不惑
禎兆八年(1588年) 四月下旬 駿河国安倍郡 府中 駿府城 朽木基綱
「出羽守、伊達が心変わりをしたのは何故か?」
風間出羽守が俺を見た。相変らずデカい男だ。他の連中よりも頭一つデカい。
「伊達左京大夫輝宗は佐竹、蘆名、最上に与する事には反対だったようでございます。なれど家臣達の多く、それと正妻の最上御前が佐竹、蘆名、最上に与する事を強く求めたとか。伊達左京大夫はそれに抗し切れなかったのでございましょう」
正妻の最上御前は分かる。最上の女だからな、婚家と実家が戦うのは避けたいと思うのは当然だ。だが家臣達も賛成した? 抗し切れなかったという事は余程に圧力が強かったのだろう。無視すれば御家騒動が起きると思ったのかもしれない。しかし、何故だ? 俺に付いた方が旨味が多い筈だが……。
「家臣達の多くが賛成したというのは?」
「奥州を上方の者に渡すなと」
シンとした。要するに郷土愛か、或いは上方に対する敵意かな。出羽守が“大殿”と低い声で話しかけてきた。脅すなよ、怖いだろう。
「奥州の諸大名、国人衆には足利氏と強い結び付きを持った家が多うございます。伊達氏もその一つにございます」
「……」
そうなのか、と言いそうになって慌てて飲み込んだ。
「そうじゃのう、伊達は奥州探題、陸奥守護を許された家でおじゃったの。最上と大崎は斯波氏の流れでおじゃるし畠山も居る」
「左様でしたな」
最上、大崎は斯波氏だったのか。良く分からんが相槌を打っておこう。
「その分だけ朽木家に対する感情は良くありませぬ」
出羽守の言葉に彼方此方から呆れた様な声と溜息が聞こえた。“何を考えているのか”、“世の動きが見えぬのか”等だ。
そうか、奥州でも戦乱は有った。だがそれは興亡では無かったのだ。勢力の伸長、縮小であって興亡では無かった。奥州以外では大名家の興亡が激しかったが奥州ではそうでは無かった。津軽を除けば下剋上らしいものも無い。その津軽だって御家騒動のドサクサに自立しただけだ。畿内の下剋上に比べれば手ぬるいと言える。
奥州は本当の意味で戦国時代では無かったのだ。室町時代の延長だった。だから多少の伸縮は有っても滅ぶ事は無かった。奥州で戦国時代が始まるのは政宗が登場してからだ。より正確には輝宗が死んでからだろう。畠山が滅び蘆名が滅んだ。この世界では政宗は当主じゃない、その分だけ戦国時代への突入が遅れた。つまり奥州の大名にとってはまだ室町時代で俺は成り上がりの謀反人か……。
「如何する?」
太閤殿下が俺の顔を見ている。決まっているだろう。
「潰すまでです。そうであろう、大樹」
「はい」
大樹が頷いた。変に地縁の有る大名を残さずに済む。喜んで潰してやるさ、足利の時代は終わったのだという事を理解させてやる。太閤殿下が満足そうに頷いた。公家らしくない御仁だよ。皆が呆れたように見ている。
義昭は誤ったな。史実では義昭は京を追放された後、毛利を頼った。この世界でも毛利を頼っている。多分その勢力と一向門徒の力が強い事を重視したのだろう。だが本当は奥州に行くべきだったかもしれない。毛利は反信長、反朽木だったが足利の権威を認めているかと言えば必ずしも認めてはいなかったと思う。
だが奥州は足利の権威を認めていた。奥州でなら将軍の権威は通用したのだ。義昭は奥州の諸大名を一つに纏める事が出来たかもしれない。この世界ではどうなったか分からないが史実でなら奥州の諸大名の力を背景に関東の北条、甲斐の武田、越後の上杉を動かす事が出来たかもしれない。その上で毛利に声を掛ければ信長も青褪めただろう。
「大樹、如何攻める?」
息子が“はっ”と畏まった。
「下野に一軍を置き蘆名への抑えとします。そして残りの兵を以って常陸を平定致しまする」
「同感だ、下野には俺が行こう。大樹は佐竹を攻略せよ」
彼方此方から声が上がった。驚かせたらしい。気持ちいいわ。
禎兆八年(1588年) 四月下旬 駿河国安倍郡 府中 駿府城 朽木堅綱
