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龍造寺家滅亡




禎兆七年(1587年)    二月下旬      肥前国佐賀郡大堂村 太田城  朽木基綱




「倒れた?」

俺が声を出すと千賀地半蔵が“はい”と言って頷いた。

「戦の最中の事だとか。かなりの苦しみ様で指揮を執るどころではなくなったそうにございます。それ故、龍造寺勢は兵を退いたと」

半蔵の言葉に陣内がシンとした。倒れた、かなりの苦しみ様、やはり隠居は心臓に病を抱えていたのだ。本当なら戦など出来る身体ではなかったのだろう。


予備兵力が少なくなっていく中で戦況も厳しくなっていく。心臓に負担がかかった、それが発作の引鉄を引いた……。狭心症か、或いは心筋梗塞か。隠居の攻勢に合わせて兵を逐次投入させた。拙い戦だと思ったが考えてみると隠居にとっては一番酷な戦を俺はしたのかもしれない。隠居の攻勢を一つづつ潰して隠居を精神的に追い込んだ。その事が隠居の心臓を壊した。


「その話、出所は何処だ?」

「佐賀城にございます。手の者を城中に潜入させました。佐賀城は龍造寺家当主太郎四郎政家の居城にございますが太郎四郎は城を捨て須古城に向かっておりまする。残された者達が話していたそうにございます」

残された者か、嘘は吐いていないだろう。


「隠居が病というのは本当だったらしいな」

「そのようで」

「隠居の生死を確認しろ」

「はっ」

龍造寺勢の夜襲は失敗した。連中は多くの死傷者を出して撤退した。その後、龍造寺勢は陣を払った。半蔵の話では龍造寺勢は佐賀城を通り過ぎ須古城に向かっているらしい。となれば隠居はもう戦える状態ではないのだろう。或いは死んでいるのかもしれない。死んでいれば龍造寺は終わりだ。


「それとな、半蔵。多久は本当にこちらに付いたのか?」

「……」

半蔵が面を伏せた。

「多久だけではないぞ。小河武蔵守、鍋島豊前守、龍造寺下総守、龍造寺安房守、大村民部大輔、有馬左衛門大夫もだ」

「……」

「多久、小河、大村は多布施川に攻め寄せて来た、龍造寺下総守と有馬は太田城に来た」

「……」

皆が厳しい目で半蔵を見ている。半蔵は顔を上げない。だが自分に注がれる視線の厳しさは分かっているだろう。


「寝返りも無ければ(つな)ぎも無い。有ったのは隠居が病だという多久の報せだけだ。その直後に隠居は夜襲をかけてきた、あの連中を使ってな。俺を油断させるためとしか思えぬ。そして朽木が優勢になっても誰も寝返らぬのだ。如何見てもおかしい。隠居の命を受けて俺を(たばか)ったのではないか?」

「……大殿の申される通りかもしれませぬ」

絞り出すような声だ。もし、それが事実なら屈辱だろう。伊賀衆の面目は丸潰れだ。俺の面目もな。


「調べろ」

「はっ」

「もう調略を仕掛ける必要は無い。だが今後の事も有る、真実は知っておきたい。良いな」

「はっ」

半蔵が一礼して下がって行った。


「父上」

三郎右衛門が不満そうな表情をしている。何が言いたいか分かるが“如何した”と声をかけた。

「伊賀衆は信じられるのですか?」

「勿論だ。信じられる」

「ですが今回の一件は……」

“止めよ”と言って遮った。


「戦というのは騙し合いなのだ。騙すつもりが騙される、騙したと思っても騙されていた。良く有る事だ」

「……」

「今回の一件、騙されたのは伊賀衆ではない、俺だ。あの連中は俺よりも隠居に重きを置いたのだ」

「負けるのにでございますか?」

三郎右衛門も孫六郎も訝しげな表情をしている。理解出来ないのだろう。だが負けると分かっていても戦う者、それに殉じる者も居る。波多野と村雲党がそうだった。


「隠居が勝つと思ったのかもしれぬ。或いは隠居に勝たせたいと思ったか。九州は九州の者が治めるべきだと思えば有り得ぬ事ではない。事情が有って已むを得ず隠居に味方した者も居るかもしれぬ」

「……」

「今となっては如何でも良い事だ。だが同じ過ちをせぬために何が有ったかは調べておく。分かったな」

「はい」

二人が頷いた。


「須古城を目指す」

「はっ」

皆が畏まった。九州遠征ももう直ぐ終わりだ。




禎兆七年(1587年)    三月下旬      肥前国杵島郡堤村 須古城  朽木基綱




須古城は大きな城だった。当主の居城である佐賀城よりも大きい。龍造寺の隠居は家督と居城を譲って須古城に隠居したと言われているがこの城を見るとちょっと違うと思う。家督は譲ったかもしれないが居城は須古城に移したんじゃないだろうか。要するに移転だ。今後は龍造寺の居城は須古城にする、実権も自分が握る。そう考えたとすると納得がいく。


