奥州連合
禎兆八年(1588年) 三月上旬 周防国吉敷郡上宇野令村 高嶺城 小早川隆景
「では今回は九州での変事に備えよと」
「そういう事になりますな、駿河守様」
恵瓊が坊主頭をつるりと撫でた。兄が不快そうにそれを見ている。
「右馬頭様より駿河守様、左衛門佐様にお伝えせよと命じられました」
「殿は?」
「奥に居られます。南の方様がお呼びだそうで」
兄が顔を顰めた。やれやれだ。
「まあ宜しいのではありませぬか、兄上。こちらも豊前をしっかりと押さえるのに今少し時が欲しいというのが本音です」
兄が“うむ”と声を出したが今一つ納得した表情ではない。関東攻めでは息子の次郎五郎に久し振りに会えると喜んでいた。その機会が失われた事が残念なのだろう。
「右馬頭様もホッとしておられましょう。なんせ初産ですからな、南の方様に傍に居て欲しいとせがまれていたそうで」
思わず苦笑いが漏れた。兄も顔を歪めている。以前は右馬頭を見れば顔を背けるほどだったのに……。今では人目も憚らず甘えるというのだから……。今も南の方に捕まっているのだろう。まあ仲が良いのは良い事だ。後は世継ぎが生まれれば言う事は無い。
「それにしても今度は南蛮の坊主か、相国様はほとほと坊主とは相性が悪いようだな」
兄の言葉に恵瓊が“駿河守様”と声を掛けた。
「愚僧も坊主では有りますが相国様との相性は悪くは有りませぬぞ」
「お主はナマグサだからな、気が合うのだろう」
兄が澄まして言う。思わず失笑した。兄が声を上げて笑う。恵瓊が“それは酷い”とぼやいた。もっとも恵瓊自身も笑っている。
「まあ冗談はさておき、愚僧もあの者達は危険だと思いますぞ。一向宗とは違った怖さが有る。南の国々では南蛮に攻め獲られた国も有るとか。どうもあの坊主共、それに協力しているようですな」
「大友の様に操られる者も居る」
恵瓊と私の言葉に兄が“うむ”と頷いた。我等から見ても大友の伴天連への傾斜は酷かった。大友の内部が混乱した一因に伴天連への傾斜が有る。
「今回奴隷の事で相国様より報せが届いたが確かに許せぬ事よ。南蛮の者共、この国を喰い物にしていたようだな」
兄が不愉快そうに言う。
「国が乱れておりましたからな、已むを得ませぬ。しかし相国様が国を纏めようとなされております。纏まれば当然の事、許される事では有りませぬ」
兄、恵瓊が頷いた。
伴天連達が如何出るか……。相国様は天下統一を優先されている。今のうちに相国様に従う姿勢を示せば良いがそうでなければ天下統一後に厳しい処置が下されるだろう。伴天連達もそれに気付いているかもしれない。となれば統一を邪魔するために九州で事を起こすという事は有り得るのかもしれん。
「厄介なのは豊後ですな。あそこには大友五郎が居ります」
私の言葉に二人が頷いた。五郎は宗麟の息子で彼自身熱心な切支丹だと聞いている。そして豊後には切支丹が多い。そのキリシタンが五郎の元に集まるようなら……、そして其処に伴天連達、南蛮の商人が集まるようなら……。豊前に飛び火するかもしれない……。
「そうだな、九州の抑えのために待機というのは妥当な判断か」
「そういう事になります。なにより豊前を混乱させる事は出来ませぬ」
兄が”うむ”と頷いた。
「駿河守様、左衛門佐様。戦の準備はせねばなりますまい」
兄が私を見た。私が頷くと兄も頷いた。
禎兆八年(1588年) 三月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
