日本包囲網
禎兆八年(1588年) 七月中旬 陸奥国岩瀬郡長沼村 長沼城 朽木基綱
琉球を潰すべきかな? イスパニアとの戦いの前に琉球を潰す。琉球は日本とイスパニアの間にある境目の国と言って良い。だがその境目の国は日本でもイスパニアでもなく明に服属している。日本とイスパニアが戦った時、明は何を考えるか、琉球に何を命じるか……。
明が日本に良い感情を持っているとは思えない。いくら皇帝がボンクラで周囲が追従者ばかりでも日本が内乱状態にあり明に服属を表明していた足利が滅んだ事ぐらいは知っているだろう。義昭が明に朽木という謀反人が居ると報せた可能性もある。俺が足利を滅ぼした事も知っているかもしれない。となると日本だけじゃない、俺に対しても良い感情は持っていないだろう。
琉球、朝鮮に対しても俺が独自に外交を展開しつつあるのも知っているだろう。もしかすると琉球が日本に密かに服属を申し入れたのも知っているのかもしれない。明の冊封体制に入らずに独自の外交を展開する。明から見れば明と張り合おうとしているように見えてもおかしくはない。それに倭寇の問題も有る。現在の倭寇は日本人よりも明人の方が多いんだがそれでも倭寇だ。明には日本は悪いというイメージがある。その辺りも影響する筈だ。
だがそれ以上に問題なのは明の政府が今の経済の流れを認識しているか如何かだ。明の経済はメキシコの銀が支えている。フィリピンを中継基地とするマニラガレオン貿易がそれだ。日本がイスパニアと戦うとなれば当然だがフィリピンを占領する事になる。つまりマニラガレオン貿易が成立しなくなるわけだ。そうなれば明にはメキシコの銀が入らなくなる。
多分、明の政府は分かっていない。そしてイスパニア、ポルトガルが中国征服を考えている事も分かっていない。その事に日本兵を使う事を考えている事もだ。だからイスパニアが日本に兵を送る事にも関心を持たないだろうし日本がイスパニアを追い出してフィリピンを占領しても気にしないだろう。
だがイスパニアが簡単にフィリピンを諦めるとも思えない。何と言っても明との交易は莫大な利益を生むのだ。必ずフィリピン奪回作戦を起こす筈だ。二年か、三年先か、或いは五年先か。戦力はそれ程ではないだろう。だがその時、明が如何いう動きをするか……。
その頃には明は銀不足と重税でかなりの不景気になっている筈だ。メキシコの銀が明に入らない事、マニラガレオン貿易の中断が不景気の原因だという事も理解しているだろう。となれば当然だがフィリピンを占領した日本に対して敵意を持つのは間違いない。イスパニアが奪回作戦を実施すればそれを歓迎するだろう。場合によっては共同して日本を攻略という事も有る。
明、イスパニアによるフィリピン奪回、日本征服か。その時にはポルトガルも協力するだろうし明は琉球、朝鮮にも協力を命じる筈だ。この時代の世界三大強国が対日戦で協力する事になる。そして琉球、朝鮮が加われば日本は周囲を包囲された事になる。四郎右衛門が心配していたが琉球がイスパニアに与するという事は十分に有り得ると見て良い。琉球と朝鮮、競い合って協力するに違いない。
日本が負ければ如何なる? 最悪の場合はイスパニア、ポルトガルの植民地という事も有り得るだろう。そしてその後に起きるのはイスパニア、ポルトガルによる中国侵略、琉球侵略の筈だ。その主力となるのが日本兵だ。その時になって明はイスパニア、ポルトガルに協力した事を後悔するだろう。いや恩知らずと罵るかもしれん。
「父上?」
三郎右衛門が訝しげに俺を見ている。
「呼んだか?」
「はい」
「何だ?」
「いえ、何も仰られないので……」
「気にするな」
「はい」
重蔵と主税が良く有る事だから気にするなと倅達に言っている。二人の言葉によれば俺は時々皆の前で無言のまま憂鬱そうに沈黙するらしい。
やはり琉球は潰そう。威圧して屈服させるだけでは駄目だ。明と日本を比べれば明の方が大きい。力が明の方が上だと琉球は思う筈だ。となれば屈服はしても明の指示が有れば日本に敵対するのは間違いない。フィリピンに攻め込む前に琉球に攻め込み琉球を潰す。フィリピン攻めは琉球を潰した後だ。その時は琉球がフィリピン攻めの後方基地となる。
もう交渉は必要ない。十一月には使者は送らない。天下統一後は薩摩に兵を送る。そして琉球がイスパニアに与したとして一気に南下して琉球を攻め潰す。琉球が弁明の使者を送ってきても相手にはしない。イスパニアが攻めてきた事、琉球が人質を送らなかった事でいずれは起きるだろう危機が見えた。その芽を摘まなければならない。琉球征服か。後世の評判は悪いだろうな。だがやらねばならん。