軍議が終わると別室にて打ち合わせとなった。父上、私、次郎右衛門、三郎右衛門、三好孫六郎殿、朽木主税殿、風間出羽守、竹中半兵衛、山口新太郎、浅利彦次郎、甘利郷左衛門、長宗我部宮内少輔、飛鳥井曽衣、黒野重蔵、祖父の平井加賀守。父上と私を起点に車座になった。
「先程は聞かなかったが佐竹に調略はかけているのか?」
「かけてはおりますがなかなか上手く行きませぬ。佐竹の家中は結束が強うございます」
「ふむ、そうか」
父上が出羽守に視線を向けた。出羽守が“大樹公の申される通りにございます”と答えた。
「今は蘆名に調略をかけております」
「蘆名に? 大樹、それは佐竹を孤立させようという事か?」
「それもございますが佐竹から蘆名に養子に入った蘆名主計頭義広は家中を上手く纏まられぬと出羽守が報告を」
私の言葉に皆が出羽守に視線を向けた。出羽守が頷く。
一昨年、先代亀王丸の死後、蘆名氏の中では次の当主を伊達家から小次郎政道を迎えるか、佐竹から主計頭義広を迎えるかで混乱した。伊達家との関係改善を図るのであれば小次郎を選ぶという選択肢も有った。だが最終的には佐竹家から主計頭義広を迎える事になった。理由は伊達家の勢力伸長を嫌った事も有るだろうが小次郎と主計頭の年齢にも理由が有った。
小次郎は当時二十歳に近く主計頭は未だ十代の前半だった。蘆名の重臣達は幼少の主計頭を迎える事で重臣達の合議によって蘆名家を動かそうとしたらしい。外から迎え入れた養子に勝手な事をされては困ると思ったのだ。だがその思惑は裏目に出た。主計頭に付随してきた佐竹家の家臣達が力を振るい始めた。大繩讃岐守、刎石駿河守、平井薩摩守。今、蘆名家の中では蘆名の重臣達と主計頭に付随してきた佐竹家の家臣達で激しい争いが生じている……。
「おそらく伊達との同盟を佐竹が画したのも奥州が連合する事で朽木に対抗するという事だけが狙いではありますまい。伊達に攻め込まれれば小次郎擁立派の家臣、国人達が寝返りかねぬ、蘆名は内部から崩壊しかねぬという怖れが有ったのだと思いまする」
出羽守の説明に父上が吐息を吐かれた。
「六角家と同じだな。あそこも細川家から左京大夫を養子に迎えた。確か歳は十代前半だった筈。細川は没落していたが幕臣達が付いて来た。その者共が随分と勝手な事をして六角家は混乱した。亡くなった蒲生下野守も隠居に追い込まれた程だ。下野守は馬鹿共に付き合うのはうんざりだと言っておったな。結局左京大夫は六角家を潰してしまった。潰したのは俺だが最後は皆が左京大夫を見離したわ」
半兵衛、新太郎、主税殿、重蔵、祖父が頷いた。
「出羽守、寝返りそうな者は居るか?」
「はっ、既に蘆名一族の針生民部盛信が寝返りを約しております。それと蘆名氏と並んで会津四家と称される河原田、長沼、山内が寝返りを約しました。今は蘆名四天と称される富田、松本、佐瀬、平田に声を掛けております。反応は悪くありませぬ。他にも何人か声を掛けております」
父上が満足そうに頷かれた。
「なんだ、蘆名は既にボロボロではないか」
次郎右衛門、三郎右衛門が尊敬の眼で私を見ている。少し面映ゆかった。
「となると俺が蘆名を抑えて大樹が常陸に攻め込むのではなく俺が蘆名に攻め込んで大樹が常陸を抑えた方が良かろう」
「そうかと思います」
父上が私を面白そうに見ている。
「先程の軍議では佐竹を先に攻めると言ったようだが?」
皆の視線が私に集まった。
「北関東の国人衆には五月の上旬に小田原に集まるようにと命じておりますがその中には蘆名、佐竹と親しい者もおります。敵を欺くには先ず味方からとの言葉も有りますれば……」
「皆を騙したか。俺まで騙すとは暫く見ぬまに随分と逞しくなったものだ。頼もしい限りよ。可愛い子には旅をさせろと言うが本当だな」
父上が御笑いになった、皆も笑う。嬉しかった、父上が私を認めてくださる。浅利彦次郎、甘利郷左衛門も嬉しそうだ。これまで関東で失敗しながらも学んできた事は無駄ではなかったのだと思った。