それに堅固だ、簡単には攻め落とせない。平地にポツンとある小山に建てられているのだが西は百町牟田といわれる湿地帯で此処に踏み込んだら身動きが取れない。おまけに杵島城という支城が直ぐ傍にある。東には男島城という支城が有り、南は二重の濠と高い塀が有る。多数の櫓が設置されていて北側は岩場だ。一騎がようやく通れるほどの小径しかない。


聞くところによるとこの城、元々は有馬氏に属していた平井氏のものだったらしい。隠居はこの城を落とすのに十年以上かかっている。勿論敵は有馬氏だけじゃなかったから何度も攻略は中断した筈だ。だがそれでも十年だ。相当な攻め辛さだと思う。


「父上、須古城を攻めぬのですか?」

三郎右衛門が問い掛けてきた。自分で城攻めをしてみたい、そんな表情だ。その隣で孫六郎も同じ様な表情をしている。困った奴らだ。今回の出陣、お前達は見学だ。


「攻めぬ。攻めずとも降伏するだろう。無駄に死傷者を出す事は無い」

「一万人近く兵が居ます。降伏しましょうか?」

二人とも訝しげな表情だ。これだけの城に一万人が籠っている。簡単に降伏するとは思えないのだろう。


「四万人が一万人に減った。それに敵の大将は太郎四郎だ。戦が出来る男ではない」

「……」

「後詰も無いのだ。須古城は孤立した。戦っても全滅するだけだ。誰も無駄死にはしたく無かろう」

ウンウンという様に二人が頷いている。孫六郎が顔を上げた。


「太郎四郎殿が兵を一つに纏める事は有りませぬか?」

「無いと見て良い。孫六郎殿、三郎右衛門、勝ち目のない戦で死を()いる様な事は簡単には出来ぬ。余程の力量が必要だ。もしそういう戦が出来る男なら()うの昔に龍造寺家の実権を握っているだろう」

出来ないから隠居が実権を離さなかったのだ。二人も納得したのだろう。表情が落ち着いている。


須古城を朽木軍七万が包囲している。龍造寺の隠居は死んだ。撤退中に苦しみながら死んだらしい。須古城には当主の太郎四郎が重臣達と一緒に籠っている。兵は一万程居るらしい。後は逃げた。隠居が死んだのが大きかったな。もうこれ以上は戦えないだろう。降伏を促している。条件は太郎四郎の切腹だ。


その他は肥前の東側は殆ど制圧した。残っているのは須古城を含めたほんの僅かだ。だが西側、要するに現代の長崎県の辺りが手付かずの儘だ。十兵衛が制圧に向かっているが大村、有馬が恭順の意を示してきた。寝返ると言いながら寝返らなかった言い訳をぐだぐだと言ってきたようだ。十兵衛からは文が来ている。


あの連中の言い訳によれば龍造寺の隠居は俺が調略を仕掛けてくると予測していたらしい。(あらかじ)め裏切りそうな連中に朽木が仕掛けて来たら素直に応じろ、騙せと言っていたようだ。その中に大村、有馬、多久、小河、鍋島、龍造寺が居た。その上で連中の傍に信頼出来る目付を置いたようだ。それに人質だが当人からだけではなくその家臣からも取ったらしい。これでは裏切ろうとしても家臣達が付いて行かない可能性もある。簡単には裏切れない。伊賀衆からも同じ様な報告が届いている。嘘ではないだろう。


鍋島孫四郎が誅されたのもそれが理由のようだ。孫四郎は俺からの誘いに乗らなかった。多分、俺を騙す事は危険だと判断したのだろう。騙しても勝てない、そして騙した事が分かれば許されない。そうなれば龍造寺家を助けるどころか鍋島家自体が潰されてしまう。そう思ったのだと思う。だが隠居はそれが許せなかったようだ。自分に協力しない、自分だけ生き残ろうとしている、そう思ったようだ。


十兵衛からは大村、有馬を如何するかと問い合わせが来た。勿論潰す、十兵衛にはそう命じた。理由はどうあれ俺を騙したのだ。許される事じゃない。生き残りたければ人質を捨て殺しにしてでも寝返るべきだったのだ。そうすれば俺だって考えた。大村、有馬に加増もしただろうし大事にしただろう。その決断が出来なかった以上、あの両者は滅ぶしかない。それが戦国の掟だ。


外が騒がしいな。どうやら龍造寺太郎四郎が降伏したようだ。後は十兵衛と主税を待つだけだ。




禎兆七年(1587年)    六月下旬      近江国蒲生郡八幡町  八幡城  朽木基綱




「九州平定、おめでとうございまする」

綾ママの言葉に皆が“おめでとうございまする”と唱和した。

「有難うございます、母上。皆も有難う」

「さあ皆、料理を頂きましょう」

何時もと同じだ。綾ママの声で皆が料理に箸を着け始めた。


「大殿、如何ですか?」

小夜が酒を勧めてきた。一杯飲むと雪乃がもう一杯注いでくれた。美味いとは思ったがそれで終わりだ。これもいつも通りだ。帰ってきたと思った。

「辰、目出度いな」

「はい」

辰が嬉しそうに答えた。今月の初めに辰は男子を生んだ。名は出陣前に決めていた通り文千代だ。うん、アマゴの塩焼きか、美味いな。


「もう直ぐ七夕の節句か」

「はい、大殿がお戻りになられました故、敏満寺座の者達も張り合いが有ると喜びましょう。そうでしょう、雪乃殿」

「はい、楽しみでございます」

小夜と雪乃が声を弾ませている。ちょっと複雑だ、俺は能の事は良く分からんのだが……。まあスポンサーが居ると居ないのでは気合の入り具合が違うというのは有るだろう。蜆の吸い物もいける。


