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流行り病




禎兆六年(1586年)    八月下旬      周防国吉敷郡上宇野令村 高嶺城  毛利元清




「如何かな? 弓の様子は」

心配そうな表情で兄、吉川駿河守元春が訊ねてきた。猛将と名高い兄だが家族思いの面もある。弓の事が心配になったらしい。

「未だ十一です、婚儀と言われても良く分からぬのでしょう。京に行けるという事の方が嬉しいようで(しき)りに“京に行ける”と(はしゃ)いでおります」

答えると兄が“そうか”と言って痛ましそうな表情をした。


「無邪気なものだ」

「はい」

「まあ直ぐ嫁ぐわけではないからな」

「ええ」

「そなたも気が楽だろう、四郎」


「それはそうです。もっとも早ければ二、三年、遅くとも四、五年先には向こうへ送らねばなりませぬ」

「そうだな、そうなれば簡単には会えなくなる」

兄の言葉に頷いた。その通りだ、私の娘として毛利家中に嫁ぐのではない、毛利右馬頭様の娘として朽木に嫁ぐ。居城は尾張だ。一旦嫁いでしまえば簡単には会えなくなる。


「婚儀の後は弓は毛利の娘としてこの城で暮らす事になる」

「はい」

「大丈夫か?」

兄が私の顔を覗き込んできた。

「娘には言い聞かせております」

「いや、そなたの事よ。寂しくは無いかと思ってな」

思わず苦笑いが出た。兄が意地の悪い目で私を見ている。からかわれたようだ。“大丈夫です”と答えると兄が“フン”と鼻を鳴らした。


「今回の婚儀、大分派手になるらしい」

「恵瓊からそのように聞いております。五摂家からも出席者が出るとか」

兄が首を横に振った。はて……。

「それだけではないぞ、四郎。近江の三郎右衛門からの報せによれば竹田宮様も御臨席になられるそうだ」

「なんと! 真ですか?」

帝の御一族が……。


「竹田宮様は帝の弟君、飛鳥井家の目々典侍を母に持つ御方だ。そして竹田宮家は世襲宮家という極めて高い格式の宮家でもある。相国様とは従兄弟という間柄になる」

「なるほど」

「その宮様が出席なさる。帝もこの婚儀を喜んでいるという事よ」

「帝の代理、そんなところですか?」

「まあそうだな」

溜息が出た。京を支配しているのが朽木だという事、朝廷を庇護しているのが朽木だという事を改めて教えられたような気がする。そして相国様は帝に極めて近い存在なのだと思った。帝の弟宮が従兄弟……。


「朽木は色々と奉仕しているからな」

「復興の事でございますか?」

問い掛けると兄が首を横に振った。

「それも有るが朝堂院の事を忘れてはいかん」

「なるほど、それが有りましたな。大極殿で琉球の使者を謁見したと聞きました」

異国の使者と会う、絶えて無かった事だと聞く。それを再興した。


「帝は琉球の使者の話に大層興じられたらしい。何度も声を上げて御笑いになったと聞く」

「左様で」

「公家達も喜んでいるようだ。足利は朝堂院を再建出来なかった。それに比べれば……」

分かるだろう、という様に兄が私を見た。分かる、朽木は朝廷を支えるだけでなく盛り立てている。朝廷と朽木の関係は円滑と言って良い。


「派手になるとの事ですが南の方様の事、大丈夫で?」

私が問うと兄が顔を顰めた。

「この婚儀が毛利のために必要だという事は南の方も分かっている。面白くは無いと思ってはいるようだがな。そこは抑えて貰わなければ……」

大丈夫という事だろうか? 如何も不安だ。


「京で婚儀を行う事が不満と伺いましたが?」

「ま、それも有る」

「やはり妙玖様の事ですか」

兄が困った様な顔をした。珍しい事だ。南の方が今回の婚儀に不満を持っているという噂が九州にまで届いて来た。聞こえるように言ったのかもしれぬ。一つは京で婚儀を行うという事が面白くないらしい。もう一つは朽木に嫁ぐ娘は日頼様の正室、妙玖様の血を引く娘にすべきだという事だった。つまり、毛利本家、吉川、小早川、宍戸から選ぶべきだという事になる。


