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崇り




禎兆六年(1586年)    二月上旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




地震か、多分天正大地震だな。元号が変わっているから分からなかった。そうだよな、歴史は変わっても天変地異は変わらない。という事は慶長大地震も起きるのだろう。確か十年程後だったよな。そっちの準備もしなければならん。震災対策か。でもこの時代の震災対策って何をやればいいんだろう? 耐震強度なんて概念は誰も知らん。頭痛いわ。取り敢えず今回の復旧作業の一覧を纏める必要があるな。そしてどのくらいの費用が掛かったかも纏める必要があるだろう。


大樹が心配そうな顔で俺を見ている。足と腕の骨が折れただけだ。そんな顔をするな。お前がそんな顔をすると俺の上に圧し掛かった女中がまた自分を責めるだろう。“死んで御詫びを”なんて言い出しかねない。止めるのが大変だったんだ。夫が戦で死んで家に戻ったが居辛くて城勤めを始めた女なんだ。今でも俺の前に出ると首でも括りそうな顔をする。


「俺は大丈夫だ。その方の弟妹も大事ない。明日には関東に戻れ」

「はっ、しかし……」

(みだ)りに持ち場を離れてはいかん。それでは皆の信を失う」

「はっ。申し訳ありませぬ」

「小夜に会っていけよ」

「はっ」

大樹が一礼して下がって行った。豊千代にも会えるだろう。奈津への土産話になる筈だ。


困ったものだ。次郎右衛門も俺が怪我をしたと聞いて駆けつけてきた。馬鹿野郎、俺の事よりも尾張の事を考えるべきだろう。被害が出ていたら率先して救済する、そうでなければ領民、家臣から信頼されない。こっちには使者を出すだけで良い。来るなり追い返してやった。ホント、頭痛いわ。


近衛家に嫁いだ鶴、三好家に嫁いだ百合も駆け付けてきた。嫁ぎ先からは許可を貰ってきたとか言っていたが“阿呆”と怒鳴りつけて追い返した。近衛家と三好家にはこっちから使者を出した。“不束な娘で申し訳ない、地震の被害状況を教えて欲しい。出来る限りの支援はさせて貰う”ってな。嫁ぐ時はしれっと行ってこんな時に騒ぐな。逆だろう、その方がずっとましだ。


家臣達の中で国人領主クラスからは死者の報告は上がっていない。やはり住んでいるところがしっかりしているからだろう。各地には被害状況を報せろと言ったが中々上がってこない。簡単にはいかないようだ。八門、伊賀からは徐々に報告が上がってきている。被災の中心は畿内だが北陸から伊勢、尾張まで及んでいるようだ。


畿内では近江、山城が酷い。近江で酷いのは今浜だ。史実でも酷かったようだがこの世界でも酷い。城も壊れたが民家もかなり倒壊している。死者もかなり出ているようだ。地盤が脆いのだろうな、傾いている家が多いというから液状化のような状況になっているらしい。土を入れて踏み固めるしかない。せっかく造った湊町だ、堅固に作り直さないと。


京の都も結構被害が出ている。民家もだけど公家の屋敷も酷い。公家は貧乏だから建て替えなんて簡単には出来ない。その所為で古い屋敷が多かったらしい。軒並み倒壊している。特に中級から下級貴族に多い。その所為で圧死者も出ているようだ。こいつは液状化では無く老朽化による強度不足だろう。屋敷だけじゃない、塀も壊れた。外から丸見えだ。これも支援しなければならん。飛鳥井、一条、近衛、西園寺、葉室、山科は大丈夫だ。俺が援助していたからな、屋敷に手を入れていたらしい。酷い事にはなっていない。


内裏は余り良い状況じゃない。ところどころ倒壊している部分が有るようだ。それと塀だな、派手に壊れている。取り敢えず帝には仙洞御所に移って貰っている。そっちの方が安全だ。当然だが朝廷からは何とかしてくれと言ってきた。先ず塀の修理と民家の救済を同時に進行させないといかん。その後に内裏の修理だ。大工と左官屋は大儲けだな。被害の無かった中国、東海、関東地方から大工と左官屋を呼んだ方が良いな。その方が復興ははかどる筈だ。


