非合理的な生き物
禎兆八年(1588年) 六月下旬 陸奥国岩瀬郡須賀川村 須賀川城 朽木基綱
須賀川城は結構立派な城だった。本丸、その東に二の丸、北に三の丸が有る。そして周囲を水濠が囲んでいる。この水濠、水鳥が居るから多分魚は居るだろう。でも魚を釣る人間も居なければ水鳥を獲る人間も居ない。昔から水濠の水鳥は要害の一つと言われているのだ。夜襲で敵が近付いて来た時は水鳥が逃げる音で気付く。源平合戦の富士川の戦いでは水鳥の逃げる音を敵の夜襲と勘違いして平家は退却したという事になっている。
釣りも禁止だ。掘りの深さを計るような真似は許さないという事だ。水鳥が要害の一つなら堀の深さは軍事機密だ。戦国時代は厳しいのだよ。命が掛かっているからな。だから俺も水濠の水鳥を見てもハンティングがしたいとか焼き鳥が食べたいとか釣りがしたい等とは言わない。
俺ってホント芸術的な素養とか文学的な素養って無いな。公家だったら水濠とか水鳥で和歌とか詠むんだろうけど俺の場合は腹が減ったぐらいしか感じない。太閤殿下なんて白河を越えた時は『便りあらば いかで都へ 告げやらむ 今日白河の 関は越えぬと』なんて詠ってた。
感心していたら殿下が詠んだのではなくて古歌らしい。三十六歌仙の一人、平兼盛の和歌らしいが俺は平兼盛って誰? ってレベルの男だ。殿下に聞くと赤染衛門の父だと教えてくれた。赤染衛門は平安時代の有名な女流歌人だ。それも殿下が教えてくれた。綾ママが知ったら頭に鉢巻して寝込みそうだ。太閤殿下はこの白河の関を越えたくて奥州遠征に参加したらしい。
「大殿」
呼ばれて振り返ると風間出羽守が控えていた。相変らずデカい男だ。それに身体に緩みが無い。昔と変わらず鍛え上げられた身体をしている。
「如何した、出羽守」
「我が手の者が陣を伺う怪しい風体の者を捕えましてございます」
「ほう」
怪しい風体の者? ただの怪しい風体の者なら出羽守が報告に来る事は無い。始末して終わりだろう。武士が商人か山伏にでも化けたか。何者かな?
「何者だ?」
「伊達家家臣、片倉小十郎と名乗っております」
思わず出羽守の顔を見た。
「その名前には聞き覚えが有る。伊達の嫡男の側近では無かったか」
「御意」
出羽守が訝しげな表情をした。誰から聞いたんだろう、そんな感じだ。
誰からも聞いてない。元々知っているんだ。でもね、こういう時は便利なんだよ。ウチは八門、伊賀、風魔の三組織が有る。それぞれが他の組織から聞いたんだろうと思ってくれる。それにしても片倉小十郎が来た? 当然だが政宗の使いだろうが……。
「商人にでも化けたか?」
「いえ、猟師にございます。兎の肉を売っておりました」
なるほど、伊達領から此処までは蘆名領を通る事になる。山伏に扮して通るのは間者と疑われ易い。こっちに来てからも山伏では陣に近付く事は難しい。それなら猟師に化けようという事か。
「此処で兎の肉を売る目的は?」
「大殿との面会を求めて機会を窺っていたようにございます。それと伊達藤次郎の書状を所持しておりました」
政宗の書状?
