死因
禎兆五年(1585年) 十一月中旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
「如何なされたのです」
「落ち込んでいる」
「まあ」
小夜がコロコロと笑い出した。その隣で周が眼を点にしている。無理も無い、俺は今小夜の部屋で行儀悪く寝そべっているのだ。如何見ても太政大臣朽木基綱の姿では無かった。その辺の何処にでも居るダメ親父の姿だ。現代なら土日には一般家庭で良く見られる光景だろう。
「周が驚いておりますよ」
周が“いえ、私は”とあたふたし出した。なかなか可愛い。素直なのだな、小夜も側に置いて可愛がっている。
「男などこの程度のものだ。世の男共に幻想を抱かずに済むだろう。貴重な経験だな、周」
「またそのような冗談を」
小夜がまたコロコロと笑う。周は困った様な表情だ。これも悪くない。
「父御の三郎右衛門はこういう姿は見せぬのか?」
「……はい」
消え入りそうな声だ。俺に悪いと思ったらしい。
「偉いものだな。俺など結婚して三年と経たぬうちに小夜の前でこうしていたぞ」
「そうでございますね。最初の時は余程に御具合が悪いのかと心配した覚えが有ります」
「そう、最初だけな」
「まあ、酷うございます」
小夜が三度コロコロと笑う。今度は周も口元を袂で隠した。三郎右衛門は厳しい父親らしい。礼儀作法をしっかりと身に着けさせたようだ。
「こういう姿を見せられるのも小夜と雪乃ぐらいのものだ。他の側室達には見せられぬ」
「気を遣いまするか?」
「そうだな、弱い姿は見せられぬ」
小夜が頷いた。周は神妙な表情だ。皆頼りになる実家が無いのだ。おまけに若い。どうしても弱音は吐けない。中年男の情けない姿など見たくはないだろう。強い男、頼れる男を演じるのも疲れるのだよ。
「殿方は大変」
小夜が悪戯っぽい笑みを浮かべながら言った。俺の心を浮き立たせようとしているらしい。
「そうだな、大変だ。という事で俺はもう少しこうしている」
小夜と周が可笑しそうにしている。楽じゃないのは女も同じだ。男が戦に出れば二度と会えないかもしれないのだ。見送るのは辛いだろう。それにもう直ぐ百合が三好に嫁ぐ、何かと忙しい筈だ。それでも俺には笑顔を見せてくれる。有難い事だ。
天井を見た。何の変哲もない天井だ。絵でも描かせるか。美人画とか如何だろう? 落ち込んだ時は寝転んで天井を見る。美人が微笑んでいる。多少は心が浮き立つかもしれない。……落ち込むわ、馬鹿な事ばかり考えるな。朝鮮との交渉は上手く行かないかもしれない。
「そう言えばまた倉の底が抜けたとか」
「らしいな。平九郎がそんな事を言っていた」
「周が驚いていました」
チラッと周を見た。懸命に表情を消している。
「時々そういう事が有る。そのうち慣れるだろう」
「はい」
俺も最初は驚いた。今じゃまたかと思うだけだ。そんなものだ。
国を開いて交易を拡大しウィンウィンの関係を結ぶ。一時的には緊張するかもしれない。しかし利益が出て国が豊かになれば緊張も緩和するし受け入れる事が出来る筈だ、それが一番良いと思ったんだが売る物が無いって何だよ。嘘だろうと言いたいが綿糸の話を聞くと有り得ない事じゃなさそうだ。
「如何なさいました?」
「別に」
「溜息を吐いておられました」
「そうか。……悩み多き年頃なのだ」
小夜と周が笑っている。良いんだよ、悩んでも。四十にして惑わずというからな。俺は三十代だ、悩む権利は有る。
十分に売買出来る物が無いとなれば混乱するだけだ。朝鮮側が交易に対して消極的なのもそれが有るのかもしれない。宗氏や朝鮮との交易に関わる商人達はその辺りを理解しているのではないかと小兵衛は言っていた。十分に有り得る。という事はだ、日本側でも交易の拡大は望んでも無制限の自由貿易は望んでいない勢力が有るという事だ。つまり分け前を増やせ、でも新参者は入れるなという事になる。