若狭と伊勢では津波が起きている。小浜は結構被害を受けたようだ。武田が治めていた時代は政治(まつりごと)が悪くて領内が荒れた。朽木が治めるようになって繁栄してきたのに津波に襲われるとは……。交易船もかなり来ていたのにな、力を落としている人間も多いだろう。伊勢も同様だ。津波で民家が大分流されたらしい。人も死んでいる。復旧には時間がかかるだろう。


八幡城も彼方此方壊れているようだ。危なかったな。中庭に逃げた後、怪我をした事も有って屋内に入ろうという意見が多かった。だが暗くて屋内の状況が分からない、壊れかけている部分が有るなら危険だ。それに余震の問題も有る。明るくなって屋内の状況が確認出来るようになるまで中庭で待った方が良い、そう思って待った。


寒くて参ったわ。皆で温め合って凌いだ。辛かったが正解だった。二刻程後にかなり大きな余震が有って屋内で建物が倒壊する音がした。女達は震え上がって悲鳴を上げていた。怪我をして動けない状況で中に居たらと思うと寒気がするわ。俺も死んでいたかもしれない。


問題はこれからだな。九州、関東、奥州の諸大名、国人衆が今回の地震を如何思うかだ。俺が動けないと分かった時彼らが如何動くか。そろそろ何らかの動きが有る筈だ。




禎兆六年(1586年)    二月下旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  千賀地則直




部屋に入ると人が二人居るのが分かった。一人は大殿、もう一人は……。

「驚いたかな、半蔵」

「はっ」

大殿の声には笑いが含まれていた。

「足が不自由なのでな、小夜と雪乃に交互に()()しして貰っている」

「左様でございますか」

「他の女達だと務めを果たさねばならん。却って怪我が悪化する」

御台所様がクスクスと御笑いになった。


「宜しいのでございますか?」

「構わぬ。小夜も雪乃もずっと俺を見てきた女達だ。ちょっとやそっとの事では動じまいよ、なあ」

「そんな事は有りませぬ。大殿にはいつも驚かされています」

「そうか、気付かなかったな」

「まあ」

今度は御二人で御笑いになられた。世評に違わず御仲がよろしい。


「して、如何かな?」

「始まりましてございます」

「そうか、始まったか」

「は、龍造寺が大友領に攻め込みました」

シンとした。御台所様からは驚いた様な気配は感じられない。


「まあ散々煽って来たのだ。当然かな?」

「……畿内で大地震が有り大殿が御怪我を成されました。九州では命に係わる重傷と伝わっております」

大殿が“ふふふ”と含み笑いを漏らされた。

「妙な噂が流れた物よ。誰がそのような偽りを言ったのだろうな」

「真に、困ったものでございます」

大殿が声を上げて御笑いになられた。御台所様も御笑いになっている。我らが大殿の意を受けて動いたと御分かりなったのだろう。


「信じたのかな?」

「さて、信じたかったのかもしれませぬ」

「そうだな。戦の名分は?」

「大友に無礼ありと。正月に龍造寺から大友に年始の使者が赴いたそうにございますがその時の大友の対応が礼を欠いたものだったとか」

大殿が笑い出した。


「口実だろうな。しかし大友ならやりそうな事では有る。一概に嘘とは言えぬ。それで大友は?」

「慌てふためいております」

「相変わらず頼りにならぬ事よ」

言葉は厳しいが口調はそれ程でもない。予想通りという事であろう。


「もうじき大友から使者が参りましょう。毛利にも使者を出したようにございます」

「助けろか。毛利は動かぬぞ、それに俺も動けぬ。怪我が治るまで半年はかかろう。それに畿内の復興作業も有る。出兵は年末になろう」

「……」

その通りだ、畿内の被害は甚大と言って良い。放置しては大殿への不満となるだろう。


「大体大友には大領を与えているのだ。対処出来ぬ筈が有るまい」

「はっ」

図体は大きいが内はボロボロなのが大友だ。到底龍造寺の敵ではあるまい。だが、その事が大友家取り潰しの理由になる。こうなると地震も大殿の御怪我も全てが大友に不利に動いている事になる。滅びるのも已むを得ぬか……。