「見せよ」
出羽守が書状を差し出した。受け取って書状を読む。服属したい、詳しい事は書状を届けた片倉小十郎から聞いてほしいと書いて有る。小十郎は自分にとって無二の者であるとも書いて有った。流石、政宗と小十郎だな。
「会おう、広間に連れてきてくれ」
「はっ」
出羽守が畏まるとさっと立ち去った。恰好良いわ。もう一度転生するなら忍者の頭領とかになってみたいものだ。……服属したいか。父親の左京大夫輝宗は知っているのかな? 多分知らないのだろう。詳しい事は小十郎から聞いてほしいという事は書状に書くには不都合が有ったという事なのだ。他者に見られた場合の事を考えたのだと思う。つまり話の内容はかなり際どい物なのだと言う事だ。
広間では俺と小十郎の他に長宗我部宮内少輔、飛鳥井曽衣、黒野重蔵、平井加賀守、風間出羽守、それと三郎右衛門と三好孫六郎を立ち会わせよう。ガキ共に交渉という物を教えなくてはならん。
禎兆八年(1588年) 六月下旬 陸奥国岩瀬郡須賀川村 須賀川城 片倉景綱
眼の前に鎧直垂姿の武将が居る。特に際立った特徴は無い。これが太政大臣朽木基綱か。
「伊達家家臣、片倉小十郎景綱にございまする」
「うむ、朽木基綱である」
「このような見苦しい姿で御目にかかります事、御許し頂とうございまする」
猟師姿である事を詫びると相手は声を上げて笑った。
「土産を寄越せば許すぞ」
「土産と申しますと?」
伊達家の内情を話せという事か……。相国様がじっと私を見た。
「兎の肉だ、猟師もしているのだろう?」
周囲から笑い声が上がった。私も笑わざるを得ない。冗談が好きな御方と聞いたが本当の様だ。緊張が解れた。もしかするとこちらを気遣ってくれたのか。
「……それは捕えられた時に取り上げられてしまいました」
「出羽守、後で銭を払っておけよ。食い物の恨みは怖いからな」
「御意」
出羽守と呼ばれた人物が苦笑している。風間出羽守、風魔か……。
「さて、小十郎。その方は伊達家家臣と名乗ったが正確には伊達家の嫡男、藤次郎政宗の家臣だな?」
「はっ、左様にございまする」
私の事を知っている。伊達家の内情については相当の知識が有るのだろう。
「では今回の使者は伊達家の使者か? それとも藤次郎政宗の使者か? 書状からはその辺りがはっきりせぬが」
「藤次郎政宗の使者にございます」
「では服属したいというのは伊達家では無く藤次郎なのか?」
「はっ」
答えると相国様が頷かれた。周囲の者が顔を見合わせている。
「如何いう事だ、伊達家は蘆名と連合し朽木と戦おうとしている。藤次郎は父親の左京大夫輝宗を裏切るという事か?」
「いえ、左様では有りませぬ。主、政宗が伊達家を継ぎ相国様に御仕えしたいと申し上げております」
相国様がじっとこちらを見ている。
「伊達家を継ぐか、左京大夫は如何する」
「隠居を、と考えておりまする」
「隠居な……」
視線が強まった。
「元々伊達家は相国様に敵対する意思はございませんでした。なれど奥州の諸大名がいずれも反朽木で纏まったため伊達家は四方を囲まれる形に成ったのでございます。周囲を敵に囲まれては伊達家は家を保てませぬ。已むを得ず反朽木の同盟に与する事になりました」
「それで?」
「已むを得ずとはいえ相国様に敵対したのは事実にございます。さればその責めを負って左京大夫は隠居し藤次郎が伊達家を継いで相国様に御仕えしたいと考えておりまする」
「その話、左京大夫は知らぬのだな?」
「はっ、存じませぬ」
パチリと音がした。相国様の手にある扇子の音だ。少し開いた、そしてまたパチリと音を立てて閉じた。
「それで」
「伊達藤次郎の家督相続と伊達家の服属を認めるとの書状を頂きたく参上仕りました」
相国様がじっと私を見ている。一つ息を吐いた。
「小十郎、正直に答えよ」
「はっ」
「俺はもう直ぐ蘆名を滅ぼす。蘆名の中はボロボロだ。先ずまともな抵抗は出来ぬ。その事はその方等も知っていよう」
「はっ」
蘆名の中はボロボロか。やはり調略がかなり進んでいる。刻が無い!
