書契問題
禎兆七年(1587年) 七月上旬 山城国葛野郡 近衛前久邸 朽木基綱
「九州平定、先ずは目出たい」
「有難うございまする」
「おめでとうございまする、義父上」
「おめでとうございまする」
「いや、有難う」
太閤殿下、婿の内府、鶴が祝ってくれた。皆ニコニコ顔だ。なんか恥ずかしいわ。席には三郎右衛門、万千代も居る。三対三の親睦会だ。
三郎右衛門はともかく万千代を連れて来るのはちょっと迷った。だが琉球に送る事になるかもしれないのだ。何も分からないまま行っても意味が無い。傍に置いて俺の考え、太閤殿下を始めとする公家達の考えを多少なりとも理解させようと思っている。
「龍造寺山城守でおじゃるが病であったとか、真か?」
「はい、心の臓を病んでおりました。最後は苦しみながら死んだそうにございます」
太閤殿下が“なんと”と呟いた。口元を扇子で隠し痛ましそうな表情だ、他の四人も沈んだ表情をしている。
「それでも戦いを挑んできたか……」
「病である事をこちらに流す事で油断させようとしました」
「……怖いものよ。将に乱世の梟雄でおじゃるの」
「真に」
シンとした。
乱世の梟雄か、そうだな、隠居は乱世の梟雄だった。平和な世で生きる事など出来ない男だったのだ。畳の上で子等に囲まれて安らかな大往生など考えただけで反吐を吐いたに違いない。龍造寺は自分が大きくした、ならば自分が潰して何が悪い、そう思ったのだろうな。だから俺に戦いを挑んできたのだ。勝算が少ない事など如何でも良かっただろう。そこに可能性が有るだけで十分だったに違いない。
「九州は随分と様変わりしたの」
「はい、龍造寺が滅び大友を減封しました」
代わって毛利に豊前一国を与え筑前での十万石は取り上げた。約二十万石の加増だろう。右馬頭は喜んでいたな。毛利は八十万石か、一度大きく減ったが盛り返した。右馬頭の立場も強くなるだろう。後は世継ぎ問題だな。これが解決すれば毛利は安泰だ。
立花道雪には筑前の志摩郡、怡土郡で高橋紹運には筑後の三潴郡で七万石ずつ与えた。本当は十万石とも思ったがあの二人は新参だからな、七万石で納得してもらった。喜んでいたな、二人とも九州に戻れるとは思っていなかったらしい。それと大友を滅ぼさなかった事に礼を言われた。これであの両家は将来的にも朽木に忠誠を尽くしてくれるだろう。
真田源五郎に肥前の高来郡で三万石を与えた。小山田左兵衛尉を彼杵郡、藤津郡で五万石だ。酒井左衛門尉を佐嘉郡、大久保新十郎を小城郡に三万石で置いた。酒井左衛門尉と大久保新十郎は泣いてたな。酒井は六十歳、大久保は五十歳を越えてる。この時代じゃ十分過ぎる程の爺だ。生きている内に領地を貰えるとは思っていなかったみたいだ。だが過去を問わないのが朽木だ。徳川の旧臣にとっては励みになるだろう。
そして磯野藤二郎、町田小十郎、笠山敬三郎を豊後に入れる。それぞれ三万石だ。磯野藤二郎と町田小十郎は尾張の城の完成祝いが終わった後で九州に行く事になる。城造りの褒美じゃないぞ、豊後には大分郡で大友五郎義統に二万石を与えている。当然だがそれの監視という仕事もある。そして豊後はキリシタンの影響が強い。統治には細心の注意が必要だ。その辺りにも心を砕く必要がある。決して楽ではない筈だ。他に富久主税介鎮久、真玉掃部助統寛、若林中務少輔鎮興の所領を安堵した。
富久主税介と真玉掃部助は国東郡、若林中務少輔は海部郡だ。安堵した理由はこの三人が大友家では水軍を率いる立場にあったからだ。潰すよりは利用した方が良い。対馬には九鬼と堀内を入れるがその後詰を任せる形になるだろう。他には旧大友の家臣から利光宗魚鑑教、吉弘左近大夫統幸、田原紹忍、佐伯太郎惟定、木付中務少輔鎮直、志賀太郎親次、臼杵美濃守鎮尚、吉岡甚吉統増、田北宮内少輔統員を召し抱えた。こいつらは龍造寺に攻められても大友に忠誠を誓っていた男達だ。潰すのは惜しいし九州に置くのも面白くない。俺の直臣にしていずれは領地を与える形にしようと考えている。