ゴリ押しするのは危険かな? 物不足からインフレが発生すると苦しむのは一般庶民だ。朝鮮は衛正斥邪で排外思想が強い、対日関係の悪化に繋がりかねない。いや朝鮮に限らんな、日本だって幕末は攘夷が盛んになった。その一因に幕末の経済混乱が有ったのは事実だ。経済面での混乱は拙い。
その辺りを考えると自由貿易よりも制限貿易の方がよりベターで現実的な選択ではある。いやインフレになるのか? 物不足と売る物が無いのは別だろう。おまけに国内でも物々交換が主流なら影響は少ないのかな? 一般の消費財が不足すれば問題だろうが綿糸は日本国内でも調達出来る。朝鮮に頼る必要は無い。分からんなあ、分からん。経済学者とか連れてきて分析させてみたいよ。どんな分析をするか……。
日本側も危ないかもしれない。戦争をしなければ大丈夫、交易を拡大するなら皆喜んでくれるだろうと思ったが甘かったか……。市場が小さいのだとすると市場開放は過当競争を生みかねない。旨味が出ないな。九州の商人達は既得権益の侵害だと思うだろう。毒殺か、有り得るかな?
史実における豊臣秀吉の死因には色々な説が有る。脳梅毒、大腸癌、痢病、尿毒症、脚気、腎虚、そして毒殺。医学が発達していない時代だから已むを得ないんだが些か不自然というか曖昧過ぎる。だが毒殺の可能性は低いと思っていた。やりそうな人間が居ないんだ。殺人には動機が要る。だがこれと言った動機が見当たらない。
家康が秀吉の死を望んでいたのは事実だろう。だが秀吉を殺す必要が有ったかと言えば無いと言わざるを得ない。当時の最大の政治的懸案は朝鮮出兵を如何収拾するかだった。朝鮮出兵は明らかに秀吉の失政だ。長引けば長引くほど諸大名の豊臣家への不満は大きくなる。それだけ家康への期待が大きくなるのだ。家康が秀吉暗殺等という危ない橋を渡る必要は全く無かった。四苦八苦する豊臣政権を意地の悪い目で見ていただろう。
豊臣家内部にも秀吉の死を望む人間が居たとは思えない。朝鮮からの撤兵を決断するには秀吉が最大の癌だという事は三成達五奉行も分かっていただろう。秀次が生きていれば秀吉を殺せたかもしれない。そして朝鮮から撤兵したかもしれない。だが秀次は死に後継者の秀頼は幼かった。
後継者が幼いという事がどれだけ危険かは織田家の事を考えれば直ぐ分かる。織田家は秀吉に天下を奪われたのだ。五奉行はそれを見てきた。いや、秀吉が織田の天下を奪うのを助けてきたのだ。そして家康という危険な存在も有る。誰よりも秀吉に長生きして欲しいと思っていたのは彼ら五奉行の筈だ。最低でもあと十年は生きてくれと願っていただろう。彼らに秀吉を殺す理由は無い筈だ。
切支丹禁教令が絡んでいる? それもおかしい。豊臣系大名の小西行長は切支丹だ。だが秀吉が行長を疎んじたとも思えない。肥後半国を与えられている事を考えれば如何見ても優遇だろう。朝鮮出兵の為かもしれないがそれだって行長に期待していたからとも言える。
行長の家臣、領地には切支丹が多かったがその事を咎められたとも思えない。豊臣政権の切支丹禁教令は徳川政権のそれに比べればかなり緩い。秀吉を布教の為に暗殺しようと追い込まれていたとは思えない。サン=フェリペ号事件、日本二十六聖人殉教が絡んでいる? しかしなあ、あれを秀吉が悪いと一方的に言えるのだろうか……。
可能性を潰していくと死因は不明だが自然死だろうと思っていた。だがな、商人が居たわ。その可能性を見逃していた。博多の商人は朝鮮、明との交易で莫大な利を得ていた。朝鮮出兵により朝鮮との交易が出来なくなったわけだ。そして明が参戦した事で明との交易にも支障が出ただろう。