「しかしそうなると伊達、最上の増援が厄介ですな。我らが攻め込めば必ず増援を出す筈、連中が会津に居ては寝返りは難しゅうございましょう」
主税殿の言葉に皆が頷いた。
「足止めが要るな。出羽守、奥州に伊達が裏切ると噂を流せ。蘆名、伊達領、それと朽木の軍にも流せよ」
「はっ、既に奥州には取り掛かっております」
出羽守が自信有り気に答えた。我が軍にもか。間者や奥州勢に通じている関東の国人を欺くのが目的か。
「こちらはゆっくりと軍を動かしましょう。奥州の大名達は朽木が伊達の寝返りを待っていると思う筈です」
「重蔵殿の申される通りですな、疑心暗鬼になれば協力して立ち向かう等というのは無理です」
「思ったよりも早く片付くかもしれませぬ」
重蔵、主税殿、祖父の言葉に皆が頷いた。
「油断は禁物ですぞ。戦は未だ始まってもいないのです。敵を軽視するのは先人の厳しく戒めるところにござる」
「宮内少輔の言う通りだ。ここまで来たからこそ油断は出来ぬ。気を引き締めて戦おう」
父上の言葉に皆が畏まった。
禎兆八年(1588年) 四月下旬 駿河国安倍郡 府中 駿府城 朽木基綱
打ち合わせも終わり残ったのは俺の他に大樹、次郎右衛門、三郎右衛門の四人になった。久々に親子水入らずだが元々親子団欒なんてそんなに無かった。如何接して良いのか良く分からんな。もっともそう思っているのは俺だけなのだろう。子供達は仲良く話をしている。しかしなあ、次郎右衛門だけは明らかに顔が違う。
「父上、御疲れでは有りませんか?」
大樹が心配そうな顔をしている。次郎右衛門、三郎右衛門も幾分案じ顔だ。
「大丈夫だ、未だ年寄り扱いされるほどの歳ではない」
疲れは無い。だが今年で四十歳だ。三好長慶、織田信長、両者とも四十代で病死した。それを思えば倅達が案じるのも無理は無い。
「途中休みながら来たからな。尾張では弓姫がもてなしてくれたし三介殿が能を舞ってくれた」
倅達が複雑そうな表情をしている。織田三介信意、五千石を与えているが現状には何の不満も無いらしい。三介は清洲城から岡崎城への逃亡時に兵の殆どが逃げた事で自分には戦国武将としての能力は無いと認識したようだ。今は何の心配も無く五千石の領地から上がる年貢で暮らし好きな能を舞っている。表情に何の暗さも無かった。織田家では無く能楽の家に生まれれば名人と呼ばれて賞賛されたかもしれない。
「関東、奥州が片付いたら大樹には近江に戻って貰うぞ。新たな政の仕組みを作らねばならんし俺の後を継ぐ準備をして貰わなければならんからな。その方が四十歳になる前に太政大臣を辞任し大政を朝廷にお返しする。そしてその方に太政大臣の地位と大政の委任を願おう。その頃には竹若丸が征夷大将軍になっても不思議ではあるまい」
「はっ、有難うございます」
大樹の頬が紅潮した。認められた、そう思ったのだろう。武将としての力量は十分だろうな。徳川を降し下総、上総、安房、南常陸を押さえた。関東で残っているのは北常陸の佐竹だけだ。これからは統治者としての能力を鍛えて貰う。
「次郎右衛門にはこれまで通り尾張に居て貰うが三郎右衛門には九州に行って貰うぞ」
三郎右衛門が無言で頷いた。大樹と次郎右衛門が顔を見合わせている。
「六角の名跡を継げば畿内には置けぬからな。それに九州はこれからキナ臭くなる。三郎右衛門には九州の諸大名を纏める男になって貰わねばならん」
大樹と次郎右衛門がまた顔を見合わせた。
「九州と言うと切支丹でございますか? 父上が大分気にしていると感じておりましたが」
次郎右衛門が問い掛けてきた。大樹と三郎右衛門が頷いている。
「伴天連共がイスパニア、ポルトガルと通じている。政に関わるなと言ったのだがな、如何も理解出来ぬらしい。場合によってはイスパニア、ポルトガルと戦になるかもしれぬ」
次郎右衛門が“まさか”と言った。大樹は厳しい表情だ。三郎右衛門は表情を変えない。俺に一番似ているらしいがこんなに無表情だったかな?