龍造寺の家臣も召し抱えた。四天王からは成松遠江守信勝、百武志摩守賢兼、木下四郎兵衛尉昌直を召し抱えた。他の江里口藤兵衛信常、円城寺美濃守信胤の二人は龍造寺太郎四郎政家と共に自害した。それと成富十右衛門茂安、犬塚掃部助鎮盛、後は石井党と呼ばれる者達を召し抱えた。それと龍造寺の家臣ではないが城井弥三郎朝房、松浦源三郎久信という男を召し抱えた。
城井氏は元々は大友氏の家臣だった。だが自立志向が強かったのだろう、大友の勢威が落ちると秋月、島津と結んで大友に反旗を翻した。そして第一次九州遠征で明智十兵衛率いる朽木軍に滅ぼされた。弥三郎はその生き残りだ。城井氏の再興を俺の下で図りたいという事らしい。危険かな、と思ったが会って見て嫌な感じはしなかったので小姓として召し抱えた。
松浦源三郎久信は肥前の松浦鎮信の息子だ。鎮信は龍造寺の隠居に滅ぼされた。史実だと滅ぼされていない筈なんだよな。確か大名として江戸時代に存在した筈だ。だがこの世界では滅ぼされている。どうも力量が有るので隠居に危険視されたらしい。隠居が島津と戦わず長生きした事で松浦が滅んだようだ。龍造寺が健在なうちは身を潜めていたが滅んだので俺に仕えたいと出て来たらしい。こいつも俺の小姓として召し抱える事にした。
博多と長崎には代官所を置いた。代官には石田佐吉を抜擢した。本人は吃驚してたな。佐吉の任務は博多と長崎の商人の管理だ。特に博多は朝鮮との関わりが強いから注意が必要だ。だがもう一つ、内密の任務も有る。それがキリシタンだ。大友、大村、有馬は領内の土地を寄進し神社仏閣を壊している。眼に余るという報告が伊賀衆から上がっているのだ。その辺りも伊賀衆を使って調べろと言ってある。
あの連中、北九州では大名に取り入って随分と勝手な事をやっている。既得権益を守ろうとしてだろうが大友の減封にも口を出そうとした。政には関わるなと言っているのに関わろうとしたのだ。放置は出来ない。この辺りで一度大きく抑えつける必要が有る。
それぞれ代官所には二千の兵を置く。博多は秋葉市兵衛、長崎は大久保彦十郎が指揮官だ。彦十郎は大久保新十郎の弟で佐吉よりも歳は上の様だ。無口でしっかりしていると言って俺に推挙したのは酒井左衛門尉だった。酒井も大久保も徳川では名門だからな。それなりに付き合いは有るようだ。
「対馬の宗氏を筑後に移したとか」
「はい」
太閤殿下が満足そうに頷いた。
「皆喜んでおじゃる。もっとも朝廷には宗氏も潰すべきではないかという声もおじゃるが……」
そんな試す様な流し眼で俺を見るなよ。思わず苦笑いが漏れた。
「対馬は貧しいのです、殆ど米が獲れませぬ。あの島で生きて行くには朝鮮との交易に活路を見出すしかありませぬ。朝鮮への従属は已むを得ぬ事でございましょう。対馬から移してしまえば敢えて潰す必要は有りませぬ」
「この後も朝鮮に付く事は無いか」
太閤殿下がじっと見てきた。
「内陸に移しました故そのような事は有りますまい。それに牙符も取り上げました。それでも繋がりを持とうとするなら……」
「するなら?」
「その時は潰します」
太閤殿下が“うむ”と頷かれた。鶴が幾分怯えた様な顔で俺を見ている。ちょっとショックだ。
宗彦三郎には今後は朝鮮との交渉には関わらせないとはっきりと言った。その事が宗氏の為だとも。事実朝廷では俺の処置を手緩いと見ている公家も居るのだ。多分、その一人が目の前にいる太閤殿下だろう。今も俺から言質を取った。多分明日には朝廷で広まっているだろう。次は無いと……。
「朝鮮に使者を送ろうと思っております」
「ほう」
「足利氏が滅び足利氏と間で結んだ牙符の制度は意味の無い物になりました。改めて朽木家との間で約を結びたいと伝えようと思っております。その際、宗氏を内地に移した事も伝えます」
太閤殿下が“ふむ”と鼻を鳴らした。
「本来なら日本と朝鮮との約という形を取りたいのですが……」