隣で横になっていた桂がもぞもぞと動いて寄り添ってきた。
「もう直ぐ御出陣でございますね」
「そうだな」
「寂しゅうございます、御戻りは何時頃になりましょう」
「そうだな、冬になる前に戻るだろう。正月は皆で祝える筈だ」
関東制圧だけなら日数は掛からない。問題は奥州だ。どれだけ早く片付くかだがどのみち冬は戦は無理だ。年内で切り上げて戻る様になるだろう。
簡単に終わるかな? 奥州は戦乱の真っただ中にある。その中心に居るのが伊達と蘆名だ。伊達は輝宗が未だ当主として頑張っている。史実だと隠居して殺されているんだけどこの世界では違う。現役バリバリで頑張っている。どうも上杉で御館の乱が無かった事が微妙に影響しているらしい。
史実では御館の乱が起きると輝宗は蘆名、北条と結んで敗北した上杉景虎に味方した筈だ。だから景勝が勝利者になると蘆名、北条の他に織田とも連携して景勝に敵対したと覚えている。政宗に家督を譲ったのも自分は対上杉戦に専念し政宗には奥州方面を任せるつもりだったのだろう。輝宗にとっては奥州は伊達と蘆名が協力すれば大丈夫、政宗に任せても問題無いという意識が有ったのだと思う。
だが政宗は上杉よりも蘆名を潰す事を選択した。最初からそうだったのか、それとも途中からそう考えたのかは分からない。だが当時の蘆名は後継者問題で弱体化しているように政宗には見えたのだと思う。一度目は蘆名盛隆の死、二度目は盛隆の後継者亀王丸の死。僅か二、三年の間に二度の後継者問題が発生している。そして蘆名氏は二度の後継者問題で政宗の弟である小次郎を養子に迎えなかった。
多分蘆名は伊達から養子を迎えれば伊達の力が強くなり過ぎると考えたのだろう。要するに蘆名は奥州でのパワーバランスを重視したのだ。輝宗も不愉快では有っただろうが蘆名の考えに一定の理解はしたのだと思う。何よりも蘆名氏を敵に回せば奥州が混乱すると考えたのではないか。だが政宗は蘆名は伊達との同盟を如何考えているのかと不満を持ったのだと思う。
蘆名は奥州の国人達と密接に関わっていた。奥州で覇を唱えようとする伊達氏にとっては何かと配慮しなければならない存在だった。その事が若い政宗には邪魔な鬱陶しい存在に見えたのではないだろうか。政宗は上杉よりも蘆名を潰した方が伊達にとっては旨味が有る、奥州での影響力を強める事が出来ると思ったのではないかと思う。
政宗は伊達による奥州統一を考えたのだ。そこには中央で膨張する織田、豊臣の存在が頭に有ったかもしれない。中央政権に対抗するには伊達家が奥州を一つに纏めるしかないと考えた。強い覇者が必要だと考えたのだ。連合では切り崩されると思ったのだろう。十分に考えられる事だ。
輝宗にとって政宗の外交方針の転換は誤算だったと思う。だが蘆名が伊達との協調を重んじない以上敵対するしかないという政宗の考えを否定出来なかった。悪く言えば政宗に引き摺られた。輝宗の横死は政宗の外交方針の転換から生じた。政宗は蘆名を滅ぼして奥州に覇を唱えるがそこまでには何度も危うい事が有った。その事が伊達内部において政宗に対する不信、反発を生んだと思う。余計な事ばかりしやがって、というわけだ。小次郎を擁立しようとした勢力というのはそれを強く思った者達ではないか……。いかんな、歴史推理は後だ。
現状では史実と違って御館の乱が無かった事で伊達、上杉の関係は敵対関係には無い。そして史実通り蘆名家が後継者問題で伊達家から小次郎を養子に迎えなかった事で伊達、蘆名同盟は破棄され敵対関係に有る。蘆名は最上、佐竹、大崎と同盟して伊達を牽制し上杉とは国境で小競り合いを繰り返している。そして一月程前から大崎氏が伊達と戦争を始めた……。簡単には収まらんだろうな。だが好都合だ。一つに纏まられるよりも遣り易い。