「龍造寺の隠居は何処までやる気かな? 大友を潰して終わりか、それとも俺と戦う事まで覚悟したか……」

「……探りを入れまする」

「頼む、鍋島孫四郎は如何か?」

「大友戦に反対を唱え蟄居を命じられました」

「重臣中の重臣、親族でもある孫四郎に蟄居を命じたか。これでは周囲は反対出来ぬな」

「はっ」

大殿が“ふふふ”と含み笑いを漏らされた。


「隠居め、やる気かな。俺と戦う覚悟を決めたのかもしれぬ」

「……」

「大友を潰して終わりなら俺の所に使者が来る筈だ。大友の無礼許し難し、とな。それが来ぬという事は……。年齢の事も有る、もう六十に近かろう。最後に大勝負を、そう思ったか……」

「家を潰しかねませぬが?」

御台所様が問うと大殿が首を横に振るのが分かった。


「あの男は乱世の男なのだ、覚悟の上であろうよ。なあ、半蔵」

「はっ」

大殿の仰られる通りだ。龍造寺の隠居は乱世の男だろう。機会を窺っていたのだ。そしてその機会が来た。


「一条少将が死んだのは幸いだったな」

「はっ、御存命なら土佐へ援軍を出せと大変だったと思いまする」

「良い時に死んでくれた」

「真に」

先代の一条家の当主、左近衛少将兼定は昨年の夏に死んだ。未だ四十を過ぎたばかりであった。不本意な一生であっただろう。


「俺も少し動くとしよう」

「と申されますと?」

「北野社の事は知っているな?」

「はっ」

北野社が今回の大地震は菅公の祟りだと言っている。朝堂院を建てるために用地を接収した事が菅公の怒りに触れたという事らしい。


「一応根回しは済んだのでな、阿呆共に真の祟りとは如何いうものか教えてやろう」

大殿が“フフフ”と低く含み笑いを漏らされた。




禎兆六年(1586年)    三月上旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




「大殿、北野天満宮祠官(しかん)、松梅院禅昌殿でございます」

「うむ」

「松梅院禅昌にございます」

目の前には恰幅の良い若い坊主が居た。もっとも顔色は良くない。仕方ないよな、此処へは拉致されてきたのだから。何故拉致されたか、思い当たる事は当然有るだろう。周囲の視線が痛いというのも有るかもしれない。周りには朽木の重臣達が居るのだが皆棘のある視線を禅昌に浴びせている。


この時代の北野天満宮は純粋な神社とは言えない。日本固有の神祇信仰と外来の仏教信仰が融合した神仏習合思想によって出来上がった寺院だ。社僧が住み、仏事をもって神に奉仕した。明治になると廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で痛い目を見るがこの時代にはこんな寺は幾らでもある。北野天満宮の組織は、別当職、祠官、目代、宮仕などだが別当職を曼殊院門跡が兼任し重要職は社僧が独占している。神職は下位の役職だ。禅昌は祠官だが別当職は事情が有って空いている。現状ではこの男が北野天満宮のトップと言って良い。


「本来なら俺自ら出向くのだがこの有様でな、当分動く事は出来ぬ。という事でここに来て貰った」

「……左様でございますか」

声が震えているぞ、禅昌。この男を拉致するのに兵二万を動かした。二万の兵に北野天満宮を囲ませ禅昌を出さなければ北野天満宮を焼くと脅させた。二万の兵は今も北野天満宮を囲んでいる。焼き討ちの準備を整えている筈だ。京は大騒ぎだろう。


「今回の大地震、菅公の祟りだそうだな。俺が土地を取り上げた事を菅公が御怒りになったのだと聞いている」

「あ、いえ、そのような事は」

あたふたするなよ、禅昌。

「それ故俺も大怪我をしたのだとか。その方を筆頭に北野社の者達が盛んにそう吹聴しているそうだな」

「決して、決して、そのような事は」

「偽りを申すな!」

重蔵が低い声で叱責すると禅昌が“ひっ”と言って竦み上がった。流石、重蔵。殺気が有ったぞ。


「そう怯えるな、禅昌」

穏やかに話しかけたのだが禅昌の顔は強張ったままだ。いかん、少し安心させてやろう。

「菅公の祟りとは大層なものだな。今回の地震は畿内から東海、北陸にまで及んでいる、大地震だ。俺もこの有様で大いに不自由している。正直に言うが驚いたわ、それに感心した。皆が菅公を天神様と呼んで畏れ敬う筈だな」