大損害だ、秀吉を絞殺したくなったとしてもおかしくは無い。そして誰かが秀吉に毒を盛った……。その誰かは秀吉が死ねば朝鮮出兵が終わると見たのだ。それが大事だった。国内の混乱も豊臣家の天下も如何でも良かった。むしろ混乱して中央の統制力が弱まった方が交易はし易い。商人ならそう考えたかもしれない。
『干からびたかのように衰弱しておりぼろぼろになっている。まるで悪霊のようで人間とは思えない』
秀吉に謁見したヨーロッパ人がそう記している。これで本当に自然死なのか……。
毒殺とばれないように少しずつ毒を盛る。砒素かな? 朝鮮では毒薬として使われていた。日本にも有っただろう。慢性の中毒状態にして命を奪う。文禄・慶長の役の始まりが一五九二年、秀吉の死が一五九八年。六年かけて殺す。時間の掛け過ぎかな? それに秀吉の侍医達が気付かなかったとも思えない。やはり無いと見るべきか……。
いや、毒を盛ったのは文禄では無く慶長になってからかもしれない。講和交渉が決裂してからだ。となると期間は短い。毒も砒素じゃないかもしれん。犯人は講和交渉に一縷の望みを賭けていた。犯人にとっても秀吉暗殺は出来れば避けたい博奕だったのだろう。だが講和交渉が失敗に終わった事で戦争終結の望みが無くなった。だから秀吉毒殺を決行した……。
「分からんなあ」
「如何なされました?」
小夜が心配そうに俺を見ている。
「いや、分からん事ばかりだと思ったのだ。分からん」
「まあ」
小夜がクスクスと笑い出した。
講和交渉には小西、宗も絡んでいた。となるとその周辺に居た商人かもしれん。銭は怖いわ、大金が絡むと人の命など平然と踏み躙る事も有る。国外よりも国内の方が危険かもしれない。十分に注意が必要だな。さてと、起きるか。掛け声と共に体を起こした。歳かな?
「もう直ぐ百合が嫁ぐ」
「はい」
「色々と大変だろうが頼むぞ」
「はい、雪乃殿が何かと力になってくれます。それに大方様も」
「そうか」
この手の事は本人よりも周りが熱心になると聞いているが本当だな。
禎兆五年(1585年) 十一月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
「久しいな、出羽守」
「はっ」
声は聞こえた。でも姿は見えない。暗闇の中、あの大男が同じ部屋に居る筈なんだけど全く分からない。風間出羽守の忍びの業前はかなりのものらしい。流石は風魔小太郎だな。
「寝所にお呼び頂けるとは、御信任有難うございまする」
「悪巧みの相談は闇の中でこっそりとするものだ。違うかな?」
「真に」
出羽守から面白がっている波動が届いた。北条では如何だったんだろう。氏康、氏政の寝所に呼んで貰ったんだろうか? ちょっと聞き辛いな。
「如何かな、関東は」
「国人衆が朽木に対して不満を持っておりまする」
「それで?」
「下総、上総、武蔵では密かに連絡を取り合っているようで」
「武蔵もか」
「はっ、三田、成田、藤田、太田、大石。いずれも文の遣り取りをしております」
意外だな。武蔵の国人衆は割と早く朽木に服属したんだが……。
「常陸、下野は」
「今の所目立った動きはございませぬ」
安定していると見るのは甘いだろう。おそらくは下総、上総、武蔵の動きを見ているのだ。様子見だな。その事を言うと出羽守が同意した。様子見が一番始末が悪い。状況次第で如何動くか分からない。どうせなら最初から敵対してくれた方が良いんだが……。
「連中、やる気かな?」
「そのようでございます」
思わず笑ってしまった。出羽守も笑っている。本気かよ、そんな気分だ。