「妙玖様の血を引く娘と言ってもな、適当な娘が居らん。宍戸の古満は弓よりも幼い。朽木は日頼様の血を引く娘を毛利本家の養女にすれば良いと言ってきた。妙玖様の血に拘っては居らぬのだ。古満を、と言えば朽木側が不審を抱こう。何故敢えて幼い娘を選ぶのかと。まして宍戸は女系だ」

「確かに」

不審どころか毛利に不満を持つだろう。だが南の方が如何思うか、弓の周辺には注意を払わねばならんな……。


「大丈夫だ、自分の産んだ娘ではないという事が不満なのだ。南の方もそれは分かっている。この婚儀が毛利にとって大事だという事もな。……ところで宗氏の事、如何だ?」

兄が気がかりな表情を見せた。

「讃岐守殿は病の様ですな。かなり御悪いのでしょう、姿を見せませぬ」

「間違いないのか?」

「医師が呼ばれております。床から立ち上がれぬようで……」

「そうか……、となると宗氏は混乱するな」

頷く事で答えた。跡継ぎの彦三郎殿は若い、宗氏は混乱するだろう。


「龍造寺との繋がりは?」

「密かに続いておりますな」

「朝鮮と結び付けようと?」

「いえ、どうも違いますな。念のために龍造寺に接触しているのではないかと思います」

「……龍造寺が勝つと考えているのか?」

兄が呆れた様な声を出した。いや表情を見ると心底呆れているのだろう。


「そうではないでしょう。相国様が動きませぬからな、万に一つも龍造寺が対馬を攻めぬ様にとの事だと思います」

「なるほど」

兄が頷いた。攻められぬ様に味方に付く可能性が有る事を龍造寺に報せる。龍造寺も兵を出す事無く対馬を味方に出来るかもしれぬとなれば無理はするまい。龍造寺の主敵は大友であり朽木なのだ。


「讃岐守殿が病です。家臣達が跡継ぎの彦三郎殿を危ぶんで独自の動きをしたのかもしれませぬ」

「彦三郎殿を守るためにか?」

「おそらく。宗氏としては相国様に付く。だが一部の者が龍造寺と接触したという事でしょう……」

「なるほど、念のためか」

兄が頷いた。


「それならそれで良い。いや好都合だ。坊主の懸念が現実になればとんでもないことになるからな」

兄がホウッと息を吐いた。同感だ。朝鮮が、異国が絡む戦など如何いう戦になるか分からぬ。恵瓊か、切れるのは間違いないが少し切れすぎるな。注意が必要だろう。


「左衛門佐にはその事を?」

「はい、お伝えしてあります」

(すけ)の兄は今私の代わりに九州に居る。婚儀に出られぬ事、さぞかし御不満であろう。だが私に負担をかけまいとしてだろう、肩が凝らずに済むと笑っておられた。有り難い事だ。


「それと次郎兄上、臼杵城で流行り病が起こりました」

「なんと、それは真か」

兄が目を剥いた。

「この季節ですからな、大分酷いらしい」

「……大友は耐えられるのか?」

「分かりませぬな」

答えると兄が唸った。大友が龍造寺に滅ぼされるかもしれない。兄にとっても予想外の事なのだろう。


梅雨時から夏と食べ物が傷み易い季節だ。だが籠城しているとなれば食料は如何しても節約しながら食べる事になる。おそらくは傷んだ物でも食したのであろう。そこから病が起きた……。夏場の籠城で怖いのは敵よりも流行り病だ。一旦起きれば城内の士気は一気に下がる。戦いたくても戦えなくなるのだ。そこから降伏・開城へという流れも珍しくは無い。


「では婚儀の後は」

「はい、その辺りも相国様に話さなくてはなりますまい」

まあ報せるまでも無く知っているだろう。相国様は大友など滅んでも構わぬと御考えだろうが出来るだけ龍造寺を手古摺らせ疲弊させて欲しいとも考えている筈。さて、どうなるか……。