思わず語尾が弱くなった。太閤殿下と内府が顔を見合わせた。
「何かおじゃりますか、義父上」
「朝鮮は明に臣従しております。日本は何処にも臣従しておりませぬ。その辺りが……」
「拙いかな?」
「そうなるかもしれませぬ」
俺が太閤殿下の問いに答えるとまた二人が顔を見合わせた。倅二人と娘は良く分からずにいる。
「相国、如何いう事でおじゃろう」
あれ、太閤殿下も分かっていない。
「国と国との約となれば国書を交わす必要性も出てきましょう。明も朝鮮も儒教を重んじております。儒教は体面を重んじる。されば国書が問題になるやもしれませぬ。向こうでは明の皇帝以外は使ってはいけない文字が有るそうです。例えば皇帝、勅などです。天皇、帝も拙いでしょう」
太閤殿下が“なるほど”と言って頷いた。
「確かに拙いな。こちらの国書を無礼として受け取らぬか」
「おそらくは」
明治初期、日本と朝鮮の外交関係は征韓論が出る程酷く悪化したがその原因が『皇』と『勅』が日本からの国書に書かれていた事だった。書契問題と言われている。高が文字だ、現代日本人の感覚からすれば馬鹿じゃないのと言いたくなるが当時の朝鮮にとっては大問題だった。
朝鮮は清を頂点とする東アジアの冊封体制の中に居た。『皇』、『勅』を使えるのは清の皇帝だけなのだ。日本の国書を認める事は日本の天皇を清の皇帝と同格に扱う事になる。それは日本を朝鮮よりも格上と認める事になるのだ。受け入れられなかっただろう。そして清を頂点とする冊封体制が崩れかねない、清を怒らせる事になるとも思ったのだろう。一方日本もこれに対しては怒った。日本は独立国なのだ、何故使う文字に文句を言うのか、ふざけるなと。
朝鮮内部にも書契問題を重視すべきではないという意見は有ったらしい。だが少数派だったようだ。朝鮮の姿勢を変える事は出来なかった。結局書契問題を打ち壊すために日本は江華島事件を起こした。馬鹿げていると思うが今は俺がその問題に向き合う当事者になりつつある。当事者の立場になってみれば馬鹿げていると呆れる事は出来ない。頭の痛い問題だ。
「しかし、だからと言って帝にこの文字は使ってはいけませぬとは言えませぬ。そうでは有りませぬか?」
「そうよな、となると国と国との約には出来ぬか」
内府と太閤が深刻そうな顔をしている。子供達三人は漸く分かったらしい。俺を尊敬の眼で見ている。ちょっとくすぐったい。
「それと朝鮮が某を認めるか如何かという問題も有ります」
「と言うと」
「朝鮮が足利氏を交渉相手と認めたのは足利氏が明から日本国王と認められていたからです。某にはそんなものは有りませぬ。太政大臣等と言っても朝鮮から見れば何の事か分かりますまい。一つ間違えるとそんなに交渉したいのなら明に服属しては如何かと某に言い出しかねませぬ」
二人が顔を顰めた。
「鹿苑院の様にか?」
「はい」
鹿苑院というのは足利義満の事だ。明から日本国王の称号を貰う事で勘合符貿易を始めた。当時の朝廷では『他国より王爵を得た』と不評だったらしい。もっとも義満に対して面と向かって言える人間はいなかったようだ。その事を俺が言うと子供達がまた感心している。それは良いんだが内府も感心している。ちょっと心細いな。
足利将軍家は直轄領が少なかった。つまり軍事力が微弱だったわけだ。それを補うために銭を必要とした。そのための手段が明との交易だ。義満が明との関係を最初は対等、自分と明では無く日本と明の交渉にしようと考えなかったとは思えない。だが明という国と交渉をしていく内に明は必ず日本に臣従を求めて来る、日本と明が対等の関係を結ぶのは無理だと判断したのではないだろうか。
残る手段は自分が臣従する事だ。義満が明から日本国王の称号を受ける事に躊躇いを感じなかったとは思えない。悩んだだろう、だが背に腹は替えられない。已むを得ないと判断したのだと思う。そしてむしろ好都合だとポジティブに考えた。自分が臣従する事で明との関係を強め外交を独占出来ると判断したのだ。つまり利益の一人占めだ。