船が要るな、南蛮船が要る。九鬼や堀内だけでは足りない。海賊衆達は有能だが規模が小さい、相手はイスパニア、ポルトガル、明なのだ。国家間の戦争となればどうしても今の海賊衆だけでは戦力不足だ。それに指揮系統があやふやになる。……朽木の海軍を作ろう。拠点は石山と敦賀、それに九州は長崎か佐世保だな。
朽木海軍を正規艦隊として編成し九鬼、堀内などの海賊衆は補助海軍として協力させよう。ゆくゆくは海賊衆は水運に携わる企業として発展して行けば良い。そうなれば日本という国家の水軍が誕生する事になる。金が掛かるな、もっと金儲けをしなければならん。その辺りも考えなければ……。頭が痛いわ。
禎兆八年(1588年) 七月中旬 陸奥国岩瀬郡長沼村 長沼城 朽木滋綱
憂欝そうな表情でずっと考え込まれていた父上が身体を起こしフーッと息を吐かれた。
「気が変わった、琉球は潰す」
重蔵と主税殿が畏まったので慌てて畏まった。
「四郎右衛門」
「はっ」
「その方は此処に留まれ、秋に琉球に行く必要は無い」
「はっ」
「天下統一後は最初に琉球を攻める事になる。非を咎めるのではない、琉球を滅ぼし日本の一部とする戦だ。その方は左兵衛大夫、作兵衛と共に軍議に加われ」
「はっ!」
四郎右衛門が力強く答えた。左兵衛大夫、作兵衛も畏まった。
「父上、宜しいのでございますか?」
「……」
「琉球を攻めれば明を敵に回す事になります。朝鮮との交渉も上手く行きますまい」
父上がじっと私を見た。
「已むを得ぬ事だ、三郎右衛門。イスパニアの脅威を小さく見る事は出来ぬ。そして明は南蛮の脅威を理解していない。そうではないか?」
「……そうかもしれませぬ」
答えると父上が頷かれた。
「琉球を攻め獲った後は呂宋を攻め獲る。さすればイスパニアの勢力は大きく後退する。そしてその後に澳門、ポルトガルの者達がマカオと呼ぶ町を攻め焼き討ちする。二度とポルトガル人に利用させぬ」
「明を攻めると?」
流石に今度は主税殿、重蔵も驚いている。
「そうではない。澳門を根拠地とするポルトガル人を攻めるのだ。澳門からポルトガル人を追い出せばポルトガルの勢力も大きく後退する。イスパニアが呂宋の奪回を図っても簡単には協力出来ぬ」
父上が案じているのはイスパニア、ポルトガルが協力して日本に攻めかかって来る事か。それを防ぐために澳門を攻める……。だが明は如何思うか……。
「天下を統一しても厳しい状況は続くな。イスパニア、ポルトガル、明、琉球、朝鮮。これらが一つになって日本に挑みかかって来るかもしれぬ。だが負けるわけにはいかぬ。負ければこの日ノ本は南方の国々のようになる」
「……」
父上が憂欝そうな御顔をしていた。多分先程はその事を考えておられたのだろう。天下人として世に尊崇されても心の休まる時は無い。ずっとこんな想いをしてこられたのだろうか……。父上が大きく息を吐くのが見えた。
「勝たねばならぬ。この国を護る為にな。朽木は天下の大政を委ねられたのだ。この国の安全と繁栄を守らなければならぬ」
「……」
「三郎右衛門、四郎右衛門、その方等は朽木の家に生まれた。その事を忘れるな」
「はっ」
答えると父上が頷かれた。忘れてはならぬ、天下とは重いのだ。その重さに耐える事がこの国の安全と繁栄を守る事になるのだ。
禎兆八年(1588年) 七月中旬 陸奥国岩瀬郡長沼村 長沼城 朽木基綱
「出羽守にございまする」
部屋の外から声が掛かった。厄介事だな、やれやれ、今日は事が多い。
「遠慮は要らぬ、入るが良い」
敢えて明るい声を出して促すとさっと戸が開いて風間出羽守が入って来た。でかいのに全然音がしない。重蔵が満足そうに頷いている。同業者だからな、“やるな”、そんな所かもしれない。ウサギの肉を思い出した。出羽守が山椒を振ってシギ焼きにしてくれた。結構美味かったな、柔らかくて癖が無いから食べ易いのだ。いかん、現実逃避は後だ。
「出羽守、何が有った?」
「はっ、伊達領内にて騒動が」
「そうか」
とうとう起きたか、そんな思いが有った。三郎右衛門、四郎右衛門、孫六郎は顔に緊張が有る。主税と重蔵、左兵衛大夫、作兵衛には無い。まだまだ倅達は経験不足だ。
「伊達藤次郎政宗、逐電したようにございます」
逐電? 流石に驚いた。謀反とか騒乱って言うなら分かるが逐電とは……。予想外の展開だ。流石は政宗と言うべきなのかな?