禎兆六年(1586年)    九月中旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




次郎右衛門の婚儀は良い式だった。毛利の弓姫は物怖じしない天真爛漫な娘だった。式の前に対面したがまじまじと俺を見て“相国様?”と呟いた後不思議そうな表情で“怖くない”と言って毛利側を大いに慌てさせた。朽木側は皆大笑いだったな。一番笑っていたのは小夜だった。昔の自分を思い出したそうだ。毛利の連中、俺をどんな風に教えていたのやら……。嫁いで来たら一度厳しく詮議しなければならん。


式には竹田宮、五摂家、西園寺、飛鳥井、西洞院、山科、葉室、甘露寺、冷泉、勧修寺、万里小路が参加した。結構豪勢な式になったな。毛利側は喜んでいた。今回の式で朝廷、公家に毛利の存在を印象付ける事が出来たと思っているようだ。良いのかねえ、金の無心をされるぞ。


次郎右衛門も弓も相手に対して好意を持ったようだ。正直に言えばそれが一番嬉しかった。朽木と毛利を繋ぐという事では無く二人が仲睦まじく過ごせれば良い。それが結果的に朽木と毛利の関係を緊密なものにするだろう。毛利側とは二年後に弓姫を尾張へ送る事で合意した。


婚儀は問題無く終わった。問題はその後だ。九州遠征を如何するか。大友が滅びかけている。臼杵城で流行り病が起こった。多分、集団食中毒、或いはそこからの二次感染だろう。夏場の籠城戦の怖さだ。食料は傷みやすい、そして衛生観念の低い人間達が城中という狭い空間に籠っているのだ。食中毒が起こらないわけがない。籠る人間が多ければ多い程危険だろう。


大友が滅ぶ前に遠征を行う、或いは援助を行うべきではないかというのが毛利側の提案だった。大友が滅べば龍造寺は毛利に向かう、或いは態勢を整えてこちらを待つ。そうなる前に大友と戦うべきだというわけだ。しかしな、台風は十月まで来る。その辺りを考えると戦は十一月にすべきだと言った。嵐の中じゃ朽木の強みの火力が使えない。


毛利側が危惧したのは大友を滅ぼし龍造寺が毛利領に押し寄せる事だった。単独では押し返すのは厳しい。毛利と龍造寺の消耗を計られたのでは適わないという疑念が見えた。そうなった場合は必ず朽木が後詰すると約束した。毛利も大友に義理が有るわけでは無い。それに台風の中での戦は難儀だ、避けたいという思いは向こうにも有った。色々と意見は出たが最終的には十一月で合意した。やはり婚儀の効果は有ったと思う。親戚なんだから見殺しにはしないよという事だ。


対馬の宗氏については心配する必要はないだろうという事で意見が一致した。どうも本気で龍造寺に付こうとしたわけでは無いらしい。龍造寺の矛先を躱すのが目的の様だ。交易問題は絡んでいないという事だ。俺も小兵衛も少し交易問題に拘り過ぎたのかもしれないな。現状では宗氏を咎める事はしない。そんな事をすれば却って宗氏を龍造寺側に押しやりかねない。宗氏には戦局を変える程の力は無いが不必要に危険を冒す事は無い。宗氏への処分は龍造寺討伐後という事になった。


それと水軍の拠点は赤馬関という事になった。赤馬関は現代の下関だ。ここに朽木の水軍を置けば関門海峡を制し玄界灘、周防灘に睨みを利かせられる。朝鮮が攻め込む事など万に一つもないだろうがそれにも十分に対応は可能だ。対馬沖で朝鮮水軍を撃滅する事になるだろう。全滅させなくても良い。ゲームじゃないんだ、多少の損害を与えれば兵を退く筈だ。




禎兆六年(1586年)    九月下旬      山城国葛野郡    近衛前久邸  朽木基綱




「良い婚儀でおじゃったの。内府もそう思うであろう」

「はい」

太閤近衛前久と息子の内大臣近衛前基が満足そうにしている。まあ嬉しいだろうな。朽木家が上杉家、毛利家、三好家、そして近衛家と結んだ事で近衛家は間接的とはいえ上杉家、毛利家、三好家とも関係を結んだのだから。上杉家、毛利家はそれぞれ北陸、中国で大領を持つし三好家は畿内でそれなりの勢力を持つ。近衛家は公家の中では複数の有力武家と縁を持つ家になった。ウハウハだな。