「天下が統一されたら関東に行ってみるか?」
「宜しいのでございますか?」
闇の中だが桂が顔を上げたのが分かった。
「甲斐は上杉領だから避けた方が良かろうが駿河から伊豆、相模は朽木領だ。そして今川家、北条家にとっては縁の地だ。今川家の方々と共に行っては如何だ?」
桂が頭を俺の胸の上に置いた。
「……子等を連れて父の墓参りがしとうございます」
声が震えていた。北条氏康か、北条氏の墓は早雲寺だったな。だが氏政、氏直は首を晒された。その後どうなったか……。関東に行ったら確認してみよう。もし、他の寺に墓が有るのなら早雲寺に移した方が良いかもしれない。今川氏真の墓も確認しよう。となると辰、篠の方も手当しなければならん。温井、三宅の墓も確認させよう。
「左京大夫殿が喜んでくれればよいのだが」
「桂は幸せに暮らしていると報告します。きっと父は喜んでくれましょう」
桂が泣き出した。
「そうか、そうだな」
泣き続ける桂を抱きしめながら思った。本当にそうなら良いと。俺の正室ならともかく側室なのだからな。不満に思うだろう。だが粗略には扱っていない、大事に扱っている。その辺りは認めて欲しい物だ。
禎兆八年(1588年) 四月下旬 駿河国安倍郡 府中 駿府城 朽木奈津
大殿が七万の兵を率いて駿府にお見えになられた。御屋形様と共に子等を連れて挨拶に出向く。広間には大殿の他に次郎右衛門殿、三郎右衛門殿、そしてもう一人、若い武士がいた。皆甲冑を着けている。大殿はとてもお元気そう。少し御歳を召されたかしら、確か今年で四十歳の筈。……そうは見えない、御歳を召されたけれど三十代半ばぐらいに見える。
「元気そうだな、奈津」
「はい、大殿におかれましても御健勝の御様子、心より御慶び申し上げます」
「うむ」
「近江では皆様お元気でございますか?」
「皆元気だ、案ずるな」
大殿が笑みを浮かべて頷かれた。安心した、豊千代は元気らしい。
「また子が生まれる。雪乃と藤、夕が身籠った」
「雪乃殿は御褥辞退をされたと聞いておりましたが」
御屋形様が小首を傾げている。
「まあそうなのだが四郎右衛門が琉球に行って酷く落ち込んでしまってな。それを慰めている内に……」
大殿がちょっと恥ずかしそうに言うと皆が顔を見合わせている。“まあ、そういう事だ”と大殿が言うと皆がクスクスと笑い出した。大殿も照れ臭そうに笑う。
「そう笑うな。奈津は初対面であろう。三好孫六郎殿だ」
大殿が若い武士を紹介してくれた。三好孫六郎殿、百合姫の婿君。
「初めてお目にかかります、奈津にございまする」
「三好孫六郎にございます。義姉上、よろしくお願い致しまする」
孫六郎殿が丁寧に挨拶を返してくれた。
「其処に居るのは竹若丸か」
「はい、竹若丸にございます!」
竹若丸が大きな声で答えた。大殿が上機嫌に笑う。
「大きな声だ、元気の良い子だな」
「はい!」
また大殿が上機嫌に笑った。皆も笑う。
「竹若丸は何が好きかな?」
「兵法が好きです」
「兵法、なるほど、剣術か」
「はい!」
大殿がウンウンと頷かれたが真顔になられた。
「余り無茶はいかんぞ。そなたは未だ幼い。骨が固まるまでは素振りだけにしておく事だ」
「父上にもそのように言われました。御祖父様からそのように教えを受けたと」
