
笑みが消えている。厳しい表情だ。
「分かるか? 足利のように弱い天下人では日本を守れぬのだ。俺を天下人として認められぬ、俺の支配を受け入れられぬというなら潰すしかない。この日本を守る為にな。それが天下の大政を預かった俺の務めだ。南蛮の者達にこの国を好き勝手にはさせぬ」
「……」
厳しい、だが正しいのだろう。自分がその立場なら同じ事を言う筈だ。相国様の表情が緩んだ。
「伊達藤次郎、御苦労であった。疲れているだろう、下がって休むが良い」
「はっ」
若殿は抗弁しなかった。深々と頭を下げる、私と藤五郎殿もそれに倣った。与えられた部屋に戻ると皆が集まって来た。
「如何でございましたか?」
鬼庭左衛門殿が訊ねてきた。
「相国様に御仕えする事を認められた」
藤五郎殿が答えると彼方此方から“良かった”と安堵の声が上がった。
「宜しゅうございましたな、若殿」
左衛門殿が若殿に声を掛けたが若殿は沈痛な表情をしている。
「……左衛門、俺を若殿と呼ぶのは止せ」
皆が顔を見合わせた。
「以後は殿と呼べ。伊達家の当主は父、いや左京大夫ではない。この俺だ。皆も左様に心得よ」
頭を下げて畏まった。皆も同じ様にしている。若殿、いや殿は父君、左京大夫様を担ぐ者達を切り捨てた。殿御自身がもう国内で争う時ではないと理解されたのだ。我等もそれに従わなくてはならぬ。