義満の選択は間違ってはいないだろう。義満は明に日本国王と認められた。義満以後も足利将軍は対外的には日本国王の名を名乗る。そして明も朝鮮もそれを認めた。義政が朝鮮との間で牙符の制度を創れたのも義政が日本国王だったからだろう。考えてみれば日本国王というのは明が足利氏に与えた信用状のようなものだとも言える。アジアは明を中心とした冊封体制に有るのだ、明の信用状を持った足利氏は対外的には無敵だろう。国内では脆弱でも。
「となると朝鮮との交渉は簡単には行かぬか」
「行きませぬ。それに足利氏が滅んだとなると朝鮮は某が滅ぼしたと見るでしょう。謀反人と判断して益々相手にするのを避けるかもしれませぬ」
この辺りが儒教の厄介な所だ。現実と乖離してしまう。明ならそれが出来る。現実を無視するだけの力が有る。だが朝鮮は如何か。力が有れば良いが中途半端な力しかないと痛い目を見る事になる。
「まあ追い込んだのは事実でおじゃるからの」
「はい、殿下にもお手伝い頂きました」
二人で声を合わせて笑った。子供達四人は顔が引き攣っている。親の真の姿を知ったか。綺麗事で天下は獲れないのだ、綺麗に見せる必要は有るがな。それは天下を治める事にも言えるだろう。
実際に潰れるように仕向けたのだから謀反人と言われても否定はしない。足利は世の中を混乱させるだけの存在だったのだ。滅ぶのは当然だ。いや、待てよ。義尋が居るな。あいつを使って交渉させるか? 足利を朽木の外務大臣にするわけだ。……駄目だ、足利の権威を認めるような事になりかねん。その分だけ朽木の権威が落ちる事になる。
「如何するのかな?」
太閤殿下が俺の顔を覗き込んだ。期待感に溢れた顔だ。
「無視するよりも交渉する方が利が有る、いや損をせずに済むと理解させようと考えています」
太閤殿下が首を傾げた。
「利が有る、損をせずに済むか……」
「海賊が現れるやもしれませぬな、朝鮮の海を荒らすやもしれませぬ。昔の様に」
「海賊、……倭寇か。悪よのう、相国」
太閤殿下が笑い出した。俺も笑った。ホント、悪だよ。自作自演、国家政策としての倭寇だ。止めたければ俺に頼むしかない。つまり不本意でも交渉相手として俺を認めるという事になる。こら、親をそんな眼で見るんじゃない、鶴、三郎右衛門、万千代。お前達も一緒に笑うくらいになれ。内府は……、そっちは太閤殿下に任せよう。
「まあ朝鮮との事は急ぎませぬ。使者は出しますが先ずは天下統一と琉球の問題を片付けようと考えています」
「うむ」
「来年には関東に兵を出します。それに先立って奥州に書状を出そうと考えています」
「書状とは?」
「関東制圧の後は奥州へ兵を向ける。直ちに旗幟を明らかにすべし。敵対する者は許さずと」
太閤殿下が大きく頷いた。そして“天下統一じゃの”と呟いた。そう、天下統一だ。大友と龍造寺の所為で随分と回り道をした。大地震も有った。だが漸くここまで来た。来年で俺は四十歳だ、大体予定通りだ。三十年かけて天下統一だ。
「琉球から使節が参りました。今回は三十人です」
「朝廷でも噂になっておじゃります、謁見が楽しみだと」
内府が声を弾ませた。万千代はちょっと困惑気味だ。例の琉球へ送る話を思ったのだろう。
「かなり本気のようでおじゃるが……」
「はい、今年はこちらからも使節を出そうかと考えています」
太閤殿下が“ホウ”と声を上げた。
「琉球という国を知る事も必要でございましょう」
「そうでおじゃるの」
「それと鴻臚館を再建しようと思っております。大宰府、難波、京、それと新たに大湊」
太閤殿下がまた“ホウ”と声を上げた。さっきよりも声が弾んでいる。
「鴻臚館か、そうじゃのう、必要でおじゃるの」
「はい、御賛同頂けましょうか?」
「勿論じゃ」
“おーほほほほほほ”と太閤殿下が顔を仰け反らせて笑った。超絶御機嫌モードだ。皆が目を丸くして太閤殿下を見ていた。