「毛利とも縁を結んだ。次は九州かな?」

「はい、来月の末には軍を動かす事になります」

二人が頷いた。しかしこの二人、親子だが余り似ていないな。太閤は筋肉質だが内府は華奢な感じだ。間違っても鎧の似合う男じゃない。だが鶴の文によれば公家よりも武家に気質は近いようだ。


「琉球の使者を同道させると聞いた」

「はい、琉球との交渉には武威を見せる事も必要だと考えております。その良い機会でしょう」

「ほう、では負けられぬの」

「負けられません」

そう、龍造寺相手に負ける事は勿論だが手古摺る事も出来ない。だから台風を避けたのだ。


負ける事は無い。有馬、大村はこちらに寝返った。そして多久長門守安順、龍造寺安房守信周もこちらに傾いた。多久長門守は龍造寺の一族だが鍋島孫四郎の娘を妻にしている。居心地が悪いらしい。龍造寺安房守は隠居のすぐ下の弟なのだが母親の身分が低いために三男よりも下の扱いを受けている事に不満を持っている。簡単に靡いたな。他にも何人か靡きそうな男達が居る。隠居は猜疑心が強いらしいからな、誰か一人が裏切れば皆を疑いの目で見だすだろう。


「来月にはこの京に畿内の主だった者が集まりまする」

「馬揃えか、楽しみよな」

「それほど大掛かりな物ではございませぬ」

「それでも楽しみじゃ、のう、内府」

「はい」

困った物だ。二人とも眼を輝かせている。この時代、娯楽はそれほど多くない。武者揃えなんて珍しいのだろう。自分も参加するとか言い出しそうな気配だ。それは駄目だぞ。


だが大掛かりな物ではないというのは事実だ。今回の遠征では畿内、山陽、山陰、四国が動員の対象になる。そして今回の馬揃えに参加するのは畿内の大名、国人衆だけだ。それぞれ供は五人まで、国ごとに纏まって行進する。そして帝の前で姓名を名乗る。例えば××国○○郡△△の住人、山田太郎村正。そんな感じになる。


帝や公家達から見れば大名、国人衆達が自分に忠誠を誓っているように見えるだろう。そして大名、国人衆達から見れば帝や公家達が見てくれているという満足感になる。何と言っても海賊の九鬼や堀内も出ると言い出したからな。今頃は皆鎧、馬を新調しているかもしれない。もっとも戦場には常の鎧、馬を使う様にとは触れを出してある。慣れない鎧や馬を使うと死に装束になりかねない。


「義父上、九州遠征はどの程度の兵力を動かす事になるのでおじゃりましょう」

内府が興味津々と言った表情で訊ねてきた。

「畿内、山陽、山陰、四国、合わせれば十五万を越えましょう」

「十五万……」

内府が呆然としている。それを見て太閤殿下が“ほほほほほほ”と笑った。悪い父親だ、息子を笑うなんて。だがこの十五万を琉球の使者が如何見るか、それが大事だよ。そして十五万は朽木の全兵力じゃない、その一部なのだ。


畿内、山陽、山陰は北九州方面から、四国軍は日向方面から攻め込む事になる。龍造寺の隠居は間違ったな、豊前、豊後だけじゃなく日向にも兵を入れるべきだった。いや、いざとなれば薩摩、大隅方面からも兵は上陸させられるのだ。意味が無いか。


「まあ兵よりも兵糧の方が大変です。十五万人を喰わせるのは決して簡単では有りませぬ」

太閤殿下が“なるほど”と言うと内府が今度はホウッと溜息を吐いた。算盤が得意らしいからな、米の量でも計算したのだろう。大変では有るが問題は無い。幸い今年の米の出来は悪くないようだ。これから収穫だが畿内から山陽、山陰は豊作が見込める。米は海路で赤馬関に送る。そこからは兵の進撃状況によって送る場所が変わるだろう。問題は無い。





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