「そうだな、そのように教えた。……算盤は如何かな? 手習いは? 学問はしているか?」
「……余り……」
大殿が御笑いになられた。
「好まぬか。困ったものだな」
「……」
「少しずつでも励むのだな。そうでなければ良い大将にはなれぬ」
「はい」
大殿がすっと視線を桐に向けた。
「そちらに居るのは桐姫か」
「桐にございまする」
桐が回らぬ口で懸命に答えると大殿がじっと桐を見詰めた。
「不思議な事だ。母上に似ている」
「父上も左様に思われますか?」
御屋形様が問われると大殿が頷かれた。確かに桐は大方様に似ているかもしれない。
「桐は何が好きかな?」
「カステーラ」
「ほう、カステーラか。桐は甘い物が好きか」
桐がこくりと頷く。
「まあ甘い物が嫌いな女子は居らぬな。だが食べ過ぎてはいかぬぞ」
「はい」
今度は声に出して答えた。大殿が笑みを浮かべている。
「もう直ぐ天下も統一される。この子等には乱世を見せずに済むだろう」
皆が頷いた。
「さて、挨拶も済んだ。軍議を開くとするか」
大殿の言葉に皆が畏まった。
禎兆八年(1588年) 四月下旬 駿河国安倍郡 府中 駿府城 朽木堅綱
大広間で軍議となった。上段に父上と私、近衛太閤殿下。下段には左右に皆が並ぶ。次郎右衛門、三郎右衛門、三好孫六郎殿も下段に並んでいる。
「大樹、始めよ」
「はっ。先ず我が軍の兵力だが父上の軍が約七万、そして私の直属軍が約三万、合わせて十万。それに関東の国人衆が現在小田原に集結しつつある。大凡五万。そして佐竹攻めの後、上杉軍が越後より奥州攻めに加わる。率いる軍勢は三万。総勢十八万で関東、奥州攻めを行う事になる」
皆が頷いた。
「兵糧、火薬に付いては小田原に集めてある。大凡十五万の兵が一年戦える量だ。また上方から今も続々と船で兵糧と火薬が送られてきている。兵糧に付いての心配は要らぬ」
また皆が頷いた。十分な兵糧が有って初めて戦える。どれほど有利であっても兵糧がなければ兵を退くしかない。徳川攻め、関東平定で学んだ事だ。
「敵は関東では佐竹では有るが佐竹は白河結城氏、岩城氏を配下に置き南奥州にも威を振るっている。また蘆名氏、大崎氏、最上氏とも盟を結び伊達氏と敵対関係に有る。ここまでは皆も分かっていると思う。だが些か懸念すべき事態が発生した。出羽守、頼む」
風間出羽守が“はっ”と畏まってから頭を上げた。
「二月に起きた伊達氏と大崎氏の争いですが十日程前に和睦が成立しました。これには伊達左京大夫の正妻、最上御前が大きく関わっております。そして伊達氏と最上氏の間でも頻りに使者の遣り取りが有ります。おそらくは和睦交渉ではないかと」
ざわめきが起きた。
「最上御前が動いているという事か?」
父上の問いに出羽守が“それだけでは有りませぬ”と答えた。
「この交渉を纏めつつあるのが佐竹氏の家臣、船尾兵衛尉昭直と思われます。船尾兵衛尉は今年に入ってから伊達氏の居城、米沢城と蘆名氏の居城、黒川城、そして最上氏の居城、山形城を何度か往復しております。船尾兵衛尉が最上御前を動かしたのではないかと」
ざわめきが大きくなった。皆が顔を見合わせている。
「静まれ!」
父上の声に大広間がシンとした。
「出羽守、つまり奥州は一つに纏まりつつあるという事か」
「おそらくは」
「なるほど、奥州連合か。狙いは俺と戦うためだな」
「はっ」
「厄介な事になったのう、相国」
太閤殿下が“ほほほほほほ”と笑い声を上げた。父上も“真に”と答えて笑う。如何して笑えるのだろう……。