「北から蘆名を攻めれば良かろう。さすれば左京大夫も隠居せずに済む。そうではないか?」
「……」
「それが出来ぬ、俺の書状を必要としているという事は伊達家の中は反朽木で纏まっているという事ではないか。朽木家と伊達家は誼を通じてきたがそれはあくまで左京大夫の考えによるもの。伊達の家臣達は朽木が奥州に手を伸ばす事を望んではいない……」
「……そう考える者も居りまする」
相国様が大きく息を吐いた。
「小十郎、先にも言ったが正直に答えよ。伊達家の、藤次郎の切所だぞ。俺の予想ではその方等は朽木に服属すべしと考えているが伊達家の中は反朽木でまとまり孤立している。左京大夫も身動きが出来ずにいる。その方等はこのままでは伊達は滅びると考えた、だから此処に来た。俺の力を使って反朽木の勢力を抑えようとしているのだ、違うか?」
「はっ、御賢察畏れ入りまする」
伊達家の内情にも詳しい。書状は難しいかもしれぬ。
「俺の書状を如何使う?」
「蘆名は直ぐにも滅びましょう。その時点で書状を左京大夫に見せ相国様に敵対すれば伊達家は滅ぶと訴えまする。後は左京大夫から家中に……。藤次郎が家督を継いだ後は相国様の先鋒となって朽木に敵対する者を攻めまする」
「左京大夫が隠居を受け入れるか?」
「説得致しまする」
相国様がじっと私を見た。
「……伊達は七十万石程有ったな」
「はっ」
「良いだろう、伊達藤次郎の伊達家相続と伊達家の所領五十万石で伊達家の服属を認める。なお奥州攻めにて功を上げればその分は必ず加増する。期待しているぞ」
「はっ、有難うございまする」
二十万石以上減るのは痛い。しかし朽木の支配下では上杉、毛利に次ぐ大領の主となる。決して惨めな存在ではない。その辺りを強調して説得していこう。それに奥州攻めで功を上げれば恩賞も貰えるのだ。
「但し、俺が伊達領に攻め込む前に左京大夫輝宗、藤次郎政宗の両名が俺に会いに来る事が服属の条件だ」
「それは……」
「案ずるな、伊達領に攻め込むのは早くても一カ月後だ。それまでに伊達家を纏めろ。それ以上は時間稼ぎと判断して敵対行動を取ったと見做す。急げよ」
「はっ」
禎兆八年(1588年) 六月下旬 陸奥国岩瀬郡須賀川村 須賀川城 朽木基綱
「上手く行きましょうか?」
重蔵が問い掛けてきた。小十郎は既に書状を得て伊達に帰った。
「難しいだろうな、先ず上手く行くまい。もっとも小十郎は伊達家の切所だ。滅ぶよりはましと伊達家の者が考えるだろうと思っているのかもしれぬ」
皆が“左様ですな”頷いたりしている。
「父上、上手く行かぬのでございますか?」
三郎右衛門が訝しげに問い掛けてきた。孫六郎も首を傾げている。この二人は会談中眼を凝らして見ていた。
「三郎右衛門、父は随分と戦をしてきた。領地を切り取って来た。敵対する者を滅ぼしてきた。それで分かった事が有る」
「……」
「人というのは道理では動かぬ事も有れば利でも釣られぬ事も有るという事だ。頭の良い人間は得てして自分に分かる事なのだから説得すれば相手も分かるだろうと思いがちだ。利に敏い者は相手も利に敏いだろうと考える。だがな、感情が受け付けぬという事も有る。特に領地に対する愛着は道理や利を越える」
「……」
「伊達の者達は朽木が奥州に手を伸ばしてきたという事が許せぬのだ。奥州は奥州人の物、そう思っているのだとすれば受け入れぬだろうな。伊達藤次郎も片倉小十郎もその辺りを理解しておらぬと見た」
三郎右衛門も孫六郎も納得はしていない。