「戦を止められた事が不満か? それとも関の廃止が不満か?」
「両方でございましょう」
「ほう」
「大きくなる事も銭を得る事も止められたのでございますから」
「なるほどな」
出羽守が“大殿も意地が御悪い”と言った。出羽守は戦を止めろというだけなら関東の国人衆は反旗を翻そうとはしなかったと見ているようだ。銭を得る? 関を設けて銭を毟っていたと言うのが正しい表現だろう。関を設けて銭を取る。領主にとっては三つの意味が有る。一つはその土地が自分のものであるという宣言。二つ目は関による不審者の排除。三つ目は銭の確保。これじゃやりたくなるよな。その代償は流通の阻害と経済の停滞だ。要するに領内は貧しくなるという事だ。
銭が欲しいなら領内を発展させ開放するべきなんだが発展させるには銭が掛かる。そんな銭は無い。という事で皆で貧しく百姓に犠牲を強いながら適当に戦をする。それが戦国時代の実相だ。下総、上総、武蔵の連中はその楽しさが忘れられないらしい。
「では戦か」
「いえ、先ずは無視でございましょう」
「……」
「関を廃さずに無視する。それによって朽木と言えど領内の支配について口は出させぬと行動で示す……」
「なるほどな」
不意に可笑しくなって笑い声が出た。いかんな、出羽守が不審に思っているかもしれない。
「関東の者共は未だに足利の世が続いていると思っているようだな」
「……」
「朽木は足利とは違うのだという事が分かっておらぬらしい。上杉も関を廃すと言っているのに何を見ているのか。世の動きが何も見えていないとしか思えぬ。……大樹は何と言っている」
「はっ、容赦はせぬと。年が明ければ戦となりましょう」
「大樹に励めと伝えてくれ」
「はっ」
それで良い。怯むようなら尻を叩かねばならんからな。去り際に出羽守がはっきりとは言えないが奈津が懐妊したようだと教えてくれた。事実なら正式に使者が来るだろう。目出度い限りだ。
関東には大きな勢力が無い。北条が大きくなりかけたが武田が川中島で敗れた事で北条は縮んだ。上杉は影響力は大きかったが領有したのは上野だけだ。関東管領は関東の秩序を守る立場にあるという事で関東を切り取る事はしなかったらしい。越中、飛騨、信濃も有る。余り無理をする必要は無いと判断したのだろう。つまり関東は群雄割拠と言えば聞こえは良いが国人衆の乱立状態に有ったわけだ。
史実だと北条が関東の大部分を制していて北条が豊臣に敗れて関東は中央に服する事になる。だがこの世界では戦らしい戦も無く群雄割拠の状況で朽木に服してきた。そして今戦が起きようとしている。当然だろう、関東は武力制圧が必要だ。史実がそれを示している。
秀吉の天下統一事業では奥州仕置が最終工程だった。この奥州仕置、それほど大きな戦は起きていない。大体検地も含めて二ヶ月程で終わっている。旅行にでも行ったのかと勘違いしそうな程だが天下統一は奥州仕置を以って成った。大きな戦が無いという意味ではこの世界の関東に似ている。だがこの後、奥州では各地で一揆、反乱が起きる。要するに奥州の百姓、地侍は豊臣の支配体制を拒否したのだ。天下統一は? と言いたくなる状況だ。秀吉も首を傾げただろう。
負けてないからだ。コテンパンに負けてないから納得出来ない、受け入れられない。元々人間なんてそんなに賢くも無ければ諦めも良くない生き物なのだ。そして臆病だ。新しい物を受け入れる事が中々出来ない。コテンパンに負けて痛めつけられて漸く諦めが付く、新しい物を受け入れられるのだと思う。天下布武だ。天下に武を布く事で天下を統一する。武を振るう事を躊躇ってはならないのだ。新しい世の中を切り開くために……。