「嘉祥の日には山階座の者達は残念そうでございました」

「そうか」

山階座は下坂座、比叡座と共に上三座と称された者達だ。俺が比叡山、日吉大社を焼いた事で俺のために能を演じる事を避けていた。だが俺の天下統一が見えて来た事で姿勢を変えた。このまま俺を無視すれば座の存続にも関わると思ったようだ。


節句の日は下三座に任せている。ここに上三座を入れては下三座の者が不満に思うだろう。だから上三座には綾ママの提案を受けて嘉祥、八朔、玄猪の日に演じさせている。それぞれ六月、八月、十月だ。下三座は年に二回、上三座は年に一回だ。それに不満は言わせない。


「三郎右衛門殿、初陣は如何でした?」

綾ママが問い掛けると三郎右衛門がちょっと不満そうな表情を見せた。

「私も孫六郎殿も初陣は飾れませんでした。父上が戦う事を御許し下されなかったのです」

「まあ」

皆が驚いた様な表情で俺を見ている。初陣なのに武功を挙げる事を許されなかった。酷い父親とでも思ったかもしれない。


「此度の遠征では戦という物が如何いう物かを理解するだけで良い。三郎右衛門よ、今回の遠征で何を理解した? 何を感じた?」

三郎右衛門が小首を傾げた。

「……負ければ滅びます」

「そうだな、負ければ滅ぶ、死ぬ事も有る。それは朽木にも、その方にも起こり得る事だ。その事を忘れぬ事だ、忘れなければ愚かな戦はするまい」

「はい」

素直に頷いた。うん、今一つ分からん息子だったが馬鹿じゃないな。正直ホッとした。今回の九州遠征で得た最大の戦果だ。


「孫六郎殿にも今の事、報せておけ」

「はい」

「年が明ければ関東に出陣する。その方達も連れて行く」

「はい!」

三郎右衛門が嬉しそうに答えた。もう少し傍に置いて鍛えよう。こいつはいずれ九州に置く。それなりの将にしなければならん。六角家の継承も有ったな。嫁も何とかしないといかん。北畠の義叔母が良い娘を見つけてくれれば良いんだが……。


「父上! 某もお連れ下さい」

「駄目だ、その方は未だ早い」

“そんなあ”と情けない声を出したのは万千代だ。皆が笑い出した。

「我儘を言ってはなりませぬよ。未だ元服も済んでいないのですから」

雪乃が笑いながら窘めたが万千代は不満そうだ。


「母上、父上は私と同じ年には初陣を済ませ武勇の大将として名を轟かせていました」

万千代は十二歳、いや十三歳か……。大樹も戦場に行きたがったな……。

「万千代、父は幼い時に父親を失い朽木家の当主になった。だから戦をせざるを得なかった。だがその方は違う。父がこの通り健在なのだ。慌てる事は無い」

「大殿の仰られる通りです。慌てる事は有りませぬよ」

俺と雪乃が窘めたが万千代は納得していない。不満そうにしている。


「ですがもう直ぐ父上は天下を統一なされます。そうなれば戦は無くなってしまいます」

「そうだな、初陣の機会は無いかもしれぬ」

“父上”と万千代が声を上げた。情けなさそうな顔をしている。一人前の武将に成れない、そう思ったのかもしれない。だがなあ、戦など経験しない方が幸せだと思うんだが……。


「戦だけが武士の仕事ではないぞ、万千代。領地を富ませ民の暮らしを豊かにする、誰もが安心して暮らせる世の中を創る。それも武士の仕事だ。覚悟は出来ているか?」

「覚悟でございますか?」

キョトンとしている。可愛いとは思うが頼り無いな。


「その方に領地を与えた時、その領地を見事に治められるかと訊いている」

「それは……」

自信無さげだ。考えた事など無いのだろう。だがそれでは困る。

「政が悪ければ民が苦しみ世が乱れる。そうなればまた戦が起きる。それでは天下を統一した意味が無い。戦の無い世の中を守るのも戦だ。励むのだな」

「万千代、励みなさい」

雪乃の言葉に万千代が“はい”と小さな声で答えた。


万千代が今年で十三歳、その下の菊千代は十一歳か。その下にも男子は沢山いる。戦が無くなり平和な時代が来る。武将としての心得を教えつつ統治者として育てて行かなければならん。まだまだ楽隠居は出来そうにないな……。


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