難しいな、この時代の言葉では上手く説明出来ない。現代風に言えば合理主義者は自分が合理的であるが故に他者も合理的であると考えがちだという事だろう。だが人間なんて利己的で非合理的な生き物なのだ。だから紛争が起き戦争が起き人間が殺し合う。殺人事件のニュースを見てもそんな理由で人を殺すのか? 一生を棒に振るのかと思う様な事は幾らでもある。
「出羽守、伊達の動きに注意してくれ」
「はっ」
「伊達家で騒動が起きるかもしれぬ。おそらくは酷い混乱が生じる筈だ」
「はっ」
出羽守が畏まった。他の連中も頷いている。皆の眼から見ても危ういのだ。
小十郎は俺から伊達家安堵の言質を取ったと思ったかもしれない。だがな、あの安堵状は爆弾みたいなものだ。その事に気付いていないのだとすれば危うい。いや気付いているのかもしれないがそれに縋らざるを得ないのか。……先ず左京大夫が素直に受け入れるかという問題が有る。左京大夫にしてみれば勝手に俺の隠居を決めやがってという不快感が出るだろう。或いは政宗が俺と組んで伊達家を乗っ取ったと考えるかもしれない。あの書状はその証拠と取られかねないのだ。その辺りを抑えられるか如何か……。
そして伊達家の反朽木派は如何思うか? 左京大夫が自らの隠居を表明し政宗が跡を継いで朽木に服属すると言っても簡単には納得しない筈だ。今更服属を表明しても受け入れられるとは思えないと言うだろう。当然だが政宗と小十郎はあの安堵状を出す筈だ。だがその安堵状に如何いう反応をするか?
反朽木派は朽木が伊達の家中の中に調略を仕掛けてきた。掻き回そうとしている。そう思うだろう。小十郎と政宗を裏切者と思うかもしれない。或いは朽木にしてやられた愚か者と思う可能性も有る。簡単には納得しない。当然だが彼らは政宗を排除しようとするはずだ。担ぐのは弟の小次郎だろう。小次郎を押し立てて政宗を排除する。史実でも似た様な事が有った。この世界でも同じような事が起きるだろう。そして政宗の威権は史実に比べればすっと脆弱だ。反朽木派が躊躇うとは思えない。伊達家は混乱する。
或いはそれも想定しているのかもしれない。政宗の威権を確立するためには反朽木派の重臣は邪魔だろう。となるとその討伐を俺に依頼してくるかもしれない。そうする事で政宗の威権を確立し伊達本家の力を強める。有りそうだな。小十郎は天下は一つに纏まろうとしていると見ているのだろう。こんな時に奥州連合を支持する家臣達は時勢の見えない愚か者だと判断した……。つまり伊達家の中に居る愚か者を俺の力を使って排除しようとしている……。
「父上、如何なされました?」
三郎右衛門が心配そうな顔で俺を見ている。いかんな、思考の海で溺れていたか……。
「何でもない、少し考えたい事が有ったのでな」
三郎右衛門が“左様ですか”と言った。
「父上、片倉小十郎は如何すれば良かったのでしょう?」
「そうだな、藤次郎政宗と共に形振り構わず朽木に縋るべきだったと思う。藤次郎自らここに来て自分は朽木に服属すると言うべきだったのだ。そうであれば伊達家を滅ぼしても藤次郎に伊達家を再興させる事が出来た」
三郎右衛門が“なるほど”と頷いた。
もっともその場合には伊達家は小大名に転落しているだろう。小十郎がこの手に気付かなかったとは思わない。だがこの手を選ばなかったのはそれが理由だろう。現状、或いはそれに近い身代での伊達家の維持、それを望んだのだと思う。上手く行くか如何か、お手並み拝見だな。