禅昌が上眼使いでこちらを見ている。あんまり気持ちの良い眼付きじゃない。吐き気がしたが此処はスマイルだ。ニッコリした。


「嬉しかろう? 俺は今回の大地震を菅公の祟りだと認めているのだ」

「はっ、あ、いえ……」

困惑している。そうだよな、不思議だろう? 菅公の祟りだと認めても俺は畏れていないんだから。さてと、ここからが本題だ。

「菅公が今回の地震を引き起こした以上、被災した者達を救う義務が北野社にはあろう。復興費用として取り敢えず五万貫、二十日の内に用意しろ」

「は?」

禅昌の眼が飛び出そうになっている。


「そ、それは御無体と言うもので……」

「出来ぬと申すか?」

「……そ、それは……」

禅昌が周囲に眼を走らせたが誰も助けようとはしない。当たり前だろう、皆俺が激怒している事を知っているのだ。


「出来ぬというなら今度は俺が祟るぞ。この日ノ本から天神を祭る神社仏閣を全て叩き潰し従事する者を根切りにする。先ずは北野社を焼き討ちして根切りだ。その方も殺す」

「な、なんと、恐ろしい事を」

「祟るとはそういうものであろう。地震を祟りだ等と笑わせるな。真の祟りとは如何いうものか、俺が教えてやる。第六天魔王の生み出す地獄をな。叡山や本願寺を思え」

「……お、御許し下さいませ!」

禅昌が平伏(ひれふ)して絶叫した。


「ならぬ。復興を手伝うか、根切りか、選べ」

「……」

「朝廷に取成しを頼もうと考えているなら無駄だぞ。三宮様の曼殊院への入室は取り止めとなった」

「そんな……」

禅昌が呆然として俺を見ている。三宮、つまり帝と阿茶局の間に生まれた皇子の事だ。今年十三歳、曼殊院で僧になりいずれは曼殊院門跡、北野天満宮別当になる筈だったが止めて貰った。代償は新たな宮家の創設だ。


この連中が祟りだと騒ぐ理由に北野天満宮と曼殊院の関係が有る。北野天満宮の別当職は曼殊院門跡が兼任するのだが曼殊院は天台宗の寺なのだ。天台宗と言えば俺が焼き討ちした比叡山延暦寺が本山寺院だ。要するにこの連中は俺に良い感情を持っていない。俺が宗教的権威に敬意を払わない事が不愉快なのだ。それを何とかしたいと考えている。朝堂院の用地接収だけが祟り騒動の原因ではない。


「如何するのだ、禅昌」

「……五万貫、用意致しまする」

「半分は大宰府に出させよ」

「はっ」

「それと、この五万貫は取り敢えずだ。復興にはもっと銭が必要だ。用意しておけ」

泣きそうな顔になったが“はっ”と言って頭を下げた。


「これからは菅公に良く祈るのだな。二度と天変地異を起こさないでくれと。天変地異が起きる度に菅公の祟りとしてその方等に復興の費用を負担させる」

「それは……、(むご)うございます」

「酷い? その方等の日々の祈りが足りぬから、信心が足りぬから菅公が御怒りになるのだ。当然の事であろう」

「……」

「それとも菅公の祟りなど無いと言うか? これまで祟りだと言って朝廷を脅し様々な恩恵を受けてきたがそれは全て嘘偽りであったと言えるのか?」

禅昌はうー、うーと唸っていたが“お許しくださいませ”と言って平伏した。


これで二度と祟りだと騒ぐ馬鹿は居なくなるだろう。ついでに震災時の財源もゲットだ。こういうのを災い転じて福となすって言うんだろう。久し振りにすっきりした。と言う事で目の前で唸っている目障りな阿呆を追っ払うとするか。

「御苦労だったな、禅昌。気を付けて帰れよ。五万貫は二十日以内だ、忘れるな」




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― 新着の感想 ―
財源確保の手際、お見事です。
 天災が起こる度に松梅院の家系はご同業や太宰府から睨まれるんだな…カワイソウニー
[一言] 北野天満宮は惜しい事したかもしれません。 開き直れば、世界初の地震保険事業を立ち上げれたでしょうに。 それ言えば、トップの人は大笑いしてくれたと思うんです。
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