「謀反を起こして失敗したという事か?」
「分かりませぬ」
出羽守が首を横に振った。
「なれど大きな騒乱は起こっておりませぬ」
騒乱は起こっていない。兵を用いる様な事は無かったという事か……。謀反が失敗とかではないな。
「伊達左京大夫は藤次郎を追う様に命じたか?」
「追う様に命じております。なれど逐電してから五日も経っての事だとか」
「五日後? 如何いう事だ?」
「三日間は居なくなった事に気付かなかったという事にござる。後の二日間は捜索、五日経って逐電と判断したと」
主税、重蔵、左兵衛大夫、作兵衛が首を振っている。
「おかしな話だな、出羽守」
「某もそのように思いまする」
世継ぎが居なくなって三日も気付かなかった? 有り得ない、誰かが政宗逐電の情報を隠蔽したと見て良い。或いは政宗が居る様に工作した。つまり米沢城には政宗の協力者が居るという事だ。
そして捜索に二日かけている。疑う気になれば時間稼ぎともとれる。その場合は協力者は父親の伊達左京大夫、或いは左京大夫に強い影響力を持つ人物という事になる。となると単純な逐電とは考えられない。
「逐電では無く藤次郎をこちらへ落としたという事か」
「かもしれませぬ」
俺と出羽守の遣り取りに主税、重蔵が頷いた。倅共は訝しげだ。左兵衛大夫、作兵衛が説明すると頻りに頷いた。
「今一つ、奇妙な事が」
「何だ?」
「伊達家中にて行方の分からぬ者が居ります。おそらくは藤次郎に付き従っているものと」
「藤次郎に仕える者以外にも居るという事か?」
「はっ」
出羽守が頷いた。
どのくらい居るのかと訊くと三十名は超えると出羽守が答えた。手際が良いな、いや良過ぎる。藤次郎政宗の考えじゃない。政宗は父親の隠居で伊達家安泰を図った。それで多少領地は削られても何とかなる、伊達家の存続は可能だと考えていたのだ。逐電は別な人物の考えだ。おそらくは父親の左京大夫輝宗だろう。
政宗は俺の書状を左京大夫に見せた。そして隠居を迫った。だが左京大夫は自分の隠居では家中が収まらないと見た。内部分裂から混乱して滅びかねないと見たのだ。親子で厳しい話し合いが有っただろう。そして政宗も父親の考えに同意した。それ程までに伊達家中での反朽木感情は強いという事だ。だが伊達家は潰せない、だから藤次郎政宗に全てを託して落とした。
左京大夫には元々政宗を朽木に落とすという考えが有ったのだろう。反朽木感情、いや中央に反発する家臣達を自分が纏める。そして戦場で戦って滅ぶ。政宗には朽木による天下統一を受け入れられる家臣を付けて朽木に落とす。政宗はその家臣達と共に伊達家を再興すればよい。そんなところだ。おそらくはその人材も既にリストアップして有ったのだろう。後はタイミングだけだった。そんなところに政宗が俺と接触したと言ってきた。左京大夫は今がその時だと思ったのだ。
「如何なさいますか?」
「……」
「此処に来る前に始末する事も出来ます、助ける事も」
出羽守の言葉に倅共が息を飲んだ。眼が飛び出そうな表情で俺を見ている。こんなので驚くなよ。敢えて含み笑いを漏らした。倅共は顔面蒼白だ。鍛えるのも容易じゃない。
「始末する場合は蘆名を使うか」
「はっ」
「そうだな、……何もしなくて良い」
「それで宜しいので?」
出羽守が念押ししてきた。
「伊達藤次郎の運を試そう。此処に来るまでには伊達の追手や蘆名から逃れなければならぬ。生き残るには才気、胆力の他に運が必要だろう。その運が有るのなら伊達家を再興させる。無ければ伊達家は滅ぶ」
「……」
藤次郎政宗、生き残れるかな? 気性の激しさ、野心家である事を考えれば殺した方が良いとも思える。だが嫌いじゃないんだ、政宗を。それに父親の左京大夫の想いを考えると殺す事はしたくない。俺に出来るのは何もしない事、それが限度だ。
生き残れよ、伊達家を再興させてやる。石高は十万石だ。従来の七分の一だがそれでも厚遇だと言えるだろう。俺は此処で政宗を待つとしよう。
第四巻が12/10に発売されます。早いところでは6日頃から発売されているそうです。御手に取っていただければ幸いです。
コミカライズも12/10から始まります。
pixivコミックのcomicコロナで連載されます。(https://comic.pixiv.net/magazines/198)
楽しんで頂ければと思っています。