「案ずるな、先ず負ける事は無い。南蛮に攻め込むのは難しいが呂宋にあるイスパニアの拠点を攻略するのは難しくない。琉球を拠点に攻め込めば簡単な筈だ。呂宋を失えばイスパニアの勢力は大きく後退する」
「父上、イスパニアが南蛮の地より兵を出す事は有りませぬか?」
大樹が不安そうな表情をしている。
「イスパニアも向こうでは敵を抱えている。簡単には兵を出せぬ。出しても少数なら勝つのは難しくない」
「大軍を出した場合は如何なりましょう」
今度は次郎右衛門だ。
「天下を統一すれば二十万の兵を朽木は動かせる。イスパニアには無理だ。それに対抗出来るだけの兵を南蛮からこの地へ運ぶのにどれだけの食糧、船、武器、弾薬が要ると思う。遠くなればなるほど負担は大きくなる、運べる兵は少なくなるのだ。呂宋ならばこちらに利が有る」
三人が頷いた。
「問題はイスパニアよりも明だ。こちらが厄介な事になりかねぬ」
倅達が顔を見合わせた。
「琉球、朝鮮の事でございますか?」
三郎右衛門が問い掛けてきた。大樹、次郎右衛門が不思議そうな表情をしている。三郎右衛門が琉球、朝鮮、明の関係を説明した。例の書契問題も含めてだ。それを聞いて大樹、次郎右衛門が溜息を吐いた。アジアの冊封体制って厄介だよな。でも問題は其処じゃないんだ。
「確かにそれも有るがもっと厄介な事が有る」
三人の顔が緊張した。
「明という国はな、銀を銭として使っている。その銀をイスパニアから得ているのだ」
「真でございますか?」
次郎右衛門が目を丸くしている。
「本当だ、次郎右衛門。イスパニアが海の向こうから呂宋に銀を持って来る。そして明の商船が絹、陶磁器を呂宋に運ぶ。そこで取引を行うのだ」
「……」
「朽木が呂宋を攻め獲れば如何なる? 呂宋での取引は出来なくなる。つまり明に銀が入らなくなるのだ。それが何を意味するのか……」
倅達が顔を見合わせた。こういう経済の事はちょっと分かり辛いかな。だがこれからは理解してもらわなければならん。教えていかないと。
「明の皇帝は馬鹿でな、銭を湯水のように使って遊び呆けている。民は重税に苦しんでいるがその銭を支えていたのがイスパニアの銀だ」
「……父上、イスパニアの銀が入らなければ……」
大樹が不安そうな表情をしている。
「皇帝は馬鹿だからな、遊びを控えるという事はあるまい。つまり民から銀を毟り取ろうとするだろう。明の民は今以上に重税に苦しむ事になる」
顔色が良くないぞ、三人とも。
史実では明の繁栄を支えたのは日本の銀とイスパニアが運ぶメキシコの銀だった。この世界では日本からは銀が流れない、メキシコの銀が明に流れるだけだ。それが無くなれば当然だが明の経済は銀不足に陥る。とんでもないデフレ経済になるだろう。おまけに重税が続けば……。
明の混乱は酷いものになるだろう。流民が大量に発生し反乱が起きるかもしれない。史実よりも早い時点で明が滅ぶという事も十分に有り得る。だがその時清が成立するのか? それが無理だとなれば群雄割拠という事も有り得る。イスパニアやポルトガルがそれを如何見るのか……。涎を垂らして中国に手を伸ばそうとするだろう。厄介な事になるかもしれない。東アジア全体が揺れる事になる筈だ。当然だが日本もそれに巻き込まれる事になる。
天下統一の後は国内統治体制の整備と安全保障の確立が急務となる。俺は今四十だ、大樹に太政大臣を譲るまであと十五年は生きなければならん。十年だな、十年で終わらせる、そう思おう。五年は予備だ。




